カテゴリー別アーカイブ: わかりやすい絵の話

アートな一期一会 / 紅葉とドングリの図

今日の一枚

画用紙に水彩、色鉛筆、ペンと顔料インク

画用紙に水彩、色鉛筆、ペンと顔料インク


赤や黄色に色づいた葉っぱが
ハラハラと舞う季節です。

これから一ヶ月、冬至まで昼間の時間がドンドン短くなります。
4時には暗くなりますから、
ちょっと時間を損したような気がするくらいです。

しかし、
インターネットのなかった時代は、
ほんとうに「秋の夜長」でした。

ちょっとしたことが簡単に調べられるようになった反面、
気をつけないとSNSで過ごして、
長い夜が味わえなくなっているのかもしれません。

一期一会の感動

さて、時間ではなくお金の話です。
今から考えると不思議なくらい
お金は汚いもの
だから売り絵は描いちゃいけない、
みたいな風潮が長らく美術界にあったように思います。

美術界だけではなく、
「お金のために働いてるんじゃない」
という一種の気概が、日本をGDP世界一に押し上げたのは確かです。

しかし、皮肉なことに、それがそのうちサービス残業に化け、
過労死なんて言葉まで生む状態に繋がって行きます。

そしてむしろ、311以降には
私たちが思っている以上に、日本社会が拝金主義になっていたことを
思い知らされます。

まさに「命か金か」みたいな状況が出現したわけですが、
今日は、話をアートに限りたいと思います。

資本主義社会である以上、
すべてのものと交換可能なのが
今のところ貨幣しかないので、
人の能力やアートの価値も「お金」で換算される、評価される、
というのが基本です。

それは必然的に「売れる」ということを意味します。
「売れる」ということは、もちろん凄いことです。

というのはやはり、
人は自腹を切ったものに対してはそれなりのコストパフォーマンス
を要求しますから、対価に対しては評価が厳しくなります。

ですから、売れるものはある程度以上の評価がある、
と考えていいと思います。

しかし一方で、
資本主義とは、資本側が非常に恣意的に
その「売れる」状況を作れることも意味します。

言わばマーケティングです。

特に、テレビと徹底したマーケティングに免疫のない日本社会は、
資本の雨霰と降り注ぐ情報の送り手側が、
かなり恣意的に、その「売れる」状況を作ることができます。

アートの場合、
もちろん基本はその作家の作品の評価です。
作品が一定水準以上でなければ、
売りようがありません。

しかし、最近はやたらと
「物語り」を流布することで、
作品の評価とは別の意味合いを、その作家の存在に持たせることもあるようです。

例えば,日本画家松井冬子さんの場合、
ご本人の作品を語る時になぜか、
「美しすぎる日本画家」と言った形容詞がつけられます。
そしてその絶世の美女が、何浪もして芸大に入り、
女性として博士号を初めて取った、
となれば、話題につきません。

誰でも、美人は好きです。(笑)
そして、松井さんは本当に美人。
でも、その事と、松井さんの作品の評価は関係ありません。
松井さんの絵が売れるのは作品がいいからです。
でも、展覧会場に沢山人が行くのは
もしかしたらマーケティングの成果かもしれません。

実は私たちは、作品と作者を結びつけがちですが、
これはあまり作品鑑賞にはいい影響を与えるとは思えないのです。

もちろん、作者の人生があって作品があるわけです。
それでも、
まず純粋に作品に接することを習慣づけたいです。

時代背景など知っておくと理解が深まる、
ということもあります。
それでも、
なるべく初めてのデートをするような気持ちで
作品と接してみてほしいと思います。

5年ほど前に、夫とフィレンツェに行ったことがあります。
ルネッサンスへの道を開いたとされるマサッチオの壁画を見に
教会へ行ったところ、
その肝心なマサッチオの絵を見ずに、夫はひたすら天井を見ているのです。

どうしたのか訊ねたら、
「凄いね〜、この教会、外から見ると3階建てなのに、中は五階建てなんだね」
と言うわけです。

その丸天井には、壁画がが描かれていたのですが、
柱や破風が描き込まれていたので、
さらに上の階がある、と夫は思ってしまったのです。

簡単に言えば「騙された」のですが、
しかし、その時の夫の感動は本物のわけです。

その後、天井画で有名な教会へ行っても
夫はもう、それが絵だと知っていますから、
絵にしか見えません。

一期一会。
その時かぎりの感動。
絵やアートだけでなく、
音楽や文学にもあるでしょう。

情報過多の時代、
あえて物語りに耳を傾けない方が
心の目で作品を見ることができ、
いい出会いがあるかもしれません。

ネットの無かった時代、
長い夜に読みふけった本が
一生の友になるように。

↓ 猫好きの方へお薦めカレンダー

私がツイッターにハマるわけ / イヌタデとツユクサの図

今日の一枚
アルシュ紙に色鉛筆、水彩、ガッシュ

アルシュ紙に色鉛筆、水彩、ガッシュ

私は、何故か、花の咲かない羊歯や路傍の小さな野草に引かれます。
今日は、イヌタデとツユクサ。

庭のヒメコブシの木の下に、モサモサとまとまって
イヌタデが生えて来て、そのピンクの実をくねくねと
お互いに絡ませます。
その間に覗かせたツユクサの透明な青が印象に残ったので
描いてみました。

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さて、SNSは、ミキシィ、フェイスブック、LINE
などいろいろありますが、私はやはりツイッターが一番好きです。

ツイッターの面白さは、その開放性と機能性、速報性です。
ミキシィなど前者三つは基本的には、現実での人間関係をネットに反映して広げたもの。

しかし、ツイッターは全く知らない他人と、
140文字の文章だけで交流出来るものです。
登録すれば、ロム出来るし、
別に交流しなくても自分で呟くだけでも良いし、
フォローしあえば、ダイレクトメールも送れる。
アカウントが匿名でも登録出来る事も多くの人の敷居を低くしているでしょう。

聞いた話では
ミキシィは大学生に人気、
ファイスブックはビジネスマン、
LINEは中高生とか。

いずれにせよ同じような境遇だったり、
価値観の人たちが集う事が多いでしょう。
一方、ツイッターは、実に多様な職業や年齢の人たちの
幅広い意見や考えを読むことができます。
タイミングがあえば、リアルでは知り合わない人とも
会話を交わすことができます。

いろんな人がいて、いろんな考えがある、
という当たり前の事を
ツイッターは教えてくれます。
実は日本には多様な意見と能力に溢れているのだ、
と毎日思い知らされています。

特に普通の市井の人々のツイートがすばらしいのです。
目から鱗、ということも度々です。

この多様性こそが私がツイッターにハマる
大きな理由です。

しかし一方で
冷蔵庫に入った写真をのせるとか、
有名人のクレカのサインをのせるとか、
非常識極まりない使い方をする人もいるし、
Lineではつい最近は高校生が殺されるという悲劇まで起こりました。
本当に悲しい事です。

拡散、コピーというのはネットの宿命です。
ネットに載せたものは、たとえミキシィ、フェイスブックでも
コピーされたらおしまい。いくらでも流出します。

私がかなり心配するのは、
可愛いのは分かるけど、自分のお子さんの写真を顔が分かる形で
アップする人が意外にいる事。
これは、出来るだけ止めた方がいいでしょうね。

あと若い女性は、今どこにいる、なんて移動する度に呟くのは絶対止めた方がいいです。

「ネットに一度あげたものは消すことは出来ない」
「世界中の人間が見ている」

と思って記事も写真も呟きもアップするくらいが良いかな、
と思っています。

それでも、基本的なやっちゃいけない事を押さえておけば、
ネットは素晴らしいものです。
集合知です。
専門家の論文から、アイドルの呟きまで読めます。

おまけに、ブログなど、自分自身がメディアになる事も出来ます。

道具は何でも使いよう。

特性を知って、そのためには少しは調べて、
うまく使って行きましょう。

そうそれから、私も時々やっちゃうけど、
時間管理。
これは中高生でも問題になっているようです。

私の場合は、職場以外は、夕方までパソコンは開かない、
そしてスマホは持たないことにしています。
と言っても、調べものが出来て開いて、ツイッター覗いたら会話が弾んで……、
みたいな事は少なくありません。

ツイッターをブログの宣伝だけに使う人もいるけど
それももったいないような気がします。

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スケッチのコツ、差異の目と統合の手 / ハザ掛けの図

昔懐かしい、
稲をハザ掛けにして干している様子です。

紙に水彩と色鉛筆

紙に水彩と色鉛筆

このハザ掛けは横に20メートルくらいはあるでしょうか。
それをやはり20メートルくらい離れたところから描いています。

どれほどカメラの技術が進んでも、
こういう構図は絵の方が遥かに得意です。

むしろ絵が得意、というよりは、人間の目の方が
カメラのレンズより得意、という事でしょうか。

絵の補助にと思って始めたカメラも
一万枚くらい撮りました。
少しカメラに慣れて来た、という感じでしょうか。
デジタルカメラはいくら撮っても捨てられるので
とにかく撮ります。
だからうまくならない,という見方もあるようです。
銀塩写真のように結果が出るまで分からないうえに、
現像や焼き増しにお金がかかれば緊張して
必死に考えて撮るから上達するというのもわかります。

でも私は、デジタルカメラに感謝です。
最近は,動くものは動画に撮って家で繰り返し見る
という事もするようになりました。

昔の人は,時間もあったし目も良かったのだなあ、
と改めて思うこの頃。
伊藤若仲さんにも歌川広重さんにも酒井抱一さんにも
リスペクト、深い深い尊敬の念を抱きます。

人間の目とカメラのレンズの話ですが、
上のような構図の場合,横を全部入れようと思うと、
カメラは広角にならざるをえず,どうしてもゆがみが出ます。
35ミリくらいで撮ろうとすると,何枚かに分けないと難しいです。
その点、人間の目で見て描く絵は,無理なく全体を描くことができます。

よくデッサンの本を見ると、
片目をつぶって鉛筆など長いもので測る,という場面が出てきますが、
私はほとんどモノを使って測る事はありません。
何故なら,人間の目は「差異」にものすごく敏感で
目の前に本物があるなら、下手に測るより
自分の目で繰り返し見た方が,違いが分かります。

銀行の事務員が印章の確認に紙をパタパタさせて
残像で確認するのも、人間の目が私達が思う以上に
差異に敏感である事の証左だと思います。

ただちょっとしたコツはあります。
絵から離れて、対象と距離を置かずに見比べられる状態にする事です。
極端にいえば、対象を見てから背中においた絵を見くらべても
小さな差異は見つけにくいです。

印章の紙をパタパタするように、
対象と絵を見比べる時にあまり目を動かさなくて
いい状態で見比べる事が肝心です。

さて、鉛筆で測る時にはたいがい片目で測ります。
当然の事ながら視点もずれます。
正確に測ったつもりでも狂いが出るのは、
片目で見るからですね。
片目になる度に対象物は、私の脳の中で移動します。

目が差異に強いのは形だけではありません。
色もそうです。
人間は2万色以上の色の差異を見分けられると言います。
最初に絵の具を買うとだいたい12色の基本色です。
もちろん、3原色(青赤黄)が有れば絵は描けるのですが、
混色すれば濁ります。
(今は子供用の濁らない絵の具,というのもあるようですが)
濁るけれども、私達は少しずつ色が変化して行く事が認識出来ます。
わずかな混色による差異も、人間の目はわかるのですね。

さて、その 「目の」見たものを脳が処理して
手が画面に色や形を再現して行きます。

この時に気をつけなければならないことがあります。
目と違って,手というのは差異より統合する力が
働く器官のようなのです。

どういう事かというと、
繰り返しとか左右対称など統合された形を手は好むのです。
見た通りに描いているはずなのに、
手は目が認識した差異をなかなか再現してくれません。
ついつい繰り返しや同じような形になって行くのです。

人間が作るものには繰り返しや左右対称が多いのは、
建築物を見ればわかる事です。
一方,人間も含めて自然のものには同じ繰り返しや
完璧な左右対称はあり得ません。
直線や円、球体も人間世界にしかないものです。

養老孟司さんの「唯脳論 」で
人間の頭の中には、こういう自然界にはない形態が
プログラムされているのではないか、
という一説を読んだことがあります。

それは確かめようもない説ですが、確かに
目は明らかに物の形や差異を見つけているのに
脳というフィルターを通すと、手が再現するときには、
統合の方向に向かうのかもしれません。

とすると、どうすれば良いのか。
自分の描いた絵を見て,改めてその絵の中に差異を見つけ出し,
修正する作業が必要になります。
「絵がうまい」というのはこの作業が出来るかどうか、
なのだと思います。

そしてこの時点までの認識や作業手順は
訓練すれば手にすることができるスキルのような気がします。

ただ、形や色がそのまま再現されたからと言って
対象の持つ魂や命の輝きが写し出せるとは限らないのが
絵の不思議なところです。
多分写真もそうですね。

自分が描いているときを思い出すと、
見たものを脳のフィルターを通る時になにか
化学作用が起きて、手にそれが伝わっていく、
そんなことが起きているのかもしれません。
もうその時には、形の再現には手がこだわっていないことが多いです。

さて,今は田舎でも珍しくなったハザ掛けの様子は、
今週末くらいまで東京港野鳥公園の自然生態園で見られます。
運が良ければ、エゾビタキなどの旅鳥も見られるかもしれません。

   

魚,草花,猫,秋の展覧会3つ/センニンソウとキタテハの図

芸術の秋です。

日本の近現代の画家の展覧会を3つご紹介します。
連休にいかがでしょうか。

残りの会期が短いものから紹介して行きますね。

まずは、魚の絵。
東京ステーションギャラリーで、明後日23日まで開かれている
大野麥風展「大日本魚類画集」と博物画にみる魚たち
から。

これは、私は今日見てきました。

前半は日本の草本学や博物画の展示です。
特に39歳で2001年に亡くなった
甲殻類の博物画家、杉浦千里は一見の価値ありです。
杉浦千里作品保存会サイト
アクリル絵の具で描かれた写真かと見まごうばかりの
細密画は海外での評価も高いようです。

で、後半の『大日本魚類画集』も見応えあります。
というか、私は、細密な標本画にも脱帽なのですが、
動いている魚の一瞬をとらえた『大日本魚類画集』がとてもお気に入りです。

大野麥風さん、最初は地味な絵描きさんだったようですが、
関東大震災で関西に越してから、釣りを始め
魚にのめり込んだようです。
実際、素潜りなどもして観察したみたいで、
ラッセンの日本版とでもいいますか、
ダイバーが潜って描いたような魚の表現が
生き生きしている上にユーモアラスでもあり
とても楽しいです。

実際、魚とか鳥とかって正面から見ると何ともいえず
間抜けて可愛いんですよね〜。

また、版画の横に、魚類学権威の田中茂穂と
釣り研究家の上田尚の解説がついていて、
それが、難しい分類の話から
「子どもを生んだら逃がして、種の保存は大切」
といった今的な内容まで多岐に渡っていて、
つい読むので、結構見るのに時間がかかるかも。

それから『大日本魚類画集』の揮毫は谷崎潤一郎なんですが、
その字が柔らかくて、とてもいいのです。

東京ステーションギャラリーは
丸の内北口を出てすぐ左手に入口があります。
出口が二階で、例の新装開店の丸天井の回廊に出られます。

私は、以前フィレンツェに行った時、サンタマリアデルフィオーレの
丸天井に登ったことを思い出してしまいました。

さて、二つ目の展覧会は、草花です。
東京国立博物館の秋の特別展示で、酒井抱一の「夏秋草図屏風」が見られます。
重要文化財、と言っても、
絵的には普通の雑草が描かれているだけなんですが……。 

私は大好きなんです。

何気ないつる草が茂っている様子とか、
シダが繁茂している様子に心うち震えてしまう私としては、
一押しです。

尾形光琳の金屏風に対しての銀屏風、という見方が
一般的美術史的な見方ですが、
私的には、何気なくて蔓延るので見向きもされない雑草、
つる性のクズとかコヒルガオ、それにヤマユリを心憎いまでに
さりげなく作品に高めた一品です。

会期が短くて、9月29日(日) までです。
お見逃しなく。

最後は猫です。
東京近代美術館で開かれている、竹内栖鳳展 近代日本画の巨人
http://www.momat.go.jp/Honkan/takeuchi_seiho/index.html

代表作《班猫(はんびょう)》も重要文化財。(山種美術館蔵)
猫好きにはたまりません。
この画家の観察眼もすごいものがありますね。
ただ、竹内栖鳳は特段に猫好きだったというわけではないらしく、
猫を描く為にこの猫を飼った、といわれています。

とはいっても、古今東西猫の絵や彫刻は数あれど、
エジプトのバステト神、
ロートレックの黒猫のポスター、
などと並んで、この絵は傑出しているような気がします。

こちらは9月25日から展覧会終了まで見られるようです。

——————–
さて、私の今日の一枚は、
「センニンソウと キタテハ」
です。
センニンソウは花の盛りは終わりかもしれません。
つる性で、十字の真っ白な花は顎だそうで、
またきれいですが、有毒らしいです。
きれいなものには毒がある、というわけですね。

紙に色鉛筆、水彩

紙に色鉛筆、水彩

今週は更新はこれまで。
連休開けにお目にかかりましょう。
ではでは。

若者の街、原宿にある浮世絵の美術館

原宿のケヤキ並木はスカウトのメッカです。

スカウトとおぼしき人たちは、見かけはごく普通のお兄さんたち。
ケヤキの木の下の柵にズラリと並んで
何気なく人通りを見ている風ですが、
歩いている私の前をツツツと進んで、
左手前の女性に近づき声をかけます。
その近づき方が、実にタイミングがよくて、
芋を洗うように歩いている人の群れに
ぶつからずに、お目当ての女性に近づくスキルはさすがです。

見ていると、その左手前の女性は何人ものカメラマン(女性もいます)
やスカウトとおぼしき人たちに声をかけられています。

斜め後ろにいる私は、顔が見えないので、
きっと魅力的な顔立ちなのだろうと、
見てみたい気もしましたが、
目的の通りへの角を左に曲がらなければならず、
断念しました。

私が向かったのは、
浮世絵の美術館「浮世絵 太田記念美術館」です。

私設ですが、約14,000点もの浮世絵を所蔵している美術館です。
原宿という地の利を生かして、海外からの
観光客も大勢訪れています。

今、太田記念美術館では「歌川広重」をやっています。
あの、東海道53次で有名な広重です。

今回の目玉は「月に雁」
知らない人がいないくらい有名です。

今でこそ、この構図を見てはっとする人は少ないでしょうが、
当時は、満月をすっぱり切り落として、
望遠レンズで捉えたかのような雁をを斜めに配した大胆な構図は
本当に新鮮だったと思います。

この大胆な構図は、まさに広重の真骨頂です。
今展覧会では、この他にも、「紫陽花に川蝉」「雪中蘆に鴨」
などが陳列され、鳥と植物を配した、いわゆる「花鳥風月」の世界が
展開されています。

なんだか古そう……。

と思われるかもしれませんが、
デザインとすらよべるその斬新な構図と大胆な遠近感、
そして確かな描写力は、魅力に溢れ、都会的ですらあります。

繊細でありながら、リズミカルな筆さばきは、
西洋絵画の、対象を塊で表現する対局ですが、
実はしっかり目では塊で捉えているからこその、匠の技です。

目からのインプットと手によるアウトプットの間に
脳内で二次元変換による研ぎすまされた線が生まれるのです。

特に、鳥はじっとしていません。(当たり前ですが)
私は自分が鳥を描くようになってよく分かるのですが、
カメラもビデオもない時代に、
絵描き達はどうやって飛んでいる鳥を描いたのだろう、
と心から脱帽です。

伊藤若冲が庭にニワトリを何匹か飼ってひたすら観察して描いたことは有名です。
しかし、雁や川蝉は野鳥です。手元に置くわけにはいきません。

考えられることはただひとつ。
やはりひたすら観察したのでしょう。
目も良かったんだろうな、と思います。

それでも水鳥は、水に浮かんでいる時は割合と楽に観察出来ますが、
川蝉の素早い動きの様子など、ナショナルジオグラフィックの
カメラマンもビックリの一瞬を捉えています。

さらに想像するに、死んだ鳥を観察したりして、骨の仕組みを知って、
目の記憶と重ねあわせたりしたのだろう、
とは考えられます。

しかし、そういったしたであろう苦労や陰の努力なんて微塵も見せない
大胆な構図と、筆に足があるのではないかと思われるような筆致は
私達を魅了してやみません。

この展覧会は26日(木)まで。
700円と手頃な入場料と、広すぎない展示スペースが手軽で、
原宿に行った時にちょっと寄ってみるのはいかがでしょう。

来月は、漫画のルーツと言われる「笑う浮世絵ー戯画と国芳一門」です。
こちらも楽しみ。

なお全国には、広重を収蔵する美術館がいくつかあるので、ご紹介しておきます。
那珂川町馬頭広重美術館(トップページの落款は「月に雁」にも使われています。)
静岡県東海道広重美術館
中山道広重美術館
広重美術館

パステルで描く/枇杷の実

枇杷は、種が大きくて食べた気がしない、
と家人などは申しますが、
この季節だけなので、
やっぱり年に一度は食べたいと思う果物です。

20130615

このスケッチはパステルを使っています。
パステルは色がきれいな画材ですが、
色が落ちやすく、保存が難しいです。
保存する時は、グラシンペーパーを上にかけておきましょう。
グラシンペーパーが挟んであるパステル用のスケッチブックもあります。
固定液(フキサチーフ)を使っても完全に固定出来ないし、
色が濃くなってしまうのでお勧め出来ません。
被覆力が強いので、色のついた紙をうまく使うと
いい感じに仕上がります。

パステルと言えば、ドガが踊り子を描いたスケッチが有名ですね。
ルノアールも輝くばかりの裸婦をパステルで描いています。

枇杷の日本画作品はこちらから。
こういう小さな日本画は、季節ごとに揃えておくと玄関や居間に
アクセントがつきますね。
ご注文があればこちらから、よろしくお願いします。
(価格はこちらからご覧頂けます)

来週いっぱい、毎日更新は難しいかもしれません。
なるべく絵やスケッチだけでも上げたいな、
と思っています。

では。

「経営」も「景気」も実は絵画用語だった!?

このところ株が乱高下していて、
今日は737円安の1万3589円に下がっていますね。

以前の記事円安でソロスさんが大儲け!?で書いたように、
私は一時株を持っていました。
その時に思ったのは、株というのは
とても「空気」に左右されるものだという事です。
実質的にその会社の業績が悪化するなどの他は、
あまり関係のなさそうなことで上下します。
「人が買いそうだから買う」というのを聞いたことがあります。
いわゆる「買い気配」とはこのことを言うのでしょうか。

株は景気に左右されます。
この「景気」という言葉や「経営」という
経済用語と思われているこれらの言葉が、
実は中国の山水画から来ている、
という事を松岡正剛氏の本で以前読んだ事があります。

20130530

中国の4世紀後半の画家、謝赫(しゃかく)は
絵を描く時の理想的な制作態度として
「画の六法(りくほう)」をその著書「古画品録(こがひんろく)」
の中で記しています。

「画の六法」とは
①気韻生動(きいんせいどう)
②骨法用筆(こっぽうようひつ)
③応物象形(おうぶつしょうけい)
④随類賦彩(ずいるいぶさい)
⑤経営位置(けいえいいち)
⑥伝模移写(でんもいしゃ)
の六つ。

①気韻生動(きいんせいどう)とは
「生命観が宿るように生き生きと描かれているか」

②骨法用筆(こっぽうようひつ)とは
「力のこもった描線で描かれているか」

③応物象形(おうぶつしょうけい)とは
「描く対象に似ているか」

④随類賦彩(ずいるいぶさい)とは
「色が適切に塗られているか」

⑤経営位置(けいえいいち)とは
「前後の位置や画面構成がうまく配置されているか」

⑥伝模移写(でんもいしゃ)とは
「古画を模写して勉強しているか」

という意味です。
このことは知っていたのですが、
松岡正剛氏の花鳥風月の科学
では次のように述べられています。

松岡正剛著「花鳥風月の科学」第一章「山」p.40より
そもそも景気とは「景気」の強いすぐれた場所のことをいいます。景気とは、景色の持っているスピリットやエネルギーのこと、今日、経済社会で「ええ景気ですな」とか「えらい不景気でんな」といっているのは、もともとは風景の中の景気のことだったのです。そればかりではない。実は「経営」という言葉も山水画を描くための用語でした。
古来、山水画には六法という六つの方法があります。
4世紀後半の中国の謝赫が唱えたもので、山水画の本質に関する心得をいう。「気韻生動」「応物象形」「経営位置」「伝模移写」「随類賦彩」「骨法用筆」の六つです。このうち「気韻生動」が最もたいせつで、山水のスピリットとエネルギーはその絵にどれほど気韻が生動しているかで決まる。
しかし、その他の五つも大事なことで、とくに「経営位置」は山水画のコンポジションを作る重要な方法です。今日マネジメントをあらわす「経営」という言葉は、この山水のコンポジションをマネジメントする経営位置から派生したものでした。

松岡氏はおじさんが日本画家なのだそうで、
このあとこの本では風景画の話しに移って行きます。

松岡氏はコンポジションという言葉を使っていますが、
要するに「構図」です。
絵を描くとき、こどもの落書きでない限り
どういう構図が良いか、描こうとする主題をどこに置くか、
プロでなくとも悩みます。
途中で色を変えたり、形に変更を加えることは
少なからずあるし、ある程度は可能でしょうが、
全体の構図はなかなか修正はききません。

ビジネスでも全体を見る、という意味で「プロジェクトの絵を描く」
という言い方をすることがあります。
これから取り組もうとしているプロジェクトの
最終形をイメージする意味で使います。
絵の場合、この最終のイメージを持たないで描く事もあります。
抽象画やわざと到達地点をイメージせずに出発する事が
手法になる場合です。
例えば以前の記事、気ままにドローイング
そんな気ままな絵の描き方について書いてあります。

しかし、これがビジネスだった場合、
着地点が決まらずに出発することはありえないでしょう。
ジョブズの仕事など見ていると、むしろこの着地点から
出発しているような印象すら受けます。

社会の場合はどうでしょう。
政治の場合はどうでしょう。
「国家経営」という言葉は少し抵抗がありますが、
経済だけではなく、国や社会の今後の着地点を
提示する、という意味なら、むしろ今こそ必要ではないでしょうか。

「景気を良くする」といって
アベノミクスはメディアにもてはやされ、
確かに株価は上がりました。
しかし、福島の事故が収束しないのに
他国に原発を売りに行ったり、
再稼動すると言っています。
明らかに日本の行く末をしっかり描いて行かなければならない時に
今までのやり方で押し通そうとしていることには
無理があります。

政治家たちも日本の将来の絵が描けていないのです。

しかし、日本の将来像を描くのに
別に政治家だけに任せておく必要はないでしょう。
主権者は私たちなのだから、
こういう未来が欲しい、と絵を描いて行きませんか。
そして次の参議院選では、きちんと未来が語れる人を選びたいものです。