「経営」も「景気」も実は絵画用語だった!?

このところ株が乱高下していて、
今日は737円安の1万3589円に下がっていますね。

以前の記事円安でソロスさんが大儲け!?で書いたように、
私は一時株を持っていました。
その時に思ったのは、株というのは
とても「空気」に左右されるものだという事です。
実質的にその会社の業績が悪化するなどの他は、
あまり関係のなさそうなことで上下します。
「人が買いそうだから買う」というのを聞いたことがあります。
いわゆる「買い気配」とはこのことを言うのでしょうか。

株は景気に左右されます。
この「景気」という言葉や「経営」という
経済用語と思われているこれらの言葉が、
実は中国の山水画から来ている、
という事を松岡正剛氏の本で以前読んだ事があります。

20130530

中国の4世紀後半の画家、謝赫(しゃかく)は
絵を描く時の理想的な制作態度として
「画の六法(りくほう)」をその著書「古画品録(こがひんろく)」
の中で記しています。

「画の六法」とは
①気韻生動(きいんせいどう)
②骨法用筆(こっぽうようひつ)
③応物象形(おうぶつしょうけい)
④随類賦彩(ずいるいぶさい)
⑤経営位置(けいえいいち)
⑥伝模移写(でんもいしゃ)
の六つ。

①気韻生動(きいんせいどう)とは
「生命観が宿るように生き生きと描かれているか」

②骨法用筆(こっぽうようひつ)とは
「力のこもった描線で描かれているか」

③応物象形(おうぶつしょうけい)とは
「描く対象に似ているか」

④随類賦彩(ずいるいぶさい)とは
「色が適切に塗られているか」

⑤経営位置(けいえいいち)とは
「前後の位置や画面構成がうまく配置されているか」

⑥伝模移写(でんもいしゃ)とは
「古画を模写して勉強しているか」

という意味です。
このことは知っていたのですが、
松岡正剛氏の花鳥風月の科学
では次のように述べられています。

松岡正剛著「花鳥風月の科学」第一章「山」p.40より
そもそも景気とは「景気」の強いすぐれた場所のことをいいます。景気とは、景色の持っているスピリットやエネルギーのこと、今日、経済社会で「ええ景気ですな」とか「えらい不景気でんな」といっているのは、もともとは風景の中の景気のことだったのです。そればかりではない。実は「経営」という言葉も山水画を描くための用語でした。
古来、山水画には六法という六つの方法があります。
4世紀後半の中国の謝赫が唱えたもので、山水画の本質に関する心得をいう。「気韻生動」「応物象形」「経営位置」「伝模移写」「随類賦彩」「骨法用筆」の六つです。このうち「気韻生動」が最もたいせつで、山水のスピリットとエネルギーはその絵にどれほど気韻が生動しているかで決まる。
しかし、その他の五つも大事なことで、とくに「経営位置」は山水画のコンポジションを作る重要な方法です。今日マネジメントをあらわす「経営」という言葉は、この山水のコンポジションをマネジメントする経営位置から派生したものでした。

松岡氏はおじさんが日本画家なのだそうで、
このあとこの本では風景画の話しに移って行きます。

松岡氏はコンポジションという言葉を使っていますが、
要するに「構図」です。
絵を描くとき、こどもの落書きでない限り
どういう構図が良いか、描こうとする主題をどこに置くか、
プロでなくとも悩みます。
途中で色を変えたり、形に変更を加えることは
少なからずあるし、ある程度は可能でしょうが、
全体の構図はなかなか修正はききません。

ビジネスでも全体を見る、という意味で「プロジェクトの絵を描く」
という言い方をすることがあります。
これから取り組もうとしているプロジェクトの
最終形をイメージする意味で使います。
絵の場合、この最終のイメージを持たないで描く事もあります。
抽象画やわざと到達地点をイメージせずに出発する事が
手法になる場合です。
例えば以前の記事、気ままにドローイング
そんな気ままな絵の描き方について書いてあります。

しかし、これがビジネスだった場合、
着地点が決まらずに出発することはありえないでしょう。
ジョブズの仕事など見ていると、むしろこの着地点から
出発しているような印象すら受けます。

社会の場合はどうでしょう。
政治の場合はどうでしょう。
「国家経営」という言葉は少し抵抗がありますが、
経済だけではなく、国や社会の今後の着地点を
提示する、という意味なら、むしろ今こそ必要ではないでしょうか。

「景気を良くする」といって
アベノミクスはメディアにもてはやされ、
確かに株価は上がりました。
しかし、福島の事故が収束しないのに
他国に原発を売りに行ったり、
再稼動すると言っています。
明らかに日本の行く末をしっかり描いて行かなければならない時に
今までのやり方で押し通そうとしていることには
無理があります。

政治家たちも日本の将来の絵が描けていないのです。

しかし、日本の将来像を描くのに
別に政治家だけに任せておく必要はないでしょう。
主権者は私たちなのだから、
こういう未来が欲しい、と絵を描いて行きませんか。
そして次の参議院選では、きちんと未来が語れる人を選びたいものです。