「ねこ」は「寝る子」から転じたのではないかと思うくらいです。
むかし飼っていた「おばあさん」はよく、こうやってうつぶせに寝ていました。
今日、子猫は夫の机の下の箱の隅で熟睡でした。
狭いところで寝ると安心するのでしょうかね?
静かな日曜日です。
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英語の猫の記事です。→ My Cats’ Story
では。
「ねこ」は「寝る子」から転じたのではないかと思うくらいです。
むかし飼っていた「おばあさん」はよく、こうやってうつぶせに寝ていました。
今日、子猫は夫の机の下の箱の隅で熟睡でした。
狭いところで寝ると安心するのでしょうかね?
静かな日曜日です。
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では。
子猫成長の記録、その2。
そしてこれが、モノクロですが、昨日,3月26日。
子猫は顔がまだ小さいけど、しっかりしてきました。
二匹で食べて、寝て、起きている間中家の中を走っています。
比べるものがないと子猫の大きさが分からないけど、お姉さんが一定の大きさなので、ズンズン大きくなっているのが分かります。
なにより、もし子猫が来ていなかったら、お姉さん猫の噛み癖はどうなっていただろう、と思うと、ちょっと怖いかも。終わりよければすべて良しなのですが、時々そう思うことがあります。
それとお姉さんは噛み癖がついたように少し陰りがあるのだけれど、とにかく子猫はオープンでちょっと撫でれば雷のようにグルグル喉を鳴らしてくれるので、とにかく人間が幸せ。
我が家ではグルグル姫だね、と言っています。
ではでは。
去年の11月。
我が家に来てすぐの頃。
コルク栓で遊ぶ、子猫。
今は避妊手術もすませ、もう子猫とは呼べない大きさになりました。
子猫の成長の記録です。
去年の8月の半ば、もらい主さんの隣の庭で生まれたそうです。
我が家には10月30日にやってきました。
最初はシャーシャー言っていた二匹もほどなく仲良しに。
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これは、お姉さん猫が小さい時のクロッキーです。
食卓で私の膝の上に乗ってきたので、私が彼女を描きだしたら,動く鉛筆を追っかけてちょっかいを出し始めました。
これに少し、フォトショで加工を加えてみて、絵の中でもお姉さん猫を描いてる私にちょっかいを出しているようにしてみました。
こういう「絵の中に絵がある」というのをドロステ効果、と言います。
ウィキペディアによると、
名前の由来はオランダのドロステ・ココアのパッケージからである。尼僧が持っている盆の上に、ココアの入ったコップと一緒にドロステ・ココアの箱が乗っていて、その箱の絵には、コップとドロステ・ココアの箱が乗った盆を持つ尼僧が描かれている[2]。この絵柄は1904年に始まり、長い間使われ、家庭ではおなじみのものになった。
ということです。
二次元の魔術師エッシャーなどのものも有名で、こちらのページの下の方に映像があります。このページの写真で作ったものはなかなかの迫力です。ちょっと不気味なくらい。(笑)
私のクロッキーは中途半端だったので,お姉さん猫の左手がもう少し左にあればさらにドロステ効果が出たと思います。
今回、試しに縮小やフォトショップのレイヤーを使って作業したら簡単に出来ました。いつか凝ったものを作ってみたいですね。
去年の10月に来た子猫も、もう子猫とは呼べない大きさになってきて、自分から膝の上に乗ってくるのもあと少し。残り少ない子猫ライフを堪能したいと思います。
過去記事ピックアップ こちらもどうぞ。
こんなに大きくなりました。
ニャンともデュエット(7)家族の肖像/下
ニャンともデュエット(6)家族の肖像/中
ニャンともデュエット(5)家族の肖像/上
ニャンともデュエット(4)彼女が見たもの
ニャンともデュエット(3)彼女は何を見たのか?
ニャンともデュエット(2)
ニャンともデュエット(1)
英語の記事も公開中。 是非読んでね。
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こんなに小さかった子猫が
こんなに大きくなりました。
悲しいのは福島の子供たちは、外に出て遊べないために体重が増えない子どもが居るという点です。
「ただちに影響はない」
この言葉は真実を伝えていません。政治的なリスク評価というのは、個人の問題として考えられるわけではない点です。被ばく影響はルシアンルーレットのようなものです。1%のがん患者が増えるといった時、社会はこれを許容する方向に向かいがちです。何故なら不幸に一人が癌で死んでも残り99人がハッピーならOK、という考え方だからです。ルシアンルーレットに当たらないためには逃げるが勝ちです。
だから本当は逃げたいけれど、いろんな事情で逃げられないお母さんを私は支援しています。お母さんは「子どもを守れるのは親だけだから」と言っています。
最初はそのお母さんを支援する意味があるのかわからなかったけれど、最近ははっきりと意味を感じています。もしその子が甲状腺や白血病を発症せず元気に大人になってくれた時、私はもう居ないかもしれないけれど、一人の子どもは救えた、言えるのですから。
日本では、年間30万匹のペットが保健所で処分されています。それも「大きくなったら可愛くない」といった理由で……。
福島の低線量地域に留められる子供たちと、保健所で処分されるペット。この国の大人の心の有り様がわかるような気がして悲しいです。
せめて我が家に来た猫や、ご縁のあった方達とは繋がっていきたいと思っています。
最後に子猫の写真集の古典的名作と言われる一冊のご紹介。
あの岩合光昭さんが前書きで「ぼくの教科書のひとつだった」と書いています。
そして愛されている猫ちゃん達の肖像の数々。
このカレンダーの写真は猫の飼い主、つまりプロでない人が撮った写真ですが、飼い主にしか撮れない写真ばかり。飼い主と猫ちゃんの名前が記され、記念碑的な写真になっています。英語ですが添付のテキストも知っていると猫ライフが楽しめる内容です。例えば、「意外な場所に飲み水を置いてあげると猫は喜ぶ」なんてことが書いてあります。
これは、世界中で900万部売れているとか。飼い主に愛される幸せな猫ちゃん達の姿は見る人を幸せにします。
さて、
明日3月11日を前に様々な所で様々な集会が開かれます。
“Every action counts.” です!
そして風化させないようにしなければなりません。
<首都圏情報>
★0310 原発ゼロ☆大行動
<全国の行動の情報>
脱原発系デモ情報一覧
ツイッターの情報
<追記>
今日、3月10日は東京大空襲の日でもあります。この日も忘れたくないですね。
私の父は、その日は都外に出かけていて、翌日戻って来たら、東京が焼け野原だったそうです。その時はっきりと日本の敗戦を確信したと言います。
実は父は関東大震災も経験しているのです。その父から聞いた話しはまたの機会に。
では。
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猫の家族の肖像、の最終回です。
「お姉さん」と「いもうと」のいきさつはこちらにも少しありますが、詳しく書くことにしましょう。
2011年に「おばあさん」が死んで、3週間くらいした時に東日本大震災が起きました。
「おばさん」が人を拒絶して餌がありさえすればいい状態だった事もあるし、また、こちらに書いたように、私は地震の後の原発事故で作品の写真撮りなどで慌ただしく日々を過ごしていました。
また、私は、「おばあさん」で猫ライフはかなり満喫したし、旅行など自由に出来るからもう「おばあさん」の替わりは飼わなくてもいいかなあ、と半分思っていたのです。
ところが、根っからの猫好きな夫が、いじれる猫が居ない生活に耐えられなくなってきます。何しろ「おばさん」はいないも同然に人間を拒否していましたから。
「「おばあさん」は朝いつも迎えに来てくれたね」とか、「「おばあさん」はこうやってエサを食べていたね」とか、食事中も言っているし、時には私の仕事場にまで来てひとしきり話していきます。
少し煩く感じるほどで、「これは他の猫を探してこなければ」と私は里親サイトなどで探し始めますが、なかなか条件にあう子がいませんでした。(夫は言うだけで探そうとはしないし……)
そんなある夜、私がいつもとは違う散歩道をウォーキングしていたら、川のほとりで震えている「お姉さん」を見つけてしまったのです。
ほんとにいつも猫の方からやって来る不思議!
家からは歩いて5分と掛からないところで、そこから携帯で家に電話すると夫がキャリーバックを持って現れました。
「え、もう飼う気なんだ?」と思ったけれど、首輪はつけてないし、空気のように軽くそこに放っておく事も出来ないし、そのまま家に連れてかえりました。
……というわけで、
いればいたで子猫は可愛いし、しかも長い間年寄り猫との暮らしだったので、すぐに我が家は子猫の「お姉さん」を中心にまわり始めます。
これは我が家にきて四日目の「お姉さん」。子猫は「にこげ」があって描きづらいのですが、拾われて来たばかりの不安そうな様子がよく出ている一枚だと思います。
一方「おばさん」は餌があればいいだけで、相変わらずケージで寝ていますが、子猫を見て機嫌がいいはずもありません。シャーシャー言ってます。しかし、これも本当に不思議な事に、「お姉さん」がきてしばらくすると「おばさん」は人を拒絶したままケージで死んでいきました。
実にスムースに世代交代が行われ、「お姉さん」は夫がいなければ夜も日も明けないほど夫になつきます。夫もまんざらでもなさそう。
私はと言えば、先に書いたように「おばあさん」でもう猫はいいと思っていたので、もっぱら絵のモデルとしてつかず離れずつきあっていきます。子猫の体つき、動き、すべてが描いていて面白いですから。
ただ、「お姉さん」は身体の色が我が家の床の色と同じであまりデッサンしやすくなかったのと、床にとけ込んで足下に居る事に気がつかず踏みそうになる事が良くありました。
で、このまま、順調に行くのか、と思っていたところ、「お姉さん」には強烈な噛み癖がつき始めます。
これには参りました。
抱くのはもちろん、撫でようとしても噛むのです。しかも甘噛みではないから、私たちは傷が絶えなくなります。夫はそれでもなつかれているからまだしも、私はかなりまいりました。
……で、
「いもうと」がやってきました。
おかげさまでこちらに書いたように、「いもうと」がやって来て「お姉さん」の噛み癖は無くなり、今二匹は朝から晩まで昇ったり降りたり追っかけこしたり、疲れると仲良く寝ています。
よく「飼い主が猫を選ぶのではなく、猫が飼い主を選ぶのだ」と言います。我が家の猫履歴を振り返ると、その通りだな、と思います。
では。
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猫の家族の肖像、の第二回目です。
今日は「おばさん」の話です。
「おばさん」はサビとかベッコウ(鼈甲)と呼ばれる毛色で、顔も目も顎も三角の猫でした。可愛いというより黒豹のような精悍さがありました。
彼女はかなり辛い経験をして我が家にやって来ました。聞く所によると、生まれてすぐ他の兄弟と共に箱に入れられ捨てられていたのだそうです。ところが、あまり可愛くなかったので、たらい回しにされ、最後に来たのが我が家でした。既にかなり大きくなっていて、しかも、人間不信に陥って二週間以上シャーシャー言っていたので最初はケージに入れていました。
それでも不思議なことに「おばあさん」は全くシャーシャー言うことなく、最初から「おばさん」を受け入れてくれたので、私は飼うことに決めたのです。
「おばあさん」が「おばさん」の命の恩人かもしれません。
たらい回しにされて来たせいか、この「おばさん」がそれなりに我が家の猫になりきるには2年くらい掛かりました。
愛情薄く育ったものはなかなか心を開かないということなのでしょうか。結局彼女は、生涯人の手から食事をとる事は決してしなかったので、どの程度心を開いていたのかは疑問ですし、その事を彼女の晩年に私は思い知らされることになります。
「おばあさん」の方は、布団で一緒に寝ると嬉しい嬉しい、とゴロゴロ喉を鳴らすのが雷のようにうるさいほどのなつきようでしたから、本当に対照的でした。
さて、引っ越しなどありましたが、18年近くこの二匹が我が家の一員でした。15歳を過ぎると地元の獣医師会から見本的な飼い主として表彰状がもらえ、家にはそれが二枚あります。
「おばあさん」は12歳を過ぎた頃、老猫のバセドー氏病と言われる「甲状腺機能亢進症」に掛かります。手術をしないと半年の命、すれば5年は生き延びると言われ、私はペットにお金をかけるべきか、かなり悩みました。しかし当時は親の介護中で、いつも私を追っかけているのに余り「おばあさん」を構ってやれず、その事が気がかりだったので手術を受けることにしました。そして、獣医の言った通り5年後の2011年の2月、老衰で私の足下で「おばあさん」は静かに死んでいきました。
「おばあさん」が死ぬと「おばさん」は二度ワラシと言うか、家に来たときのように人間を拒否し始めました。「おばあさん」の存在が「おばさん」の盾になっていたことに私たち夫婦は思い知らされ、「おばさん」が一番安心するコーナーにケージを作り、以後、好きなようにさせたのです。「おばさん」は餌ときれいなトイレさえあれば安心して一日寝ていましたが、人間との接触は一才拒否。「おばあさん」が死んでから半年後には静かに死んでいきました。
ほどなく我が家には「お姉さん」がやってきます。
「お姉さん」と「いもうと」のいきさつはこちらにも少しありますが、次回詳しく書くことにしましょう。
最後に私のお気に入りの紹介。このカレンダーの写真は猫の飼い主、つまりプロでない人が撮った写真ですが、飼い主にしか撮れない写真ばかり。可愛いだけでないのがいいし、英語ですが添付のテキストも具体的で役に立つ内容です。例えば、「猫とドライブするときのコツ」なんてことが書いてあります。これは、本当に売れているみたいです。
では。