カテゴリー別アーカイブ: 女性を描く

国際女性デー。国連委の勧告のほとんどは日本国内の女性差別についてのもの

今日3月8日は国際女性デー。

ということで、女性の活躍をよく取り上げる
グーグルの動画ロゴは、「世界の女性が夢を語る動画」です。

最後にはノーベル賞の受賞者のマララさんが出て来ます。

私としては、最後から10人目くらいに
類人猿の研究で世界的に有名なジェーン・グドールが出て来たのが
印象的でした。

この方ですね。「環境について話しあいたい」と言っています。
2016-03-08

この国際女性デーにあわせて、
日本の女性差別撤廃条約の履行に関する勧告が女性差別撤廃委員会(CEDAW)から
報告されています。
日本の夫婦同姓・マタハラ…女性差別撤廃、国連委が勧告

国連委は撤廃促す…別姓認めず「夫の姓を強制」

日本の報道は慰安婦問題しか取り上げてないけど、
実は、女性差別撤廃委員会(CEDAW)の勧告は、
女性差別撤廃条約を日本が批准しているにもかかわらず、
その取り組みの甘さを指摘したものなのね。
14ページに渡るもののうち、13ページは国内に関してだということです。

もちろん、慰安婦問題も国が関わったか関わらなかったかという問題以前に
女性への侮辱ですけど、

もうすぐ東日本大震災から丸5年だけれど
本当にあの震災は日本という国の有り様を丸裸にしてくれました。

「女性差別、子ども差別」のひどさも
そのひとつです。

保育園問題も、保育士や介護士の給料の低さも
「おんな子ども」という、為政者の意識の現れのような気がします。

でも、これすごく変。
力の弱いものをサポートするのではなくて
バカにする。

とても悲しい精神の有り様に思えます。
とても子どもっぽくて、大人の態度とは思えない。

どれほど頑張っても、筋力において女性は男性にかなわないし
ましてや子どもは保護されるべき存在以外何ものでもない。

そういう弱いものをサポートし尊重するのが
チカラのあるもののやる事だと思うのですが。

しかも、すべてのおじさんたちは女性から生まれているし、
自分も誰かに守られた子供だった。
結局、おじさんたちは、自分の出自をバカにし、
自分の歴史をバカにしていることになります。

自分より弱い存在を尊重できないのは、本当に強いとは言えないと思う。
もちろん、世の中のおじさんがすべてそうだとは思っていません。
しかし、ハンコを押す立場や裁量権のある立場の人の多くが
強さを履き違えていいるように見えます。

ま、そういうおじさんたちを尻目に
若い女性は、ドンドン勉強して
ドンドン世界に出れば良いと思います。

時代はドンドン動いているのです。

ちなみに、日本は、「エコノミスト」が発表した
「女性の働きやすい国」ランキングで、ワースト3に入りました。

The best—and worst—places to be a working woman

↓こんなデータも。

頭と体が繋がった時、見えないものが見えてくる

昨日の午後、数年ぶりにヌードクロッキーのデッサン会へ行ってきました。
あまりに久しぶりなので、描けるかな、とドキドキ。
20150614back

しかし、心配無用でした。
むしろ意外なことが起きたのです。
以前は見えなかったものが見えて来たのです。

これは5分間ポーズで描いたもの。
色のついた紙に、白いコンテで骨格と筋肉を捉え、
鉛筆で二次元の境界線、つまり線描を入れました。

そして面白いことに、以前見えて来なかった、肩甲骨や背骨や骨盤が
皮膚の上からぼんやりと見えて来たのです。

なぜならば、このところ時間を見つけては人間の骨格を
紙に描いて再現していたからだと思われます。
ボチボチやっていたら頭に入っていたのでしょう。
20141223d

まさに
「見えないものが見えて来る」感覚を味わったのです。

人体デッサンは若い頃からやっているし、
人体の骨格だって知らないわけではなかった。

しかし、
見て描いて、心でデッサンする
で記事にしたように、見ないで描く練習を時間を見つけてはやっています。
そうやって実際に紙に再現して描いていたことが、とても効果があったのだと思われます。
特に人間のヌードは、骨や筋肉が複雑に絡んでいますから。
頭で考えたことを紙に描いて再現する座学と、
モデルさんを前にして描く実践の両方が必要なことを痛感しました。

頭と体を繋げること。
それが出来た時、見えないものが見えて来るのでしょう。

私が使っている美術解剖学の本です。

<関連記事>
見て描いて、心でデッサンする

ひとつとして同じものがない自然

久しぶりに女性像をアップしました。

20130703

実は私の一間の押し入れ一杯のデッサンの
半分が女性ヌードです。
なので、アートとはいえやっぱりネット上に載せるのには
神経を使います。

最近は、野外での生き物たちをスケッチすることが多くなりましたが、
人間は、描いていて面白いですし、
やはり若い女性の美しさは格別なものがあります。
もちろん人類の種の保存がその美しさの最終目的です。
昨日の繰り返しになりますが、
まさに、創造主のイマジネーションは完璧です。

すごいと思うのは、
眉と目と耳が二つ、
鼻と口がひとつ
というように、顔や身体の部位は数が決まっているにもかかわらず、
一人として同じ顔、同じ身体を持った人がいない、
という事です。

昨年の1月のナショジオは双子特集でした。
10組くらいの双子の顔写真がアップで並んでいました。
一卵性双生児は、ひとつの受精卵が二つになるわけですから、
遺伝子的には全く同じなのに、
どれほど似ていても、微妙に違うのが面白いほどでした。

昨日私は無造作に「創造主」と言いましたが、
「創造主」とはなんでしょうか。

間違いなく言えることのひとつは「時間」が絡んでいる、
という事です。

以前、福岡伸一さんのベストセラー生物と無生物のあいだを読んだ時に、
印象的だったのが、この「時間」の概念でした。

ま、この本は、アマゾンのレビューを見れば分かるように
賛否両論が有るのですが、
私は分子生物学の歴史の人間模様は面白かったし、
(これがめちゃめちゃ人間臭い)
最後の福岡さんの実験の話しも面白かったです。

その実験とは福岡さんたちはある遺伝子を抜いて実験をするのですが、
途中から抜くと、本来生まれる部位が生まれないのに、
最初から抜くと有るものと変わらない結果が出たというのです。

普通だったら逆のような感じがするけど、
福岡さんたちが何度実験しても同じ結果になるのです。
そして福岡さんがたどり着く結論が「時間」なのです。
いわゆる「動的均衡」の実証実験だったそうですが、
生物には不可逆な時間があって、その流れに沿って折りたたまれ、
一度おりたたんだら二度と解くことのできないし、
全体としての存在だ、というものです。
この実験で言うと、最初から無いものは、
無いものとして全体の中で補いあう、というのです。
そしてそれが出来るのは時間があるから。

多分理系の人には自明の理でしょうが、
私には新鮮でとても面白い一冊でした。

次回の更新は土曜日を予定しています。

あなたは自分が思うより美しい

あなたは褒められて育ったでしょうか?
家庭や学校だけでなく、日本社会では常に欠点を指摘され、
「もっと早く」と言われたり逆に「〜しちゃダメでしょ」
などと言われて育ちます。

特に女性は大人になっても「もっときれいに」「いつまでも若く」
と言われて、素顔でいたり普通に年取ることが罪であるかのように
せき立てられます。

もちろん後者などは売らんかなの資本主義のなせる技なのですが、
男性も割と平気で「あの汚いばばあ」といったような
言葉遣いをします。
森高千里さんが「私がおばさんになったら」と
歌っていましたが、子育てを終えた森高千里さんが
今も歌っているのは、立派です。

20130523

こんな動画を見つけました。
Dove Real Beauty Sketches
 http://www.youtube.com/watch?v=XpaOjMXyJGk

某パーソナルケアメーカーの宣伝で、
なかなかしんみりさせます。
英語バージョンは5千万回以上も再生されています。

日本語版もありますね。
ダヴ リアルビューティー スケッチ
こちらも100万回以上、再生されています。

このフィルムの設定は、知らない人が数人集められ、
待合室で待っている間、仲良くなる、というミッションのみが
参加者に与えられるようです。

「待合室にいる間、待っていた他の女性と親しく話したわ。」
という訳の日本語だとこのミッションのニュアンスが分かりにくいのですが、

英語では
0:58頃に
”All I have been told before the sketch was to get friendly with this other woman :Chloe”
という言葉が出て来ます。
参加者に伝えられたのは、スケッチをするまえに
別の女性と仲良くなるようにいわれたことだけ。
実はスケッチのことも知らされていなかったようです。

で、白いカーテンの内側でスケッチをするのは、
FBIで訓練を受けてサンノゼ警察で働いていた、
フォレンシック(犯罪科学)アーティストのGil・Zamoraさん。
目撃者の証言から犯人の似顔絵などを描いていたのでしょう。

で、Gil・Zamoraさんは、本人の証言と
待合室でさっき友達になったばかりの人からの証言を元に
似顔絵を二枚描きます。

そうすると、本人の自分の顔の説明で描いた絵より
他者の説明によって描かれた絵の方がおおむね明るく
ハッピーな感じに描けるのです。

そう、「あなたは自分が思うより美しい」
というわけです。
2:14あたりで参加者の一人が、
「私は自分の自然な美しさにもっと感謝すべきだ」と言っています。
I should be more grateful of my natural beauty.
It impacts the choices in friends that we make, the jobs we apply for, how we treat our children.

・・・・・

実は、私はこのフィルムはかなり出来すぎているような気がするのです。
FBIの特殊訓練を受ければこういう風に描けるのかもしれませんが、
私は、言葉だけでこういう風に似顔絵が描けるものなのか、
ちょっと分かりません。
経験がないので何とも言えないですけど、
かなり時間をかけて、本人を見た人たちと
「目はもう少し大きかった」
「顎はもっと尖っていた」
「全体的にもっと明るい雰囲気だった」
と時間をかけて行けば出来そうな気はします。

ただ、もしこのフィルムが壮大なフィクションであったとしても、
小さな勇気をくれることは確かです。

そして、もっときれいに、もっと外人みたいに大きな目で、
もっとモデルのように細く、もっと、もっと、
と言われれ続けている私たちも、
自然でいることが悪いことではないように思えて来るのも確かです。

このフィルムのメッセージは確かに
あなたはありのままに自信を持っていいのよ、
というのには違いないからです。

私たち日本女性は、実際以上に美しくない、
と常日頃から、テレビや雑誌やいろんな媒体を通して、
思わせられているような気がしてなりません。

確かに、白人に比べれば彫りも深くないし
雪のように白いわけでもありません。
しかし、艶やかな黒髪とキメの細かい肌は
私たちが思う以上に魅力的ではないでしょうか。

最初に書いたように、私たちは常に長所を伸ばすより、
欠点を直すようにいわれて育ちます。
洋服は西洋の文化ですからそれに合わせるために
私たちは、西洋風のメークをし、髪を染め、
必死に欠点を隠そうとします。
でも、残念ながら、
目が小さいからといってマスカラやラインを塗っても、
髪を茶色にしても、白人になれるわけではなく
なった気分を味わうだけです。

もちろんご本人が良ければそれで良いのかもしれませんが、
時には本来の持ち味がそれで消えてしまうことを
私たちは気がついてもいいかもしれません。

むしろ長所を生かして、
このフィルムがいうように、もっと自然の美しさで
黒髪とつややかな肌を活かしたアジアンビューティーを
めざす人が少ないのは、ほんとうに残念です。

ただ、これを言うと、化粧品メーカーや
美容院業界からブーイングが出そうです。
特に美容院は今はカットやパーマよりヘアダイ
の売り上げが相当伸びているそうですから。

それから、ヨーロッパ人はみんな美男美女、
というのも大いなる間違い。
セレブがきれいなだけです。
かつてオードリー・ヘップバーンが「ティファニーで朝食を」
に主演してジバンシーがデザインした洋服がアメリカで
売れまくったという話しを聞いたことがあります。
その頃からマスプロ宣伝は効果があったのですね。

なにより自然に美しさを保ち、
自然に年取ることは精神的に楽なのではないでしょうか。
残念ながら上手く年をとっている女性のロールモデルが
少な過ぎることもあるのかもしれません。
功成り遂げる女性はお金にも余裕があるので
髪も染めるし、皺取り手術も出来るからです。
そして彼女たちは「いつまでも若く美しい」ことで
お金をもらっているからです。

日本女性はエクステンションをつけなくても
髪を染めなくても、十分に可愛いいし、
むしろそんなことをすると人によっては滑稽に見えることもある、
ことは知って欲しいと思います。
最もみんなと一緒がいいのかもしれませんが。

で、私はどうか、と言うと
若い頃目を大きく見せることに挑戦してみましたが
アイラインを入れると寄り目になるので諦め、
二十代以降からずっと口紅と頬紅で顔を明るく見せるだけの方法ですごしてきました。
白髪が出るようになってからは、
髪を染めると生え際の白髪がかえって目だつので、染めず、
髪がふんわり柔らかい雰囲気になるように
パーマとカットで美容師さんにお願いしています。

自分なり年齢なりの美しさを作って行ければいいな、
と思っています。
年を取ることは悪くないし、
「いつまでも若い」のはかえって気持ち悪いと思うのです。

クリムトの庭


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世紀末のウィーンと言えば、クリムトです。

クリムトと言えば
「接吻」


しかし、
意外に知られていないのが、
クリムトはたくさんの風景画を残しているのです。

私が持っている画集は、
1989年にリブロポートから出されたS4号くらいの大きさの画集です。
リブロポートは、
当時は西武美術館と共に
堤清二が肩入れした文化事業の一端をになっていて、
美術・写真系関連で良い本を出していました。

アマゾンで探しても同じものはマーケットにもなかったので、
別の画集になります。

クリムトの代表作とされる
「接吻」や「ダナエ」の背景には
不思議な模様が描き込まれています。

装飾と言っても、
ミュシャのような具体的に花の名前が分かるようなものではなく、
むしろアブストラクト(抽象的)な装飾性で、
クリムトが何をヒントに描いていたのか
分かりませんでした。

たまたま、本屋さんで風景画の画集を見つけて
パラパラとめくってみたら、
そこにはあの不思議な模様の
原点がありました。

リンゴの木や、ポピーの庭が描かれています。
「ああ、これがあの不思議な模様になっていったのね」
と一目で氷解です。

クリムトは女性像もよく描いていて、
その背景もこれらの不思議な模様で埋められています。 
でも、よく見てみると、あのクリムトの庭なのですね。

クリムトのような時代を画する絵描きにとっても、
自然というのはイマジネーションの宝庫なのですね。

さて、先に名前を出しましたが、ミュシャ展が5月19日まで開かれています。

ミュシャはサラベルナールのポスターであまりに有名になってしまいましたが、
今回の展覧会は、<スラブ民族への愛>という
ミュシャのもうひとつの面にもしっかり焦点が合っているようです。
見応えありそうですね。

クリムトやミュシャの話しの後になんですけど、
私の描いた女性像を最後に載せておきます。
私もシダや花と女性を、
金の屏風に仕立てたこんもりと繁る木々を
背景に描いてみました。
ちょうど20年前の作品。
大きさはF30号(910mm×727mm)です。
こちらから女性のデッサンもどうぞ。

20130430

風を感じる

  ←クリックをお願いします。

お花見日和の週末ですねえ。

でも明日の日曜日はガクンと寒くなるそうです。

ぜひぜひ防寒もおこたりなく、素敵な週末をお過ごしくださいね!

20130323

私はカタクリの花を探しにいこうかな、と思っています。

ではでは〜。

鉛筆のイラストシリーズは下記の記事からもご覧頂けます。
2月2日 静かな週末
2月22日 春の風

意識と無意識、線と塊

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わかりやすい絵の話、というカテゴリーを作り、絵について表現について書いていきます。自分の考えをまとめる意味もありますので、少しずつ言っている内容が変化していくかもしれません。

トップページの「やさしい絵画論」にもリンクさせていきます。

芸術に技術というのが重要であることはこちらの「見えるものと 見えないものと」という記事で触れました。

ここで書いたように、絵だけは技術がなくても通用しそうです。でも、それは事実でしょうか?
確かに、子どもの描いた絵に感動することがあるのですが、その絵には「意識」が入っていません。芸術が人間の営みである「意思」の歴史の中で捉えられる時、それは科学や思想と同じ捉えられ方をします。「意思」の無い科学や思想が無いのと同じに、意思の無い絵は芸術とは呼びません。つまり、子どもの絵は「芸術」ではないわけです。

しかし、私たちは心を揺さぶられることがある。なぜか。それは子が持つ無意識さが捉えた絵が、意識ばかりになった我々大人に隠れている根源的な感覚を呼び起こすからかもしれません。その子供たちの「無邪気さ」や「無垢さ」に私たちは感動するのでしょう。一方でその「無邪気さ」がとても残酷な行為いを引き起こす事もあります。そして、子どもの無邪気な絵というのは、一時期だけのことです。「子ども」という未発達がゆえの人間の本質を隠さない存在のみが捉えられる一瞬があるのだと思います。

ピカソなどはそれに気づいて作品に応用しているのです。

私は時々、人物クロッキーデッサンなどで、一ポーズ3分でモデルさんにお願いして、意識を消して手になりきる練習をします。3分で目の前の形を捉えるとしたら、考えている間など無いわけです。

そんな人物デッサン、特にクロッキーではさまざまな技法も試すことにします。
womantec

この写真の場合、描写時間は3分から20分まで。

技法の説明をすると、左上から時計回りに

チャコール鉛筆とクレヨン
鉛筆と水彩
色鉛筆
マーカー

womentec2

これはパステルだけでボリュームを出していて、西洋的な物の見方、という感じです。
西洋的な物の見方、とわざわざ言ったのには理由があります。

我が葛飾北斎は「北斎漫画」といって十五編の線描画集を残しました。
そしてそれらが、印象派のモネやゴーギャンに影響を与えた話はあまりにも有名です。

パソコンの進化でバーチャルリアリティが深化しています。その進歩は目覚ましいものがあるけど、立体的に見え本物らしいことだけが「絵」に求められることは淋しい気がします。やはり人間が3次元を切り取って2次元に表現する基本は「線」ではないか、と考えるのです。そして真にデッサン力がある、とすればそれは、線で描いても表現出来るはずなのです。

この「人物デッサンのすべて」という本はとても良い本ですが、基本的には「塊」という概念が中心です。

葛飾北斎がこういうデッサンの指南書を書いたら、どんなものになるだろう、というのはすごく興味深いことです。

日本で漫画が隆盛なのは実は、北斎翁の線描画がDNAとして連綿と続いているからかもしれません。

ただ、今の漫画はプロトタイプに落ちいってるものが多いのが残念。ダイヤモンドのような輝きを持つ大きな目と服からはみ出しそうな乳房、が闊歩しすぎてます。観察せずに描いているからでしょう。

そして最初の話に戻ると、「人と同じ」が重要な日本社会では、無意識が無くなった子供たちも似たようなアニメや漫画顔の絵ばかりを描くようになります。これは本当に残念だなあ、と最近思います。

だって、本当は子供たちの才能はこんなに豊か。「Doodle 4 Google 2012」子供たちの才能に脱帽、乾杯。

せっかく「クールジャパン」と売り出したりするアニメですから、大人ももっと豊かなこどもたちの才能に気づきましょう。そして育てて下さい。

ではでは。

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