日別アーカイブ: 2015年12月1日

キュレーションという言葉を体感した日

いま、知人のムカイヤマ達也さんが個展をされています。
ムカイヤマ達也 個展「画布を分つと二つになる」展
前回の個展から半年もたたず、
新作17点を引っさげての個展です。
すごいエネルギー。

12月8日(火)までなので、
行かれる方はお早めに。
IMG_2019

実は、土曜日28日のトークに参加したので、
そのことをかきます。

翌日、下の為末さんのブログを読んで、
いろんな記憶が結びついたのでそれも含めて書きます。
TAMESUE 2015年11月29日 狙う姿勢

この記事は長くなる予感。(笑)

ムカイヤマさんのフェイスブックを見たら、
トークで話す内容と登壇者が出ていて、
気になる言葉があったので、これは行って来なければ、と行ってきました。

日 時:11月28日(土)18時〜
登壇者:野田尚稔(世田谷美術館 主任学芸員)
    ムカイヤマ達也
    青木彬
▼こんなことを話す予定です▼
・分断への抵抗
・絵画の条件
・母性 / 父性的作品
・個人 / 孤人
・共身体
・絵画の構造と主題の関係性
・虚構について
・フレーム

どの言葉が気になったのかというと
・絵画の条件
という言葉。

自分の話になるけど、311にほぼ10年の休眠から目覚めて
制作を再開した時、当然私は浦島状態でした。

もちろん、絵の世界ははるかに進化していて、
しかも、アートの世界は
「何でもあり状態」に突入していた。
私はほとんど精神的には混乱状態。

ただ、こういう時に慌てても仕方ないので、
とにかく「千里の道も一歩から」を
モットーにスケッチから出直して行きました。

過ぎてみれば、結果的にそれは正しくて、
いま私は活動休止したときよりは
ずっと前に進んでいる。

ただ、この間、ずっと考えて来たのは
その何でもあり状態でも、絵の本質とはなんなのか、
「絵とは何か」「絵の条件とは?」
ということでした。

で、ムカイヤマさんが「絵の条件」という内容で話す、
ならば聞きに行かねば、と思ったわけです。

2時間あまりのトークの最後にムカイヤマさんは
おもむろに「絵の条件とはなんでしょうか。」と切り出されたのですが、
それは、ムカイヤマさんが今、鈴木忠司さんの本を読んでいて
本の中に「演劇の条件」という言葉がよく出て来るので、
では、「絵の条件」「これこそが絵の本質だ」ということはなんだろう、
と思ったのがきっかけだったそうです。

で、鈴木忠司さんは
「演劇の条件、これがなければ成り立たない、というのは俳優だ」
と書いているそうです。

このあと、会場の皆さんがそれぞれ「絵の条件」について語ります。
「見ること」と言う方。
「これが絵そのものだ、と思うこと」という意見も。

哲学的形而上的な意見が多かった中で、
なんと私は「描くものと、描かれるものがあること」
という大変即物的な答えを出しました。
私の答えに異を唱える方もいらした。
そのくらい即物的だった。

ただ、私はこのとき、ただ一人、そこにいる誰もが見ていない情景を
思い描いていたのです。

鈴木忠司さんは「演劇の条件は俳優だ」
と書いている、と聞いた時、
私は、遥か十数年前に見た、鈴木忠司氏の演出による白石加代子の
一人芝居を思い出していました。

それは、白石加代子が、古い民家の床を舞台に鯵の干物を食べる、
というものでした。

でもそこにいるのは、白石加代子だけ。
鯵の干物もごはんもない。

でも、確かに白石加代子は、私の目の前で、
鯵の干物を食べているのです。
骨の一本一本までお皿の縁に並べて行く。

「見えるよう」という表現があるけど、
そうではなくて、実際にそこで食べているのね。

そのくらい迫真の演技でした。

確かに、俳優しかいなくても演劇は成り立つのだ、
と、私は、その場面を思い出して、
「そうか、そういう事か」と思っていたわけです。
つまり、鈴木忠司のいう「演劇の条件」とは構成要件のことなのだ、と。

そしてその当たり前だと思っている構成要件は、
当たり前すぎて問われることもないが、
しかしそれがなければ成り立たないものなんだ、
「ああ、絵もそうだ。描くものと描かれるものがあれば成り立つんだ」
と思い至って、
すごくストン、とそしてあまりにアッサリと311以降考えて来たことの
ひとつの答えに、唐突に出会ってしまった。

当たり前過ぎるほどの条件。
ピアニストにとってのピアノ。
木彫家にとっての木とノミ。
文筆家にとっての言葉。

「何でもあり状態」の絵の世界も同じなんだ、と。

さて、先の為末大さんの狙う姿勢というブログには、
何処かに行くとき狙う姿勢がある人は、
漫然とそこにいる人より上手く行く、
ということが書いてあるのだけれど、
まさに、土曜日の私がそうだったな、
とブログを読んで思ったわけ。

「絵の条件」という言葉をずっと考えて来たから
その言葉にひかれてトークを聞きに行き、
そこで、私は思わぬ拾い物をしてしまった。

ところで、28日のトークには
お2人のキュレーターの方が参加して
有意義なお話を聞かせて頂きました。

美術館の学芸員が本義だったキュレーターという言葉。
すっかりIT用語になっています。

ことバンク キュレーション

アマゾンでキュレーションを検索してみました。
IT関連の本がたくさんでています。
キュレーション

便利で、新しい言葉なので、
キュレーションは情報の精査と再構築、
という意味に使われているようです。

こんなページもあったし、
以下のように書かれているから間違ってないと思うけど、
ITでありながら、結局最後は人間の勘やら経験やらを使って、
という意味であることは確かみたいですね。

Manual database curation involves the following steps: (1) finding articles of interest; (2) finding and extracting facts (relations, events, associations, etc.) relevant to the database focus; and (3) converting extracted information into predefined …

情報の海を結局最後は人間が捌く。
そのバックグラウンドには、経験などの身体性が求められるのは
言うまでもなくて、
ただネットの海に転がっている情報を集めてきて(A+B)÷C=D
にすれば良いのではないはず。

まさに、キュレイトの本来の意味である「司祭」みたいな作業です。
つまり、本来あったけれど見えていなかったものを選び出して伝える役目。
これこそ、森有正のいう「体験が経験化する」ことで、
私の経験はキュレーションそのものではないのか。
バッハ弾きでもあった森有正のパイプオルガンが聞こえてきそうな日でした。

ムカイヤマさんの個展の話しが自分の経験の話しになってしまいました。

ムカイヤマ達也 個展「画布を分つと二つになる」展
12月8日(火)までです。
皆様是非。

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