月別アーカイブ: 2013年8月

国家とはシステムであると実感した時

日本はたまたま島国で、
特に明治以降、挙国一致体制で西洋に追いつけ追い越せ
でやって来て、
いつからか、「国体」というものが生まれて
第二次世界大戦に突入し、
「お国のために死ぬ」のが美徳とされ、
ほんとに300万人の犠牲者を出したから
そういう考えは辞めたはずなのに、
最近はゾンビのようにそういう考えが
生き返って来て
国家というのがまるで生き物かなにかのように
取り扱われる昨今。

ただ、これは、隣国と接していない島国であることと
日本人の民族性が生んだ幻想に近いものだろうと私は思っていて、
そう思うには理由があり、今日はその事を書いてみます。

で、日本は島国なので、つい郷土と国家を混同しちゃうけど、
国家というのはかなり新しい概念で、
例えば、今エジプトが大変だけれど、
中東は近代になるまで国家というものは無くて
西洋が勝手に国境線を引いたという歴史があります。

あとで説明するように、
国家というのは「国家を動かす人々のためのシステム」なのです。
ところが、中東のように国が無いところに国が生まれると
税金を集めて国を動かす人たちにとって、
国家というのはとてもおいしいシステムなので、
中東でも国が生まれた以降、利害関係がすごく複雑になってきています。

では、単なるイメージではなく、
以前私が、国家というのはシステムなんだ、
と実感した経験を、書いてみますね。

…………

スイスのサンモリッツという町はスキーリゾートで有名です。
私が行った時は夏で、
「セガンティーニ」という画家の美術館を訪ねました。
(此処はお薦め。ただしセガンティーニ自身はイタリア人)

サンモリッツに行った晩はイタリアの避暑地コモ湖に泊まる予定だったので、
バスでイタリアに向かって南下。
アルプスの山裾を這うように降りていく時、
カレンダーのよう美しい景色を堪能しました。
特にスイスは町がきれいで、窓辺に花がそろえてあったりして、
人の手が行き届いています。

ところが、イタリアとの国境を越えたとたん、
町が今までとは違って、突然、庶民くさくなったのです。
ローマの創始者ロムルスとレムスの伝説の五本足のオオカミマークの
ガスステーションの横を通る頃には、
300メートル手前のスイスとはまるで別の町。
家の壁は薄汚れ、バルコニーには洗濯物。
(イタリアの悪口ではありません。私はイタリアの方が居心地が良かった)

私はそのとき、国という概念を理解したように思うのです。

つまり、
この地方の人たちは当然のことながら、
スイスとイタリアに分かれる前から
ひとつの生活圏として交流していたと思うのです。
つまり同郷。
当然結婚したり親戚になる人たちも多かったはず。

で、あるとき、国境が出来る。
そうすると、主権国家が違うと法律も教育も違うから
少しずつ町も人も変わらざるを得なくなります。
スイスは永世中立国で軍隊があり、町には兵器庫などもありました。
万が一イタリアと何かあれば、親戚とも戦わなければならない。

イタリア人にしたって隣町と戦うなんてごめん被りたいでしょう。
親戚だっている。
同郷ですから。

しかし、そういう時に郷土愛というのは基準にならないのは明白です。
イタリアという国家の主権の及ぶ地域で暮らす人と
スイスという国家の主権が及ぶ地域の人、
という区分けで物事は処理される。
つまり、領土も民も結局は主権国家のシステムに組み込まれるわけです。

でも日本は島国だから、という人もおられるでしょう。
つまり主権国家と郷土が一緒という考え方。
でも,例えば与那国島は石垣島より台湾に近い(台湾までは111キロ)。
昔から交易もあったはず。
それでも何かあれば、日本国民として対応を迫られる。
実際台湾に行くためには、那覇(あるいは石垣島?)からでないと
出国出来ないでしょう。

また、与那国島からは2000キロも離れたところにある東京が首都で、
税制も教育も日本の国家主権のもとでなされる。
こう見ると、主権国家とは郷土のようなもの、
と考えるのはやはり無理があるように思えるのです。

私達が日本という山河の国土や文化を愛したとしても、
「システムとしての日本国家」は
愛の対象ではなく、
主権者たる私達の付託を受けて権力を行使している人々が動かしており、
私達から見れば、あくまでも彼らが仕事をきちんとしてるかどうかの
監視の対象でしか無いのです。

そして憲法も、付託された人々(議員達)をキチンと働かせるものであり、
私達国民のものです。

その付託された人たちが、自分達が縛られるのはイヤだと言って
改憲しようとしているのが、自民党改憲案です。

私達は、もう少し、権力とか国家というものが
実は私達と対立する概念であることを
肝に命じたいものです。

資源のない国の生き方

今日は68回目の「敗戦の日」です。

私が今日この日に、
日本が二度と間違った道を歩まないために
言いたいことは以下の二つだけです。

①日本は資源のない国で、
②地球は有限である。

この厳然たる事実を前にして、
自衛隊を国防軍にするとか、核武装すべきだ、
などと言っている政治家は
私にとっては、寝ぼけたことを言っている、
お花畑はどっちだ、
という感じで、理解を超えています。

先の大戦も結局、世界から孤立して
ABCD包囲網に経済制裁を加えられ、
無謀な戦争に突入しました。

今の時代だって、世界がその気になれば、
島国である日本を兵糧攻めにすることなんて簡単でしょう。

しかし70年前と違うのは、
日本の政治家の発言は瞬時に世界をめぐり、
一方で日本の庶民にすら世界のニュースは読めることです。
70年前に比べれば、歯止めのハードルは高くなっているはずです。

70年前は日本国民は全くの井の中の蛙で
ナイーブ(世間知らず)でした。
最も、今も7割の人がテレビや新聞の情報を鵜呑みにしている
と言います。

経済大国になったことで、私達は勘違いしがちですが、
地球が有限である以上、資源のない国は
世界になにか危機が訪れたら、
日本と言えども札ビラで買いあされない状態
に簡単に陥ります。

分かりやすいのは、食料問題です。
食料生産国が飢饉にあえば、輸出にまわさなくなります。
食料の多くを輸入に頼っている日本は薄氷を踏むような状態に
なるでしょう。
こういうとき一番打撃を受けるのは都会です。

エネルギーの問題も悩ましいですが、
原発が一度事故を起こすと手のつけようがない汚染を
引きおこすのは、ふくいちが証明中です。
石油や天然ガス、自然エネルギーを上手く組み合わせて
行くしかないでしょう。

結局、「資源のない国」は身の丈にあった生活にシフトしつつ
外交と貿易で世界と渡り合うしかないのです。

勇ましいことを言う政治家は是非、地元の有権者が
諌めて下さい。
アイスノンか冷えピタでも送ってあげて下さい。

冗談ではなく、集団的自衛権の容認などで、
戦争の出来る国にしてしまっては、300万以上の戦争犠牲者に
申し訳が立ちません。

ようやく戦後築いて来た社会インフラとシステムを維持するには
平和以外ありません。

絵画をめぐる心理劇

今日は
トレイシー・シュヴァリエ(Tracy Chevalier )著
“Girl With a Pearl Earring” (邦題:『真珠の耳飾りの少女』)
をご紹介します。

以前ちょっとご紹介しましたが
読了しましたので、書評を。

いうまでもなく、フェルメールの代表作
『真珠の耳飾りの少女』(オランダマウリッツハウス美術館所蔵)
を題材にしたフィクションです。
映画ではスカーレット・ヨハンセンが主人公を演じているようで、
そんなところから何となく「恋愛物」だと思って読み始めたのですが、
むしろ絵画をめぐる一風変わった心理劇、という趣きです。

主人公は父親のアクシデントから、フェルメールの家に
奉公に出ることになったGriet。
わずか16歳の少女なのだけれど、
自分の不利な状況を、その度ごとに見極めて
ひとつひとつ乗り越えて行く賢い少女。
この少女をめぐる周囲との静かな心理劇。

面白いのは、人間模様の描写だけではなく、
当時の絵画制作における絵の具の作り方の描写なども
出て来るところです。

今私達は、絵の具はチューブに入っているもの、
と思っていますが、もちろんこれは、近代になってからのこと。
顔料も現在は合成ですが、当時は天然のものばかり。
本の中にもフェルメールが好んで使ったラピスラズリを
細かく摺って色を作って行くと、その青のあまりの美しさに
主人公が心を動かされる様子が描かれます。

また、フェルメールはカメラの前身である
カメラオブスキュアを使ったともいわれていて、
主人公がフェルメールと一緒にその不思議な箱を
覗くシーンも出てきます。

つまり、フェルメールのファンなら、ワクワクするような仕掛けが
詰め込まれた小説なのです。

フェルメールの作品が次々と描かれて行く様子も
語られ、フェルメールの画集を側に置いて読んで行くと
楽しみが倍増だと思います。

また、主人公の性格描写などが具体的で、
英語でもイメージしやすく、
しかもそれらと先に述べた様々なディテールと響きあって
少しずつ少しずつ話は針の先を突き刺すような、
緊張感が高まって行きます。

原題の ”Girl With a Pearl Earring” も不思議です。
なぜなら、イヤリングは普通両耳につけるから複数のはず。
この謎も、本を読めば解けます。

カトリックかプロテスタントか、という
私達からすればあまり興味がわかない部分も実は
重要な秘密が途中で明かされたりもします。

文学的にすごく重要、という本ではないですが、
17世紀のオランダの町や人々の様子や風俗と
ちょっと知的な芸術家の生活を鮮やかに再現してくれた一冊です。
そしていつの時代も変わらぬ人間の理不尽な心の描写も見事。

英語も、作者の文体に慣れると、
私でもスラスラ読める難易度です。

少し古いヨーロッパに興味のある方や、
人間の心の彩の英語表現を増やしたい方には
楽しめる一冊ではないでしょうか。

ところで、Grietは「真珠の耳飾りの少女」の
モデルになるのでしょうか。
それは読んでのお楽しみ。

絵の具の話に付け加えると、
今は油絵も水彩絵の具もチューブ入りですが、
実は日本画では、今も絵の具をすり鉢で摺って
膠(にかわ)で溶きます。
日本画を見る機会があったら、是非思い出して下さい。

翻訳は↓ こちらです。

↓ 分かりやすいフェルメール解説本。図版もキレイです。

お知らせ

いつも使っているデスクトップのマックが突然、
インターネット接続が出来なくなりました。

ネット以外は使えるのですが
どうやら修理に出さなければなりません。

今は、古いラップトップから打ち込んでいます。
テキストだけなら、何ら問題無くブログ更新は出来ます。
しかし画像関連はすべてデスクトップに入っています。
映像データは外部のハードディスクに保存してあるので
その点は問題はありません。

残念なことにラップトップのメモリは映像を入れる余裕がほとんど無く
しばらくは、画像の少ない更新を余儀なくされるかもしれません。

というわけでしばらくは、
私の作品画像の少ない記事が続くことになります。

以上お知らせでした。

暑いので、皆様ご自愛くださいませ。

熱帯夜におくる密林の絵

お盆を前に、厳しい暑さになっています。

今晩も熱帯夜で、エアコンを付けなければ寝にくいし、
かといってエアコンを付けっぱなしにすると
身体に良くありません。

我が家では、寝る2時間前に寝室を急速冷房して
氷室のようになったところで冷房を消して寝ます。
たまたま寝室の壁が漆喰なので、
壁が一旦冷えると朝までその冷気が保てるのです。

多くの住宅の、内壁の板にクロスが貼ってあって外壁との間に断熱材が
入っているタイプの部屋で、
この方法が有効かどうかは分からないのですが。

天気予報によると明日はさらに暑いとか。
で、今日は、熱帯夜に密林の虎の絵を贈ります。

20130809

これは20年くらい前に描いたものです。
大きさはF50号(縦116cm×横92cm)。
上野動物園に行って動物を描こうと思ったとき、
ネコ好きの私は、やはりネコ科の虎に一番惹かれたので、
密林の中に虎を配して描いてみました。
また屏風の雰囲気も出してみようと、背景に金箔を使い
なかなか凝った作りになっています。

この密林の様子は、つい最近老朽化のために閉館した
井の頭公園内の井の頭自然文化園にあった「熱帯温鳥館」でのデッサンが元になっています。
東京には熱帯温室は、夢の島、新宿御苑、そして神代植物園、
といくつかあります。
自然文化園の「熱帯温鳥館」は規模は最小でしたが、いつ行ってもすいていることと、
二階の高い視点からスケッチすることができたのが魅力でした。

また、自然文化園の入り口を左手に入ったところには彫刻園があり、
長崎の平和祈念像を作った彫刻家の北村西望の作品も展示されています。
今日は68回目の長崎の原爆投下の平和祈念式典が開かれましたが、
式典の背景に建つ平和記念像はここの彫刻園のアトリエで製作されたもので、
その原型を鑑賞できます。

井の頭自然文化園と言えば象の花子で有名です。
この花子は戦後の1949年にタイから贈られ、
1954年に井の頭自然文化園に移されました。

実は、タイから寄贈されて上野動物園で飼われた「象の花子」はもう一頭いて、
第二次世界大戦前の1935年に贈られた「花子」は、
戦争中の1943年、逃げ出したら危険と云う理由で餓死させられています。
死に至るまで花子は、餌をもらえないので、餌ほしさに
一生懸命芸をした、という話しも残っています。(涙)

さて、今日の長崎の祈念式典では、
被爆者のお一人築城昭平さんは自分の経験を語る中で、
また田上市長が平和宣言の中で、
政府が核不拡散条約署名拒否した事や
原発事故後も再稼動をしようとしたり原発輸出の方針を打ち出したことを
明確に批判しました。

しかし、その切実な声の余韻が残る夕方には、首相は
集団的自衛権の見直しを早急にすることを記者会見で明言しています。

う〜ん、国民は経済政策で自民党を選んだだけなんですけどね。
しかもふくいちの汚染水は深刻になって来ていて、
憲法をいじる前にやらなければならないことは山のようにあるのに。
数があるからと言って、まるで国民の見ている方向とは別方向に
政治を進めて行く、というのは許されることでしょうか。
麻生財務大臣の「気がつかないうちに憲法を変える」
って本心なのかもしれませんね。

こういうことが続くと、熱帯夜がますます寝苦しくなりそうです。

私の父は先の大戦でシベリアに抑留されていましたから、
その悲惨な経験を良く聞かされました。

例えば、父はタバコを吸わない人でしたが、
捕虜にはタバコだけは支給されたそうで、
父はそのタバコをためて、給仕室へ行き食料と替えてもらって
生き延びたそうです。
また、おしっこも凍るほどの寒さでも
若い人の方が、我慢が効かず傷んだものを食べて
どんどん先に死んで行ったそうです。

こういう戦争の実態を多少でも知っている私からすると、
私と同世代の安倍首相の言動が、
非現実的なバーチャルな思考に基づいているように思えて仕方がないのです。

実は父は、関東大震災も経験しているので、
朝鮮人の暴動のデマとか、本所区被服廠跡の火災の話しとかも
聞いたことがあります。

今日の平和宣言で田上市長は
「人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。
だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、
折にふれ確かめなければなりません。」
と言っています。

水に流してはいけないものはあるのです。

長崎市平和宣言
(宣言の最後に賛同のクリックがあるので、是非ポチッとしてみて下さい)

お昼寝中。

立秋を前に、暑さが戻ってきました。
お元気ですか?

私は、実は、子どもキャンプの手伝いなどで奔走しておりました〜〜。
たくさんの子供たちと楽しい時間を過ごしてきましたが、
そのご報告は次回以降にして、今日は
また猫ネタです。

20130805

我が家の下の猫は、このところ暑い昼間は、たいがい
夫の机の上のL字形のコーナーで、
壁に引っ付いてお昼寝中。

熟睡モードだったのに、私がスケッチを始めると
うっすらと左の薄目を開けて様子を見ていました。
しかし、そのうち、ゆっくりと熟睡モードに戻って行きました。

昼間ぐっすり寝るので、夜になると、
風が涼しいこともあって、猫達は上へ下へと走り回っています。