月別アーカイブ: 2013年5月

「経営」も「景気」も実は絵画用語だった!?

このところ株が乱高下していて、
今日は737円安の1万3589円に下がっていますね。

以前の記事円安でソロスさんが大儲け!?で書いたように、
私は一時株を持っていました。
その時に思ったのは、株というのは
とても「空気」に左右されるものだという事です。
実質的にその会社の業績が悪化するなどの他は、
あまり関係のなさそうなことで上下します。
「人が買いそうだから買う」というのを聞いたことがあります。
いわゆる「買い気配」とはこのことを言うのでしょうか。

株は景気に左右されます。
この「景気」という言葉や「経営」という
経済用語と思われているこれらの言葉が、
実は中国の山水画から来ている、
という事を松岡正剛氏の本で以前読んだ事があります。

20130530

中国の4世紀後半の画家、謝赫(しゃかく)は
絵を描く時の理想的な制作態度として
「画の六法(りくほう)」をその著書「古画品録(こがひんろく)」
の中で記しています。

「画の六法」とは
①気韻生動(きいんせいどう)
②骨法用筆(こっぽうようひつ)
③応物象形(おうぶつしょうけい)
④随類賦彩(ずいるいぶさい)
⑤経営位置(けいえいいち)
⑥伝模移写(でんもいしゃ)
の六つ。

①気韻生動(きいんせいどう)とは
「生命観が宿るように生き生きと描かれているか」

②骨法用筆(こっぽうようひつ)とは
「力のこもった描線で描かれているか」

③応物象形(おうぶつしょうけい)とは
「描く対象に似ているか」

④随類賦彩(ずいるいぶさい)とは
「色が適切に塗られているか」

⑤経営位置(けいえいいち)とは
「前後の位置や画面構成がうまく配置されているか」

⑥伝模移写(でんもいしゃ)とは
「古画を模写して勉強しているか」

という意味です。
このことは知っていたのですが、
松岡正剛氏の花鳥風月の科学
では次のように述べられています。

松岡正剛著「花鳥風月の科学」第一章「山」p.40より
そもそも景気とは「景気」の強いすぐれた場所のことをいいます。景気とは、景色の持っているスピリットやエネルギーのこと、今日、経済社会で「ええ景気ですな」とか「えらい不景気でんな」といっているのは、もともとは風景の中の景気のことだったのです。そればかりではない。実は「経営」という言葉も山水画を描くための用語でした。
古来、山水画には六法という六つの方法があります。
4世紀後半の中国の謝赫が唱えたもので、山水画の本質に関する心得をいう。「気韻生動」「応物象形」「経営位置」「伝模移写」「随類賦彩」「骨法用筆」の六つです。このうち「気韻生動」が最もたいせつで、山水のスピリットとエネルギーはその絵にどれほど気韻が生動しているかで決まる。
しかし、その他の五つも大事なことで、とくに「経営位置」は山水画のコンポジションを作る重要な方法です。今日マネジメントをあらわす「経営」という言葉は、この山水のコンポジションをマネジメントする経営位置から派生したものでした。

松岡氏はおじさんが日本画家なのだそうで、
このあとこの本では風景画の話しに移って行きます。

松岡氏はコンポジションという言葉を使っていますが、
要するに「構図」です。
絵を描くとき、こどもの落書きでない限り
どういう構図が良いか、描こうとする主題をどこに置くか、
プロでなくとも悩みます。
途中で色を変えたり、形に変更を加えることは
少なからずあるし、ある程度は可能でしょうが、
全体の構図はなかなか修正はききません。

ビジネスでも全体を見る、という意味で「プロジェクトの絵を描く」
という言い方をすることがあります。
これから取り組もうとしているプロジェクトの
最終形をイメージする意味で使います。
絵の場合、この最終のイメージを持たないで描く事もあります。
抽象画やわざと到達地点をイメージせずに出発する事が
手法になる場合です。
例えば以前の記事、気ままにドローイング
そんな気ままな絵の描き方について書いてあります。

しかし、これがビジネスだった場合、
着地点が決まらずに出発することはありえないでしょう。
ジョブズの仕事など見ていると、むしろこの着地点から
出発しているような印象すら受けます。

社会の場合はどうでしょう。
政治の場合はどうでしょう。
「国家経営」という言葉は少し抵抗がありますが、
経済だけではなく、国や社会の今後の着地点を
提示する、という意味なら、むしろ今こそ必要ではないでしょうか。

「景気を良くする」といって
アベノミクスはメディアにもてはやされ、
確かに株価は上がりました。
しかし、福島の事故が収束しないのに
他国に原発を売りに行ったり、
再稼動すると言っています。
明らかに日本の行く末をしっかり描いて行かなければならない時に
今までのやり方で押し通そうとしていることには
無理があります。

政治家たちも日本の将来の絵が描けていないのです。

しかし、日本の将来像を描くのに
別に政治家だけに任せておく必要はないでしょう。
主権者は私たちなのだから、
こういう未来が欲しい、と絵を描いて行きませんか。
そして次の参議院選では、きちんと未来が語れる人を選びたいものです。


心が軽くなること

3日ぶりの更新になります。
今日は今朝の電車の中の出来事から
書いてみたいと思います。

既に通勤ラッシュは過ぎた時間帯で、
私は自分の駅から座ることができました。
ドアの席から4人目の席で、8人掛けの真ん中あたり。

途中の駅から、かなり身体がご不自由で立っているのがやっと
というお年寄りが付き添いの方と乗って来て、
ドアのすぐ横の席の前に立ちました。
一瞬沈黙がながれます。
私の隣の若い女性(ドアから3人目)は明らかに気にして
席を譲るかどうするか迷いつつ、機を逸したようでした。

で、私は少し遠かったけれど、
「お座りになりませんか?」と立ちました。
立ってみると、そのお年寄りの目の前の席には
20代半ばのの背広を着た男性が狸寝入りをしていました。
その隣(ドアから2人目)も3人目の女性と同じ位の
20代初め女性でした。

今はもう珍しくもない光景なのかもしれませんが、
う〜ん、とちょっとかんがえてしまいました。

もちろん「俺も疲れているんだ」
という反応もあるかもしれませんが、
しかし、立っているのも大変そうなお年寄りに席を譲れないほど
目の前の男性は疲れているようには思えませんでしたし、
また女性たちは、その間ずっとスマホをいじっているのです。

「めんどくさいのが乗って来たな」なのでしょうか。
「いいかっこしい、と思われたくない」なのでしょうか。
「偽善は嫌いだ」でしょうか。
(偽善ともいえない簡単な行動だと思いますが)
「譲って断られたらイヤ」でしょうか。
「なんのための優先席なんだよ」でしょうか。

などとおもいつつ、同時に
「ああ、こういう社会を作っちゃったのは
私たち年のいった大人たちなんだよなあ」
と、私はため息がでました。

私は以前から電車の中で人を観察するのが大好きでした。
ところが、ある時から電車に乗るのが苦痛になりはじめます。
ある時とは、小泉政権時代で、
突然「自己責任」という言葉が政治家から
いわれる出した頃のことです。

それ以前から、通勤ラッシュの遅れは
車掌さんが謝っていましたが、
特に混んでいるわけでもない時間帯でも
一分一秒の遅れにも過剰に反応して
車掌さんは謝り続けるようになります。
謝らないと、文句を言う人がいるからだそうです。
クレーマーに事前に予防線を張るわけです。
その結果、車掌さんはひたすら謝り続けなければならず、
最近の車内アナウンスは休むことがありません。
iPodでも聞けば良いじゃないか、
と思う方もいるかもしれませんが、
あれは確実に耳に良くないです。
以前耳栓をしている外人さんを見たことがあります。

それから、車内が混んで来ても、譲りあって
詰めるようにならなくなりました。
混んでくれば、仕方なく押されることもあるのに
ちょっと詰めるだけで、ひじ鉄砲を食らった事もあります。

知人にバスの運転手をしている人がいて、
その人にこの話しをしたら、バスでも同じような変化があったと
言っていました。

案の定一週間くらい前にこんな記事が出ていました。
駅員らへの暴力行為、5年連続200件超 大手私鉄16社

20130528

みんな疲れているんだなあ、とは思います。

思うけれども、そのイライラが原因を作っている
会社の業務形態や社会の仕組みに行かず、
何の関係もない駅員に向かう。

実は日本はもともと自己責任社会ではありません。
むしろおせっかい社会。
同質でお互いが持たれあっている社会に「自己責任」
の言葉を持ち込まれたのは小泉政権以降のことです。

私の記憶では、日本人の1000兆円とも言われた貯蓄を
投資に回してもらうために、投資キャンペーンが
小泉政権時代から強化され、
投資にはリスクがつきものですから、
例えば株の目論見書などは「自己責任」が強調されます。
ハイリスクハイリターン、というわけです。

それがやがて、何に対しても「自己責任」と言われるようになって行きます。
日本のように真に競争社会でない社会で
「自己責任」が金科玉条のように言われるのは
うさぎの楽園にライオンを放つようなものでしょう。
小泉時代以降この言葉が使われる時は
あまり良い時ではないように思います。

「情けは人のためならず」という言葉があります。
本来は、人に情けをかけておけば、自分が困った時に助けてもらえるよ、
まわり回って自分の為になるんだよ、
という意味なのですが、
最近は、「人の為にならないから情けはかけるな」
という意味だとか……。

最初の電車の話しに戻すと、
以前、宝塚に住む友人の家に行った時、
友人が電車の中で隣り合わせたご婦人と
話しはじめて驚いたことがあります。

袖振りあうも他生の縁。
あまり損得で考えず、お年寄りを見かけたら
(お年寄りだけではなく)
気楽に声を掛けて席を譲るなりしてみて下さい。

もし、素直に譲られないお年寄りがいたら、
私の場合は、
「そう仰らずに。もう立ってしまいましたから」
と言うし、
「あ、そうですか」
といって座り直したって全然あなたは恥ずかしくない。

むかし、声かけ運動みたいなのがあったけれど、
ああいうお仕着せではなく
やっぱり自主的に動くからお互い気持ちがいいのだと思います。

次に電車の中で、お年寄りに限らず、席を譲るかどうしようか迷った時は
迷わず譲って下さい。
損得には関係ないかもしれないけど、
心が軽くなることは請け合いです。


撮影方法が分からない猫の映像

我が家の猫たちのペット保険に入ろうとしたら、
ネットからの申し込みは写真が必要でした。
普段、ねこの写真係は夫。
正面の首から上、という写真が必要なのですが、
なかなかありません。

そこで私がデジイチで撮影。
ところがこれがなかなか難しいのです。
猫は正面から撮られることを嫌って、
シャッターを下ろすとプイと横を向いてしまい、
画面には茶色の横縞が残るだけ。
15分くらいあーだこーだとだましてなんとか撮影しました。

threecat

先日、岩合光昭さんがモロッコの街頭で
猫を撮影している番組がありました。
猫を撮影している岩合さんをスタッフが撮影している
という映像とは別に、
いったいどうやって撮影したのだろう、
という映像が出て来ました。

モロッコの都市の名前は忘れましたが、
石畳の入り組んだ町並みを
猫たちがあちこち挨拶して歩いて行くのを
猫の視線の高さで、しかも猫の前から撮って
全く映像がブレることがなく、猫を撮影して行くのです。

石畳ですから、カートを使えば揺れるし音も入ります。
しかも、猫の後ろからではなく、鼻先にレンズがあるのです。
ず〜っと見ていましたが、結局最後までどうやって撮影したのか
わからずじまいでした。

この世界的な写真家が
前書きで「ぼくの教科書のひとつだった」
と書いている猫の古典的な写真集がこれ。

そして愛されている猫ちゃん達の肖像の数々。

このカレンダーの写真は猫の飼い主、
つまりプロでない人が撮った写真ですが、
飼い主にしか撮れない写真ばかり。
飼い主と猫ちゃんの名前が記され、記念碑的な写真になっています。
英語ですが添付のテキストも知っていると猫ライフが楽しめる内容です。

毎年、2月1日までに登録すると、
翌々年のカレンダーに自分の猫の写真が使われるかもしれません。
登録はこちらから。


小さなことからチャレンジ

今日ツイッターで良い言葉に出会いました。

高瀬 慶‏@rikuoharuoさんという方のつぶやきです。

高瀬 慶
‏@rikuoharuo
誰かが前人未到なコトを達成することは偉業だ。人々はそれに感動する。でも、だからといって、自分に得になることはほとんどない。ほんの小さなことでも、自分ができなかったことが自分でできるようになったときの感動の方が、500億万倍でかい。大切なのは、「自分」の限界に挑戦することだ。

多分、三浦雄一郎さんのエベレスト登頂に触発されてツイートされたのでしょう。

三浦さんの偉業は素晴らしいですが、
でもそれで「日本人はすごい」などと言うのもちょっと違うと思います。
あくまでもすごいのは三浦さんと、三浦さんを支えたご家族やスタッフです。
特に今回は、あまり表には出ないけれど、
次男の豪太さんのサポートは特筆すべきなのでは?と私は思っていて、
それは豪太さんの新聞の連載を、私が以前から読んでいるからです。

八ヶ岳編み笠山へ続く道

八ヶ岳編み笠山へ続く道

「日本人はすごい」と言うのは違う、というと何やら突っ込まれそうですが、
どうも、ネットなどを見ていても、セレブの行動に一喜一憂したり、
セレブにちょっとことがあると、乗じて他者を叩いたり、
という人が意外に多いのに驚いています。
そういう行動は他者に自己を投影させている結果ではないでしょうか。

どれほど好きなアイドルやセレブや恩師でも他人です。
実は親や子も最終的には自分とは違う人格ですよね。
尊敬したり、敬意を払う、あるいは時には批判的に対する、
ということはあっても、自己と同一に見ることは良い結果を生むとは思えません。
ま、その最たるものが、国家というシステムに自己を反映させてしまう人たちでしょう。

国家やセレブと一体化した気になっても
結局、その人自身が何か行動を起こしたわけではありません。
「自分」が動かない限り「自分」への挑戦にはなりません。
先日、友人から手紙をもらいました。
このブログを始めたことを、新しいことへの挑戦、と褒めてもらいました。

実は、このブログには「タガメ女」で検索されて訪ねて来る方が後を絶ちません。
このところ静かだったのが、今日は五月雨式に
「タガメ女」を読んでみました。
にアクセスがあり、もうすぐ1,000PVになります。
どなたかが話題に取り上げたのでしょうか。

トレンドのすごさを実感しています。
で、せっかくのご縁で、そうやって来て下さった方にも
読んで頂けるといいな、と思って「読まれている記事欄」を作りました。
今はダントツの「タガメ女」ですが、
そのうちにそれを越える記事を書ける日をめざしていきます。

小さなことからチャレンジ、です。
いや、無名のおばさんの無謀なチャレンジかもしれないけど……。

あなたも、あなたらしい目標を見つけてチャレンジしてみませんか。
それがエベレストでなくとも、成し遂げた時の喜びは
エベレストと同じ位の価値のあるものになるでしょう。


あなたは自分が思うより美しい

あなたは褒められて育ったでしょうか?
家庭や学校だけでなく、日本社会では常に欠点を指摘され、
「もっと早く」と言われたり逆に「〜しちゃダメでしょ」
などと言われて育ちます。

特に女性は大人になっても「もっときれいに」「いつまでも若く」
と言われて、素顔でいたり普通に年取ることが罪であるかのように
せき立てられます。

もちろん後者などは売らんかなの資本主義のなせる技なのですが、
男性も割と平気で「あの汚いばばあ」といったような
言葉遣いをします。
森高千里さんが「私がおばさんになったら」と
歌っていましたが、子育てを終えた森高千里さんが
今も歌っているのは、立派です。

20130523

こんな動画を見つけました。
Dove Real Beauty Sketches
 http://www.youtube.com/watch?v=XpaOjMXyJGk

某パーソナルケアメーカーの宣伝で、
なかなかしんみりさせます。
英語バージョンは5千万回以上も再生されています。

日本語版もありますね。
ダヴ リアルビューティー スケッチ
こちらも100万回以上、再生されています。

このフィルムの設定は、知らない人が数人集められ、
待合室で待っている間、仲良くなる、というミッションのみが
参加者に与えられるようです。

「待合室にいる間、待っていた他の女性と親しく話したわ。」
という訳の日本語だとこのミッションのニュアンスが分かりにくいのですが、

英語では
0:58頃に
”All I have been told before the sketch was to get friendly with this other woman :Chloe”
という言葉が出て来ます。
参加者に伝えられたのは、スケッチをするまえに
別の女性と仲良くなるようにいわれたことだけ。
実はスケッチのことも知らされていなかったようです。

で、白いカーテンの内側でスケッチをするのは、
FBIで訓練を受けてサンノゼ警察で働いていた、
フォレンシック(犯罪科学)アーティストのGil・Zamoraさん。
目撃者の証言から犯人の似顔絵などを描いていたのでしょう。

で、Gil・Zamoraさんは、本人の証言と
待合室でさっき友達になったばかりの人からの証言を元に
似顔絵を二枚描きます。

そうすると、本人の自分の顔の説明で描いた絵より
他者の説明によって描かれた絵の方がおおむね明るく
ハッピーな感じに描けるのです。

そう、「あなたは自分が思うより美しい」
というわけです。
2:14あたりで参加者の一人が、
「私は自分の自然な美しさにもっと感謝すべきだ」と言っています。
I should be more grateful of my natural beauty.
It impacts the choices in friends that we make, the jobs we apply for, how we treat our children.

・・・・・

実は、私はこのフィルムはかなり出来すぎているような気がするのです。
FBIの特殊訓練を受ければこういう風に描けるのかもしれませんが、
私は、言葉だけでこういう風に似顔絵が描けるものなのか、
ちょっと分かりません。
経験がないので何とも言えないですけど、
かなり時間をかけて、本人を見た人たちと
「目はもう少し大きかった」
「顎はもっと尖っていた」
「全体的にもっと明るい雰囲気だった」
と時間をかけて行けば出来そうな気はします。

ただ、もしこのフィルムが壮大なフィクションであったとしても、
小さな勇気をくれることは確かです。

そして、もっときれいに、もっと外人みたいに大きな目で、
もっとモデルのように細く、もっと、もっと、
と言われれ続けている私たちも、
自然でいることが悪いことではないように思えて来るのも確かです。

このフィルムのメッセージは確かに
あなたはありのままに自信を持っていいのよ、
というのには違いないからです。

私たち日本女性は、実際以上に美しくない、
と常日頃から、テレビや雑誌やいろんな媒体を通して、
思わせられているような気がしてなりません。

確かに、白人に比べれば彫りも深くないし
雪のように白いわけでもありません。
しかし、艶やかな黒髪とキメの細かい肌は
私たちが思う以上に魅力的ではないでしょうか。

最初に書いたように、私たちは常に長所を伸ばすより、
欠点を直すようにいわれて育ちます。
洋服は西洋の文化ですからそれに合わせるために
私たちは、西洋風のメークをし、髪を染め、
必死に欠点を隠そうとします。
でも、残念ながら、
目が小さいからといってマスカラやラインを塗っても、
髪を茶色にしても、白人になれるわけではなく
なった気分を味わうだけです。

もちろんご本人が良ければそれで良いのかもしれませんが、
時には本来の持ち味がそれで消えてしまうことを
私たちは気がついてもいいかもしれません。

むしろ長所を生かして、
このフィルムがいうように、もっと自然の美しさで
黒髪とつややかな肌を活かしたアジアンビューティーを
めざす人が少ないのは、ほんとうに残念です。

ただ、これを言うと、化粧品メーカーや
美容院業界からブーイングが出そうです。
特に美容院は今はカットやパーマよりヘアダイ
の売り上げが相当伸びているそうですから。

それから、ヨーロッパ人はみんな美男美女、
というのも大いなる間違い。
セレブがきれいなだけです。
かつてオードリー・ヘップバーンが「ティファニーで朝食を」
に主演してジバンシーがデザインした洋服がアメリカで
売れまくったという話しを聞いたことがあります。
その頃からマスプロ宣伝は効果があったのですね。

なにより自然に美しさを保ち、
自然に年取ることは精神的に楽なのではないでしょうか。
残念ながら上手く年をとっている女性のロールモデルが
少な過ぎることもあるのかもしれません。
功成り遂げる女性はお金にも余裕があるので
髪も染めるし、皺取り手術も出来るからです。
そして彼女たちは「いつまでも若く美しい」ことで
お金をもらっているからです。

日本女性はエクステンションをつけなくても
髪を染めなくても、十分に可愛いいし、
むしろそんなことをすると人によっては滑稽に見えることもある、
ことは知って欲しいと思います。
最もみんなと一緒がいいのかもしれませんが。

で、私はどうか、と言うと
若い頃目を大きく見せることに挑戦してみましたが
アイラインを入れると寄り目になるので諦め、
二十代以降からずっと口紅と頬紅で顔を明るく見せるだけの方法ですごしてきました。
白髪が出るようになってからは、
髪を染めると生え際の白髪がかえって目だつので、染めず、
髪がふんわり柔らかい雰囲気になるように
パーマとカットで美容師さんにお願いしています。

自分なり年齢なりの美しさを作って行ければいいな、
と思っています。
年を取ることは悪くないし、
「いつまでも若い」のはかえって気持ち悪いと思うのです。


久々にホームページ更新

3月から時間を見つけては花を追っていたら、
ホームページの方がすっかりおろそかになってしまいました。

ようやく、3月の作品のサムネイルをアップしました。
マダムかよこのアトリエトップページ
サムネイルのページ

20130521sumnail

今日はこれで力つきました〜。(笑)

あ、そうそう、お読み頂いている方の中に
パソコンが調子の良くない方はいらっしゃいませんか?

実は、私がブログをアップすると同時に同じエージェントから
30秒くらいの間に20アクセスくらい入ります。

以前、この件でレンタルサーバー会社のさくらに確認を取ったら、
誰かのパソコンが故障している可能性があるのでは?
と言われました。

そのことに気がついてからずっと様子を見ていますが、
一向に収まりません。
OSは Windows7 64bit
ブラウザはIE7.0です。

では。