日別アーカイブ: 2013年11月19日

立場で語る人たち / ムクドリのスケッチ

今日の一枚
スケッチブックに水彩と色鉛筆

スケッチブックに水彩と色鉛筆

ムクドリはどこにでもいる鳥ですが、
群れをなして移動するので、
ビックリする事があります。

今日も、隣の家の前の電線に50羽以上止まっていました。
ジュルジュル、ジュルジュルと
外で変な音がするな、と思ったら、ムクドリの大群でした。

以前は、150メートルくらいはなれた大木に集まって
ネグラにしていたようなのですが、
少し前にその木のところを通ったら、
上の方の枝がバッサリと削られていました。
鳥の都会暮らしも、なかなか大変です。

スケッチは、「鳥の博物館」で剥製を描いたもの。
12月1日まで鳥の博物館では、
「鳥の骨展- 空飛ぶ骨組み-」をやっています。

最近、ようやく鳥がなぜ飛ぶのか、
なぜ風切り羽根は左右対称でないのか、
かなり、その仕組みが飲み込めてきました。

写真でも飛んでいる鳥を撮る事は大変ですが、
仕組みが分かれば、
自在に鳥を飛ばせて描くことができるようになります。

ムクドリは飛ぶと腰の白い部分が目立つので
遠くからでも分かります。
くちばしで羽繕いをしている様子は、
猫の毛繕いにも通じる可愛さがあります。

立場で語る人々が作る未来

311以降の現象を表す言葉の代表格に、
「今だけ、金だけ、自分だけ」とともに、
「東大話法」があります。

その「東大話法」という言葉の生みの親、
安富歩氏の「学歴エリートは暴走する 〜『東大話法』が蝕む日本人の魂〜」
を2週間ほど前に読みました。
示唆にとんだ内容だったので、
まとまった感想を記す事にします。

安富歩氏の「東大話法」関係の著書は4冊ほどあるようですが、
私は今回初めて拝読。
というのも、実は「東大話法」そのものには、あまり関心はなかったのです。
しかし、本屋さんで手に取ってパラパラと見ていたら、
学歴エリート(主に東大出身者)の戦前からの流れが書いてあって、
興味がそそられました。

というのは、今の日本の混乱は、
どう考えても、戦前と戦争の総括が出来ていない事が要因だと
私には思えてならないからです。
そして、この本で、安富氏はこの総括を試みてくれました。

まず、第一章でさまざまなデータとご自身の経験から
「学歴エリート」の定義が行われます。
それによりますと、どうやら
「相手が求めている答えを察知する能力の高い人」
が「学歴エリート」ということになりそうです。

もう少し詳細すると、
「空気を読む」能力が高い上に「気のきく事務屋」で、
自分の意志よりも「自分の生き方を肯定してくれる場所」を目指してる、人々。
ということになりそうです。

ところが、平時ではなく、判断や決断が求められる時には、
「相手が求める答え」がないために、
またプライドがあるために、「気のきく事務屋」は混乱します。
安富氏は「気のきく事務屋」がリーダになって暴走した例として、
長銀(日本長期信用銀行)の末路をあげています。

次いで、第2章で「学歴エリートのルーツを探る」作業です。
安富氏は、学歴エリートは
バブルをいまだに引きずっているのはもちろんの事、
どっこい、バブルだけではなく、戦後も引きずっており、
実は戦争そのものが終わっていなかったのだ、
と喝破します。

え?
と思うでしょうが、
戦前戦中で中心になって動いた学歴エリートが
実は、戦後も立場を変え、役割を変え、
日本を引っ張って行った事実を、
具体的に名前や事例を挙げて説明して行きます。
現総理のおじいさん、岸信介の例もでてきますが、
この章は、今の混乱を知る上で、お薦めです。

そして、戦争を始め、戦争に負けて、
戦争をなかった事にしたい「立場」の学歴エリートが築いた経済成長は
経済戦争という名の新たな戦争であった、
というのです。

さて、この第2章に「立場三原則」という言葉がでてきます。
① 役を果たすためには何でもやらなくてはいけない。
② 立場を守るためには何をしてもいい。
③ 人の立場を脅かしてはならない。

原発事故後の御用学者、
と言われる人たちの行動そのものではないですか。

さて、安富氏はこの3原則がこそが真の日本国憲法だとして、
そのルーツを明治維新に求めます。

以下p75より引用。

江戸時代までは日本人は「家」を単位に生きてきました、これが明治維新によって近代国家における「国民」という概念にかわりました。「家」を守るために命をかけて、切腹までしてきた日本人が、今度は、徴兵制度で「お国のため」という事で、一人一人が「国民」という「立場」を与えられ、それにともなう「兵役」を始めとした役を果たさなければいけなくなったのです。これが出来た者は「立場」が守れますし、できない者は「役立たず」と呼ばれました。(略)
こうして「役」を果たすためにはなんでもしないといけないし、そのためなら何をしてもいいという日本独自の倫理観が誕生して、これは現在までなんら変わること無く続いています。

加えて、基本的人権など、「立場」の前には簡単に踏みにじられる、
とも言っています。
思い当たりますよね。

この2章の最後に、陸軍の参謀という学歴エリートがでてきます。
参謀というのは作戦を考えるのが仕事の人で、絶大な権限があったのです。
彼らは超難関の試験を突破して陸軍大学校に入学し、
戦術を中心に学んだらしいのです。

ところが、この「参謀」たち、
驚くべきことに、
「責任を問われない」という待遇を受けていたのです。
参謀はあくまでも「作戦」を考えるのみで
責任は作戦を採用した指揮官というシステムだったそうです。

さて、以前、「陸軍登戸研究所」の映画を見て
記事を書いた時に、まるで、将校がゲーム感覚である印象を受けた、
と私は書きました。
兵隊に兵站を現地調達させるために偽札を作ったり、
和紙とコンニャク糊で直径10メートルの風船爆弾を作ったり、
荒唐無稽とも思える作戦は、
こういう責任をとわれない参謀からでて来たのか、
と本を読んで、妙に納得してしまいました。

以下、p79より引用

どんなムチャクチャなことをしても「立場」が守られる「参謀」という制度は、陸軍のみならず、日本の官僚システムに浸透しているような気さえします。

この問題の根は深いです。
原発事故後も必死に隠蔽して
今度は「秘密保護法」なる法律で
自分たちの立場を守ろうとする官僚ですが、
私たちは選挙で選べない、
つまり、是正する方法が極端に少ないのです。

3、4、5章は、
2章のようなルーツを持つ学歴エリートの
戦後の所業の事細かな観察と分析です。

詳細は本書に譲るとして、
「学歴エリート」がすごいと思ったのは
つじつまが合わないことも自信満々に話すという
「東大話法ルール⑤」で作る、キャッチフレーズです。
「もはや戦後ではない」から始まって、
参謀の面目躍如で国民は見事にその気にさせられてきました。

それから、意外に知られていないのが、
叙勲制度も実は官僚に裁量権がある、ということです。
安富氏は、叙勲などをありがたがるのも
「スペック戦争」と指摘します。

そして「おわりに」で、かなり怖いことを書いています。
アベノミクスは、無意識の破綻願望の現れだというのです。

以下p181より引用

つまり、過去から学べば、崩壊しているものを存続しているのだという“ふり”
をしている時というのは、既にその先にある「心中」を考えているということです。
これは裏を返せば、その「心中」を無意識に望んでいるからこそ、現実からかたくなに目を背けて“ふり”を続けるのです。
翻って今の状況はどうでしょう?アベノミクスという“ふり”を続けながら、中国や韓国に対して強硬な姿勢を崩さない。環境は整いました。あとは、すべてをリセットするため、安倍晋三首相が「一億火の玉」を言い出すだけです。

しかし、そのあと安富氏は、
このような「立場主義」から脱却するにはどうすればいいのか、
についても、まだ思考の途中でありながらも、提示してくれます。
それについては、実際に本書をお読みください。

なお、その答えではないけれど、
本書の中でいい言葉だと思ったフレーズを2つ。
「先祖になる」勇気を持つ。
そして
「私」を視点とした「私の世界史」の歴史を描く」

前者は、「はじめに」の最後の一節で、後者は「あとがき」の最後の方の一節です。

この新書版は、全てが安富歩氏の書き下ろし、ということではなく、
安富氏と編集者の話をライターの方が書き、
最終的に安富氏が手を加えたようです。
満州の経済史研究もされていて、
人間社会はなぜ暴走するのかに興味がある学者の
手軽な「学歴エリート史」として、
簡単に読めて、歴史的な俯瞰もある本でした。
特に2章はお薦めです。
学歴エリートを知ることは
日本社会の仕組みを知ることに他ならないからです。

鳥の飛ぶ仕組みを知れば、鳥が描けるようになります。
社会の仕組みを知れば、
社会の未来が描けるようになる可能性はグッと高まるはずです。
私たち一人一人が、誰かの「先祖になる」勇気を持つことで。

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