カテゴリー別アーカイブ: 本や映画、展覧会、演奏会

何事も基礎が大事だとおしえてくれる、フリーハンドロゴの映像

ユーチューブで100万回以上再生されている
ロンドンのデザイナー、セブ・レスター氏が、フリーハンドで
有名な企業のロゴを再現する映像です。

AMAZING! Artist Seb Lester freehand famous logos

私がこの映像を見て、一番に思ったのは
このセブ・レスター氏のカリグラフィーの基礎力の凄さです。

と同時に、海外、特にアルファベットの世界におけるロゴは
やはりカリグラフィーが基礎なのだ、という事に気付かされました。

今カリグラフィーと言うと、多くの日本人はデザイン文字を思い起こすでしょう。
しかし、実はアルファベット世界では、印刷の無い時代、
もっと古い時代の聖書の写本などに、カリグラフィーは使われていました。
日々の修道士や教会関係者がごく普通に使うものだったのです。
その事を深く印象づけられた映画を、去年見ました。

「大いなる沈黙へ」

この映画は、グランド・シャルトルーズ修道院という、
男子修道院の生活を描いたものです。
この修道院はフランスアルプスの山中の陸の孤島のようなところにある、
(少なくとも私にはそう見えた)
カトリック教会の中でも厳しい戒律で知られるカルトジオ会の修道院です。

映画自体は、淡々と修道僧の日常を描いて行くだけですが、
修道院の要望で一切音楽がつけられていません。
そして修道士たちも、決められた時以外一切会話を交わしません。
まさに全編を「大いなる沈黙」が覆っている映画です。

映画評などはもっと得意な人に任せて、
私がこの映画でビックリした事、そして多分誰も指摘しない事に、
修道士のこのカリグラフィーの技量の素晴らしさでした。

映画の後半に、修道士が、日記か、あるいはメモかは分りませんが
横に線の入ったノートに、上の映像でセブ・レスター氏が使うよりもっと素朴な、
先が平たいペンで文字を書き付けて行くのです。

とにかく驚いたのは、そのスピードの速さ。そしてその美しさ。
息づかいもほとんどしない間にサラサラと書き進めて行く文字の美しい事。
そしてまさに、いま私たちが見るカリグラフィーが、
ごく普通の生活の一部として息づいているのを見た瞬間でした。

昔の写本がどのようなものか、お示ししたいので、ネットを探したら、
イギリスの図書館のアーカイブを印刷できるページがあったので、
リンクを貼っておきます。

Preface to St Mark’s Gospel in the Lindisfarne Gospels

このページは、↓この本に載っていたので、検索したら出て来たものです。

この字体はケルト風ですが、他にも、ゴシックとかロマネスクとか
ルネッサンスとかネオクラシカルとかあります。
上の映像で出て来る「ハリーポッター」のロゴはロマネスクかもしれません。
アディダスですら、何かの字体からヒントを得ているはずです。

セブ・レスター氏の技量は素晴らしいものですが、
それはカリグラフィーの基礎に裏打ちされたもので、
決して、手先のアクロバットではありません。

ちなみに、昨年の私の個展のハガキの題字は、ルネッサンスネオクラシカル、
という字体から取りました。
自分でいい加減に作ったものではないのです。

20140708DM

セブ・レスター氏の技量が神業なのは、
真っ白でまったく当たりになる横線が無い紙に描いている点です。

日本の企業のロゴは分りませんが、
海外の企業のロゴは、もしかすると相当数カリグラフィーから
生まれているかもしれませんね。

今まで見過ごしがちだった、アルファベットのロゴを
「カリグラフィー」という視点から見るのも楽しいかもしれません。

福知山線の事故から10年、展覧会が開かれています。26日迄

JR福知山線の通勤電車が速度オーバーでビルに突っ込み、
100名以上の方が亡くなった事故から、
今日25日で、十年が経とうとしてしてます。

その事故をあらためて思い起こそうと、
展覧会が開かれていて、その会場に行って来ましたのでご報告します。

わたしたちのJR福知山線脱線事故ー事故から10年

実はこの事故で生き残った方2名が、
事故の様子を絵やオブジェに残されていたので、
それを中心に構成されています。

実行委員長の木村奈緒さんは、
昨年2014年4月29日にNHK BS1で放送されたドキュメンタリー
「Brakeless〜JR福知山線脱線事故9年〜」という番組を偶然見たことが、
本展開催のきっかけになったようです。

そして、展覧会を開催するにあたり、足りない資金をクラウドファンドで
集めることにします。

今年4月に「JR福知山線脱線事故から10年展」を開催したい!

で、私もこのファンドに参加するのですが、
木村さんに頑張ってほしい,という気持ちとともに、
このドキュメンタリー映画の予告編を見たことが大きかったです。

ドキュメンタリーの監督は、日本出身でロンドン在住の三宅響子監督。
番組はBBC、NHK、アメリカPBSなど、日米欧5か国の合作です。

この映画の予告編が下記リンク先で見られます。
私は、この予告編に、二重の意味で衝撃を受けました。
「Brakeless」

この予告編は英語ですが、
まず、最初の画面で「Delay 80 seconds」と出ます。
そして、ナレーターは “ just a delay 80 seconds”
と言っています。

そう、たった一分20秒の遅れのために、600名近くの死傷者が出るわけです。

このあと、この予告編のナレーターは、00:15のところで
“Japanese dedication to efficiency, precision and punctuality is a matter of national prior.”
と言っています。
「効率性と正確さ、そして時間厳守への日本人の貢献は、国家の優先事項なのだ」
という事ですね。

まさにズバリ本質を突いているとともに
こういう指摘が日本自身で出来ずに、
海外のドキュメンタリーに頼る事実にも少なからずショックを受けました。

もちろん、今日も様々な記事や番組で取り上げられるでしょうし、
さっきケーブルテレビでやっていた番組では
事故で脊髄損傷を負った方が、事故にも負けず前向きに生きている様子が放映されていました。

そういう側面は大きな励ましになると思います。
と同時に、この事故が引き起こした本質とはなんなのか、
という視点を持つ事、
この事故に限らず、原発事故もそして多くの公害問題なども含めて
「本質的な原因への言及」が、日本社会で真剣になされているとは言えない事も事実です。

木村奈緒さんは、上智大学文学部新聞学科を卒業されている若手のホープです。
ちなみに、展示は絵やオブジェも飾ってありますが、
様々なインタビュー記事が提示されている様子は、
さながら壁新聞です。

プリミティブなジャーナリスティックな展示を、
このデジタル時代に示された事は意義あることだと思いました。
また、私も含めて、多くの大人が作って来てしまった今の日本の疲弊した社会システム。
とにかく「忘れやすい」この社会で、
いま、この問題を「忘れないで」という事はとても意味のある事だと思いました。

↓会場で頂いた、「忘れないで」と書かれた栞と展示説明。
IMG_0206

驚異の生態をドローン映像が捉える、映画「ミツバチの大地」

去年見た映画で、評をを書こうと思っているうちに時間が過ぎてしまったのだけれど、
「官邸ドローン事件」で思い出したので、
映画「ミツバチの大地」について書いておきます。

実はこの映画は、
秀作ドキュメンタリー映画 その①「鳥の道を越えて」
の前に見ていて、
秀作ドキュメンタリー映画 その②、とでも題名をつけるはずでした。

この映画は、
一言で言えば、ドローンだけではなく、
様々なハイテク映像や機器を使って、
ミツバチの生態に迫る映画です。

特にドローンを使って撮影した
ミツバチが飛びながら交尾する場面は、
多分世界で初めて捉えられたものでしょう。

この映画のマークス・イムホーフ監督のお祖父さんが
養蜂に関わっていて、話しはそこから始まります。
監督はミツバチを巡る現在の状況を捉えるために、
世界を4周してこのドキュメンタリー映画を作ったのだそうです。

「ミツバチの大地」公式サイト

見どころはいくつかあります。
1)小型ヘリコプターや無人偵察機(ドローン)、そしてマイクロレンズを使った、ハイテク映像。
2)ミツバチの生態とその驚異的な働きを知ることができる。
3)人間とミツバチの切っても切れない繋がりが確認出来る。

そしておまけですが
4)世界の食料庫と言われるアメリカの大規模農業の
意外なほどの脆弱さが垣間見られ、考えさせられます。

さて、ハイテク映像について。
この映画の撮影について(公式サイト)
以下のポスターはまるでイラストのようですが、
飛ぶミツバチをドローンで並走させて撮影します。
ミツバチというのは、空中で交尾するのですね。
その映像も見事に捉えています。

    

また、監督が撮影に地球4周するには訳があって、
様々なミツバチのエピソードが紹介されます。

ミツバチの能力について。
ミツバチは自分の位置をどうやって知るのか、
仲間への情報伝達はどうやるのか、などは
ドイツ自由大学の神経生物学者のメルツェル教授のフィールドワークが紹介されます。

アメリカと中国にはミツバチがいないという驚きの話しも。

中国では毛沢東の時代、穀物を食べるからとスズメが徹底的に駆除されたために
昆虫が大繁殖してしまい、それをまた駆除するために大量に農薬が使われたそうで、
そのためにミツバチがいなくて、人間が受粉作業をするらしいです。

そして、実は、新大陸にはミツバチはいなかったので、
カリフォルニアアーモンドやらアンズの花の受粉のために
毎年ミツバチが輸入され、養蜂家が花が咲く時期に合わせて
トラックでミツバチを運んで受粉させる、のだそうです。

その一方で、女王蜂を育て、世界58カ国に輸出しているオーストラリアの養蜂家母娘は
手作業で働き蜂を女王蜂にしていきます。

片やトラックで巣箱を運び、片や拡大鏡で覗いて働き蜂を女王蜂にする。
そのギャップが興味深かったです。

ところで、この映画の最期には、
ミツバチの免疫システムを研究しているバーバラ・イムホーフ博士が出て来ます。
監督の娘さんです。
監督のお祖父さんの話しから始まった映画は
自分の娘さんへ、そして孫へと引き継がれるところで終わります。
家族史の面も持つ映画なのですね。

さて、「官邸ドローン事件」で、
ドローンは一気にネガティブな印象が植え付けられそうですが、
この映画のミツバチとの並走だけではなく、
「鳥の道を越えて」にも空撮がありました。
ドローンはもう映像の世界ではなくてはならないものになっていると思います。

それにしても、ドローンひとつで上へ下への大騒ぎになる官邸、
とても、自衛隊の海外派兵なんて、出来るとは思えませんけどね。

(参考)
ネオニコチノイド、ミツバチ大量死の原因とされる農薬がカナダ・オンタリオ州で規制

皆既月食、見られるかな。晴れるといいね。

今晩は、皆既月食だそうですが、お天気が心配ですね。
晴れるといいな、と去年の記憶も交えてフクロウと月食を組み合わせて
描いてみました。

20150404owl

↓ この「暦の科学」は国立天文台の暦計算室長による、暦の本です。

暦の歴史や、曜日の成り立ち、という人間社会のエピソードと
暦や月の満ち欠けや、なぜ一年が365日なのか
といった科学的な説明が図入りでされていて、
科学の本としても、人間社会の歴史としても読める本です。
この機会に、改めて、日の出日の入りについてや、
春分の日の話しなど、暦と天文について知りたい方にお薦めです。
星五つ。★★★★★

で、著者が所属する、国立天文台のサイトです。

上記サイトより抜粋。

今日の一枚
皆既食ばかりでなく部分食の始めから終わりまでを、日本全国で見ることができます。皆既食の継続時間は約12分間です。

主な時刻は以下のとおりです。日本中どこで見ても時刻は変わりません。
部分食の始め 4日19時15.4分
皆既食の始め 4日20時54.2分
食の最大(食分 *) 4日21時00.2分(1.005)
皆既食の終わり 4日21時06.4分
部分食の終わり 4日22時45.1分

前回日本で見ることができた皆既月食は2014年10月8日に起こりました。
次回日本で見ることができる皆既月食は2018年1月31日に起こります。このときも今回同様、皆既食ばかりでなく部分食の始めから終わりまでを、日本全国で見ることができます。

晴れるといいですね!

ヴァーチャルとリアルの界面を泳ぐ作家たち

日曜日29日は、両国にあるアートトレイスギャラリーで開催されている
「その界面を泳ぐ」 展を見てきました。

面白かったです!

と言ってもあと二日で終わっちゃうので残念。
しかも、おばかな私は、iPhoneで写真を撮るのを忘れたので
文字だけで、「何が面白かったのか」を書かなければなりません。

ご案内のハガキを頂いて
「その界面を泳ぐ」 展、という題名に、まず惹かれました。

しかし、即物的な私は、その題名から一番に想像したのが、
海を泳ぐ人が海面から顔を出しているところ。
まさに液相である海を泳ぐ人が気相との界面から顔を出して息継ぎしているところ。

とほほ、、、なんと言う貧困さ。。

自分のイメージの貧困さはさておいて、
出品作家のアイデアや知識の広さは
素晴らしいものがありました。

一言で言えば、
ヴァーチャルとリアルの界面を泳ぐ作家たち
でした。

「界面」というと、
実相ーー気相と液相、液相と液相、液相と固相、
固相と固相の二相間で形成されるーーしか思い浮かべない私でしたが、
「界面」は英語では「interface」。
interface、と言えばパソコンの画面ですね。
まさにデジタルなヴァーチャルと、リアルの「界面」。

作家さんたちには、むしろこちらの「interface」こそが「界面」
として先にあったのかもしれません。

例えば、
ムカイヤマ達也さんの
圧縮されたデジタルデータの捨てられた部分を
ドットで再現した油彩作品。
(ネット上に写真見つけました。)
色がデジタル風味で再現されていて、しかも四角いドットは相当に根気を要するものです。

飯野哲心さんの、
自分をヴァーチャルゲームのキャラクターに仕立て
そのゲーム画面を一センチ四方木片のピクセルを埋めたという
縦横3メートル弱くらいの大作。
(やはりネット上に写真を見つけました。)
横からの写真もあって、、、
まるで、高層都市の遠景ですね。

かと思うと、
赤松音呂さんの
目に見えない地磁気で揺らぐ、蔀(しとみ)の中の風鈴
磁場との界面。

この作品は、私に
以前記事にした、重力だけで重い石を空中に止める
カナダのパフォーマー マイケル・グラブ (Michael Grab) の
「重力接着 (Gravity Glue)」
のことを思い起こさせました。

私たちは、普段は全く意識しないけれど、
重力やら地磁気やら様々なチカラに取り囲まれて生きています。
重力というチカラは、すごく不思議で、
スペースシャトルにしても、驚くほどのエネルギーを使わなければ
地球圏から出て行けないのに、
かといって、冷蔵庫のマグネットが落ちるほどの強さではない。
しかし逃れられず目に見えない。

そして今回
赤松音呂さんは、目に見えない地磁気を
眼前に表出させてくれました。
竹で組まれた蔀の中で、地磁気の風でたゆとう金属製の風鈴。
色からすると銅板か真鍮でしょうか。

伝書鳩は地磁気を感知して場所を知ると言います。
気象庁 地磁気観測所サイト
N極とS極が入れ変わる、という地球の現象もあるようで
そんなとき、赤松さんの作品は、どんな風に揺らぐのでしょうか。
是非見てみたい。

そして、高田慶実さんの
震災の様子を経文のように墨で綴った渾身の作品は、
人間社会と自然との界面のコンフリクトを記してくれたのでしょうか。

また太田翔さんは
ペン(だと思う)で微細に描きこまれたビル群の絵と
ETを想起させる不思議な人形オブジェを出品されていて、
いくつかの作風や素材にまたがる作り手の心の界面を見せてくれます。

さて、
私がわりと作品を写真に撮るのを躊躇いがちなのは
やはり著作権の問題があるからですが、最近はiPhoneの登場で、コンサートなども、
スマホや携帯に限って写真撮影可にしているところもあるようです。

ブログに写真を載せないのは、読み手に余り親切とは言えないけど、
しかし、実物も見てもらいたいし、で悩むところではあります。

でないと、作品との出会いが、「確認作業」になりかねないからです。

今回は、会期も短いので、
写真は
misonikomiodenさんにリンクさせて頂きました。
ありがとうございます。

地味だけれど革新の仕事、浅見貴子さんの展覧会はお薦めです

このブログを始めていらい、
現代作家の展覧会を紹介したことがほとんどありませんでした。
一昨年森美術館で開催された「会田誠展」ぐらいでしょう。

今日は、アートフロントギャラリーで開かれている
「浅見 貴子 個展  光合成」を拝見して来たのでご紹介します。
(お名前は「あさみ」さんではなく「あざみ」さんと読みます)

お薦めなので、
東京近辺の方は渋谷方面に出た時に、ぜひ代官山まで足を伸ばして下さい。

本当は、なんの既成概念も持たずに見てほしいので、
以下に書く事は、まっさらな心で見たい人は読まないでね。

…………

何がお薦めなのか。
まず第一に、表題にあるように、地味にコツコツと積み重ねていらした作家さんだし、
作品も墨や胡粉を使った全く気をてらうところがないのだけれど、
その仕事は革新的です。

恥ずかしながら、私は、昨年の反戦展でご一緒するまで存じ上げていなかったのです。
ただ、反戦展で搬入の時に、初めて作品を拝見した時に
知らないけどすごい作家さんがいる、と深く心に刻まれました。

そしてその後、直接お話をうかがう機会があって
是非展覧会の時には拝見したいものだ
と思っていました。

何が革新なのか。

技術的には、紙の裏から描く、という事をされています。
和紙と墨だから出来ることですが、
この発想はなかなか出ないものです。

失敗に失敗を重ねて、ある時これいいじゃない、
と始められた技法のようです。
セレンディピティですね。

そして私が一番唸ったのは(ちょっと悔しくもあるくらい)
その裏から描く、という技法だから出来たことなのですが、
実に軽々と抽象と具象の壁を乗り越えて、表現されている事です。

基本的には浅見さんの作品は具象です。
しかし、現在の技術にたどり着く前の作品も拝見したのですが、
対象を純化する事に長けていらして、
対象のエッセンスを表現される事でそこに抽象性が生まれるのです。

これは私自身が、とても勉強になりました。
そして私に足りないところ。痛感しました。

今回の展覧会はコンテンポラリーアートのギャラリーでの開催です。
といっても浅見さんの仕事は、いわゆるコンセプトアートとは逆のベクトルで、
手と目の仕事です。

ギャラリーの解説に「光と風を織り込んだ」とあるように、
まさに、フィジカルにからだごと風を感じ、光を捉えて
手が画面を再構築して行っているのです。

基本にあるのは、デッサンです。

浅見さんも
 「デッサンから作品になる過程は言葉で表せないけど、
でもデッサンがないと出来ない」

と仰っていました。

実は、会場で浅見さんとはいろいろなお話をしたのですが、
ブログに記事を上げる事を思いついたのが、
ほぼ帰りかけのころだったので、
もっといろいろ伺えば良かったな、と思っているところです。

それに、私はまだまだ人の話しを引き出すのが上手くないです。
インタビュアーとしては、全くダメでした。
つい自分が喋っちゃうのね。

最期にiPhoneで撮った会場の思わせぶりの写真を載せておきます。
ぜひぜひ、会場に足をお運びください。
FullSizeRender

私も描くぞ、パワーを頂きました。

川を遡る船のように突然現れる何か

久しぶりの存在証明です。
更新しない間も、検索エンジンから来て頂いていて、
過去記事も生きるブログならでは。
検索文字も、ネット詐欺から山茶花デッサン、まで多彩です。

ほんとうは2月に入ったら、どんどん更新する予定でした。
記事も下書きがいっぱいあって、清書すれば上げられるものが10本位たまっている。

でも、いつもパソコンの前で考え込んでいました。

あまりに現実が浮世離れしていて
(という言い方も変だけど)
劇画みたいで、
ホントこの先、日本はどうなっちゃうのだろう。
出るのはため息ばかり。
全然言葉が紡げない。

歴史の海のただ中にいると、なかなかそれを自覚するのは難しい。
パリに客死した思想家の森有正はエッセイの中で
流れているのか流れていないか分からないような時間の動きを
セーヌ川を遡るバトームッシュ(遊覧船)の動きに例えています。

川の流れに添って(上流から)下る船は目の前をすーっと通り過ぎていくのに
遡上して来る船は彼方から移動して来るのに、ほとんど動いていないように見える。
書物に目を落して、ふと目を上げると、まだ、動いているようには見えない。
そんなことを繰り返して、まだ来てないだろうと思って顔を上げると
今度は船はほとんど目の前に来ていて、驚く。

本来、時の流れというのはこういうものなのでしょうが、
今の政権になってから、
日々の変化がすごくて毎日が歴史のただ中という感じ。
その波の強さに個人ではとても抗しきれなくて
苛つくばかり。

多くの人が、自覚するしないに関わらず
似たようなイライラ感を抱えているから
街に出ても何となく殺伐としているし
テレビやニュースもその時々の誰かを叩くことに熱心。

株価は上がっていると言うけれど、
散歩していると街は空き家が増えているし、商店街もなんだか活気が乏しい。
実感とニュースが違いすぎるのですね。

原油が下がっているので、
なんとか円安でも息継ぎが出来ている。
でもそれは、裏を返せばアベノミクスが破綻しているにもかかわらず、
延命している理由で、それも後から影響が出そうで怖い。

たったひとりの息をを吐くように嘘をつく政治家によって
ここまで国が変わることを目の当たりにすると、
本当に政治って大事だな、重要だな、と思う。

しかし、一方で、どんな局面でも日常は続くんだな、
とも思う。
先の森有正の例えだと、
セーヌ川の流れが日常だとすると
バトームッシュはなんなんだろう。

ああ、もしかすると「戦争」かもしれないし「改憲」かもしれない。

まだだまだだ、と思っていると、
もう目の前。

何が気に食わないか、と言うと、
「改憲」したいならコソコソしないで堂々と発議すれば良いのにしないこと。

結局嘘をつくのも、国民に都合が悪いことだからですね。
そうやって進めることはろくでもないものに決まっています。

明日から3月。
3月決算の単年度の日本は、一月行った、二月逃げた、3三月去った
と言います。

しかし日常に長されつつも、時々バトームッシュの動きを確認することが
とても重要な新年度になりそうです。

最後に2007年に第79回アカデミー賞外国語映画賞を受賞したドイツ映画
「善き人のためのソナタ」をご紹介しましょう。

このところの急速な時代の流れを
どういう形で言葉にできるか考えていた時に
急にこの映画を思い出したのです。

この映画は東ドイツ時代の監視社会を描いた秀作です。

言いたい事が言えない監視社会。
強固な共産主義体制を敷いていた旧東ドイツには、
その統治機構の中枢をなしていたシュタージという組織があり、
芸術家や西側の情報を手にする人たちを監視活動していた時の話しです。

この映画を見た時は全くの別の世界の話しと思っていた社会が
実はそれほど遠いところのことではなかったのだとも思います。
ほんとうに日常と非日常は地続きなんだと思いしらされています。

この「善き人のためのソナタ」では、そのシュタージの工作員が、
西側と通じているという小説家の監視を命ぜられます。
その盗聴のための工作など「ここまでやるか」感があって驚きです。
ところが、工作員ヴィースラー大尉は、小説家の生活を垣間見るところから
少しずつ心が揺らいでいきます。

そのキッカケになるのが、美しい音楽なのですね。
美しい音楽に心をゆらされるシーンは秀逸です。
その変化の様子をウルリッヒ・ミューエという東ドイツ出身の俳優が演じます。
ウルリッヒ・ミューエ自身、東ドイツ時代シュタージに監視されてたと言っています。

この映画、監視だけではなく愛もあり裏切りもあるのですが、
結末がなかなか良いのです。
お薦めです。