カテゴリー別アーカイブ: 社会や時事関連

田んぼ、8月の様子

この四月から参加している「田んぼ作り」。
昨日久しぶりに見てきました。

この4ヶ月を振り返ってみます。

まず種もみ巻き。
これは4月14日でした。
20130415
前もって発芽させた種もみを柔らかく耕した田んぼの一角に捲きました。

この種もみが一ヶ月半で、↓ このくらいの苗になりました。
20130821001

6月2日に田植えをしました。
20130702

その後、順調に育つ稲。
トンボ達のすみかです。
20130728

そして、昨日はこんな感じ。
絵は昨年のものですが、ほとんど同じです。
20130413

ただ、今年はやはり雨が少ないことが気になります。

来月終わりの収穫までに順調にいってくれることを祈っています。

ところで…………、

ふくいちではこんなことが起きているようです。
福島第一原子力発電所構内H4エリアのタンクにおける水漏れについて(続報2)

このリンクには、

「(略)……、核燃料物質等(気体状のものを除く)が管理区域内で漏えいしたとき。」に該当すると判断いたしました。

とあります。

つまり、気体ではない核燃料物質等が漏洩したという意味は
単純に考えて、核燃料が外に漏れている、ってこととも取れます。
官僚の作った法律用語らしく、実態はよく分からないものの、
核燃料である、という可能性も否定出来ません。

別のニュースでは
「汚染水の水たまりで100ミリシーベルト 福島第1」とあります。

さらり、と書いてありますが、
相当とんでもないことが、ふくいちサイトでは、起きているようです。
本来ならば、首相が視察に行って、状況を判断することではないでしょうか?

私自身、甘かったな、と最近感じています。
どこかに「もう2年経ったから」という気持ちもあったし。

これから、本当に過酷な時代が来るのかもしれません。
経済的にもそうですが、
海や土壌の汚染など、どれほどひどくなるのか
想像もつきません。

……、しかし、しかしです。
こういう時代は、まさに人間としての「力」が
試されることになって行く気がします。

どんな状況でも、情報を探して自分で考え判断する。
人生におけるプライオリティーを精査して、
意味のないことには時間を使わない。
理不尽なことには目をつぶらない。
なんとか楽しみを見つけ出して、生き抜く。

生き抜く力、というのは自分で何かを生み出す力でもあると思います。
今、何から何まで他者の用意したもので生活している都会の私。
これからは、すべては出来なくても、
出来ることはやって行きたい。

今年はファーストステップとして、お米の作り方は学びました。
すぐ出来るようにならなくても、試したことあるのとないのとでは
雲泥の差です。

お米を作るシチュエーションはよほどの時でしょうが
少なくとも、次に大きな地震が来ても
買いだめに走るようなことはしないで、
日頃から備えておきましょう。
水、食料、簡易トイレ、乾電池、家族との連絡方法等々。

こういう国に54基の原発を作った自民党。
危機感ゼロで首相もゴルフ三昧だそうです。
呆れてものも言えません。
これ以上汚染がひどくなると、
海外から突き上げが来るような気がします。

国家とはシステムであると実感した時

日本はたまたま島国で、
特に明治以降、挙国一致体制で西洋に追いつけ追い越せ
でやって来て、
いつからか、「国体」というものが生まれて
第二次世界大戦に突入し、
「お国のために死ぬ」のが美徳とされ、
ほんとに300万人の犠牲者を出したから
そういう考えは辞めたはずなのに、
最近はゾンビのようにそういう考えが
生き返って来て
国家というのがまるで生き物かなにかのように
取り扱われる昨今。

ただ、これは、隣国と接していない島国であることと
日本人の民族性が生んだ幻想に近いものだろうと私は思っていて、
そう思うには理由があり、今日はその事を書いてみます。

で、日本は島国なので、つい郷土と国家を混同しちゃうけど、
国家というのはかなり新しい概念で、
例えば、今エジプトが大変だけれど、
中東は近代になるまで国家というものは無くて
西洋が勝手に国境線を引いたという歴史があります。

あとで説明するように、
国家というのは「国家を動かす人々のためのシステム」なのです。
ところが、中東のように国が無いところに国が生まれると
税金を集めて国を動かす人たちにとって、
国家というのはとてもおいしいシステムなので、
中東でも国が生まれた以降、利害関係がすごく複雑になってきています。

では、単なるイメージではなく、
以前私が、国家というのはシステムなんだ、
と実感した経験を、書いてみますね。

…………

スイスのサンモリッツという町はスキーリゾートで有名です。
私が行った時は夏で、
「セガンティーニ」という画家の美術館を訪ねました。
(此処はお薦め。ただしセガンティーニ自身はイタリア人)

サンモリッツに行った晩はイタリアの避暑地コモ湖に泊まる予定だったので、
バスでイタリアに向かって南下。
アルプスの山裾を這うように降りていく時、
カレンダーのよう美しい景色を堪能しました。
特にスイスは町がきれいで、窓辺に花がそろえてあったりして、
人の手が行き届いています。

ところが、イタリアとの国境を越えたとたん、
町が今までとは違って、突然、庶民くさくなったのです。
ローマの創始者ロムルスとレムスの伝説の五本足のオオカミマークの
ガスステーションの横を通る頃には、
300メートル手前のスイスとはまるで別の町。
家の壁は薄汚れ、バルコニーには洗濯物。
(イタリアの悪口ではありません。私はイタリアの方が居心地が良かった)

私はそのとき、国という概念を理解したように思うのです。

つまり、
この地方の人たちは当然のことながら、
スイスとイタリアに分かれる前から
ひとつの生活圏として交流していたと思うのです。
つまり同郷。
当然結婚したり親戚になる人たちも多かったはず。

で、あるとき、国境が出来る。
そうすると、主権国家が違うと法律も教育も違うから
少しずつ町も人も変わらざるを得なくなります。
スイスは永世中立国で軍隊があり、町には兵器庫などもありました。
万が一イタリアと何かあれば、親戚とも戦わなければならない。

イタリア人にしたって隣町と戦うなんてごめん被りたいでしょう。
親戚だっている。
同郷ですから。

しかし、そういう時に郷土愛というのは基準にならないのは明白です。
イタリアという国家の主権の及ぶ地域で暮らす人と
スイスという国家の主権が及ぶ地域の人、
という区分けで物事は処理される。
つまり、領土も民も結局は主権国家のシステムに組み込まれるわけです。

でも日本は島国だから、という人もおられるでしょう。
つまり主権国家と郷土が一緒という考え方。
でも,例えば与那国島は石垣島より台湾に近い(台湾までは111キロ)。
昔から交易もあったはず。
それでも何かあれば、日本国民として対応を迫られる。
実際台湾に行くためには、那覇(あるいは石垣島?)からでないと
出国出来ないでしょう。

また、与那国島からは2000キロも離れたところにある東京が首都で、
税制も教育も日本の国家主権のもとでなされる。
こう見ると、主権国家とは郷土のようなもの、
と考えるのはやはり無理があるように思えるのです。

私達が日本という山河の国土や文化を愛したとしても、
「システムとしての日本国家」は
愛の対象ではなく、
主権者たる私達の付託を受けて権力を行使している人々が動かしており、
私達から見れば、あくまでも彼らが仕事をきちんとしてるかどうかの
監視の対象でしか無いのです。

そして憲法も、付託された人々(議員達)をキチンと働かせるものであり、
私達国民のものです。

その付託された人たちが、自分達が縛られるのはイヤだと言って
改憲しようとしているのが、自民党改憲案です。

私達は、もう少し、権力とか国家というものが
実は私達と対立する概念であることを
肝に命じたいものです。

資源のない国の生き方

今日は68回目の「敗戦の日」です。

私が今日この日に、
日本が二度と間違った道を歩まないために
言いたいことは以下の二つだけです。

①日本は資源のない国で、
②地球は有限である。

この厳然たる事実を前にして、
自衛隊を国防軍にするとか、核武装すべきだ、
などと言っている政治家は
私にとっては、寝ぼけたことを言っている、
お花畑はどっちだ、
という感じで、理解を超えています。

先の大戦も結局、世界から孤立して
ABCD包囲網に経済制裁を加えられ、
無謀な戦争に突入しました。

今の時代だって、世界がその気になれば、
島国である日本を兵糧攻めにすることなんて簡単でしょう。

しかし70年前と違うのは、
日本の政治家の発言は瞬時に世界をめぐり、
一方で日本の庶民にすら世界のニュースは読めることです。
70年前に比べれば、歯止めのハードルは高くなっているはずです。

70年前は日本国民は全くの井の中の蛙で
ナイーブ(世間知らず)でした。
最も、今も7割の人がテレビや新聞の情報を鵜呑みにしている
と言います。

経済大国になったことで、私達は勘違いしがちですが、
地球が有限である以上、資源のない国は
世界になにか危機が訪れたら、
日本と言えども札ビラで買いあされない状態
に簡単に陥ります。

分かりやすいのは、食料問題です。
食料生産国が飢饉にあえば、輸出にまわさなくなります。
食料の多くを輸入に頼っている日本は薄氷を踏むような状態に
なるでしょう。
こういうとき一番打撃を受けるのは都会です。

エネルギーの問題も悩ましいですが、
原発が一度事故を起こすと手のつけようがない汚染を
引きおこすのは、ふくいちが証明中です。
石油や天然ガス、自然エネルギーを上手く組み合わせて
行くしかないでしょう。

結局、「資源のない国」は身の丈にあった生活にシフトしつつ
外交と貿易で世界と渡り合うしかないのです。

勇ましいことを言う政治家は是非、地元の有権者が
諌めて下さい。
アイスノンか冷えピタでも送ってあげて下さい。

冗談ではなく、集団的自衛権の容認などで、
戦争の出来る国にしてしまっては、300万以上の戦争犠牲者に
申し訳が立ちません。

ようやく戦後築いて来た社会インフラとシステムを維持するには
平和以外ありません。

熱帯夜におくる密林の絵

お盆を前に、厳しい暑さになっています。

今晩も熱帯夜で、エアコンを付けなければ寝にくいし、
かといってエアコンを付けっぱなしにすると
身体に良くありません。

我が家では、寝る2時間前に寝室を急速冷房して
氷室のようになったところで冷房を消して寝ます。
たまたま寝室の壁が漆喰なので、
壁が一旦冷えると朝までその冷気が保てるのです。

多くの住宅の、内壁の板にクロスが貼ってあって外壁との間に断熱材が
入っているタイプの部屋で、
この方法が有効かどうかは分からないのですが。

天気予報によると明日はさらに暑いとか。
で、今日は、熱帯夜に密林の虎の絵を贈ります。

20130809

これは20年くらい前に描いたものです。
大きさはF50号(縦116cm×横92cm)。
上野動物園に行って動物を描こうと思ったとき、
ネコ好きの私は、やはりネコ科の虎に一番惹かれたので、
密林の中に虎を配して描いてみました。
また屏風の雰囲気も出してみようと、背景に金箔を使い
なかなか凝った作りになっています。

この密林の様子は、つい最近老朽化のために閉館した
井の頭公園内の井の頭自然文化園にあった「熱帯温鳥館」でのデッサンが元になっています。
東京には熱帯温室は、夢の島、新宿御苑、そして神代植物園、
といくつかあります。
自然文化園の「熱帯温鳥館」は規模は最小でしたが、いつ行ってもすいていることと、
二階の高い視点からスケッチすることができたのが魅力でした。

また、自然文化園の入り口を左手に入ったところには彫刻園があり、
長崎の平和祈念像を作った彫刻家の北村西望の作品も展示されています。
今日は68回目の長崎の原爆投下の平和祈念式典が開かれましたが、
式典の背景に建つ平和記念像はここの彫刻園のアトリエで製作されたもので、
その原型を鑑賞できます。

井の頭自然文化園と言えば象の花子で有名です。
この花子は戦後の1949年にタイから贈られ、
1954年に井の頭自然文化園に移されました。

実は、タイから寄贈されて上野動物園で飼われた「象の花子」はもう一頭いて、
第二次世界大戦前の1935年に贈られた「花子」は、
戦争中の1943年、逃げ出したら危険と云う理由で餓死させられています。
死に至るまで花子は、餌をもらえないので、餌ほしさに
一生懸命芸をした、という話しも残っています。(涙)

さて、今日の長崎の祈念式典では、
被爆者のお一人築城昭平さんは自分の経験を語る中で、
また田上市長が平和宣言の中で、
政府が核不拡散条約署名拒否した事や
原発事故後も再稼動をしようとしたり原発輸出の方針を打ち出したことを
明確に批判しました。

しかし、その切実な声の余韻が残る夕方には、首相は
集団的自衛権の見直しを早急にすることを記者会見で明言しています。

う〜ん、国民は経済政策で自民党を選んだだけなんですけどね。
しかもふくいちの汚染水は深刻になって来ていて、
憲法をいじる前にやらなければならないことは山のようにあるのに。
数があるからと言って、まるで国民の見ている方向とは別方向に
政治を進めて行く、というのは許されることでしょうか。
麻生財務大臣の「気がつかないうちに憲法を変える」
って本心なのかもしれませんね。

こういうことが続くと、熱帯夜がますます寝苦しくなりそうです。

私の父は先の大戦でシベリアに抑留されていましたから、
その悲惨な経験を良く聞かされました。

例えば、父はタバコを吸わない人でしたが、
捕虜にはタバコだけは支給されたそうで、
父はそのタバコをためて、給仕室へ行き食料と替えてもらって
生き延びたそうです。
また、おしっこも凍るほどの寒さでも
若い人の方が、我慢が効かず傷んだものを食べて
どんどん先に死んで行ったそうです。

こういう戦争の実態を多少でも知っている私からすると、
私と同世代の安倍首相の言動が、
非現実的なバーチャルな思考に基づいているように思えて仕方がないのです。

実は父は、関東大震災も経験しているので、
朝鮮人の暴動のデマとか、本所区被服廠跡の火災の話しとかも
聞いたことがあります。

今日の平和宣言で田上市長は
「人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。
だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、
折にふれ確かめなければなりません。」
と言っています。

水に流してはいけないものはあるのです。

長崎市平和宣言
(宣言の最後に賛同のクリックがあるので、是非ポチッとしてみて下さい)

8月1日から20日まではみんなでバカンス!

この暑さ、クラクラしそうです。

その中を、窓を締め切って冷房入れた満員電車に
背広着て乗って、汗だくになって会社に行って。

電気は足りているのに、
原発再稼動、とか申請しちゃって。

風評被害と言いながら
地下水のセシウム汚染は3日で90倍になるし。

株高って言いつつ、
お菓子の中身はクッキーが一枚減らされていて
セコい値上げ。

テレビ局は
ネット付きテレビの宣伝を拒否して
また世界からビハインド。

私の頭がクラクラするのは
暑さだけではないかも。

8月1日から20日まではみんなでバカンス!
くらい実行しないと、
この国が正気に戻る事はないのかも。

20130709

暑い日本、休めない日本、熱中症にご注意

今日は38度になったところもあるようです。

20130708

冷やしたモモで涼みたいですね。
モモは冷やしすぎは甘さが半減するので冷蔵庫で2時間を目安に。

日本の暑さは、ただでさえ湿気があるのでジトジト暑くて
しかも最近は7月から8月までほぼ二ヶ月列島を灼熱の太陽が覆います。

東京はヒートアイランドも加わって
暑いから冷房で冷やす、冷房の熱を帯びた排気が外に出てさらに暑い。
の悪循環に陥っているようです。

しかしどれほど暑くても、我慢比べのように決して休む事はしない勤勉な日本人。
暑さで体力は奪われ、冷房で身体を冷やすと体調を崩します。

以前、某国際機関の方とイベントをした事があるのですが、
イベントをコラボするのに、そのイベントが夏休みに掛かるもので、
次次とバカンスで担当者が入れ替わる経験をしました。

メールでやり取りしていて、担当はマリアさん(例えば)だとすると、
突然「明日から私はバカンスだからロバートが後はやってくれるわ」
というメールが来て、「ふ〜ん」とか思って
「ロバートよろしく」と進めていると、10日も経つと今度は
「ぼくは明日からバカンスだから、イベントにはキサが行くから」
というメールが来る。
「嘘でしょう」と思うけど、仕方ないからイベント当日キサと待ち合わせて
なんとか凌いだ、という経験があります。

実はそのとき、同じ場所で皇室の来賓があるイベントをやっていて
3度も4度もリハーサルをしてるのを横で見ていて、
こっちはほとんどぶっつけ本番。

ここまで極端でなくても、
もう少し日本人も自分の生活や休日を大事に出来れば、
と思ったものです。

私は、海外事情に詳しいわけでもないし、
この経験からすべてを語れるとは思ってないけど、
日本では、一過性のイベントにすら「失敗しちゃいけない」
というプレッシャーがかかるだろう事は想像に難くないです。

その割には、原発事故という取り返しのつかない失敗は
無かった事にする、というわけの分からない社会。

そういう難しい事は抜きにしても、
この暑さ、生物として働くには暑過ぎます。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」なんて言って、
熱中症を誘発する事は避けたいです。
ここまで暑くなると実際生死に関わりますから。

しかも最近のお子さんは小さい時から冷房に入っているために、
汗腺が大人の半分くらいしか無いそうですから、
水分補給はもちろんの事、
帽子をかぶる、
炎天下で作業はしない、
など、大人が気をつけてあげてほしい。
今の子供は汗腺の数が親の半分!汗は霧吹きで補うべし

環境省熱中症予防サイト

私は、甲子園の高校野球もナイターにしたり
工夫すべきだと思うのですよね。
お願いだから根性論で子供たちを痛めつけないでね。

以前の記事
子どもの日に高校野球の話しをしてみる。

途中の方向転換は、ゼロから作るより遥かに大変

今、昔描いたイラストに手を加えているのだけれど、
これが思った以上に大変。
すべて手描きなのでデータに取込んでパソコンで描くと
不自然になってしまいます。。
線そのものも微妙に今の私のものと違います。
結局、方法論を考えるだけで時間を費やしてしまって、
ようやく、解決方法が見つかったところです。

どうしてもその昔の絵を活かす必要があったので
悪戦苦闘して作業を進めたけど、
ゼロから描いた方が楽なモンなんだな、
と思った次第。

事が私のイラスト程度でも、
こんなに苦労するんだもん。
日々営まれている「人々の生活」や「国のあり方」を変えようと思ったら、
血を吐きそうな位たいへんでしょう。

今、原発をなくしてほしいと思っている多くの国民は、
方向転換しない国にいらだちながらも、「仕方ないのかな」
と思いはじめているかもしれない。
しかし、これはもう根比べですね。

自民党政権は、そういう意味では、実にしぶとく戦後60年をかけて
「国のあり方」を少しずつ少しずつ変えてきました。
もちろん国民にとって悪い方に。
まず、中曽根内閣で総評というナショナルセンターを潰しました。
今、日本で非正規が増えブラックが増えたのは、
この労働者のための権力への対抗組織がなくなった事と無関係ではありません。
労働組合が既得権益化していたのは確かでしょうけど、
あっさりと国民は自分達の権利の一部を手放しました。

小泉内閣では郵政事業を民営化しました。
これで地方の小さい郵便局が統廃合されて
地域で頼りにしていた人たちが切り捨てられました。
これも郵便局の局長という既得権益が標的になりました。

いつも構造改革とか既得権益の打破とか規制緩和と言う名の下に
国民の多くが声を上げずらくなる仕組みを巧みに作って来ました。
それも国民自身の自分で自分の首を絞める賛同の声とともに。

 20130126

このあたりが自民党のすごいところです。
国民は規制緩和が進むたびに暮らしにくくなるのに
その原因に気づかないように誘導されます。

で、その総仕上げが、
安倍内閣の「憲法改正」でしょう。
端的にいえば、この国を戦前体制に戻すミッションです。

この参議院選挙で自民党が勝てば、
お墨付きをもらったと、堂々と、
私たちの人権や表現の自由に手をかけ始めるでしょう。

一方、自民党はようやく60年かけて自分達の理想の国づくりが出来る
と意気揚々でしょう。

しかし、国民が自由で健康に働けなくて
国が栄えるとは思えません。
国民の上がりで食べている人たちが
自分の足元の砂を崩す行為をする。
これも謎です。

人間というのは謎の塊です。
ちょっと鳥瞰図で考えれば不合理な事に
必死で取り組む。
名誉欲とか、支配欲とか、自己顕示欲とかが
源泉でしょうか。
そういう強烈な悪意とも呼べる意志の方が
モチベーションを保つのかもしれないとも思います。

原発をなくしたい、と思う人たちは
(私も含めて)
ほんとうに悪意ではなく強い意志を持たなければ、
「この国のあり方」を変える事は至難の業です。
自民党の粘り強さだけは見習って、選挙では落しましょう。