今、ラファエロ展が西洋美術館で開催されています。
《大公の聖母》が来ているようで、
お時間のある方は見て損はないと思います。
作品リスト(PDFファイル)
を見ると、まとまってラファエロの作品が見られることが分かります。
ただ、イタリアがよく国外に出したな、
と思ってイタリア文化会館のサイトを見たら、
今年は「日本におけるイタリア2013」という
プロジェクトが進行中。
ミケランジェロとレオナルド・ダ・ビンチの展覧会もあり
イタリアルネッサンスが堪能出来る年なのですね。
ミケランジェロは福井展もあるようです。
ルネッサンスの作品は、有名な画家がいるわりに
日本に来ることがないのは、
それらがどれも世界遺産級である事もありますが、
壁にかかれたフレスコ画であることが大きな理由です。
建物に組込まれているから移動出来ないのです。
例えば、先日新ローマ法皇が選ばれましたが、
あの選挙(コンクラーベ)はバチカンのシスティーナ礼拝堂
で行われます。
ミケランジェロの描いたシスティーナ礼拝堂の天井画や壁画も
あまりに有名で、写真や図版で見たことがない人は
いないほどでしょう。
システィーナ礼拝堂のヴァーチャル映像はこちらから
ご覧になれます。(音声に注意)
あれらもすべて「フレスコ」という技法で描かれています。
フレスコ画って何?って思う人は、
少し前に話題になったスペインでおばあさんが
修復した絵の話を思い出して下さい。
フレスコという技法は最も一般的な壁画の技法で
石灰を主成分とするモルタルを壁に塗って
乾かないうちに絵の具で絵を描く方法です。
そうすると、絵の具の水分とモルタルの水分が連結して
絵の具がモルタルの表面と一体化します。
そのとき壁の表面では化学反応が起きています。
モルタルの中を通った水が石灰水となって、
空気中の炭酸ガスに触れると炭酸カルシウムの膜を作ります。
壁が乾くにつれて壁の表面でこの化学変化が起きて
顔料は堅牢な保護膜に包み込まれる為に
絵が壁の一部になります。
炭酸カルシウムの皮膜は半透明の白色をしているために
フレスコ画は全体的にパステル調になります。
スペインのおばあさんの件は、
あの元の絵は、フレスコ画で描かれていて
おばあさんは、油絵の具で修復したようです。
美術関係者からするとかなり勇気ある行動だったと思いますけど。(笑)
その後どうなったのでしょう。
フレスコは漆喰(モルタル)が乾くまでに描いてしまわなければならないので、
一度に30センチ四方くらいづつ描き進めていきます。
ミケランジェロはあの広大な壁画を一人で描いています。
天井画なんて足場も怖いし上を見て描かなければいけなくて、
目に絵の具が入るわ、で大変だったようですけど、
30センチずつくらい描き進めながら、
前人未到のことをやり遂げてしまいます。
一方、レオナルド・ダ・ビンチのミラノにある「最後の晩餐」は
フレスコを用いてないために損傷が激しいのです。
さて、ラファエロの「アテネの学堂」も有名です。
ラファエロはダヴィンチが67才まで、
ミケランジェロが88才まで生きたのと違って
37才という若さで亡くなります。
一説によるととても女性にもてたそうで、
筋骨隆々のミケランジェロの女性や
浮世離れした女性を描くダビンチに比べて、
ふくよかで優雅なマリア像は、
そんな女性への愛の讃歌かもしれません。
ラファエロ展の作品リストを見ると、
やはり多少なりともキリスト教の知識が
あった方が楽しめると思います。
ところで、
ルネッサンスというと日本語では「文芸復興」と訳して
暗黒の中世から光の当たる芸術の時代って感じですけど、
いわゆる「魔女狩り」の嵐が吹き荒れたのは、
意外にもルネッサンス時代からなんですね。
また、ルネッサンスの末期のフィレンツェでは、
サヴォナローラというドミニコ会の修道士が現れ
「贅沢は敵だ」みたいな事を言い出して、
影響を受けた「春」を描いたボッティチェリは
絵を描かなくなります。
いつの時代も、絶頂期にこそ退廃や荒廃の芽を
孕んでいるものなのでしょう。
このあたりは、辻邦生の「春の戴冠」で描かれています。
ご興味のある方は是非。
今日の私のイラストは、
イタリアのアレッツォという街を訪ねた時に
描いた街灯です。
風景全部を描くのが大変な時は
こういう風に街灯だけ描いて集めるというのも
楽しいかもしれませんね。
ラファエロの《大公の聖母》が表紙の聖書入門。
聖書入門版はたくさん在ります。
これは図解もあって、私は読みやすかったです。
何と、法皇や領主様まで魔女狩りに荷担。
人間とは何か考えさせられる「魔女狩り」の実態を
多くの引用とともにえがく好著。
「春」「ビーナスの誕生」の画家サンドロ・ボッティチェリの生涯を描く
愛と失意の美しい物語。
私はこれを読んでからフィレンツェを訪ね、
500年前にこの広場で何が起きたのか、
などと思い出して感無量でした。