国家とはシステムであると実感した時

日本はたまたま島国で、
特に明治以降、挙国一致体制で西洋に追いつけ追い越せ
でやって来て、
いつからか、「国体」というものが生まれて
第二次世界大戦に突入し、
「お国のために死ぬ」のが美徳とされ、
ほんとに300万人の犠牲者を出したから
そういう考えは辞めたはずなのに、
最近はゾンビのようにそういう考えが
生き返って来て
国家というのがまるで生き物かなにかのように
取り扱われる昨今。

ただ、これは、隣国と接していない島国であることと
日本人の民族性が生んだ幻想に近いものだろうと私は思っていて、
そう思うには理由があり、今日はその事を書いてみます。

で、日本は島国なので、つい郷土と国家を混同しちゃうけど、
国家というのはかなり新しい概念で、
例えば、今エジプトが大変だけれど、
中東は近代になるまで国家というものは無くて
西洋が勝手に国境線を引いたという歴史があります。

あとで説明するように、
国家というのは「国家を動かす人々のためのシステム」なのです。
ところが、中東のように国が無いところに国が生まれると
税金を集めて国を動かす人たちにとって、
国家というのはとてもおいしいシステムなので、
中東でも国が生まれた以降、利害関係がすごく複雑になってきています。

では、単なるイメージではなく、
以前私が、国家というのはシステムなんだ、
と実感した経験を、書いてみますね。

…………

スイスのサンモリッツという町はスキーリゾートで有名です。
私が行った時は夏で、
「セガンティーニ」という画家の美術館を訪ねました。
(此処はお薦め。ただしセガンティーニ自身はイタリア人)

サンモリッツに行った晩はイタリアの避暑地コモ湖に泊まる予定だったので、
バスでイタリアに向かって南下。
アルプスの山裾を這うように降りていく時、
カレンダーのよう美しい景色を堪能しました。
特にスイスは町がきれいで、窓辺に花がそろえてあったりして、
人の手が行き届いています。

ところが、イタリアとの国境を越えたとたん、
町が今までとは違って、突然、庶民くさくなったのです。
ローマの創始者ロムルスとレムスの伝説の五本足のオオカミマークの
ガスステーションの横を通る頃には、
300メートル手前のスイスとはまるで別の町。
家の壁は薄汚れ、バルコニーには洗濯物。
(イタリアの悪口ではありません。私はイタリアの方が居心地が良かった)

私はそのとき、国という概念を理解したように思うのです。

つまり、
この地方の人たちは当然のことながら、
スイスとイタリアに分かれる前から
ひとつの生活圏として交流していたと思うのです。
つまり同郷。
当然結婚したり親戚になる人たちも多かったはず。

で、あるとき、国境が出来る。
そうすると、主権国家が違うと法律も教育も違うから
少しずつ町も人も変わらざるを得なくなります。
スイスは永世中立国で軍隊があり、町には兵器庫などもありました。
万が一イタリアと何かあれば、親戚とも戦わなければならない。

イタリア人にしたって隣町と戦うなんてごめん被りたいでしょう。
親戚だっている。
同郷ですから。

しかし、そういう時に郷土愛というのは基準にならないのは明白です。
イタリアという国家の主権の及ぶ地域で暮らす人と
スイスという国家の主権が及ぶ地域の人、
という区分けで物事は処理される。
つまり、領土も民も結局は主権国家のシステムに組み込まれるわけです。

でも日本は島国だから、という人もおられるでしょう。
つまり主権国家と郷土が一緒という考え方。
でも,例えば与那国島は石垣島より台湾に近い(台湾までは111キロ)。
昔から交易もあったはず。
それでも何かあれば、日本国民として対応を迫られる。
実際台湾に行くためには、那覇(あるいは石垣島?)からでないと
出国出来ないでしょう。

また、与那国島からは2000キロも離れたところにある東京が首都で、
税制も教育も日本の国家主権のもとでなされる。
こう見ると、主権国家とは郷土のようなもの、
と考えるのはやはり無理があるように思えるのです。

私達が日本という山河の国土や文化を愛したとしても、
「システムとしての日本国家」は
愛の対象ではなく、
主権者たる私達の付託を受けて権力を行使している人々が動かしており、
私達から見れば、あくまでも彼らが仕事をきちんとしてるかどうかの
監視の対象でしか無いのです。

そして憲法も、付託された人々(議員達)をキチンと働かせるものであり、
私達国民のものです。

その付託された人たちが、自分達が縛られるのはイヤだと言って
改憲しようとしているのが、自民党改憲案です。

私達は、もう少し、権力とか国家というものが
実は私達と対立する概念であることを
肝に命じたいものです。