月別アーカイブ: 2015年7月

何のためにオリンピックを開催するのか分らないから、こういう混乱が起きる

オリンピック、競技場の次は
エンブレムが問題になっています。

日本側は基本的には登録商標などをきちんと調べてあり、
問題にはならない、というスタンスのようです。
五輪エンブレム 似たデザインに問題なしの見解

ただ、ベルギーのデザイナーは、訴訟も辞さないかもしれない。
「盗作だ」ベルギーのデザイナーが法的措置へ 2020年東京オリンピックのエンブレム

私は、デザイナーが剽窃したとは思わないし、
この大舞台でそんなリスクは冒さないと思うけど、
かといって、良いエンブレムとも思わない。
最初に見た時、いまいちだな、むしろ招致のときの方が華やかだな、と思ったものです。

↓過去のオリンピックマーク。
20150730

ただ、もしほんとうにベルギーのデザイナーが法的処置に出た時のこと、
JOCは考慮しているだろうか。
国際オリンピック委員会の承認を得ているから大丈夫、
ということだけど、校長先生が大丈夫って言ってるから大丈夫、
っていうノリで、非常に無責任感が漂ってるように私には思えます。
面倒が多すぎるから、ドンドンパスして先に進みたい、って感じ。

相手は個人のデザイナーだから、と言った理由で甘く見ていて
訴訟の嵐に巻き込まれることなど、微塵も想定していないみたいなのが
日本のドメスティックおじさんらしいと言えばらしいけど。

↓海外メディアの記事
Tokyo Olympic Games logo embroiled in plagiarism row

で、競技場の方は、ザハの事務所が声明を出しましたね。
New National Stadium, Tokyo, Japan Statement by Zaha Hadid Architects

どうして、オリンピックという国家的行事なのに、
こんな初歩的な混乱が次々と起きるのでしょうか。
JOCという組織はあっても、
ジェネラルプロデューサーのような人が存在しているようには見えない。
森元首相がそういう役目を意識して担っているようにも見えない。

結局、何のためにオリンピックを開催するのか分らないから
なのではないでしょうか。
根本のコンセプトが見えない、というか「無い」

もとはと言えば、「アンダーコントロール」という大嘘をついて
招致したオリンピックです。
なぜそんな嘘をついてまでオリンピックを招致する必要があったのでしょうか。
強いていえば、あべ政権を維持するために、でしょう。
もっといえば、国民の関心をオリンピックや経済政策に集めておいて
改憲をサッサとやってしまいたい、
というのが本音であったろう、
と思うのです。
あと、ゼネコンなどの既得権益へ利益供与など。

国民側も、311以降、深刻なことが続いているから
ちょっとお祭り気分を味わいたかった、ぐらいでしょうが、
それが今になって、大きなツケを払うことが見えてきました。

今、日本が真剣にやるべきことは、
福島第一原発の処理ですよね。
それがいまだに東電という一企業にまかされていることが私には
信じられません。
事故の処理もまともに出来ていないのに
再稼動しようとしたり、オリンピックをやろうとしている。

どう考えてもまともではないです。
で、そういうまともでない人たちが、オリンピックというイベントを
成功させることができるのでしょうか?

東日本震災で被災した人たちは、
いまだに仮設で暮らす人々も少なくないです。

そういう人たちを置いたままで、オリンピックを進めなければならない理由は
経済大国の日本にあるとは思えません。

私は、オリンピックは返上すべきだと思います。
今なら、旧国立競技場の損失だけですみます。
「国民に夢を」なんていうのも、やめた方がいいです。
国民は自分の夢は自分で探せばいいのです。
アスリートには残念かもしれませんが、
オリンピックが、負の遺産になるよりは、いいのではないでしょうか。

それでも、どうしてもやりたいのならば、考えるべきです。
『なぜ日本は、今、オリンピックを開く必要があるのか』を。

そしてこのエンブレムで行くのならば、
たとえ商標登録されていなくても、似ていることは確かなのですから、
「問題ない」と切り捨てるのではなく、
きっちり世界へ説明していったほうがいいのではないでしょうか。
特にザハを切ったようにデザイナーに責任を押し付けることはしないでほしい。

結局、すべての問題の行き着く先は、このオリンピックの日本での開催理由なのだと思います。

関連記事
ザハ・ハディッドって女性だったの?
新国立競技場工費だけではない。失敗を認められない人たち。失敗することより愚かである。

大暑 三十五候 「土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)」

今日はギラギラした太陽が出ていないので
なんとかなるだろうと、
真夏の花、ムクゲのデッサンに行ってきました。

20150729

しかし、私は甘かったです。
下手すれば熱中症にでもかかりそうなくらいの蒸し暑さ。

農作業帽をかぶり日傘をさし、
空にはかなり暑い雲がかかっているのに、
ただただ汗が出て、デッサンの紙までもジットリ。

それもそのはず、
7月29日から8月2日ぐらいまでの五日間は、
一年でも最も暑い「大暑」の次候「土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)」
に当たります。
「溽」ジョクという字はグーグル先生でもなかなか見つからない字ですが、
汗がじゅくじゅくにじみ出て来る感じがよく出た文字です。
ほんとうに、ただ立っているだけで、体中から汗がジワリ。

で、一計を案じて、近くに東屋があったので、
形をとるとそこへ行って水彩で色を付け、
乾くとまたムクゲのところに戻ってデッサンを続ける、
という感じでした。

ムクゲは、韓国の国花ですが、原産は中国。
非常に多くの園芸品種が作られていて、
私が描いたのは「白小輪」という種類のようでした。
私が一番描きたかった「宗旦(そうたん)」という種類がが見つからず、
それに一番近かかったので、選んだのでした。
「宗旦(そうたん)」はよくお茶席で使われ、
茶人の千宗旦から名付けたそうです。

ところが、帰りに入り口のポスターを見たらあるみたいなので、
暑さで見逃したかもですね。

postar

この暑さの中でも植物は元気で、
蓮は咲くし、スイレンももちろん、
モミジアオイも真っすぐな背筋から五弁の真っ赤な花を延ばしていました。

それでも、夏至から一ヶ月以上経っているので、
日暮れも少し早まっています。
時は巡る。
ほんとうに不思議です。
時間って何なのでしょうね。

過ぎ去った時間は戻らない、それだけは分るのですが。

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とりあえず走り出して、やってみた。3年でスケッチ600枚。セルフマガジンにたどり着くまで。

酷暑の中、様々な作業の効率が落ちます。
私は、「クリエイターEXPO」と「彫刻セミナー」というこの夏の
メインイベントを終えて、引き続きデッサンの整理です。

アクセス数の魔力に引かれつつも、通常運転に。鳥のデッサンを整理
の続き。

今日は、311以降に観察会に限らず、季節の花や鳥や虫を見つけてはひたすらスケッチしてきたスケッチブックを整理していました。
記録を見ると、100回前後でしょうか。
暑くても寒くても週に一回はスケッチブックを抱えて出かけて行きました。

東京港野鳥公園をメインフィールドに、
神代植物園、昭和記念公園、六道山公園、多摩動物公園
などなど。
時には、シダの観察会で伊豆や秩父の山に出かけて行きました。

20150728

生き物に対して、中途半端な知識しかもっていなかったので、
実物を見て描くために、
「とりあえず出かけてスケッチする」がコンセプトでした。

描き込んであるものも、メモ程度のものもありますが、
まさに「チリも積もれば山となる」。
一冊60枚のスケッチブックが10冊以上。
軽く600枚は越えるでしょう。
それ以外にも鳥の剥製のように水彩や色鉛筆で彩色したものも
数十枚あります。

この3年、ひたすら走っていたので、こうやってまとまって見るのは
我ながら感慨深いものがあります。

今、お配りしているセルフマガジンも、
この間のスケッチがなければここまで作れなかったはずです。

実は、昨日、セミナー後の懇親会で、
セルフマガジンを配らせて頂いたのですが、
想像以上に皆様の反応が良かったので、セルフマガジンのチカラを再認識でした。

ゲームの背景を描いている素晴らしい作家さんもおられて、
緻密で細部にわたって描き込んでいて本当に素晴らしくて
ご自分のiPadで見せて頂いたけれど、
手元に残こる、という点ではセルフマガジンは、やっぱりすごいな、
と思いました。

台湾から来た方には、私の墨で墨っぽくない作品を巡って
話しが弾んだり、
片桐氏にも直接感想を頂いたり、
紙媒体は、想像以上に効果があります。

インターネット時代だからこそ、
クリエイターの方達には、セルフマガジンは絶対おすすめです。

私が6月の終わりに200部刷ったものがほとんど無くなってきたので、
少し手直しして、新バージョンを印刷しようかな、
と思案中です。

311をキッカケに、とりあえず始めて、走ってきて、今セルフマガジン、
という形になった、というわけです。
スケッチブックの束を前に、
実行に移すことの強さを改めて感じています。

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楽しければ進歩する

片桐裕司彫刻セミナー、最終日
出来上がった作品です。

20150727

正面から。
20150727_2

まだまだ時間は足りなかったし、
なんとかした、という感じではあるけれど、
一昨日の粘土の塊がこうなるのですから、
三日間でここまでやった事に深い意義があります。
楽しければ進歩するのですね。

特に最後の2時間くらいの集中度は驚くべきものでした。
これは参加者すべてがそうだったと思います。

今日は帰りの電車の中で
人の顔を見ると中の骨を想像している私がいました。

では。

考え行動する限りは進歩する

片桐裕司彫刻セミナー、二日目終了です。

今日はこんな感じ。

20150726_1

奥に見える鉛筆のエスキースに幾分近づいたでしょうか?

二次元と三次元は、まさに次元が違うのだと痛感させられたのが昨日。

実は昨日が、こんな感じで、単なる粘土のかたまりでした。

20150725

これから2時間ほど作業したのですが、
結局横顔が分らないから出来ないのだ、と気づき、
帰宅してからアンジェリカ・ヒューストンの横顔写真を
ネットで探し出して、コピーして寝ました。
塑像の後ろに見える帽子をかぶった写真です。

side

で、二日目の今朝、昨日作ったものをすべて壊してチャラにして
一からやり直し、7時間ほどで、最初の写真のところまでもって来ました。
明日は細かいところをチェックして仕上げて行きます。

講師の片桐裕司氏は、軽やかににこやかに
この写真の塑像を40分ほどで仕上げるという、神の手。
katagirisi

サインして頂いたお著書「アナトミー・スカルプティング」
signeture

さて、今日は、最後に片桐氏の体験談から参加者へのメッセージが語られました。

要約すると、

人は、自分で考え、心を素直にして実行して行けば
ずっと進歩して行く存在である。

ということなのだけれど、
ポイントがあって、それは、
1)他者と比べず、自分の姿やレベルをありのままに受け入れる事
2)考え気付いたら、必ず実行する事
この二点。

参加者の多くは20代。
明日は三日間で作った作品だけではなく、
大切なものを持って帰れそうですね。

私はと言えば、ずっと受けたかったセミナーだし、楽しくって、ほぼ一日立って作業していても
昼食後に眠くもならないです。

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サンサーンス「動物の謝肉祭」から「化石」、可愛い骸骨がダンスしているよ

彫刻セミナーも近いので、
人間の骨格のおさらい中です。

物事には何でもキイポイントがあります。
人間の骨格の場合、「肩甲骨」が分かって来ると、
全体の仕組みがかなり分ってくるような気がします。
少なくとも私はそうでした。

肩甲骨は単に三角形の骨の板ではなく、
フックや鍵がついていて腕の骨や鎖骨や様々な筋肉を支えている、
人間の体のハンガーみたいな役割を果たしています。

絵を描くには骨以上にその上に乗っている筋肉がさらに重要になって来ます。
そしてそれがまた複雑に入り組んでいて、覚えるのに一苦労。
顔は小さな部位ですが表情豊かなのは、多様な筋肉が複雑に絡み合っていて
様々な表情を生み出しているわけです。

skull

頭蓋骨は何度描いてもなかなか強烈なフォルムです。
ところが、それが「ガイコツ」になるとなぜか急にユーモアたっぷりに見えて来るのは不思議。
ちなみに英語では前者は「skull」後者は「skeleton」となっていて区別されます。

skeleton

こんな風に、いたずら描きでガイコツを描いていたら、
サンサーンスの「動物の謝肉祭」の中の第12曲「化石」 (Fossiles)という曲を思い出しました。
自作の『死の舞踏』の「骸骨の踊り」の旋律をシロフォンで表現したもの。
それにキラキラ星などのフランス民謡を組み合わせたわずか74小節の小品ですが、
ユーモアたっぷりで楽しい。

「動物の謝肉祭」は一枚持っていたいですよね。

で、You Tubeには190万回再生されているCGによる「死の舞踏」ガイコツ版がありました。
ご興味のある方はどうぞ。
Danse Macabre 2010 ( Saint-Saëns )

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「バリー・リンドン」は、キューブリックのヴィスコンティへのオマージュ。

先日、スタンリー・キューブリックの「バリー・リンドン」が再映されていたので
見に行ってきました。

BarryLindon

キューブリックは好きな監督ですが、公開時に見たのは
「フルメタルジャケット」と「アイズワイズシャット」のみ。
私は、基本的に劇場で見る派、なので、公開時に見てない作品は、
リバイバル上映される機会を逃さないようにして見ています。
それでも「2001年宇宙の旅」は3回見てます。

さて、本作のストーリーは、一人の成り上がり男が成功し、そして没落するまでの話しです。
ありがちストーリーを見事な考証と映像で表現していて素晴らしい。
キューブリックを完璧主義といって揶揄する向きもあるくらい、
隅々までお金と目配りがされています。

映画評はネタばれが前提になってしまうけど、ご了承を。
本作は、
1)ヴィスコンティをかなり意識している
2)新大陸アメリカ文化から見た越えようのないヨーロッパの文化の深さへのオマージュ
3)カメラワークと音楽が素晴らしい
4)脇役俳優が光っている

1)と2)はコインの表裏ですね。
ルキーノ・ヴィスコンティが「ルードウィッヒ」を公開したのが1972年。「ベニスに死す」はその前年の1971年公開。本作は1975年の公開。
「ベニスに死す」で主人公のアッシェンバッハの妻役のマリサ・ベレンソンを
本作でヒロインに使っている事からも、キューブリックはヴィスコンティをかなり意識していたような気がします。

話しは「ルードウィッヒ」に飛びますが、私が「ルードウィッヒ」を劇場で見たのはやはり再映時で数年前。
私はその2、3年前にウィーンを訪ねていて、
「ルードウィッヒ」の従姉妹でヒロイン「エリザベート」(愛称シシィ)(ロミー・シュナイダーが演じる)の住居や使った食器などの実物を見ていました。

例えばこんなもの。これは、展示場で買ったカタログから引用。ドイツ語しかなくて読めないのが残念。
cutlery

やはり、実物を見ていると実感が違い、映画の見え方も変わって来ます。
ヴェルサイユ宮殿に行った時にも圧倒されたけど、
ヨーロッパの王侯貴族の文化って、ただお金をかけているだけではなくて
完成度が高い。
もちろん、やがて、王侯貴族は革命で倒されるわけだけだし、
ルードウィッヒに至っては国政を疎かにして趣味に徹したお城を三つ作って
国家財政を危機に陥れたくらいです。
しかし、古い時代のものを、自分達の文化の流れで大事にしているヨーロッパ。
今日ヨーロッパの観光業は、ほとんどその過去の遺産で食べているわけです。
ルードウィッヒが奢侈の限りをつくして作ったノイシュヴァンシュタイン、ヘレンキムゼー、
リンダーホーフの3つの城で、現在バイエルン市も潤ってるそうな。

というわけで、石の文化であるヨーロッパ文化の厚みというのは圧倒的で、
その視覚化に成功しているのが本物の貴族であったヴィスコンティ。

一方、キューブリックの「バリー・リンドン」では、平民の出の主人公が、爵位を得ようと浪費の限りをつくします。
しかし、これは、身を持ち崩し、義理の息子に殺されかけるだけ。

もちろんこれは、ウィリアム・メイクピース・サッカレーの原作が多分そうなのでしょう。
(読んでないから分らないけど)
しかし、同時に新大陸のアメリカ人と田舎者「バリー・リンドン」を重ね合わせているようにも見えます

というのも、実は、1960年にカークダグラスの制作する「スパルタカス」を最後に
キューブリックはアメリカを去り、イギリスで制作するようになっていました。

彼は、一作一作異なる主題を異なる手法を用いて
芸術性と商業性の両立させる希有な監督ですが、
ハリウッドとはあまり相性がよくなかったようです。
結局、死ぬまでイギリスに暮らします。

まず、イギリスで
1962年 ロリータ
1963年 博士の異常な愛情
を撮影。特に「博士の異常な愛情」は世界中でセンセーショナルを巻き起こします。
(日本ではオリンピックの年に公開されたためあまりヒットしなかったらしい)

「キューブリック全書」の訳者である内山一樹氏によると
1968年 2001年宇宙の旅
で大成功を収めると、
撮影から公開まですべてをキューブリック自身がコントロールするという、
他に類を見ない契約をワーナーと結びます。
(キネマ旬報社ムビーマスターズより)

1972年 時計仕掛けのオレンジ
以降の作品はすべてその契約で撮影されたそうです。
「バリー・リンドン」も非常にお金がかかっていると思ったけれど、
そういう契約のもとで撮影されていたのですね。

結局キューブリックはイギリスで生活し、充分にヨーロッパの王侯文化の研究をする時間と
潤沢な制作費があったわけです。

完璧主義のキューブリックが、ヒロインの起用だけではなく、
王侯貴族の社会を描こうと思った時に、一番の教科書はヴィスコンティであったことは
おおいにあり得ます。
主人公バリーが貴族のヒロインと小舟に乗るところなどは
ルードウィッヒとシシーの逢瀬のシーンも思わせるし、
いくつか、ヴィスコンティの表象ではないか、と思われるシーンがありました。
私がそういう目で見ているからかもしれませんが。

さて、「バリー・リンドン」では、戦闘シーンのみならず、野外の風景がよく出て来ます。
空の色、雲のかたち、空気感がまるでコローの絵のようです。
舞台は18世紀後半のイギリスですから、風景はコローよりもむしろターナーなんだと思うのだけれど、
映画の中の風景は、荒々しく大き過ぎるくらいのアメリカの自然を見ているキューブリックの
ヨーロッパへのイメージなのかもしれません。

そして、その丘陵地帯の明るい野外風景とは対照的に、
室内の撮影は50ミリ0.7Fという特別のレンズで、
窓からの外光とろうそくの光だけで撮影されます。
公開当時はこの事がとても話題になったみたいです。
ちょっと、フェルメールかジョルジュ・ド・ラ・トゥールの画面を思わせる
暗さなのです。

また、カメラのレンズについていえば、女性の肌を美しく見せるためか、
フィルターを多用しているように感じました。

キューブリックはまた音楽の使い方も天才的です。
「2001年宇宙の旅」の「美しき青きドナウ」は、私の場合はその存在が逆転しちゃって、
「美しき青きドナウ」を聴くと、「2001年宇宙の旅」の宇宙空間の映像が浮かんで来るほど。
「バリー・リンドン」では、ヘンデルのサラバンデがオープニングから使われ、
主人公の波瀾万丈の生涯を見事に暗示しています。

さて、4)ですが、この大作の主人公はライアン・オニール。
「ペイトンプレス物語」などを見ていない私には、
テイタム・オニールのパパ、というイメージしかなかったのだけれど、
すごい存在感があるわけではないこの俳優さんを引き立てる脇役がめちゃくちゃ良かったです。

上の貴族がレースの洋服を着ている絵も
実は、主人公ではないんですね。
主人公にイカサマ賭博でお金を巻き上げられかけた貴族の顔です。
当時の風習とはいえ、白粉塗って、紅さして、カツラかぶった貴族さんは
神経質そうな広い額とくぼんだ目、高い頬尾骨と張った顎。
すごくプライド感があって、思わず見入っちゃいました。

検索してみたらヴォルフ・カーラー、というドイツの俳優さんらしい。
記憶だけで描いてみたけど、40歳若くしてカツラかぶせてお化粧したらかなり近い感じ。
インディ・ジョーンズにも出演していたみたいですね。

余談ですが、外国の映画って、男性の顔の宝庫だな、と今回見て思いました。
そういう目で映画をこれから見て行くと面白いかもですね。

  

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