月別アーカイブ: 2014年6月

憲法より閣議決定が上なんて、ありえない。

やはりこの事はしっかり書いておきます。

今、日本は大きな転機を迎えようとしています。
70年間守って来た
どの国も攻めない、誰も殺さない、
という憲法を、国が「解釈改憲」という邪道で葬り去ろうとしています。

いえ、
実際は政権による憲法違反の行為なのですから、
憲法を葬り去れるはずはないのですが、
既成事実でいろいろ進めようとしています。
国民は「既成事実に弱い」と舐められているのです。

この問題、
第一に私が許せないのは、
今の憲法には公務員(もちろん議員も入ります)は
憲法を尊守する事が義務づけられているのに、(憲法99条)
また改憲したい時には改憲できると書いてあるにもかかわらず、(憲法96条)
憲法改正を発議して国民的議論にするわけではなく、
閣議決定というインチキで、憲法違反をする事です。
閣議決定は閣僚17人で物事を決める事です。
あり得ないでしょう。

憲法より閣議決定が「格が上」なんて、法治国家じゃありえない。

とにかくルールに従わない姑息なやり方です。

私は9条は守るべきだと思うけれど
でも憲法改正を国民で議論し、国民投票の結果、(憲法96条)
9条改正が決まるのなら、引き下がるしかありません。

しかし、国民にはなるべく分からない形で
コソコソと憲法を無効に出来るかごとく振る舞うやり方は
到底許されるものではないです。

これのどこが「美しい国」なのか?

結局コソコソするという事は
やってはいけない、という事を政権は分かっているからなんですね。
だから泥棒猫のように行動するしかない。
自ら不正を白状しているようなものです。 

恥ずかしくないですかね?

【憲法98条】
①この憲法は、国の最高法規であって、その条項に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

さて、
もう一つ私がおかしいと思うのが
中国脅威論です。
今は普段あまり政治に関心を持たない人でも
「中国は覇権国家だから」と普通に言います。

私にはそれがすごく不思議に思えるのです。

中国には2度、行った事あります。
一度目は北京、1998年くらいだったと思います。
2度目は皆既月食を見に上海郊外に行ったのですから
2009年の7月でした。

中国はとにかく大きいのです、全てが。
アメリカのワシントンに行った時にも感じましたが、
大陸というのは、やはり想像を絶する大きさがあります。

もちろん、大きい、というだけである種の脅威になりえます。
でも、その時私が思ったのは、
彼らの発想はわれわれ日本人とはかなり違うものになるだろう、
ということです。

ところで、私はテレビはほとんど見ませんが、
街を歩く時には人や町並みの変化を敏感に読み取るようにしています。

今、都心に行くと、どこもかしこも海外からの観光客で溢れています。
例えば銀座。
マックストア、伊東屋の万年筆売り場、
鳩居堂のカード売り場、ユニクロのビル、
松屋や三越の店内、
ベルサーチやシャネルのブランドビル、……etc。
新宿だって、伊勢丹の売り場は2.3割くらいが観光客です。
渋谷の東横のフードショーのイートインには
観光客が並んでいます。
アイスクリームを食べている海外からのカップルもいる。

この5月の海外からの観光客は
前年同月比25.3%増の109万7千人
だそうです。

観光客は世界中からです。
これは311以前には無かった事ですが、
山手線に乗っているとイタリア語、スペイン語、フランス語も聞こえてきます。
中国語や韓国語はもう当たり前です。

経済は正直です。
しかも日本政府が観光客誘致に一生懸命で、
実際海外からのお客が増えているのに、
中国脅威論、って言ってる事も自己矛盾です。

私が中国の政治家なら、
世界中から観光客が来ている国を攻撃したりしませんね。
ましてや自国の民も大挙して押し寄せているのです。
中国からの観光客は16万5千人、103%の伸び率って前年の倍ですよ。

それに、中国はヨーロッパとも関係を深めようとしています。
ヨーロッパから観光に来ている人たちを
危険に陥れる行為を取るはずがありません。
経済でいえば、アジアは華僑の力が強い。
アジアの国々との摩擦はあるようだけれど、
華僑がやりにくい事をむやみに押し進めるとも思えない。

中国が良い国なんて思わないし、
環境問題も酷い。
でも「中国怖い」脅威論は
なんだか、日本からの視点だけで作られているみたいな気がします。

そして、
「憲法より閣議決定が上」なんて、ありえないのですから、
キッチリとNOを言っていきましょう。

6月30日官邸前緊急抗議があります。

去年の記事がせっせと読まれている

20140620

一ヶ月くらい前から、去年の記事が
毎日10人くらいの方に読まれています。

一年で、庭が大変身!
昨年の4月22日の記事です。

来て頂く検索ワードは
草むしり、コツ
庭の草むしり
楽に草むしり,
庭作り草むしり

などです。

梅雨の前後から、草むしりをしなくちゃ、しなくちゃ
と思いつつ、手が付けられない方が増えるのでしょう。
高温多湿の日本は植物の天国ですから。

自分で検索をかけて、確認してみたのですが、
上記の検索ワードでググってみると
だいたい上位は業者さんが占めています。

その中で、10番目くらいにでて来る私のブログに
毎日10人くらいの人が来るのは、
なぜだろうと、自分が検索をかけた側になって考えてみました。

まず、検索のサマリーに
「草むしりのコツには二つあります……」と
具体的な数字が出るからかもしれないと思いました。
二つある、と書かれてあれば、ただ単に「コツがあります」
というより、簡単そうだし役に立ちそうに感じるのかもしれません。

実際に、この記事の内容は、
専門家の方に教わったことですし、
自分で実践したことですから、
草むしりにお悩みの方には
それなりにお役に立つにではないかと思います。

こんな風に思わぬアクセスを頂けるようになるのも
一年半、曲がりなりにも、このブログを続けて来たから。
実はこの3月4月くらいが更新ストップしそうで危なかったのです。
ルーチンになると苦にならないことでも、
習慣が途切れると、再開が難しい。
きっとそこでやめる人も少なからずいると思います。

そんな時思い出すのが小飼弾氏の
「自分でメディアが持てる時代」
という言葉。

確かに、更新が滞りがちな時にも
言いたくて仕方ない事がでてくると、
「ブログに書けばいい」と思うのです。
自分のドメインでもありますし、
「自分のメディア」という実感があります。

しかも、ブログは蓄積なんですね。
ツイッターなどの時系列に流れていくSNSとはやっぱり違う。
キチンと残ります。
また、単に自分が書きたいと思って書いたことが、
あとからその時々のトピックにシンクロすることもあります。
でもその分、ある程度の結果が出るのには時間がかかる。

もともと、何かを継続してやることに強い私。
いつもいつも人様の役に立てる記事が書けるわけではないし、
むしろ、言いたい事があるから書く事が多いです。
それでも自分の見解をいつでも誰にでも読んでもらえるブログは
何の変哲もない私だからこそ、やる価値大ありだと思っています。

家族だからこそ「バカ」と言ってはいけない

以前から気になることがあります。
家族に平気で「バカ」と言うことです。

かなり前、近所の方に絵を教えていたことがあり、
その時、度々主婦の方から
「主人にお前はバカだから、って言われちゃうんですよ〜」
と嬉しそうに話すのを聞かされ、
いつも不思議だったのです。

友人に言わせると「アレは夫自慢の一種」という事なのですが、
自分を貶めることが夫自慢になるのか、私は不思議でした。

半年くらい前のことですが、
土曜開庁している区役所の出張所に書類を取りに行った時、
椅子に座って書類が出て来るのをまっていたら、
すぐ近くから
「お前バカだな、そんなこともわかんないの?」という声が突然聞こえ
飛び上がりそうになりました。

30代後半のご夫婦でした。
書類の説明をご主人がしているらしいのですが、
奥さんはなかなか飲み込めないようでした。
しかし、あの公共の場で「お前バカだな」と言われた奥さんは
どんな気持ちになったことでしょう。

二三日前には、父親が小学校低学年の子どもに
「バーカ」と言っているところに出くわしてしまいました。

夕方、まだ自転車にうまく乗れない子どもと一緒の父親でした。
子どもは女の子で、フラフラしながら、
お父さんの自転車に追いつこうと一生懸命です。
そこへ車が後ろからやってきました。

父親は「気をつけろ」のつもりでしょうが「バーカ」と娘さんに言いました。

案の定、こどもはパニックになって
自転車を上手く乗りこなせません。
狭い裏道でしたから、自動車がとまって待っていました。

危険であれば、「危ない」とか「左に寄って」あるいは「止まって」
と言えばいいだけで、「バーカ」は余計です。

男性の中には、多分、「「バカ」と言うのは愛情表現の一種だ」くらいに
思っている方も多いのかもしれません。

でもどうなんでしょう。
人間って、そう思ってなくても、口に出して言っていると
だんだんその気になったり、
自分で自分に思い込んだりするようになるもんではないでしょうか。

都議会で、 塩村文夏都議(35)が、
質問に立った時「お前が早く結婚すればいいじゃないか」「産めないのか」と
男性都議からヤジを飛ばされた件は、抗議の電話が千件以上いっているようです。
当然と言えば当然です。

しかし、正直言ってウンザリです。
この程度の人権意識も無い人たちに
私達の代表として税金から俸給が支払われていると思うと
ガックリです。

この塩村議員の件「セクハラだ」とも言えますが、
基本的には人権問題でしょう。
結婚や出産は個人の問題です。
だいたい「セクハラ」という言い方事体が
揶揄めいた響きを持っていて嫌いです。
「ほんとはセクハラなんて気にしたくないんだけど最近やたらそういうのうるさいから気にしてやっている」的なニュアンスです。

こんな風に
公共の場で他者の人権を尊重できない人は
家では家族とどのように接しているのでしょうか。

人間は毎日毎日の行動がふとしたことで
露になります。

私が就職したての20代初め、
営業と上司の課長2人と話していた時にプライベートな話になり
「嫁さんまた妊娠してさ、さっさとおろしてこいと言ったんですよ」
と営業の課長が言い出た時には目が飛び出ましたが、
なんだかそのころと男性の意識ってどのくらい変わったのかなあ、
と、塩村都議の件で思ったわけです。

日本の少子化は宜なるかな、です。

可能な女性は、日本から逃げればいいし、
出来ない女性は、とにかく個人的に人権意識のある男性と
繋がっていくことでしょうね。

私は、いま家庭でストレスを感じることはほとんどありません。
でも、そうなるまでには、何かあっても決して「バカ」とお互い言わなかったし、
私自身は受け入れられないことがあると、
1)何が受け入れられないか、
2)なぜ受け入れられないか、
3)相手にどうして欲しいか、
をキチンと話してきました。

家族だからこそ「バカ」とは言ってはいけないと思います。
もちろん女性(妻や母親)もですよ。

そんなところから直していかないと議会の下品なヤジも
根絶されない気がします。

実物が持つチカラ

タケノコ

タケノコ

個展まであと一ヶ月になりました。
ぜひ,実物の持つ力を見に来て下さい。

いま私たちは歴史上、空前絶後の量の創作物に囲まれて暮らしています。
その創作物は意識するしないにかかわらず、
ほとんどが複製です。

雑誌の広告から、美術雑誌の作品の写真、
クマモンのようなキャラクター、
絵師と呼ばれる超絶級のイラストレーターの作品が
ネットに、紙媒体に、街に溢れています。

古典で言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」を知らない人は
いないはずですが、ルーブル美術館に行ったことのない人は本物を見たことがありません。

例えば、自分の部屋に絵が欲しいなと思った時
好きな有名な画家の作品の写真を額に入れて飾るだけでも雰囲気が出ます。
だとしたら、世界に一枚しかない本物を飾るのは
もっとステキなことではないでしょうか?

たとえそれが無名の作家のものでも、
あなた自身が気に入って買ったものであれば、
値千金です。
やはり本物には、複製にない存在感というものがあるのです。
イタズラ描きのような作品にすら、作者の息づかいがこもります。
これはスキャンや写真のデジタル画像では再現しにくいものです。

デジタル画像を印刷したものをジクレー版画、と言います。
3Dプリンターも精巧になって来たので、
そのうちマテリアル感なども出るようになるかもしれません。
その時は、データでやり取りするのでしょうか?

といってもまだまだ、そこまでには至ってないので、
「世界でただ一枚の作品」はその輝きを失いません。
もし、私の絵がちょっとでも気になったら、
ぜひ気軽にギャラリーに見に来て頂きたいと思います。

そのために場所は原宿駅竹下通り口目の前、
という好条件のギャラリー。
しかも、土曜日曜も開いています。
今回は月曜日が海の日で連休だと言うのも私にとってはラッキーです。
原宿積雲画廊

ブログでご紹介する以外の作品ももちろんあるので
掘り出し物があるかも、です。

さて、作品は40点くらいにのぼりますが、
その中には、東京港野鳥公園で自然保全や里山保全の活動を続けるグループ
「東京港グリーンボランティア」の出している「コアジサシ」という機関紙
の表紙があります。
これは2011年の12月から手がけています。

2009年に会のチラシをお手伝いして以来のご縁で
私から申し出て描いています。
一番の動機は様々な鳥を描けるようになりたいからでした。
そして、定期的に人様に見てもらうことがとても重要だと思ったからです。

絵も文章も、見てもらってナンボ、読んでもらってナンボ、です。
ひらすら作品を描き溜める、あるいは書き溜める、という事も必要ですが、
とにかく倦まずたゆまず描いて、見てもらう、
これがすごく大切。

ボランティアグループの機関紙ですから、リソーのリソグラフという印刷機で印刷されます。
モノクロですしオフセットなどのようにキレイには出ませんが
それはそれで、いろいろ工夫して作品を作るモチベーションになります。

作品を手がけるために
自然観察会や畑や稲作りの作業をお手伝いして
いろいろ教えて頂きます。
それも楽しみです。

始めた当時は、知らないことばかりで、
ついて行くのがやっと。
丸二年が過ぎたあたりから全貌が見えて来て
「もうすぐ、キンランが咲くから、デッサンにいこう」
とか
「去年の今頃に、キョウジョシギを見たけど、確認して来よう」
と,野鳥公園に出かけて行きます。

時期が来ると判を押したように咲く花。
毎年南と北をわざわざ往復する鳥たち。
それでいて、ひとつとして同じものがない自然。
つくづく、自然というのは偉大で愛らしいものだと思います。

ぜひそんな私の思いがこもった作品を
見て頂ければ幸いです。

今日の絵は2012年6月号のコアジサシの表紙です。

ネット詐欺、あの手この手。

恥をさらすようですが、
Linkedin経由でオレオレ詐欺風の
メールを受け取りましたので、
情報共有をしておきます。

一週間くらい前に、
Linkedinでイギリス在住の弁護士と名乗る人から繋がり申請を受け取りました。

プロフィールを見に行くと
職歴や勤め先が書いてありませんでした。

Linkedinは、これでもかというくらい履歴を飾っている人がほとんどですが、
その人は職業がLawyer、住所はUKとあるのみ。

だいたい、日本人で個人で細々生きている私に
海外から繋がろうと思う人自体怪しいわけです。
私がLinkedinに登録したのは知人のすすめがあったからですが、
登録はしたものの,何人かの友人と繋がって、
あとはほぼ放置状態。

さて、その繋がり申請、
無視してすぐメールを削除すれば良かったのを、
繋がり承認したら、間髪入れず、くだんの詐欺メールが送られてきました。

内容が荒唐無稽で非常に不愉快でした。
イギリスに住む富豪の日本人が
たまたま津波の時に宮城に里帰りして家族ごと被災し、行方不明になり
銀行に残された財産を相続出来る人を捜している。
というもの。
なぜ私にメールを送ったのかというと、
名字が同じだから、と。

震災を材料に使うのもなんとも失礼な話です。

Linkedinも、キチンと使いたいなら,有料にグレードアップした方が良さそうですね。
そして,怪しいと思ったら絶対に承認しない。

怖い怖いと言ってインターネットを使わないのはもったいないけれど
常に用心して行きたいな,と改めて自戒した次第です。

宇宙論の歴史を読む 〜宇宙はなぜこのような宇宙なのか〜

最近読んだ本です。
宇宙はなぜこのような宇宙なのか――人間原理と宇宙論 (講談社現代新書)

この本は
「宇宙がなぜこのような宇宙であるのかを理解するためには、われわれ人間が現に存在してるという事実を考慮に入れなければならない」(本書前書きより)
という人間原理にいたるまでの
宇宙論の歴史のお話です。

この本は本屋でかなり以前に見つけて積んどいたのだけれど
「〜人間原理と宇宙論〜」という副題に惹かれて買いました。

私の中では、

何やらうさん臭そうな宇宙論の「人間原理」。
人間中心主義の宇宙論の話しなのか?
そうか、人間はそこまで傲慢になったのか?
やはり一度読んでおいたほうがいいかも。

と思ったわけです。

著者の青木薫氏は
京都大学大学院で「原子核理論」で博士号を取得した後
科学分野の出版翻訳にかかわって来た方。
サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」の翻訳などで有名です。

先に述べたようにこの本は
古代天文学や占星術、
バビロンの捕囚に、
ギリシャ哲学のプラトン、アリストテレス、
そしてルネッサンスのコペルニクスにガリレオ、
巨人ニュートンやアインシュタインを経て
ビックバン理論が合意を得て
いわゆる「人間原理」に至るまでに
科学者は宇宙をどのようなものだと考えて来たのかの
俯瞰した歴史を語っています。

で、「人間原理」とはどういうものなのか。
それを楽しみに読み追っていった私にはかなり気の抜ける、
でも考えれば当たり前の結論が
用意されています。
ただ、それを書いちゃうのは
ネタバレになるので本書をお読み頂くとして
いくつか、面白いと思ったことがあります。

例えば「重力」の話し。

私が地球から転げ落ちないのも重力があるからで、
さぞやすごい力だと思っていました。
しかし「重力」は想像以上に弱い力で、
例えば、もし重力が今より強ければ、
冷蔵庫に壁にマグネットで止めるメモだって
落ちてしまうはずだと著者は説明します。

なるほどね〜。
赤ん坊だってよちよちと歩けるのは
私たちが絶妙な重力に生かされているからなのね。
これは新鮮でした。

それから理論物理という学問そのものについて。
常に先に理論が構築されて、
あとから知られていた事実や観察で実証される、
という点が面白かった。
科学って実験で証明するものばかりと思っていたから。

この本を読むと
人類というか西洋は粘り強く粘り強く
先人の知恵を検証しながら
まさに人類がその生を無駄にせずに、
知を積み重ねて来たことがよく分かります。

他の地域にも天文学やら宇宙論がないわけではないだろうけど
それでも結局今の科学は常にギリシャからの系譜で始まる。
そしてひたすら先人を追い抜こうと
その記憶を辿りながらも
新しい発見をしてくる。

美学の本を読んでも、
理論物理の宇宙論を読んでも
政治の分野でも
最初に出て来るのはギリシャの哲学者たち。

それらがかのヨーロッパ大陸で生まれたからに他ならないのだけれど、
実際世界がそれらの系譜を引き継いて
今の世界が構築されていることは動かし難い事実で、
やっぱり、西洋哲学周辺というのは
世界を理解するのにはずせない。

もちろんそれらが全てが良いわけではないではないし、
むしろ、上手く回らなくなって来たり、
行き過ぎてひずみを生んでいるのは事実。

それでも、そういう出自や歴史を知らないと
今の世界への理解はすごく浅くなり、
一国の首相が立憲主義を平気で否定したりできちゃうわけです。
知らないことは怖いけれど強くもあるんだな、と思ったり。

さて、この本、★★★。星三つです。
宇宙論の歴史を俯瞰する、という点からは読んで損はないと思います。

宇宙はなぜこのような宇宙なのか――人間原理と宇宙論 (講談社現代新書)

ところで、突き指してしまい、
個展を前にして、本来ならひたすら制作しているはずなのに、
スケッチにも行けないし
個展の新作にも取り組めない。
写真も撮れないし(人差し指だから)
個展のDMも作れない。
なんとかマウスは使えるのだけれど、
お手伝いしている法人の事務作業だけで
目一杯。特に決算あるし。(やっと終わったけど。ふう〜っ。)

しかし、まあ、人間万事塞翁が馬。

とにかく肩凝りがホロホロとほぐれていくし、
本が読める。
英語の勉強がはかどる。
始めるかどうか悩んでいたイタリア語も始めてしまった。

なんで今更イタリア語?
実は、10年位前から
気になるイタリアルネッサンス期の
無名の画家がいて、
いつか(ほんとにいつか)模写しにイタリアに行きたいなあ、
という思いが最近フツフツして来たわけ。

試しに本屋に行って
イタリア語の本をパラパラめくってみると
あらフランス語が役に立ちそう。
そりゃそうです。隣の国の言葉なのだから。

フランス語は単語を3000語しか覚えなくていい、
という研究者の言葉でホイホイ始めてしまった私。
結局日本にいるとあまり使わない。
でも、美学の本(もちろん日本語)を読んでいると以前に比べて、
格段に理解が進むことは実感していた。
何事も、やって無駄な事はないんだな、と思っています。

整形外科と骨接ぎ

今日の一枚
メコン川風景/木炭紙に水彩色鉛筆

メコン川風景/木炭紙に水彩色鉛筆

このところの雨と暑さや湿気は
10年以上前に行ったベトナムを思い起こさせます。

このスケッチは、ヴィン・ロンという街で
ホテルのバルコニーから描いた記憶があります。

この時、メコン川はフェリーで渡ると一時間以上かかっていましたが
一本だけ橋が出来ていて、帰りに通ったときは
ほんの数分でした。

ベトナム航空ではダナン〜成田往復が
20周年のキャンペーンで9500円とか。

そういえばこの時、往路は、何かの手違いで、私たち夫婦はビジネスクラスで
行ったのでした。

さて、
少し日記的記述になります。

個展を二ヶ月後に控えてラストスパート!
と思っていた5月中旬、
生まれて初めて「突き指」をしてしまいました。
きき手の右の人差し指。

うっそ〜、と思いつつ、騙し騙し使っていたら、
悪化。
仕方ないので、とにかく直すことを先決にし、
近くの柔道整復師(いわゆる骨接ぎ)で見てもらい、
右手に添え木を付けての日日が始まりました。

「普段後回しになっている片付けでもしよう」と
軽く考えていたのですが、
想像以上に何も出来ないのです。

普段、頭でものを考えているつもりだったけれど、
手を動かして考えていたんだなあ、
と思いいたります。

カナダの脳外科医・神経生理学者ペンフィールド(1891~1976)が作成した
「ペンフィールドのマップ」でも
「手はもっとも脳を刺激する器官のひとつ」です。

ところがほどなく、次には背中が痛みだします。
一時は呼吸するたびに痛みが走るくらいでした。
思い当たるふしはないのですが、
骨に異常があったらマズいと思い、
整形外科にかかりました。

10枚くらいレントゲンを撮った結果異常なし。
で、整形外科医は
「骨に異常ないですね。
痛み止めと湿布出しておきましょう。」
と処方箋を書いてくれました。

しかし、人間の骨格の周りには靭帯とか筋肉もあるはず。
釈然としないので、
「マッサージとか電気治療とか効きませんか?」
と尋ねると
「合う人は良いけど、かえって悪くなる人もいるし」
という答え。

意外だったけど、整形外科というのは、
骨中心に診る科目なんだなと、理解。

その後いろいろ見たり人と話して
分かって来たことが、
この医療分野は、上手く西洋医学と東洋医学が
棲み分けが出来ているという事。

西洋医学というのは人体を分析し
マニュアル化し、誰にでも当てはまる
レディーメイドの検査や治療が得意。
命に関わることも手がける。

一方、骨接ぎや鍼灸といった古来からの治療は
個人個人に合わせたオーダーメイド治療。
命には関わらないけど、
クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)に深く関わる。

私の場合、肩凝りがひどくて度々マッサージなどで凌いでいたのだけれど、
突き指で余儀なくされた休憩で
緊張がほぐれた背中が痛みだしたのだろう、
と自分では思っています。

ようやく指の方も添え木が取れてリハビリに入りました。
遅れに遅れている個展の案内状も作らなければ。

個展の直前の怪我で、痛恨の極みですが、
溜めてきた作品もあり、とにかく治療に専念しようと思いました。

それにブログで見て頂いた作品でも実物のマチエールや支持体は、
見て頂かないと分からない部分もあります。

まさにネットで作品を見るのはレディメイドの作品展。
個展で見て頂くのはオーダーメイドな良さでしょう。

個展のための新作は少なくなるけど、前回から10年ぶりというまさに
表現者としての「リハビリ」。
再出発です。