のうりんポスターの記事を書く勇気をくれたのは夫の一言だった

昨日書いたのうりんポスターの記事は、
私のブログにしては相当のアクセス数になりました。

のうりんポスターだけではない、私が公共にある萌え絵を不快に思うわけ

そして、ハフィントンポストに、タイミングのいい記事が掲載されていました。
男性は知らない。すべての女性がやっていることを。

この記事には、男性の知らないところで、
女性が性差別に、いかに対処しているかが書かれているわけですが、
記事の最後の方に

そう、彼ら(男性たち)は私たちが日々直面している出来事を、知らないだけかもしれません。
あまりにも普通のことなので、伝える必要があるなんて私たちは考えもしないのかもしれません。

とあります。

そう確かに、私も若い頃は諦めていた。
ただ、昨日の記事を書いたのは、
本当に我慢がならなかったのと、
イヤな経験を隠さなくてもいい年のおばさんになったから
だと思う。
私が若い女性なら絶対書かなかった内容。

そして私が言いたかったのは、

「公の機関や行政や公共施設は、性的目線のキャラクターを使わないで」

ということです。
それは、女性への暴力だから。

ただ、この記事を書くまで、
私も、どの程度理解されるか分からなくて、
迷っていたのだけれど、
「書こう」という勇気をくれたのは夫の
「あれは暴力だからなあ」
のひとことでした。

そう、分っている男性は分っているのです。
必ずしもハフィントンポストの記事のように
知らないだけでもないのです。

ただ、マジョリティーではないのでしょう。

少し前に、女優のエマワトソンが国連で
「男女平等」を訴えるスピーチをしました。

【全文】「今こそフェミニズムを見直すべき」 女優エマ・ワトソンが国連で“男女平等”を訴えたスピーチ

スピーチにあるように
男性自身もステレオタイプの役割の犠牲者かもしれない。
のうりんポスターのような視線が
知らず知らずに男性に刷り込まれている可能性だってある。

だから、まず、
「公の機関や行政や公共施設は、性的目線のキャラクターを使わない」
ということから始めて欲しいのです。

この問題は、表現の自由と密接に関係している。
特に、規制派にとっては昨日の私の主張などは利用しやすいはず。
しかし、自由を重んじる私としてはそれは困る。

だから、行政の仕事を引き受ける制作会社などは、
自分達できちんと基準を作ってやってほしいです。

基準は「尊敬している相手に失礼に当たらないか」

です。
相手が女性でも男性でもです。

例えば、ミュシャのサラベルナールのポスター
妖艶で美しい上にサラへの尊敬のまなざしに溢れている。

のうりんポスターは批判されて、新しい絵柄にするようです。
私にすれば、このアニメキャラ、というのもどれも同じかんじですけどね。

というわけで、美濃加茂市の皆さんをはじめ、
日本中の制作会社や行政マンはこれを機会に
行政のビジュアルな表現はどうあるべきか、を考えてみて下さい。

参考のまとめ記事。
未成年の性的搾取(JKビジネス)と日本の異様な「カワイイ」

このまとめに出て来る
AKB48については以前記事にしてあります。
AKB48総選挙、……は?何、それ。