月別アーカイブ: 2013年5月

「木々は光を浴びて」森有正

あなたは自分の価値観や人生に大きく影響する本に
出会ったことはありますか?
本というのは顔の見えない出会いともいえるかもしれません。

私がその本と出会ったのは、
大学を出て中堅企業に勤め出して
いわゆる「五月病」っぽくなっていた時でした。

「会社社会」というのは驚きの連続でした。
私には毎日がお疲れの日々。
そんなとき、何気なく立ち寄った本屋で見つけた本が表題の
森有正著「木々は光を浴びて」
という本でした。

単純に「良い題名の本だなあ」と思って手に取ったのです。
著者が、パリに在住する思索家、森有正であることも
知りませんでしたし、
だいたい森有正という人の名前を見るのもはじめてでした。

しかし、題名に引かれてページをめくってみると、
そこには、少し難しいけれど、魅力に溢れた言葉が並んでいました。
そこで私はその本を買って帰りました。

森有正のエッセイ集のようなその本は
初版が昭和47年、私が買ったものは昭和55年の第11版でした。
多くの人に読まれた事がわかります。

森有正は「経験」について語ります。
例えば、
「経験とは、〜中略〜、自己を絶えず新しくすることである。」 ←この言葉にはグラッと来ましたね〜。
「我々の「経験」に現れることを、あらゆる注意と理解を持って徹底的に生きることである。人の言うことではなく、我々個々の中に判断の中心を確立することである」

などなど。

もともと、あまり集団の中での空気を読むのが得意でなかった私は
「会社社会」の生きにくさは人一倍感じていました。

しかし、この本のこのような言葉と出会って、
いろいろなことを経験して、いつも新鮮で、
自分で判断の下せる人になって行こう、
と思い、会社勤めも経験として行かせれば、
と気持ちが入れ替わったのです。
私にとってこの本は、まさに心に光を降り注いでくれた一冊なのです。

20130507

ただ、
森有正は「体験」と「経験」は違うとしています。
「体験」が「経験」へと変貌することが
重要で、「体験」が個人の属性であるならば
「経験」はもっと普遍的なものである、
としています。
ただ、当時は、私自身ここまで理解していたとは思えません。

と一方で、
森有正はパリで客死した人ですから、
日本を遠くから眺めて思索する日々を送って、
今改めて読み返しても、ぐさりと来るような
日本への思いが残されています。

「そういう「経験」が私どもの中で生長して行く時に、期せずして、しかも必ず、「民主主義」や「自由」や「平和」に対する何ものかが私共の生活の中に生まれて来るのを見るであろう。 〜中略〜 だからある意味で、今日こそ日本は真に自分の足を持って歩み、自分の経験を中核として自らの将来を築きあげて行く機会に再会しているのだとも言えると思う。」

この一節は、「雑木林の中の反省」という章からの引用ですが、
今の日本社会の有り様は、むしろ
このような「経験」をしないで済まそうとして来た結果かもしれない、
と思うのです。

さて、
このブログを始めたのが、1月24日でした。
それから102日あまり。
その間にアップした記事は83。

体力的に毎日上げられない事は分かっていたので
無理せず、でも自分なりに工夫して来ました。

夫以外は見に来ていない、という日もありましたが、
基本的に手は抜かずに、言いたい事を言い、
見てもらいたい絵を上げてきました。

不思議なもので、
最初はひとつ書くのにほんとうに難儀でしたが、
最近は夜寝る前にかなりのスピードで
記事が書けるようになってきました。

今はまだ、「体験中」かもしれませんが、
こういう体験の積み重ねが経験となるのでしょう。

少なくとも、体験を積み、経験を重ねることで
いつも新鮮な自分でいられるのは
ブログを書く苦労以上に素敵なことかもしれません。

英語でも内容は遥かに簡単ですが、記事をアップしました。
Trees Bathed in Sunlight

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連休最後の夜に、リラックス

連休はいかがお過ごしでしたか?

私は少々片付け疲れ。
3月から次々と咲く花を追っかけて
あちこちでかけていたら、
家の中も、またスケッチブックも、
デジカメのデータもとんでもない事に。

まだ完全には終わってないけど
次の体制が作れるまでには
片づいてきました。

アイデアも溜まってきて
それをどういう形にするのか
しばし贅沢な悩みと戯れつつ
先を考えています。

「断捨離」の宣伝がネット中に溢れるくらい
私たちは物に溢れ、取り囲まれて生活しています。

モノだけではなく、名刺やデジカメのデータなど
その場その場で片付けて行かないと
溜めてしまうとあとで大変。

でも分かっていても、つい後回しになっちゃうんですよね。
というわけで、
実は、ブログのスケッチ類も
ホームページ本体にサムネイル展示したいのですが
まだ出来ていません。

今日は、猫特集。
今までの猫の絵を集めてみました。
連休最後の夜を、リラックスして頂ければ……。

記事もよろしければお読みください。

では。

猫の手も使いよう
catfood
ニャンともデュエット(2)
子猫が餌のお皿を占領しても
手と頭を使って餌を食べるお姉さん猫。

彼女は何を見たのか?
20120210
彼女が見たものは?

家族の肖像シリーズ
今まで飼ってきたねこたちの話しです。
catfamilycol

threecat
家族の肖像(1)
家族の肖像(2)
家族の肖像(3)

子猫のワルツ
21030324b
子猫の成長の記録

だまし絵を楽しむエイプリルフール
20130401b
エイプリルフールにちょっと遊んでみました。

バリケード突破
20130405

いつも一緒
20130408

袋、大好き
20130421

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子どもの日に高校野球の話しをしてみる。

「タガメ女」関連で、まだまだ大勢の方の
ご訪問を頂いています。
ありがとうございます。

つくづくトレンドってすごいと思いました。
トレンドとか流行とかに無縁な私ですが、
たまにこういう流れにのるのも悪くないですね。

さて、
今日はこどもの日でした。
もともとは「端午の節句」が起源でしょうが、
昭和26年5月5日、「児童憲章」が制定されました。
全文は一番下に掲げておくので、
あとでご覧下さい。

社会の矛盾は常に弱いものにしわ寄せが行きます。
特に、311以降、その事は顕著に目に見えるようになってきています。

しかし、それ以前から、これって子どもたちにとって
ここまでやる意味がある事なのだろうか、
と思っていたことがあります。

高校野球です。
特に夏の高校野球。

私の懸念は単純な事です。
あの炎天下の夏の甲子園で
9回も時には10回も投げ続ける投手が
可哀想です。

高校野球が投手で決まるのは
仕方ない事ですが、
予選から勝ち抜いてくると
優勝するチームの投手はどれだけ
肩を酷使するのでしょうか。

多分高校球児は将来はプロになりたい
と思っている生徒も多いでしょう。
だとしたら、プロになるまでに
あそこまで身体を酷使する事は
選手生命を縮めることになりかねません。

20130505

確かに高校野球は夏の風物詩になっているし、
出場する子供たちにとっても夢のひとつでしょう。

そして延長戦を投げ抜く選手はまぶしいほどだけど、
その子どもの体力や肉体をどれほど消耗している事か。

しかも見ている大人たちは
冷房をがんがんかけて夏の電力消費に貢献。

一度大人はしっかりとこの問題に
正面から取り組んで欲しいな、
と昔の野球ファンは思います。

先日も、某球場で子どもが始球式で投げたようですが
ヘルメットもかぶっていなかった、
と見ていた夫が言っていました。

子どもは私たちの未来です。
少子化が問題のようです。
待機児童も減りません。

でも、ほんとうに子どもを守る気持ちが大人にあるのか
疑問に思わざるを得ない事象が結構あります。
小さな事からでも子どもを大事にして行けたらいいな、
と思います。

似たような記事
こんなに大きくなりました。

•昭和二十六年五月五日
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保証される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整った教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。

深まる緑。実行あるのみ。

5月ですね〜。
一年の三分の一が終わりました。
そして、
木々の緑がすっかり濃くなってきました。
一年で一番良い季節です。
連休もいいお天気が続きそうですね。

さて、
我が家では二匹の猫が
朝から晩まで、寝る時以外、走り回っていて、
最近は二階のベランダで日光浴を
楽しんでいます。

猫は必ず身体をすりすり地面になすり付けるので、
費用はかかるものの、ノミ予防の薬を付けています。

絵の方はお休み中の猫たちですが……。
20130501

さて、一昨日は、
「タガメ女」を読んでみました。
の記事が、
ツイッターで東大の安富歩先生に紹介されて
アクセス数がうなぎ上りでした。
スクリーンショット(2013-05-02 9.42.13)

お褒めの言葉まで頂戴して恐縮です。
ツイッターの拡散力をあらためて認識。
一晩でいつもの15倍くらいのアクセスを頂きました。
記事だけで400PV。

嬉しいのは、ご来訪頂いたみなさまに、
ほかの記事も読んで頂ける事です。

311以降、少しずつ形にしてきた事が、
見える形で自分に帰って来るようになってきた感じです。
これからも実行あるのみなんだろうな、
と再認識。

継続は力なり、ですね、何事も。
これからも、力抜いてやっていきます。

その際、
マーケティングとかトレンド、
という言葉はあまり好きではないけれど、
システムの指向性とそのシステム利用者の嗜好性を
理解して行く必要性はあると思います。

たとえば、高齢者の集まりで、
ゴスロリの話しをしても通じないわけで、
そこは相手やシステムを見て行かないと、
自分の主張や意見は気づいてももらえないでしょう。
媒体も紙媒体の方が良いかもしれない。

自分の言いたい事をどういうオブラートに包んでで提示するか、
つまりプレゼン力かなあ。
それないと、単純に側を通って行っても
見向きもされないように思うのね。

あ、ちなみにツイッターのアカウントは
2009年にとっているので、
「マダムかよこ」ではないです。

でも、ツイッターでは随分とリアルで関係が生まれて
良いおつきあいをさせて頂いている方たちが一杯いるので
アカウントは変えないつもりです。
フォロウされるなら こちら→@083melody

……ところで、
季節は良いのに、
何やら人間世界では、
いろいろお騒がせが続いています。

オリンピック誘致を巡って都知事が
ニューヨークタイムスのインタビューでの失言したり、
戦争を放棄したはずの国の首相が戦車に乗って
はしゃいでいる写真が世界に配信されたり。

そして自民党の憲法改正の怪しい内容。
そう、今日は憲法記念日。

押し付け憲法とよくいわれるけど、
実はこの憲法の作成には
日本人もキチンと関わっているんですよね。
これは国会図書館にキチンと資料が残っています。
日本国憲法の誕生(国立国会図書館サイト)

手に取って読める憲法も幾つかありますが、
憲法をまだ読んだ事がない人にお薦めなのが
この池澤夏樹の一冊。
原文と条文すべてと池澤夏樹の易しい解説付き。

良くも悪くも、
世界を意識しないわけにはいかない時代になっています。
しかし、そんな事おかまい無しに
相も変わらず日本のメディアは、
どーでも良いような事ばかり
垂れ流しています。

連休中ぐらい、
テレビ、消して過ごしましょう。

深まる緑を愛でに行きましょう。

ではでは。


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クリムトの庭


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世紀末のウィーンと言えば、クリムトです。

クリムトと言えば
「接吻」


しかし、
意外に知られていないのが、
クリムトはたくさんの風景画を残しているのです。

私が持っている画集は、
1989年にリブロポートから出されたS4号くらいの大きさの画集です。
リブロポートは、
当時は西武美術館と共に
堤清二が肩入れした文化事業の一端をになっていて、
美術・写真系関連で良い本を出していました。

アマゾンで探しても同じものはマーケットにもなかったので、
別の画集になります。

クリムトの代表作とされる
「接吻」や「ダナエ」の背景には
不思議な模様が描き込まれています。

装飾と言っても、
ミュシャのような具体的に花の名前が分かるようなものではなく、
むしろアブストラクト(抽象的)な装飾性で、
クリムトが何をヒントに描いていたのか
分かりませんでした。

たまたま、本屋さんで風景画の画集を見つけて
パラパラとめくってみたら、
そこにはあの不思議な模様の
原点がありました。

リンゴの木や、ポピーの庭が描かれています。
「ああ、これがあの不思議な模様になっていったのね」
と一目で氷解です。

クリムトは女性像もよく描いていて、
その背景もこれらの不思議な模様で埋められています。 
でも、よく見てみると、あのクリムトの庭なのですね。

クリムトのような時代を画する絵描きにとっても、
自然というのはイマジネーションの宝庫なのですね。

さて、先に名前を出しましたが、ミュシャ展が5月19日まで開かれています。

ミュシャはサラベルナールのポスターであまりに有名になってしまいましたが、
今回の展覧会は、<スラブ民族への愛>という
ミュシャのもうひとつの面にもしっかり焦点が合っているようです。
見応えありそうですね。

クリムトやミュシャの話しの後になんですけど、
私の描いた女性像を最後に載せておきます。
私もシダや花と女性を、
金の屏風に仕立てたこんもりと繁る木々を
背景に描いてみました。
ちょうど20年前の作品。
大きさはF30号(910mm×727mm)です。
こちらから女性のデッサンもどうぞ。

20130430