日別アーカイブ: 2013年2月6日

見えるものと 見えないものと

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さて、今日のテーマは……?

昨日の鳥の話でも書いたように、私は基本的に、よほどの事がないと「見たことのないもの」は描かないし、写真をコピーする形で絵を描くことはありません。現場で観察し同時にデッサンしていきます。鳥のように動くものはメモ程度のデッサンになることがほとんどですが、それでも、その場で描いたデッサンには勢いがあり、息づかいが残ります。

では、「見えるもの」しか描かないのか、というと、実は「見えないもの」を描きたいのです。

逆説的ですが、「見えないものを描く」ためには、「見えるもの」はいい加減に描いてはいけないと思っています。

ただ、「見えないもの」を描くために、今後も「見えているもの」だけを描き続けていくかどうかは分かりません。

禅問答のようですね。

市場経済の中では「結論を先延ばしする」事は競争に負ける事を意味するので、こういう禅問答のような事が排除されていきます。
でも、人の人生なんて、結論のでない事ばかりです。
何かを考え続ける事は、すぐにお金になる訳ではないのであまり重視されませんが、でも結論がなかなか出ない「何かを考え続けていく事」は、確実に強靭でかつしなやかな心を作ってくれるはずです。

ところで、音楽は絶対的に基礎が必要です。下手なピアノやバイオリン、まして歌など聞かされても拷問にしかなりません。ダンスや芝居も下手なものは魅力を感じません。ところが同じ芸術でも絵は違います。子どもの下手な絵に心を動かされたりするのです。
何故なのでしょう。

実はこれもず〜っと私が考えている事です。

narccis

今日は水仙の素描です。
ちなみに切り花ではなく庭の水仙を描いたもの。地面から生えているものの凛とした感じが出ていればいいのですが。

水仙は英語でナルシスといい、ナルシストの語源になったギリシャ神話のナルキッソスの話はあまりに有名で、これを題材にした絵もたくさん描かれています。
これはカラヴァッジオの「ナルキッソス」(1598-99)。

ところが、私には同じカラヴァッジオのこちらの作品の方が、自己愛に溺れているナルシストを表現しているように見えます。
「ナルキッソス」は水を飲もうとしているだけに見えたり…。(笑)

まさに「見えるものと見えないもの」の例なのかもしれません。

・・・なんちゃって、実は私がひねくれているだけかもね。

明日はお休みの予定です。

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では。

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