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madamkayoko について

ほそぼそと絵を描き綴り、言葉を書き綴っていきます。

雑草という名の草はない

この季節、少しの緑のあるところなら、
ちょっと手入れをしないと草ぼうぼうになってしまいます。
最近は、草むしりが面倒だから、という理由で
庭にコンクリートを打つお家もあるようです。

確かに草むしりは大変ですが、
この水と太陽の光だけで上へ上へと伸びる植物の力強さは
偉大ですらあります。
結局、我々人間を含む動物は、植物がなければ生きて行けないのですから。

そして世界には砂漠化が進んでいる地域も少なくありません。
東京も今年は例年に比べて降雨が少ないようです。
庭の土も一時サラサラの砂のようになりました。

しかし、このところの雨で植物たちの元気さが甦ってきました。
この草ぼうぼう状態を見ると「描きたい!」と思う私がいます。。
そこには赤や黄色の花があるわけでもないし、
緑しかないのに、何故か、「きれいだ」「描きたい」
と思ってしまう私は、変わり者でしょうか。

やはり日本は、雨が多いから、草の緑がきれいに見えるのでしょうね。
特に何気ないどこにでもあるシダの雨上がりの翌朝の美しさは格別です。

日本には600種類以上のシダがあります。
イギリスには200種類くらいしか無いことを鑑みると
驚きです。
南半球のちょうど反対側のニュージーランドも
シダで有名です。
ニュージーランドはラグビーが盛んで、
オールブラックスのマークはシルバーフェーンです。

シルバーフェーンはほんとうに銀色に光って見えます。
日本では、イヌワラビという種類の一種でニシキシダ、
と呼びます。
「錦羊歯」と書きます。
ほんとうに金銀糸を織り出したように見えます。
意外に身近にあるので、是非気をつけて見て下さい。
実は我が家の近くにもあり、前を通るたびに楽しみにしているのですが
ほとんどの人は気がつかずに通り過ぎてしまいます。
指差して教えて上げたいくらいですねえ。

ポール・スミザーというイギリスの園芸家がいます。
宝塚のガーデンフィールズなどを手がけたナチュラル園芸家です。
彼なども日本のその豊かな緑に魅せられた一人でしょう。

というわけで今日のスケッチはイヌワラビを中心とした草々。
20130701
雑草として片付けられてしまいそうですが、
彼らに絵として息を吹き込むのもなかなかチャレンジングです。

シダの絵はこちらからご覧頂けます。

ポールスミザーの「日陰でよかった!」は私の愛蔵ムックです。

巴旦杏のスケッチ

「巴旦杏」
……

なんと読むでしょうか。

正解は「はたんきょ」。
「はらんきょ」とも言うそうです。

プラム(すもも)のことなんですね。

夫が好きで、出身の田舎では「はたんきょ」と言うのだそうで、
最初言われたときは、何のことか全然分かりませんでした。

ただ、調べてみると、私が知らないだけで、
万葉の時代に中国から伝わって以来使われているみたいです。

今、「はたんきょ」が旬ですね。
そのちょっぴり酸味がある皮とジューシーな実が
口の中で一緒になって疲れを取ってくれます。

というわけで、今日はそのデッサン、
サクランボの佐藤錦と一緒に描いたものをを上げておきます。

20130630

明日から7月。
これから暑くなるから体調維持に努めましょう。
こういう果物の果糖と酸味は気分をリフレッシュしてくれます。
あちこち冷房が効いているので、
一枚羽織るものを忘れずにお出かけください。

省エネを考える。そしてフンデルトヴァッサー

さて今、必要があって、2030年の都市生活ってどんなだろう、
を考えています。

今日、外出したら、電車もバスも冷房をかけていました。
二年前は節電節電で大騒ぎでしたが、
自民党は原発再稼動を参議院選の公約に上げており、
人々も慣れちゃって、
以前と変わらぬ生活に戻ろうとしています。
省エネとか節電って、結局続かないんですよね。

私の個人的な考えとしては、
エネルギーや食料など生命にかかわるものは
ある一定の地域内で、一定量は賄うことが
最も人間らしい生活になるだろうと
思っています。

それから、個人の節電や省エネは努力義務なので
むしろシステムそのものを変えてしまうことが
最も早道だとも思っています。

といっても、むしろ世の中の動きは逆で、
TPPとかグローバリゼーションで、
安いものを世界から買う、という方向にシフトしかねません。

だから、私が自分の考えを人に話すと、
鎖国するのか、と言われますが、
別に鎖国しなくても小さなコミュニティで賄える分だけ賄い、
足りない分は他のコミュニティや外国から取り入れれば良いだけの話しです。

例えば東京は、食料自給率もゼロだし、エネルギーも水すら自分で賄っていません。
ところが、そこにいる人たちが国家のシステムの多くを
つかさどっているわけですから、
様々に狂いが出てくるというものです。

単純に言ってしまえば、
もっと田舎や地方に様々な権限やお金を回せば、
もともと食料や水や技術はあるのですから、もっと簡単に省エネ国家になるのに、
と思うのです。
これが私の言う「システムを変える」の意味です。

原発というシステムそのものが、中央集権の象徴みたいなものですから、
地方への権限委譲が進むことは、このシステムの解体にも繋がるだけに、
なかなかその方向には行かないでしょうが。

そして、ある程度のエネルギーと食料を各地各地で賄えば
火力で使う石油や天然ガスは、今よりは少なくなるはずです。

一方で、マジで省エネ対策をしなければならなのは都会です。
私が小さかった頃は、一夏に29度になることが1、2回くらいで
大騒ぎでした。
しかし今は、外のアスファルトの熱気と室外機の排気の熱風で
都会の空気は二重三重の熱のこもり方だと思います。

地球温暖化懐疑論というのがあって、
地球温暖化は原発推進派のでっち上げだ、
という人もいるのですが、
気候が極端になっているのは間違いの無いことだと
私は肌で感じます。

さて、都会の省エネでよく取り上げられる「屋上緑化」。
これは確かにビルの室内の温度を下げたり、相当な効果があるようです。

「屋上緑化」で思い出すのが
オーストリアの芸術家、画家、建築家である、フンデルトヴァッサー。
自然を愛した彼の作風は、「自然には直線はない」として、直線を使いません。
ウィーンにある彼の美術館が「フンデルトヴァッサーハウス」
5年ほど前、ウィーンにいった時に実際に訪ねてみました。
少し歪んだ床や柱は可愛いタイルで覆われ建物のあちこちから植物が顔を出していました。

また、
晩年に作った温泉村は地面から家が生えているみたいです。
ブルマウ温泉村
これらのミニチュアの模型があってそれがほんとうによく出来ているのです。

彼が多くの作品を日本で残しているのは、
放っておけば木々が大きくなる日本に彼が愛着を覚えたからでしょうか。
そういえば日本と自然が似ているニュージーランドで晩年は過ごしたようです。

日本での作例に、TBSの「21世紀カウントダウン時計」(東京都赤坂、1992年)、キッズプラザ大阪の「こどもの街」(大阪市北区、1997年)や、大阪市環境局舞洲工場(大阪市此花区、ゴミ処理場、2001年)、大阪市舞洲スラッジセンター(大阪市此花区、下水汚泥処理施設、2004年)があります。

絵は原色でコントラストの激しい曲線を多用した
独特のアクのある絵ですね。
表現で人前で裸になるようなところもあったようで、
やはり現代の奇才の一人でしょう。
建物のように他者の手を介する部分がある方が、
面白みが出るようです。

自分で自分の首を絞める社会からの脱却は可能か

参議院で安倍首相の問責決議が可決され、
いくつかの法案が廃案になりましたが、
特に「生活保護法改正案」(正確には改悪案)が廃案になったことは
ホッと胸を撫で下ろします。

生活保護でパチンコに行くとはけしからん、とか
息子がタレントなのに親を養わないのはけしからん、とか
働けないのは自己責任だ、とか(そんなはずないのに)
いったようなことが問題であるかのように言われてきて、
アッという間に法案提出にいたりました。
霞が関は「省令で定めたものを法律にしただけ」
と説明していたようです。

しかし、この法案の核心はただひとつ
憲法第25条です。
①すべての国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する
②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

憲法ではこう謳われているのに、
年間3万人もの人が日本では自殺しています。
電車に乗れば「人身事故の遅延」は日常茶飯事になりましたが、
みんな迷惑とばかりに無視を決め込みます。

しかし、どんな人でも、人間である以上
事故にあったり、病を得る可能性はゼロではありません。

何かのきっかけで明日から働けいない、という事は
誰にでも起こりうるのです。

「明日は我が身」なのです。

つまり、生活保護とは、不正受給などがあったとしても、
国民として絶対に確保しておかなければならない最後のセキュリティーネット、砦
なのです。

それをタレント問題で騒がれたからといって、あっさりと手放すなんて、
自分で自分の首を絞めるようなものです。

この問題だけではないです。
気がつけば、私たちの社会は、
自分で自分の首を絞めることを熱心にやってきました。

日本のサービスは世界一ですが、
「お客様は神様です」の名の下に、
横暴なまでのサービスすら強要し、
労働者の労働環境は悪化の一途を辿ってきました。
多くのお客様が、同時に労働者ですから
自分の労働環境を自分で悪化させているのです。

何かクレームがつくと、次からそのクレームを避けるために
事細かな管理システムが取り入れられ、
10秒で済む手続きが1分かかったりするようになり、
長蛇の列ができたりします。

事ほど左様に
行き過ぎて、結果的に
息苦しい社会を作り上げてきてしまったのです。
このように
結果的に自分で自分の首を絞めることになる
「何でも極めちゃう」日本人のメンタリティは諸刃の剣です。
でも、多分、「道を究める」のは自分に対しては良いけれど
他者に求めちゃいけないのですよね。

さて、今回の問責決議で
発送電分離法案も同時に廃案になりましたが、
この記事を読む限りでは、単に工程表を定める法律だったようです。
政府が電力改革法案を閣議決定、発送電分離など工程表

電力の自由化も実は既に霞が関は率先してやっているし、
一足先に「脱原発」!? 霞が関の電力は東電じゃない
電力を改革するなら、原発を避けて通らないでほしいです。

というわけで、
今回の問責決議は、生活保護法改悪案を阻止した事の意味の方が
大きいと、私は判断します。

今週は重たい話しが続きましたが、次回の更新は多分土曜日あたりです。
(イラストもスキャンする時間が無かったので悪しからず。)

高齢者より若者の食事の方を心配してほしい。

外食や市販の弁当を利用する人が増えていますよね。
若い人は、長時間労働のもと、コンビニ弁当ですます人も多そうです。

以前から国民の栄養バランスについては
指針が出ているようですが、厚生労働省は
「日本人の長寿を支える健康な食事のあり方に関する検討会」
という会合で、
1回の食事ごとの食品の摂取量の基準を新たに作り、
総菜などを活用した「健康な食事」の具体的なメニューを示すことに
なったそうです。

これは、24日、東京都内で開かれた厚生労働省の検討会で決まりました。
【CBニュース】健康な食事の目安、高齢者世帯への意識を #cbnews

長生きするための「健康な食事」基準作り 厚労省検討会が初会合

このニュース読んで、正直言って、なんだかずれているな、
と思いました。
いま最も心配されるのは高齢者よりも、
こどもや若い人の食事ではないでしょうか?

最初、ニュースを読んだときは、
当然、若い人へ向けてのメッセージだと思ったのですが、
「日本人の長寿を支える健康な食事のあり方に関する検討会」
という会の名前を読んで、「何を今更」と思ってしまいました。

むしろお年寄りには、コンビニやスーパーのお惣菜や宅配をうまく使って
消費に貢献し内需拡大をはかってもらっていいのではないでしょうか。

20130322

私は、3食コンビニ弁当ですます、あるいは済まさざるをえない
若い人の食事の方が心配です。

コンビニ弁当は確かに便利ですが、栄養価でいえば、
若い人に対応出来ているとは思えません。

最も今は、冷蔵庫はもちろん鍋も持たない人もいるそうなので
自炊もままならないのかもしれません。
でも、私は、食事を全面的に外部に依存するというのは
生殺与奪を他者に預けていることになり、
最大のセキュリティーリスクではないか、
と思うのです。

大袈裟な、と思われるかもしれませんが、
実際311ではコンビニから食べ物が消えました。
ファミレスで解放したところもあったようですけど、
やはり自分の食べ物位は自分でなんとかしておきたいものです。

で、最低限、の自炊方法を書いておきます。
小さな冷蔵庫と鍋があれば自炊は出来ます。
冷凍庫付きならグッと利用範囲が広がります。

とにかくお給料が入ったら、お米とお味噌を買っておきましょう。
胚芽付きにすればビタミンも取れるし、
お味噌にはタンパク質もアミノ酸も含まれています。
これに、買ってきたお惣菜を組み合わせたり、
安売りの野菜を具にすれば、経費も節減出来ます。

お米は最近はほとんど無洗米ですからとぐ必要ありません。
まず、電気炊飯器はいりません。←これ重要
ご飯は鍋で炊けます。
というか、鍋で炊いた方が早いし美味しいです。

炊いたご飯は小分けにして冷凍庫に入れておけば大丈夫。

で、おかずはどうするか?
昔、黒柳徹子の自叙伝「窓際のトットちゃん」が
ベストセラーになったことがあります。
その中で園長先生が戦後の物資の少ないときでお弁当に困るお母さんたちに
「海と山のものを持たせて下さい」
と言います。
「海と山のもの」と言うと何やら難しそうですが、
つまり、梅干しの入ったおにぎりでも良いわけです。

私は母を早く亡くしていて、結婚する前から食事作りをしていました。
その時何冊か栄養の本などを読んで理解したのが、
「マメ」「芋」「野菜」があれば、だいたいの栄養は取れるという事です。
ビタミンミネラル炭水化物、といった考え方より覚えやすいでしょ。

単身者用の簡単なレシピも今は簡単に検索することができます。
労働条件が厳しくてなかなか自炊まで手が回らない人もいるかもしれませんが、
なおのこと、ご飯とお味噌汁ぐらいは自分でなんとか作ってほしいですね。
力のつき方が絶対に違うと思うのです。

そして最大のレシピは、人にご飯を作ってあげることです。
自分のためだけには作れない人も
人に作ってあげれば、楽しいし、美味しく食べられるというものです。

一人の時間を作ろう

今日は小さなドローイングをアップしておきます。
出来れば少しリラックスしましょう。

20130624

バブル崩壊後、この社会が最も変われるチャンスだった311すら
変に乗り越えちゃって(と言うより忘れようとして)、
「もっと便利に」
「もっと豊かに」
「もっと成長を」
という路線に戻ってしまいそうなこの頃。

でもそれって目一杯テンション高い社会ですよね。
便利になってその分時間が浮くようでいて
その実はさらに忙しくなったり。

いつ、この悲しいスパイラルから
私たちは抜け出せるのかなあ、
と考えてしまいます。

自分一人がそこから「一抜けた」と宣言することは
難しいかもしれませんが、
宣言せずに黙って「一人の時間」を作っちゃいましょう。

ほんとうは何もしないでボ〜っとする時間が重要だと思うのですが、
それが出来ないなら、少しいつもと違う行動を「一人で」とってみましょう。

会社帰りなら、
大きな図書館へ行くのも良いかもしれません。
画集を見たり出来るし、実は週刊誌や月刊誌もタダで読めます。

週末に予定を入れず、人と会わず、お弁当だけ持って
郊外の公園に行ったり、
動物園や温室に行くのも良いかもしれません。
公園に行こう
東京ズーネット

スマホは切っておきましょうね。
誰かからメールが入ったら、
あとから、「ごめん、寝てた」とか書いて返事を出しましょう。

人は変えられないかもしれないけど、
自分の時間はコントロール出来ます。

会議が長引いてイライラしたら、
一駅手前で降りて、住宅街を歩くのも面白いかもしれません。
私はよく、住宅街を一人で歩いて迷子になります。
ちょっとドキドキしてきて、五感を呼び覚まさないと
家に帰れなくなっちゃうと思うスリルもストレス解消になります。

工夫しましょう。
そして「一人を楽しみましょう」

税が給与から天引きのうちは民主主義は根付かない

この一週間、ほぼ毎日10時間くらい立ちっぱなしで
画面に向かっていたのでさすがに今日はお疲れ。
なんとか今週中に仕上げようと頑張りました。
まだ細かいところはいろいろあるけど
全貌は見えてきました。

こうやって積み上げながら、
少しずつ個展のためにの作品を溜めて行きます。
どれほどネットが発達し、ブログやホームページで
スキャンした作品を見てもらえても、
本物を見ることにはかないません。
これで今年前半の大きな目標はほぼクリアです。

制作中の作品のデッサン。 鳥の子和紙に木炭。モデルはヒカゲヘゴ

制作中の作品のデッサン。
鳥の子和紙に木炭。モデルはヒカゲヘゴ

てなわけで、6月もあと一週間。
6月は納税やら健康保険料やら年金の支払い通知書が届いたりする月ですが、
給与所得者(サラリーマン)は、ほとんどすべてが天引きされるので、
あまり関心が無いのではないでしょうか。
天引きされない人たちのところには、一年分の納付書が「ドン」と送られてきます。
その納付書を見るとほとんどの人が頭に血が上るはずです。

ところが、サラリーマンは月々天引きされるから、
自分がどの位払っているのか分かりにくくなります。
もちろん年末調整やらで源泉徴収票があとから、
総務部などから回って来るはずですけど、
もう払っているから、あまり注意して見ない人が多いのではないでしょうか。

今日、ツイッターで知ったのですが、この給与の天引き制度と言うのは
戦時中の制度なのだそうです。
徴兵で人手が不足していたという話で、戦時の応急措置だったそうです。

税務署からすれば、この代行徴収制度はやったらやめられないほど便利なはずです。
私は小さいとはいえ法人の事務をしていますから、
法人の源泉徴収制度も概観をわかっています。
本来は税吏がやるべき徴収事務を「取られる側」が替わりにやってくれるのですから、
税務署(財務省)は笑いが止まらないでしょう。

かくして、この制度は戦後70年経っても残り、
これのおかげで国民は税金へ意識が低くなり、
再配分に関しても、生活保護を叩いたりする割に
復興関連予算が横流しされることには甘くなる、
という歪んだ意識になりつつあります。

実は米国など先進国の多くは、自分で確定申告するので、
はるかに納税意識が高いようです。

政治とは、究極はイデオロギーでもなんでもなく、
この集めた税金の再配分の決め方そのものです。
納税意識が低いと、当然再配分にも意識が行かなくなります。
つまり、政治に意識が行かなくなります。
今日の都議会議員選挙の投票率も惨憺たるものだったようです。

政治の側からすれば、これほどラッキーな事はないでしょうから、
国が天引き制度をやめるとは思えません。

反対にいえば、天引き制度があるうちは
真の民主主義国家とは言えないのでしょう。
納税は「義務」だと思わされていますが、
実は「権利」なのだ、という考え方もあるようです。
だとすれば、私たちは「権利」を放棄していることになります。

多くのサラリーマンは、便利だから天引きでいいや、
と思っているかもしれませんが、
そう思っている間は、国や自治体はやりたい放題でしょうね。