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madamkayoko について

ほそぼそと絵を描き綴り、言葉を書き綴っていきます。

皆既月食、見られるかな。晴れるといいね。

今晩は、皆既月食だそうですが、お天気が心配ですね。
晴れるといいな、と去年の記憶も交えてフクロウと月食を組み合わせて
描いてみました。

20150404owl

↓ この「暦の科学」は国立天文台の暦計算室長による、暦の本です。

暦の歴史や、曜日の成り立ち、という人間社会のエピソードと
暦や月の満ち欠けや、なぜ一年が365日なのか
といった科学的な説明が図入りでされていて、
科学の本としても、人間社会の歴史としても読める本です。
この機会に、改めて、日の出日の入りについてや、
春分の日の話しなど、暦と天文について知りたい方にお薦めです。
星五つ。★★★★★

で、著者が所属する、国立天文台のサイトです。

上記サイトより抜粋。

今日の一枚
皆既食ばかりでなく部分食の始めから終わりまでを、日本全国で見ることができます。皆既食の継続時間は約12分間です。

主な時刻は以下のとおりです。日本中どこで見ても時刻は変わりません。
部分食の始め 4日19時15.4分
皆既食の始め 4日20時54.2分
食の最大(食分 *) 4日21時00.2分(1.005)
皆既食の終わり 4日21時06.4分
部分食の終わり 4日22時45.1分

前回日本で見ることができた皆既月食は2014年10月8日に起こりました。
次回日本で見ることができる皆既月食は2018年1月31日に起こります。このときも今回同様、皆既食ばかりでなく部分食の始めから終わりまでを、日本全国で見ることができます。

晴れるといいですね!

春爛漫の さくらの名画

最近は、さくらと言えば、ソメイヨシノ。
東京は、ソメイヨシノが盛りをすぎ、ハラハラ花びらが舞い始めています。
ソメイヨシノが実はほとんどすべて接ぎ木のクローンである
という事は有名な話しです。

葉が出る前に花が密集して咲き、
散る風情がまさに「花吹雪」なので、
人気なのかもしれません。

クローンであるためか、育つのが早く、
街路樹に使われて増えたこともあるのでしょう。

で、さぞかし、沢山ソメイヨシノを描いた名画があるだろうと思うと、
残念ながら、ソメイヨシノが植えられるようになったのは、
江戸の終わりからで、むしろ現代の作家の方が
手がけているようです。

で、私の一押しのさくらの絵は、明治から昭和にかけて活躍した松林桂月の作品
「春宵花影図」です。
近代美術館の所蔵で、没年が1963年で、没後50年過ぎているとはいえ、
著作権が微妙なので、しかも、国立美術館のアーカイブは転載禁止なので、
リンクだけ貼っておきます。
春宵花影図(1939)
拡大図

墨と胡粉で妖艶なまでに月に浮かぶさくらの枝が描かれています。
古典的な技法を用いて、実にモダンな墨絵を作り上げる事に成功している作品です。
種類は葉がそこかしこに見えるのでソメイヨシノではないでしょう。

もう一枚は、横山大観のかがり火と組み合わせた「夜桜」
こちらは大倉集古館蔵。
右上に描かれた山に半分かくれた月の白さと
かかり火の赤と空の群青とが、さくらの大木を包みます。
こちらも葉が描き込んであるので、
ソメイヨシノとは別種のよう。

ソメイヨシノは、エドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で
生まれたと考えられているようです。
その原種であるオオシマザクラのスケッチを上げておきます。
これは去年描いたものです。
花のつき方が密集していて、ソメイヨシノと似ていますが、
可愛い緑色の葉と花びらには斑がかかったようにピンクがさしています。

20150402oshima

さて、松林桂月の作品が、1939年(昭和14年)開催のニューヨーク万国博覧会
の為に制作された作品である、という事は気にしてみたいと思います。
満州事変が起きたのが昭和6年で、真珠湾攻撃は1941年12月8日。
充分にきな臭い時代に、こういう妖艶な絵が描かれた事は何を意味するのでしょうか。
芸術家特有の嗅覚が何かを感じ取っていたのかもしれません。

それにしても、
花びらが散るのは本当にきれいですが、
散るのは花びらだけにしておきたいものです。

猫がとてもお腹が空いている時

以前、
ニャンともデュエット(2)
という記事で書きましたが、
我が家のマーマレードタビーは、
お腹が一杯にならない時、
となりのお皿に手を入れてまで食べるのです。

catfood

以前飼っていた猫たちは、
片方が食べ終わるのをじっと見ていて待っている、
という事はあったのだけれど、
お皿に手を入れて、餌を取り出して食べる事はしなかったので、
結構ビックリしたものですが、
最近、ネットでもっと「猛者」を見つけました。

最期まで見てね。
ビックリの結末です。

イエロータビーでうちのに似ていて、
我が家で大笑いでしたよ〜。

しかし笑い事ではないのが、
うちのイエロータビーは、彼女が満足するまで食べないと、
隣の皿に手を入れるだけではなく、
私の制作用の練り消しゴムやら、夫の携帯ラジオのイヤホンのゴムやら
フニュフニュしたものが好きで、
いつの間にかそれらが行方不明になっていることがあるのです。

そうそう、
太りすぎるから、と獣医に餌を制限された知人の猫が、
餌の袋をかじって穴をあけて食べた、という話しもききました。

猫のダイエットも人間同様なかなか大変ですね。

Amazon/キャットフード
年齢、状態にあわせたキャットフードを選ぼう。

山の鳥のさえずりで目覚めるプロジェクト

春分の日を過ぎて、どんどん日が伸びて、
日の出も早くなっています。

寒さも和らいで来たし、早起きをしたいと思っている方も
いるのではないでしょうか?

でも、なかなか実行できない、という方に
素敵なプロジェクトをご紹介します。

森林の朝のライブ音聞き取り調査 4月1日よりスタート

聞き取り調査というと難しそうですが、
山の音をインターネットでライブ配信している
「サイバーフォレスト」プロジェクト(東京大学が中心となって運営)を使うことで,
布団の中から,朝の山の鳥のさえずりを聞くことができる、
というめちゃくちゃ贅沢な、プロジェクトなのです。

詳細はこちらのサイトからご確認下さい。

毎日、日の出の10分前からモニタリングするようです。
鳥さんたちは早起きなのですね。

初日の明日は、5寺26分が日の出なので、
5時16分から始まります。

贅沢な早起きのインセンティブ。
まさに、
” The early bird catches the worm.” 《早起きは三文の得[徳]》
ですね〜。

20150331morning

↓ハンディで持ち運びに便利

ヴァーチャルとリアルの界面を泳ぐ作家たち

日曜日29日は、両国にあるアートトレイスギャラリーで開催されている
「その界面を泳ぐ」 展を見てきました。

面白かったです!

と言ってもあと二日で終わっちゃうので残念。
しかも、おばかな私は、iPhoneで写真を撮るのを忘れたので
文字だけで、「何が面白かったのか」を書かなければなりません。

ご案内のハガキを頂いて
「その界面を泳ぐ」 展、という題名に、まず惹かれました。

しかし、即物的な私は、その題名から一番に想像したのが、
海を泳ぐ人が海面から顔を出しているところ。
まさに液相である海を泳ぐ人が気相との界面から顔を出して息継ぎしているところ。

とほほ、、、なんと言う貧困さ。。

自分のイメージの貧困さはさておいて、
出品作家のアイデアや知識の広さは
素晴らしいものがありました。

一言で言えば、
ヴァーチャルとリアルの界面を泳ぐ作家たち
でした。

「界面」というと、
実相ーー気相と液相、液相と液相、液相と固相、
固相と固相の二相間で形成されるーーしか思い浮かべない私でしたが、
「界面」は英語では「interface」。
interface、と言えばパソコンの画面ですね。
まさにデジタルなヴァーチャルと、リアルの「界面」。

作家さんたちには、むしろこちらの「interface」こそが「界面」
として先にあったのかもしれません。

例えば、
ムカイヤマ達也さんの
圧縮されたデジタルデータの捨てられた部分を
ドットで再現した油彩作品。
(ネット上に写真見つけました。)
色がデジタル風味で再現されていて、しかも四角いドットは相当に根気を要するものです。

飯野哲心さんの、
自分をヴァーチャルゲームのキャラクターに仕立て
そのゲーム画面を一センチ四方木片のピクセルを埋めたという
縦横3メートル弱くらいの大作。
(やはりネット上に写真を見つけました。)
横からの写真もあって、、、
まるで、高層都市の遠景ですね。

かと思うと、
赤松音呂さんの
目に見えない地磁気で揺らぐ、蔀(しとみ)の中の風鈴
磁場との界面。

この作品は、私に
以前記事にした、重力だけで重い石を空中に止める
カナダのパフォーマー マイケル・グラブ (Michael Grab) の
「重力接着 (Gravity Glue)」
のことを思い起こさせました。

私たちは、普段は全く意識しないけれど、
重力やら地磁気やら様々なチカラに取り囲まれて生きています。
重力というチカラは、すごく不思議で、
スペースシャトルにしても、驚くほどのエネルギーを使わなければ
地球圏から出て行けないのに、
かといって、冷蔵庫のマグネットが落ちるほどの強さではない。
しかし逃れられず目に見えない。

そして今回
赤松音呂さんは、目に見えない地磁気を
眼前に表出させてくれました。
竹で組まれた蔀の中で、地磁気の風でたゆとう金属製の風鈴。
色からすると銅板か真鍮でしょうか。

伝書鳩は地磁気を感知して場所を知ると言います。
気象庁 地磁気観測所サイト
N極とS極が入れ変わる、という地球の現象もあるようで
そんなとき、赤松さんの作品は、どんな風に揺らぐのでしょうか。
是非見てみたい。

そして、高田慶実さんの
震災の様子を経文のように墨で綴った渾身の作品は、
人間社会と自然との界面のコンフリクトを記してくれたのでしょうか。

また太田翔さんは
ペン(だと思う)で微細に描きこまれたビル群の絵と
ETを想起させる不思議な人形オブジェを出品されていて、
いくつかの作風や素材にまたがる作り手の心の界面を見せてくれます。

さて、
私がわりと作品を写真に撮るのを躊躇いがちなのは
やはり著作権の問題があるからですが、最近はiPhoneの登場で、コンサートなども、
スマホや携帯に限って写真撮影可にしているところもあるようです。

ブログに写真を載せないのは、読み手に余り親切とは言えないけど、
しかし、実物も見てもらいたいし、で悩むところではあります。

でないと、作品との出会いが、「確認作業」になりかねないからです。

今回は、会期も短いので、
写真は
misonikomiodenさんにリンクさせて頂きました。
ありがとうございます。

体力勝負の花鳥風月

昨日はアンズの木を描きに行ってきました。

水曜日に見た時には、花が満開で
数羽のメジロが花の蜜をもとめてひらひら。
昨日は花は少し盛りを過ぎましたが、十分きれいでした。

アンズや椿など昆虫の少ない時期の植物は
鳥が花粉の媒介となることが多いようです。

アンズの花とメジロという、いかにも花鳥風月の絵になりそうな題材です。
しかし、鳥も木も現場に行かないと見ることはできないので、
野外でデッサンすることになり、実はそれは思いのほか体力勝負なのです。
描いている間もほぼ半日立ちっぱなしです。
印象派の画家がイーゼルと折りたたみの椅子を持って野外で制作しましたが、
イーゼルを運ぶとしても、それも一仕事です。

何しろお弁当やら絵の道具を入れた荷物だけでもかなりの重さです。
以前はリュックサックに詰め込んで行っていました。
しかし、お弁当と絵の道具、そして一眼レフを入れるとずっしり。
カメラは一次的にはあまり役に立たないのですが、
やはり動く鳥たちを描くときには、おおいに補助になります。
というわけで、重たくなる一方の荷物を、
今回は試しにキャリーバックにしてみたら、ずっと楽でした。
もちろんこれも、舗装してある道を行く時だけです。

IMG_0089

屋久島の森で再びデッサンするとしたら、
特別に筋トレしないと、もう無理かもしれません。

さて、アンズはウメに似ています。
どちらもバラ科サクラ属の落葉小高木。
花びらは丸く、ウメには八重や濃淡いろんな種類があります。
アンズの花は、多少の濃淡はあるものの薄いピンクです。

両者の花の一番の違いは、
アンズは花が開くと額が反り返る点でしょう。
また、ウメの方が少し早い時期に咲きます。
ウメや山茶花はブルブル震えながらデッサンしますが、
アンズの時は少し楽です。

そしてどちらも6月に実を結びます。
ウメの実には毒があるので、梅酒や梅干しなど加工しますね。
アンズはきれいなオレンジ色の実です。そのまま食べられて、
ジャムにも加工されます。
アプリコットジャムです。

ちなみに「梅にウグイス」と言いますが、
あのうぐいす色の鳥はメジロでウグイスではないのです。

ところで、木は縦に長いので、デッサンするとき大きな紙を折り畳んで
少しずつずらしたり、部分を描いて繋げたりしています。

↓これは、家に帰って、今日のデッサンを繋げてみたところ。
IMG_0090

花が咲いていると、複雑に絡んだ枝の見分けが、
冬木立より遥かに楽です。

さくらのたよりもちらほら。
春本番です。

地味だけれど革新の仕事、浅見貴子さんの展覧会はお薦めです

このブログを始めていらい、
現代作家の展覧会を紹介したことがほとんどありませんでした。
一昨年森美術館で開催された「会田誠展」ぐらいでしょう。

今日は、アートフロントギャラリーで開かれている
「浅見 貴子 個展  光合成」を拝見して来たのでご紹介します。
(お名前は「あさみ」さんではなく「あざみ」さんと読みます)

お薦めなので、
東京近辺の方は渋谷方面に出た時に、ぜひ代官山まで足を伸ばして下さい。

本当は、なんの既成概念も持たずに見てほしいので、
以下に書く事は、まっさらな心で見たい人は読まないでね。

…………

何がお薦めなのか。
まず第一に、表題にあるように、地味にコツコツと積み重ねていらした作家さんだし、
作品も墨や胡粉を使った全く気をてらうところがないのだけれど、
その仕事は革新的です。

恥ずかしながら、私は、昨年の反戦展でご一緒するまで存じ上げていなかったのです。
ただ、反戦展で搬入の時に、初めて作品を拝見した時に
知らないけどすごい作家さんがいる、と深く心に刻まれました。

そしてその後、直接お話をうかがう機会があって
是非展覧会の時には拝見したいものだ
と思っていました。

何が革新なのか。

技術的には、紙の裏から描く、という事をされています。
和紙と墨だから出来ることですが、
この発想はなかなか出ないものです。

失敗に失敗を重ねて、ある時これいいじゃない、
と始められた技法のようです。
セレンディピティですね。

そして私が一番唸ったのは(ちょっと悔しくもあるくらい)
その裏から描く、という技法だから出来たことなのですが、
実に軽々と抽象と具象の壁を乗り越えて、表現されている事です。

基本的には浅見さんの作品は具象です。
しかし、現在の技術にたどり着く前の作品も拝見したのですが、
対象を純化する事に長けていらして、
対象のエッセンスを表現される事でそこに抽象性が生まれるのです。

これは私自身が、とても勉強になりました。
そして私に足りないところ。痛感しました。

今回の展覧会はコンテンポラリーアートのギャラリーでの開催です。
といっても浅見さんの仕事は、いわゆるコンセプトアートとは逆のベクトルで、
手と目の仕事です。

ギャラリーの解説に「光と風を織り込んだ」とあるように、
まさに、フィジカルにからだごと風を感じ、光を捉えて
手が画面を再構築して行っているのです。

基本にあるのは、デッサンです。

浅見さんも
 「デッサンから作品になる過程は言葉で表せないけど、
でもデッサンがないと出来ない」

と仰っていました。

実は、会場で浅見さんとはいろいろなお話をしたのですが、
ブログに記事を上げる事を思いついたのが、
ほぼ帰りかけのころだったので、
もっといろいろ伺えば良かったな、と思っているところです。

それに、私はまだまだ人の話しを引き出すのが上手くないです。
インタビュアーとしては、全くダメでした。
つい自分が喋っちゃうのね。

最期にiPhoneで撮った会場の思わせぶりの写真を載せておきます。
ぜひぜひ、会場に足をお運びください。
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私も描くぞ、パワーを頂きました。