心が軽くなること

3日ぶりの更新になります。
今日は今朝の電車の中の出来事から
書いてみたいと思います。

既に通勤ラッシュは過ぎた時間帯で、
私は自分の駅から座ることができました。
ドアの席から4人目の席で、8人掛けの真ん中あたり。

途中の駅から、かなり身体がご不自由で立っているのがやっと
というお年寄りが付き添いの方と乗って来て、
ドアのすぐ横の席の前に立ちました。
一瞬沈黙がながれます。
私の隣の若い女性(ドアから3人目)は明らかに気にして
席を譲るかどうするか迷いつつ、機を逸したようでした。

で、私は少し遠かったけれど、
「お座りになりませんか?」と立ちました。
立ってみると、そのお年寄りの目の前の席には
20代半ばのの背広を着た男性が狸寝入りをしていました。
その隣(ドアから2人目)も3人目の女性と同じ位の
20代初め女性でした。

今はもう珍しくもない光景なのかもしれませんが、
う〜ん、とちょっとかんがえてしまいました。

もちろん「俺も疲れているんだ」
という反応もあるかもしれませんが、
しかし、立っているのも大変そうなお年寄りに席を譲れないほど
目の前の男性は疲れているようには思えませんでしたし、
また女性たちは、その間ずっとスマホをいじっているのです。

「めんどくさいのが乗って来たな」なのでしょうか。
「いいかっこしい、と思われたくない」なのでしょうか。
「偽善は嫌いだ」でしょうか。
(偽善ともいえない簡単な行動だと思いますが)
「譲って断られたらイヤ」でしょうか。
「なんのための優先席なんだよ」でしょうか。

などとおもいつつ、同時に
「ああ、こういう社会を作っちゃったのは
私たち年のいった大人たちなんだよなあ」
と、私はため息がでました。

私は以前から電車の中で人を観察するのが大好きでした。
ところが、ある時から電車に乗るのが苦痛になりはじめます。
ある時とは、小泉政権時代で、
突然「自己責任」という言葉が政治家から
いわれる出した頃のことです。

それ以前から、通勤ラッシュの遅れは
車掌さんが謝っていましたが、
特に混んでいるわけでもない時間帯でも
一分一秒の遅れにも過剰に反応して
車掌さんは謝り続けるようになります。
謝らないと、文句を言う人がいるからだそうです。
クレーマーに事前に予防線を張るわけです。
その結果、車掌さんはひたすら謝り続けなければならず、
最近の車内アナウンスは休むことがありません。
iPodでも聞けば良いじゃないか、
と思う方もいるかもしれませんが、
あれは確実に耳に良くないです。
以前耳栓をしている外人さんを見たことがあります。

それから、車内が混んで来ても、譲りあって
詰めるようにならなくなりました。
混んでくれば、仕方なく押されることもあるのに
ちょっと詰めるだけで、ひじ鉄砲を食らった事もあります。

知人にバスの運転手をしている人がいて、
その人にこの話しをしたら、バスでも同じような変化があったと
言っていました。

案の定一週間くらい前にこんな記事が出ていました。
駅員らへの暴力行為、5年連続200件超 大手私鉄16社

20130528

みんな疲れているんだなあ、とは思います。

思うけれども、そのイライラが原因を作っている
会社の業務形態や社会の仕組みに行かず、
何の関係もない駅員に向かう。

実は日本はもともと自己責任社会ではありません。
むしろおせっかい社会。
同質でお互いが持たれあっている社会に「自己責任」
の言葉を持ち込まれたのは小泉政権以降のことです。

私の記憶では、日本人の1000兆円とも言われた貯蓄を
投資に回してもらうために、投資キャンペーンが
小泉政権時代から強化され、
投資にはリスクがつきものですから、
例えば株の目論見書などは「自己責任」が強調されます。
ハイリスクハイリターン、というわけです。

それがやがて、何に対しても「自己責任」と言われるようになって行きます。
日本のように真に競争社会でない社会で
「自己責任」が金科玉条のように言われるのは
うさぎの楽園にライオンを放つようなものでしょう。
小泉時代以降この言葉が使われる時は
あまり良い時ではないように思います。

「情けは人のためならず」という言葉があります。
本来は、人に情けをかけておけば、自分が困った時に助けてもらえるよ、
まわり回って自分の為になるんだよ、
という意味なのですが、
最近は、「人の為にならないから情けはかけるな」
という意味だとか……。

最初の電車の話しに戻すと、
以前、宝塚に住む友人の家に行った時、
友人が電車の中で隣り合わせたご婦人と
話しはじめて驚いたことがあります。

袖振りあうも他生の縁。
あまり損得で考えず、お年寄りを見かけたら
(お年寄りだけではなく)
気楽に声を掛けて席を譲るなりしてみて下さい。

もし、素直に譲られないお年寄りがいたら、
私の場合は、
「そう仰らずに。もう立ってしまいましたから」
と言うし、
「あ、そうですか」
といって座り直したって全然あなたは恥ずかしくない。

むかし、声かけ運動みたいなのがあったけれど、
ああいうお仕着せではなく
やっぱり自主的に動くからお互い気持ちがいいのだと思います。

次に電車の中で、お年寄りに限らず、席を譲るかどうしようか迷った時は
迷わず譲って下さい。
損得には関係ないかもしれないけど、
心が軽くなることは請け合いです。

心が軽くなること」への2件のフィードバック

  1. 秋元祐子

    かよこさん
    こちらに初投稿させてもらいます。

    実は心の中で、なーんか変だよなー、とモヤモヤしていることを、いつも丁寧な言葉で紡いでくださるんですよね。
    ありがとうございます。
    あーすっきり。
    今回のお話も然り。まさにおっしゃる通り。
    大切なことがどんどんおざなりになってゆくのを、忸怩たる思いでジリジリするばかりで情けないんですけど。
    せめて、けむたがられながらもお節介なおばちゃんであり続けたい。
    と、改めて決意しました。

  2. madamkayoko 投稿作成者

    お〜、コメントありがとうございます。確かにうるさいおばちゃんがいなくなりすぎました。規範というほどのことではなくとも、出来ることはして行きたいですよね。

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