カテゴリー別アーカイブ: 本や映画、展覧会、演奏会

LINEが可視化してくれた、便利さの裏側

この本で「やっぱり」と思った事の一つが
インターネットはどれほど匿名でも、実は匿名であり続ける事の方が難しく、
ウィキリークスが画期的だったのは、その匿名性を幾重にも担保するシステムだった、
という点です。

匿名で嬉々と他者に誹謗中傷めいた言葉を送りつける人がいますけど、
実はネット上の匿名とは頭隠して尻隠さず状態なのです。

そういえば、映画『セブン』でも、ひも付き情報の実態を垣間見ました。
ご覧になった事の無い方のためにストーリーを簡単に説明すると、
連続猟奇殺人犯(ケビン・スペイシー)をブラッド・ピット扮するFBIの捜査官が
図書館の貸出履歴から犯人を突き止める、という話です。

「セブン」という題はにキリスト教の七つの大罪から取ったもので
話しに厚みを与えているのだけれど、
私は、その事より、図書館履歴もすべて国に把握されている事に
衝撃を受けました。

事ほど左様に、ITというのは便利であるとともに
個人を監視の海に簡単に放り込んでくれるものなのですね。

だからといって、個人の活動を広げてくれるツールでもあるわけだから、
使わない、という手は全く無いわけだけど、
やはり注意深くつきあう必要はあります。

住所や電話番号はネット上に載せないのはもちろんの事、
自分の子どもや孫の写真は載せない(フェイスブックでも)
若い女性は自分の居所を逐次ツイッターなどで報告しない、
自撮り写真は慎重に、
など、個人の特定が容易になる事には
用心深くしてし過ぎる事はないと思います。

それにしても、日本はこんなに先進国なのに
ITに関しては後進国ですよね。
Wi-fiなどの設備も揃ってないし。

リスクは工夫して対応するにしても、
ベネフィット(恩恵)をもっと厚くして欲しいです。

特にオリンピックを本当にやるなら、
もっと日本中のネット環境整えた方が良いですよね。
それが一番のおもてなしかも。

見て描いて、心でデッサンする

今年は12月に入ったとたんいきなり寒くなりました。
冬は、葉が落ちて木の枝ぶりや姿を描くにはちょうど良いですし、
去年は装備を整えてノスリなど鳥も見に行きましたが、
今年はのっけからとにかく寒くて、野外スケッチに行く気力が湧きません。

で、今年の冬は少し趣向を変えて、時々
「仕組みを知って、想像でデッサンする」練習をしています。

特に人間を見ないで描きたいので、
大学時代に習った美術解剖学を、
改めてやっています。

美術大学では、専攻によっては、見ないで描く事は推奨されませんが、
しかし、「想像で描ける」という事は獲得しておくべき
能力だと、近頃強く思うようになりました。

人間の骨格や筋肉の着き方はとても複雑です。
しかし、最近は、コンセプチュアルアートやアニメ
マンガなどの分野で「想像で描ける』ことが要求されるので、
美術解剖学が改めて注目されていて、
良い本が次々と出版されるようになりました。

私は以下の二冊を中心にボチボチやっています。

このウィンスロウ版は昨年の4月に出版され、評判が良いのか
一年で既に5刷です。
非常に詳細ですし、大学の授業で使える内容で、
超お薦めです。
ただ、独学でやる人には特に第一章がハードルが高いかもしれません。

もう一冊。

このヴァレリー版が出版されたのは四半世紀以上前。
私は以前からこちらを持っていて、
しかし正直言うと難しくて、全く使いこなせなかった。
が、今回、上のウィンスロウ版の不足を補ってあまりあり、
この二冊があって、人体の美術解剖学はほぼ網羅されたと言えるでしょう。

ダヴィンチもミケランジェロも膨大な「想像によるデッサン」を残しています。
もちろん、同じくらい沢山の「見て描いたデッサン」もあるわけで、
見て描く事と、想像して描く事は、創作の両輪です。

葛飾北斎も膨大な想像による「北斎漫画」を残しています。
直しの聞かない墨でちょいちょいと描いてしまう能力は
ミケランジェロもビックリでしょう。

実は今回、もう一冊参考にしているのが
マンガの神様、手塚治虫の「マンガの描き方」という本です。
見ないで描く、と言ったら北斎だけでなくマンガですから、
きっとヒントがあるだろう、と思ったわけです。

そして、この中で、手塚治虫も、写真なんか見て描くよりも、
本物のデッサン(見て描く事)と心のデッサン(想像で描く事)
の両方を薦めています。

以前、安野光雅の「絵の教室」という本にも同じような事が書いてありました。

この中で、安野さんの知り合いのイラストレーターの方が
爬虫類が好きで、
見ないでそのウロコが身体の流れに添ってカーヴしている様子を描き分けて
感心したという記述があります。

今は普通に写真を使って絵を描く事が行われています。
しかし、仕組みを知れば、想像で描けるわけです。
仕組みを知らずに、写真に写った部分だけ写真の通り描く事より
想像でも仕組みが分かって描くことの方が説得力がある絵が描けそうです。

最初にその事に思い至ったのが、鳥を描こうと思った時です。
なぜ鳥は飛ぶのか、どうやって飛ぶのか、
それを知るためには、どうしても骨格を知る必要がありました。

鳥の博物館へ行って、何体もの鳥の骨格をデッサンしているうちに
見ないで鳥は描けるようになってきました。
最初はまったく分からなかった羽の畳まれ方や
羽ばたくときの羽の動き、
そういったものが少ずつ見えて来るのです。

もし、鳥を描いていなかったら、
人間の美術解剖学にこれほどすんなりと馴染めたかどうかわかりません。

今日はスズメとムクドリの違いを描いてみました。
20141223d

人間の骨格は頭から肩までのつながりを描いてみました。
人間は首と肩の骨格が複雑に絡み、そして実に巧みに出来ています。
第七頸椎の下から一番上の肋骨が出ていて、
その上に肩甲骨からの骨がまたいで鎖骨につながっています。
二次元に描くのはなかなか難しいですが、
3次元を頭で想像しながら描いていました。

こうやって、想像力を養いつつ、
実物を見て描いてく事も怠りなくやらなければなりません。
20141223_2
電車の中で描いたものです。
電車の中は意外に揺れるのですね。

生態系の相乗効果と「七つの習慣」

ハウツーものの古典とされている、スティーブン・R・コヴィー著「七つの習慣」、
前回の「投資の大原則」に続き図書館で借りたので、
感想文を。

かなり良質な、お薦めの内容ですが、
具体例などが長く厚く場所を取るので、(つまり少し冗長)
エッセンスやマトリックスだけでも、
メモを取りながらにすれば、
買わなくても、借りるだけでも十分かもです。(笑)

作者が書いているように、いわゆるハウツーものではないですね。
ハウツーものによく書かれている
態度やスキル、イメージの作り方、といったことではなく
原理原則そのものが重要なのだ、としていて、
それを作者は「人格主義」と呼んでいます。

さて、私が重要だと思った部分をいくつか書いておきましょう。

1)間違いを認めて行動を正して行かないと、更なる大きな問題になる。
2)習慣こそが人間性を作る。
3)「原則中心」にすれば、判断が感情に左右されることは減り、まちがった判断が少なくなる。
4)自分が影響を与えられる部分において全力を尽くせ。
5)「自立」した人間は、生態系のように相互依存関係でこそ、更なる相乗効果を生む。
6)時間管理の重要性

以前、「シンプル時間管理術」という記事で書いたように、
私は、この著者の考え方に基づいて作られた手帳をずっと使っています。

↓私が使っているのは、レフィルではなく、最小最軽のタイプ。

この手帳を見つけた時は、「こういう手帳が欲しかったんだ」と
思わず買い求めました。
欲をいえば土日欄が平日と同じ広さが欲しいのですが、でもこの軽さと大きさで充実の内容です。
(肩凝りの私にとって「軽い」と言うのは重要な条件)

で、11月に入って、この手帳の来年度版を買いに行ったとき、
この「七つの習慣」の完訳版が出たことがお店の中に告知してあって、
ずっと手帳使っているから試しに読んでみるかな、
と思ったわけです。

が、図書館は予約満杯でしたので、
旧版を読むことに。

一番気に入った部分は、
著者は、ひとりの人が他者依存の状態から脱することが第一歩、
そして、自立することが次のステージ、
としながらも、自立した者同士が、
更に共助という相互依存の状態になることが第三ステージで、
最も大切と説いている点です。

自立さえすれば良いのではなく、
更に助け合えることが大切だ、と説いているのですね。

そうなるために、どのようなステップを踏めば良いのかを
「七つの習慣」で説明して行きます。

それを生態系のつながりと結びつけているところは、
繋がりが描ければ、と思っている私の視点と似ていてビックリ。

以下最後の方の424ページの部分から引用します。

自然界のすべてが相乗効果的である
生態系という言葉は、基本的に、自然界の持つ相乗効果を表現するものである。あらゆるものが、他のすべてのものと関係しあっている。そうした関係の中で、創造的な力が最大限に生かされる。「七つの習慣」の本当の力は、個々の習慣にあるのではなく、その相互関係にあるのだ。

別の言い方では、

「全体の合計は各部分の和より大きくなり得る」

とも言っています。

また、「約束」という概念も、他者への約束以前に
「自分への約束を守ること」がまず大切、と説いていて、
この部分もインパクトがありました。

若い頃、三島由起夫の、作品を読んだとき
「禁色」だったかなんだか覚えていないのですが、
「自分を欺けば、神をも欺くのも平気になる」と言う一節に衝撃を受けたことがあります。

「人格主義」といいうのはそういう事をいうのでしょう。

そういえば、国民に嘘ばかりついているどこかの宰相は
それ以前に、自分自身を裏切っているのでしょうね。

良い本なので
内容的には★5つ上げたいけれど、冗長なので、
★★★★。
実行出来れば人生劇的に変わるだろうという
良い内容なのに、とにかく長い。
具体例が多すぎて、飽きるし、かえって分かりにくかったです。
また翻訳が、何となくこなれていない日本語なのも残念でした。

さてさて、今年も三週間ちょっと。
↓定番、ご愛用「猫の日めくり」。

飼い主たちが撮ったとっておきのショットばかり。
可愛いだけではない、猫と飼い主の息づかいが分かる写真が楽しいです。猫好きにはお薦め。

時間を味方につけるという事/リスクを分散させること

最近読んだ本です。

「投資の大原則 」
バートン マルキール, チャールズ エリス (著)

内容は投資の本ですし、アメリカの事情に合わせているので、
必ずしも日本の状況に合っているわけではありません。

でも、図書館などで借りるなどして、読んで損はないと思います。
投資以外に役に立つ、と言うか、
人生のプリンシプル(行動基準)に当てはめられることを
投資という側面から述べている本だと思います。

ページ数はすくないですし、言っていることは至ってシンプルです。

① 時間を味方につけること
② リスクを分散させること

投資の本ですから、まず貯金の仕方です。
① 時間を味方につけること
若い時から、そして若くない人は今からでも、毎月一定額を貯めること。
そしてそれを複利で増やすのです。
複利というのは、利子を元本に組み入れて増やして行く方法です。

千里の道も一歩から、で、40年後にはそれがどのくらいになっているか。

この本でユニークなのはその複利の計算方法を教えてくれるところです。
最初の資金が二倍になる時間とそのための利率が
72という数字で計算出来るのです。
8×9=72 → 年利8%で資金を運用すれば、9年で二倍になる、というのです。
逆も真で、年利9%なら8年になります。

貯金で年利8%なんて、今はあり得ないですが、
しかし、私が若い頃は、6%くらいの利子がついていました。
それだと複利で預ければ、12年で倍になります。

お金もそうでしょうが、私は教養や経験や勉強や仕事も同じだな、
と思いました。

時間だけは誰にでも平等にある。
同じ時間、パチンコしてもテレビ見ても本を読んでもブログ書いても
同じように過ぎて行く。

40年後、複利で貯めた貯金が増えるように
時間を味方にすれば、自分の中身を
想像以上に濃くすることができるでしょう。

そして
②リスクを分散する。
これは投資する銘柄やファンドを貯金とのバランス
を考えて分散させ、時間的にも、一度に投資するのではなく
時期をずらせて投資せよ、というものです。

このリスク分散の行動基準も
投資だけではないように思いました。

例えば「探し物のリスク」ということがあります。
「探し物」というのは、かなり精神的にリスクが大きく、
せっかくやっていた仕事が中断したり、やりかけたことを忘れたりします。
探し物が見つかって仕事に戻っても、気分はイライラ。

だから、
ついついまとめて片付ければいいや、と思いがちですが、
その少しの積み重なりが、後からトンでもないしっぺ返しになるのです。
毎日こまめに片付けの時間を作るという、リスク分散がお薦めです。

もちろん、これは自分の経験から言っているのですが。(笑)

食べ物などもそうですね。
現代社会で、添加物などを避けて食事をすることは不可能ですが、
なるべく多種類のものを食べるように心がけ、
休日だけでも自炊する、などすればかなりリスク分散になるのではないでしょうか。

投資の大原則とはどんなものだろう、
と思って読んだ本ですが、
地道な貯金とリスク分散による投資、
というとても常識的な内容だったのは意外ですが、
結局、どんなものでも王道はないのでしょう。

<関連記事>
的確な日本経済分析。「投資家の視点」という考え方が新鮮。瀧本哲史著「僕は君たちに武器を配りたい」

西脇市 サムホール大賞展、始まりました。私も出品しています。

兵庫県西脇市、と言えば、日本の「へそ」として有名です。
西脇市には、東経135度・北緯35度の交差点があり、
ここが「日本列島の中心」に当たることから、
「日本のへそ」のまちといっているようです。

また、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公、黒田官兵衛の
生誕地が、西脇市黒田庄町黒田、ではないか、と言われているようです。
豊臣秀吉の天下統一を支えた稀代の軍師、黒田官兵衛。
その生誕地は・・・西脇市黒田庄町黒田。

その西脇市にある岡之山美術館で現在
サムホール大賞展が開かれています。
会期は11月16日(日)から12月14日(日)まで
公式サイト 開館30周年記念 第10回全国公募西脇市サムホール大賞展

サムホール大賞展は、ビエンナーレで二年に一回開かれる公募展です。

サムホール、とは絵の大きさの規格の一つです。
紙にA4とかB3といったような規格があるように、
絵画では、主に「号」という基準でキャンバスやパネルの大きさが決まっています。
一番小さいのが「0号」で18センチ×14センチになります。

サムホールというのはそれより少し大きく細長く、
22.7センチ×15.8センチ になります。

面白い事に、少し細長いだけなのに、
表現の幅が広がる不思議な大きさなのです。

私はこの大きさが好きで、よく作品にします。
そして、今回、私も応募してみたところ
作品が入選し展示されることになりました。
と言っても自分の目で見たわけではないのですが、
事務局からお知らせ頂いているので、そのはずです。

で、入選作品を、公開しちゃいま〜す。

和紙に水干絵具や岩絵具

和紙に水干絵具や岩絵具

題名は「Linkage」(繋がり)。

人も動物も生き物すべて、虫も微生物も、
「繋がり」の中で生きています。
ひとりや一匹で、あるいはその種だけでは決して生きられません。

例えば、食べるか食べられるか、という繋がり。
鳥が、羽化前のチョウチョの幼虫を食べて栄養を取るという繋がり。
その幼虫も実は、大好きな植物の葉っぱを食べて、大きくなります。
そして木の実を鳥が食べて、その種子(seed)を運ぶ事によって
その木は離れた別の場所で芽を出す、という事も起こります。
いずれにせよ
その種(species)だけでは生きられません。

さらに、種と種もそうですが、
種の中の世代間の繋がりもあります。
子を生み育て、年老いて死ぬが、その遺伝子は孫へと継がれて行く。

この視点で見ると、生態系の中でも、種の中でも
「死」は悲しいだけのものではない、と言う気がします。
「死」がなければ、次の「生」はないのが、地球上の生き物です。

描かれている頭骨は鹿のものです。
伊豆にシダ観察に行った時、川縁で拾ったもので、
拾ったときは泥に埋まっていました。
絵の中では確かに「死」の象徴ではありますが、
同時に、植物やそれと関わる昆虫たちなどの
生への場所も提供しています。

私はそんなことを考えながら描いていました。
鳥はアカハラ。
この絵はアイボリーの頭骨を活かすために背景の色を最初に決め
それに合う羽を持ったアカハラを配してみたのです。

さて、この公募展の入賞作品は立体もあり、バラエティーに富んでいます。
実は、美術家横尾忠則氏が西脇市の出身で、
氏はこの公募展の審査員でもあります。
この美術館は、横尾氏の作品の収蔵も目的としているのです。
1200点以上の応募の中から選ばれた200点。
多彩な作品を見るのが楽しみです。

<似たような記事>
タネの話(2)/ヒマワリのタネを食べるカワラヒワの図

秀作ドキュメンタリー映画 その①「鳥の道を越えて」

「人と生き物の古くからの繋がり」
「鳥や昆虫と植物の関係」

そんな普段当たり前で、
目を凝らして見ることのない自然の営みを映像につづった、
秀作ドキュメンタリー映画を、2回に分けて紹介します。

その①は1979年生まれで本編が監督作品第一作になる
今井友樹監督の「鳥の道を越えて」。
公式サイト「鳥の道を越えて」

その②は1941年生まれのベテラン、スイス人の
マークス・イムホーム監督の「ミツバチの大地」。
公式サイト「ミツバチの大地」

おもしろいことに、
生まれも文化の土壌も全く違う2人の監督ですが、
実はどちらの映画も、監督自身の祖父との会話から
映画作りが始まっているのです。

また、両作品ともに、古くからの生き物と人間の関係を扱いながらも、
最新のラジコンヘリコプターなどを使って撮影しており、
以前なら関わる人以外見ることができなかった
鳥やミツバチの生態を映像で見る事ができます。

それだけでも、どちらも見る価値のある作品です。
しかし、二つの作品の趣は全く違います。

まず今日は、「鳥の道を越えて」です。

この映画を見たいと思ったのはもちろん私が鳥を好きだということがあります。
と同時に、そのタイトルに引かれました。
詩的でふわっとイメージがわいて来るタイトルでした。

鳥を見ていると、確かに彼らには空の透明な道が見えているのだ、
と思うことがあるのです。

鳥がその道を通ってシベリアから旅をするように
監督はおじいちゃんから聞いた
「あの山の向こうに、鳥の道があった」という言葉で
鳥を巡る旅を始めるのです。

その旅は8年にも渡ります。
村の古老や元教師などを訪ねて話を聞きます。
あそこに誰それがいる、と聞いては出かけて行きます。
そして、一冊の写真集に出会い、そこからまた様々な発見や出会いが生まれます。

それはさながら「鳥の道があった」という言葉に導かれて謎解きをして行く
推理小説のような旅です。
思わぬ文化や鳥と人との繋がりが少しずつひもとかれて行きます。

さて、
ここから先はネタばれになるので、見ると決めた方は下の鳥の絵までスキップして下さい。
また、採録シナリオは読み物として、出版されています。

監督が糸をたぐって行くと、監督の出身地である岐阜県の東濃はカスミ網による
渡り鳥の捕獲を生活の糧にした生活文化がかつてあったことが分かります。

そして、そのカスミ網を張る場所が「鳥の道」だったのです。
空が真っ暗になるくらいに渡りのツグミなどが来ると
一日に数百羽も取れたとか。

海がなく、猪などを食べる風習がなかったために、鳥は大事なタンパク源だったということ。
しかし、自然保護を理由に昭和22年にカスミ網は法律で禁止されます。
当時のGHQの方針だったようです。

しかし、このカスミ網は鳥を傷つけずに捕獲出来るために
現在は鳥の個体調査に使われていて、
英語の文献にも”mist net”と載っているそうです。

そして映画は、現在のその個体調査のためのカスミ網の様子、
調査官が目印のリングを取り付けて放鳥する手際などを
山科鳥類研究所の協力を得て、克明に見せてくれます。
私自身はこの場面が非常に面白かったです。

特に、調査官が鳥の羽を扇のように広げて見るところなど、
ああやって見られれば、克明にスケッチ出来るなあ、などと思ったり。

カスミ網の密猟は近年まで続いたそうで、
この話題は今までだと取り上げにくいものだった事は
容易に想像がつきます。

しかし、若い今井監督は、お爺ちゃんの言葉に触発された好奇心と
先入観のない取り組みで、その歴史や人々の関わりを淡々と描いて行きます。
すごいな、と思ったのは、監督のスタンスが自然で、
誰かを悪者にするような決めつけがなく、見るものに判断を任せている事です。

また、囮(おとり」と呼ばれる鳥と人間の関係など
昔の人の知恵に驚かされました。
そして、珍しいツグミの声も聞けますよ。

ただ、カスミ網が禁止されても、自然保護が叫ばれるようになっても
悲しい事に、いま鳥の数は減って行くばかりのようです。

さて、この映画で名前や姿が出てくる鳥たちのいくつかのイラストです。
他にもシロハラやアトリが出て来るのですが、
残念ながら私のスケッチブックにはまだ加わっていません。
カモはアップで写ったのが緑色の頭をして首に白い線があったので、
マガモかな、と思いましたが、定かではありません。

ヒヨドリ

ヒヨドリ


ツグミ

ツグミ


カワラヒワ

カワラヒワ


メジロ

メジロ


マガモ

マガモ

ところで余談です。
この映画は語っていませんし、これは私の推測ですが、
GHQがカスミ網を禁止したのは、多分、リョコウバトの絶滅の歴史が関わっている感じがします。
アメリカでは20世紀の初頭に、億単位で生息していたリョコウバトという鳥が
乱獲のために絶滅した、という苦い歴史があるのです。

人間の破壊のチカラの凄まじさは想像を超えていて、
このリョコウバトなど北アメリカで一番生息数が多いと言われていた鳥だったそうですが、
アッという間に絶滅します。
ナショナルジオグラフィックのサイト リョコウバト、100年ぶりの復活へ

さて、
今日、見たかったのでなんとか時間を作って映画館に行ったのですが、
モーニングショーである事と、地味なドキュメンタリーということもあるからでしょうか、
観客が少なかったのがとても残念でした。

上映後、監督自身がご挨拶されたので、少しお話しさせて頂きました。
それもあり、
是非週末には若い方達にも行って頂きたいと思い、
「ミツバチの大地」の方を先に見ていたのに
こちらを先に記事にしました。

週末にはトークショーもあるようです。
お薦めの一作です。
お時間があれば是非どうぞ。

ドキュメンタリー映画関連の記事
ルーブル美術館の秘密
陸軍登戸研究所

的確な日本経済分析。「投資家の視点」という考え方が新鮮。瀧本哲史著「僕は君たちに武器を配りたい」

瀧本哲史著「僕は君たちに武器を配りたい」を読んだので、
簡単な書評を。

現在の厳しい日本経済を包括的かつ的確に分析しつつ、
若者が生き残るにはどうしたらよいのか、
京都大学で「起業」について教える瀧本哲史氏の
若者にエールを送る著書です。

著者は東大を出てマッキンゼーに就職したという
きらびやかな経歴の持ち主。
なので、資本主義経済にあまり疑念を持っていないため、
資本主義経済の中で、いかに個人が「攻撃は最大の防御」として戦って行くのか、
という視点に貫かれている本です。

まず簡単に資本主義経済に至る世界経済の歴史に触れ
そして日本の現状分析をして行きます。
残念ながらそれは決して明るいものではありません。

しかし、それを嘆いても仕方ないのだから
なんとか活路を自分で見いだして欲しいと、
具体事例をあげて主張を展開して行きます。

著者の主張の幾つかを記しておきます。
1)日本経済は実は今まで護送船団方式で、本当の意味での資本主義ではなかった。そしていま、真の資本主義の荒波に呑まれている。その真の姿を見極めよ。
2)真の資本主義社会では、自分の頭で考えないと、DQNビジネスのカモになる。
3)真の資本主義社会では投資家的思考が必須である。
4)自分も「商品」である。
5)イノベーションとは違うもの同士の結合である。
6)スペックより教養こそが重要。

特に3)の「投資家的視点」は、今アベノミクスで株高がもてはやされているけど、
少し意味合いが違います。

株を所有するという事は、お金を儲けるだけではなく
「投資家的思考」を手にする事だ、
と説きます。
つまり労働の対象として企業を見るだけではなく、
自分が企業から果実をえられる立場になることだ、
と言うのです。

私はこの企業に「投資家的視点」を持って関わるという発想が新鮮でした。
著者は「投資」と「投機」は違い、前者は資本主義経済の牽引役、
後者はパチンコと同じようなギャンブルだ、と定義します。

株に関しては、個人で持つ事は薦めないと言いつつ、
自分の投資の方法を具体的に説明しています。

それは、とてもシンプルで、知らない人の株は買わない、と言うものです。
少し前に、ジム・ロジャースという大物投資家のインタビューを聞いたとき、
ジム・ロジャースも同じ事を言っていました。

結局、証券会社が「どこそこが上がりそうですよ」なんていうのを信用しちゃダメで、
自分でひと手間も二手間もかけて調べて納得したものだけに
投資します。
その調べ方も具体的に書いてあります。
しかも、一度買ったら長く持ち続ける、というのが著者の
投資方法みたいです。

なお著者のプロフィールに「エンジェル投資家」とありました。
どうやら、「創業間もない企業に対し資金を供給する富裕な個人のこと」のようです。

もう一つ大きな本書の特徴は、懇切丁寧に各章の終わりに、大きな文字で
「ここまでに手に入れた「武器」」として纏めがついています。

それだけ読めば良さそうなものですが、
意外に、本文の何気ない一文にハッとするものがあるのです。

「分からない差異は差異ではない」のである。それより、「色がたくさん選べる」といった、はっきり目で見える差異の方が、よっぽどユーザーに取っては大事なのである。
(p.67)

こんな一文にビジネスのヒントがあるような気がしました。

ところで、この本は、若者のために書かれたものですが、
同時に、現状の日本経済にたいして正確な認識があまり出来ていない、
40代以上の人たちにも読んでもらいたいですね。
ちなみに「生産性の低い40代50代社員が幸せそうにしている会社には入るな!」
というセンテンスもありました。

エッセンシャル版、も出ているようです。

なお、この本でかなり残念だと思ったのが、そのタイトル。
一見して経済の本と分かりにくいのは、自分も商品、と言う著者らしからぬネーミングだなと思いました。
で、★四つ。★★★★

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