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ほそぼそと絵を描き綴り、言葉を書き綴っていきます。

お薦め本〜辻邦生「背教者ユリアヌス」


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この記事は5月の連休用に4月26日にアップした記事なのですが、
最近、スパムのターゲットにされているので、
一端削除し、再掲します。

連休に限らず、是非読んで頂きたいお薦め本の一冊です。

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今日、羽田モノレールに乗ったら
大きなキャリーバックを引っ張っている人たちに
会いました。

……で、
「あ、連休なんだ」と思い出しました。

といっても、
私は混んでいるところに行くのが苦手なので、
連休中は家に居ます。

仕事のメールも来ないこういう時に
じっくり普段は出来ない事をする
のはどうでしょう。

休暇だからと旅行や買い物で終わってしまうと
又あたふたと仕事に戻ることになります。

一日くらい、ネットを完全オフにして、
缶ではなく、
コーヒーをゆっくり煎れ、
空でも眺めてみましょう。

時計替わりにテレビをつけるのも我慢ガマン。
最初は淋しいかもしれませんが、
半日もすると、外の鳥の声や
風の音が聞こえて来るようになるでしょう。

季節は気がつかない間に移り、
もう新緑が青々とした影を落とし、
花の色も濃くなっています。

もし、連休中に読む本をお探しなら、
まだ「文学」という言葉が人々を深く動かしていた
昭和の代表的な物語作家、
辻邦生の本はいかがでしょうか。
理知的な耽溺を味わうことができるかもしれません。

辻邦生は学習院大学で教鞭をとりながら、
膨大な量の作品を残しました。
その作品の多くは
日本やヨーロッパを舞台にした、
叙情溢れる大ロマン小説です。

特にお薦めなのが、文庫で3巻あり、
まとまった休みに読むにふさわしい長さの
「背教者ユリアヌス」。

題名は生硬ですが、正真正銘のロマン大河小説で、
深い深い愛の物語です。

一度読みはじめたら、寝るのも惜しくなるほど
その物語の世界にぐいぐいと引き込まれて行きます。
「物語を書き続けなければ」と言っていた
作家の面目躍如で、まさに金字塔の作品です。
そしてその筆致は的確でありながら豊穣です。

例えば、
愛する人を思ってユリアヌスが花の庭を散策するシーンなど、
まるで、読者がその隣でユリアヌスの息づかいを
聞いているかのような錯覚を起こさせるほどで、
読んでいると胸がドキドキしてきたものです。

辻邦生は、フランス留学の経験があり、
パリのアパルトマンを借りて日本と行き来していた時期もあるようです。
パリで客死した思索家の森有正とも親交があって、
ヨーロッパの歴史に造詣の深い知識人であると同時に
品のあるインテリ風のハンサムな人でしたが、
その日記などを読むと、「書く事」へのほとばしる情熱で
まるでアスリートが筋力トレーニングをやるように
毎日毎日原稿用紙に向かっていたようです。

奥さんで美術史家の辻佐保子氏は
「いつも書いている人だった」
と語っています。

20130426

平成に入って今年で25年。
四半世紀が過ぎようとしています。
辻邦生自身は平成11年に他界しますが、
昭和44年から47年まで、
昭和のど真ん中に発表された小説で、
昭和48年に毎日芸術賞を受賞した作品です。

そのスケールの大きな壮大な物語は
是非、平成生まれの人に読んでもらいたい一冊です。

物語が真の力を失いかけているような今、
ほんとうに「泣ける小説」とはどういうものなのかが
味わって頂けると思います。

深い感動と溢れる物語をあなたへ。

では、素敵な連休を。
私は連休中もボチボチ更新して行きます。


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最優先にすべきこと

テレビは見ないのですが、
相も変わらず「24時間テレビ」が放送されたようですね。
今進行中のふくいちでの汚染をキチンと報じないでも
やるべき放送なのでしょうか。

私達の社会は集団で行け行けドンドンの目標がある時には
とてつもない力を発揮するけど、
物事の後処理やら、
上手く行かない事態から撤退することや
途中で中止が決められない体質であることは、
先の大戦とか、バブル崩壊後の失われた20年とか、
残念ながら、歴史が証明しています。

怖いのは、崖っぷちまで行っても引き返すことより、
崖に落ちることを奨励するかのような時です。
先の大戦でも、神風特攻隊のような悲しい死がありました。

海が世界と繋がっている以上、ふくいちの汚染水問題は、
日本だけの問題ではないのは、誰が見ても明らかです。
もう東電はお手上げ状態みたいに見えるし、
国家プロジェクトを立ち上げ、
首相が世界にアナウンスして、
世界に助けを求めるべきことのように思えます。

海にながして薄めれば問題無い、
みたいなことを言う学者もいるみたいですが、
仮に、今までの分はそうであっても、
東電だけに任せておいたら、
確実に、燃料を取り出せるまで営々と
汚染水は海に流れることになって行きかねません。

もちろん、この汚染を公式に認め世界にSOSを出せば、
経済に良い影響はないでしょうし、
オリンピックなどもやっている場合じゃなくなるでしょう。

だから、国民も政治家も官僚も東電も、
事態を小さく見せてやり過ごしたいと思っているのかもしれません。

でも、やり過ごせることでしょうか。
燃料が地下水に触れているかもしれないのです。
ない事にしたくて、このまま積極的に対策をとらないと、
近づくことさえままならなくなるかもしれないのです。

つい最近だって、水たまりの空間線量で100mSv/hあったのです。
仮にこの場所で一日7時間十日間働くとほぼ半数の人が死ぬ線量です。

もう、誤摩化したり騙し騙し出来る状態ではないのではないでしょうか。

しかし、311以降に思い知らされたことがあります。
普通の人々の「今の生活を手放したくない」
という強固な意識の積み重ねが意外に大きく響く、
ということです。

原発事故後にローンを組んでマンションや家を
買った人も少なからずいます。
そういう人達は、「原発事故はたいしたことなかった情報」
を鵜呑みにしたのかもしれませんが、
どんな事があっても経済は落ち込んでもらいたくないはずです。

しかし、そういう人達に「騙された責任」はあるでしょうが、
先延ばしや安全情報で事実を隠蔽して来たことのツケが
今束になって押し寄せている感じで、
もし最初から本当のことを開示していれば
家を買う事はなかったかもかもしれません。

いつまでも負けを認めずに、沖縄の地上戦や
2発の原爆投下まで白旗を揚げずに
被害を拡大した社会の体質そのまんまです。

まだ誤摩化すのでしょうか。
改憲なんて言ってる場合じゃないと思うのですよね。

今日は311以降、読んだ原発関連の本をあげておきます。
311以降と今では状況のホットさはもちろん違うのですが、
結局、今も、事態は良くなっていないし、
もしかすると、想像もできない事態すら起きる可能性は
否定出来ないのです。
経済の落ち込みを考慮しても、私は、国を挙げて
この問題に取り組むべきだと思うのですが……。

参考になれば良いのですが。

まず推進派。
ブログ「金融日誌」の藤沢数希さんの本。
推進派の理論のほとんどが網羅されていると思います。
経済第一、と思う人は納得の内容。
人の命も経済がなければ助けられない、
というのはよく聞く論理で、この本でも言及しています。

ニュートラル本。推進派に読んでもらいたい。
題名よりずっとニュートラルな内容です。
反対派と推進派の話し合う公共の場が必要と説いています。
作者本人の考えというより、様々な立場の人に意見を聞く、
という内容で、特に哲学者の内山節さんの意見は、
推進派にもキチンと考えてもらいたい内容を含んでいます。

ご存知小出裕章本。
原発反対派の代表の本。

マダムかよこが一押しです。
分子生物学者の書いた本で、私はとてもしっくりきました。
著者自身が、科学者でありながら、
原因不明の病気に悩まされたことも関係するかもしれませんが、
科学も分からない事がある、というスタンスです。

原発報道についての本。
著者二人ともジャーナリストとしてはアクが強いですが、
海外の事情が分かりやすく書かれていて、読む価値ありだと思います。

放射能対策具体本。
放射能対策の家の目張りの仕方、など、
役に立つ情報満載。
私は、ふくいち事故後すぐ読みました。
地震国なので、目を通しておいて損はないです。

ふくいちの事故後、様々な人のメッセージを集めて出版されたもの。
作家の池澤夏樹氏、城南信用金庫の吉原毅氏、
大地を守る会の藤田和芳氏、元宇宙飛行士の秋山豊寛氏、
また、原発は安くないと計算する立命館大学の大島堅一氏
などが寄稿しています。

昆虫おばさんの拾い物

以前はあまり気がつかなかったのですが、
里山風景に馴染むようになると、
普通に歩いているだけで、
いろんな拾い物をするようになります。

一昨日はアブラゼミの死骸が風に舞っていたので
持って帰って来てデッサンしました。
頭と羽しか残っていないものでした。

以前、トンボのひからびたのを見つけた時にもその羽の
構造に魅せられたものでしたが、
セミの羽も素晴らしい構造をしています。

どれほど細かくても、構造が十字になることはありません。
必ず少しずれていて、T字に交差するようになっています。

20130822001

一ヶ月ほど前には、家の近くの道路で
キラキラと玉虫色に光るカナブンを見つけました。
20130822002

こういう拾い物は、すぐ絵にしないと持たないので、
予定外で急に忙しくなります。
カナブンの美しい玉虫色も3日もすると鈍くなってきました。

明日は処暑。
朝晩はだいぶ風が涼やかになってきましたし、
日の入りもかなり早くなってきました。
秋の日はつるべ落とし。

早いもので震災から3回目の秋をむかえようとしています。

田んぼ、8月の様子

この四月から参加している「田んぼ作り」。
昨日久しぶりに見てきました。

この4ヶ月を振り返ってみます。

まず種もみ巻き。
これは4月14日でした。
20130415
前もって発芽させた種もみを柔らかく耕した田んぼの一角に捲きました。

この種もみが一ヶ月半で、↓ このくらいの苗になりました。
20130821001

6月2日に田植えをしました。
20130702

その後、順調に育つ稲。
トンボ達のすみかです。
20130728

そして、昨日はこんな感じ。
絵は昨年のものですが、ほとんど同じです。
20130413

ただ、今年はやはり雨が少ないことが気になります。

来月終わりの収穫までに順調にいってくれることを祈っています。

ところで…………、

ふくいちではこんなことが起きているようです。
福島第一原子力発電所構内H4エリアのタンクにおける水漏れについて(続報2)

このリンクには、

「(略)……、核燃料物質等(気体状のものを除く)が管理区域内で漏えいしたとき。」に該当すると判断いたしました。

とあります。

つまり、気体ではない核燃料物質等が漏洩したという意味は
単純に考えて、核燃料が外に漏れている、ってこととも取れます。
官僚の作った法律用語らしく、実態はよく分からないものの、
核燃料である、という可能性も否定出来ません。

別のニュースでは
「汚染水の水たまりで100ミリシーベルト 福島第1」とあります。

さらり、と書いてありますが、
相当とんでもないことが、ふくいちサイトでは、起きているようです。
本来ならば、首相が視察に行って、状況を判断することではないでしょうか?

私自身、甘かったな、と最近感じています。
どこかに「もう2年経ったから」という気持ちもあったし。

これから、本当に過酷な時代が来るのかもしれません。
経済的にもそうですが、
海や土壌の汚染など、どれほどひどくなるのか
想像もつきません。

……、しかし、しかしです。
こういう時代は、まさに人間としての「力」が
試されることになって行く気がします。

どんな状況でも、情報を探して自分で考え判断する。
人生におけるプライオリティーを精査して、
意味のないことには時間を使わない。
理不尽なことには目をつぶらない。
なんとか楽しみを見つけ出して、生き抜く。

生き抜く力、というのは自分で何かを生み出す力でもあると思います。
今、何から何まで他者の用意したもので生活している都会の私。
これからは、すべては出来なくても、
出来ることはやって行きたい。

今年はファーストステップとして、お米の作り方は学びました。
すぐ出来るようにならなくても、試したことあるのとないのとでは
雲泥の差です。

お米を作るシチュエーションはよほどの時でしょうが
少なくとも、次に大きな地震が来ても
買いだめに走るようなことはしないで、
日頃から備えておきましょう。
水、食料、簡易トイレ、乾電池、家族との連絡方法等々。

こういう国に54基の原発を作った自民党。
危機感ゼロで首相もゴルフ三昧だそうです。
呆れてものも言えません。
これ以上汚染がひどくなると、
海外から突き上げが来るような気がします。

国家とはシステムであると実感した時

日本はたまたま島国で、
特に明治以降、挙国一致体制で西洋に追いつけ追い越せ
でやって来て、
いつからか、「国体」というものが生まれて
第二次世界大戦に突入し、
「お国のために死ぬ」のが美徳とされ、
ほんとに300万人の犠牲者を出したから
そういう考えは辞めたはずなのに、
最近はゾンビのようにそういう考えが
生き返って来て
国家というのがまるで生き物かなにかのように
取り扱われる昨今。

ただ、これは、隣国と接していない島国であることと
日本人の民族性が生んだ幻想に近いものだろうと私は思っていて、
そう思うには理由があり、今日はその事を書いてみます。

で、日本は島国なので、つい郷土と国家を混同しちゃうけど、
国家というのはかなり新しい概念で、
例えば、今エジプトが大変だけれど、
中東は近代になるまで国家というものは無くて
西洋が勝手に国境線を引いたという歴史があります。

あとで説明するように、
国家というのは「国家を動かす人々のためのシステム」なのです。
ところが、中東のように国が無いところに国が生まれると
税金を集めて国を動かす人たちにとって、
国家というのはとてもおいしいシステムなので、
中東でも国が生まれた以降、利害関係がすごく複雑になってきています。

では、単なるイメージではなく、
以前私が、国家というのはシステムなんだ、
と実感した経験を、書いてみますね。

…………

スイスのサンモリッツという町はスキーリゾートで有名です。
私が行った時は夏で、
「セガンティーニ」という画家の美術館を訪ねました。
(此処はお薦め。ただしセガンティーニ自身はイタリア人)

サンモリッツに行った晩はイタリアの避暑地コモ湖に泊まる予定だったので、
バスでイタリアに向かって南下。
アルプスの山裾を這うように降りていく時、
カレンダーのよう美しい景色を堪能しました。
特にスイスは町がきれいで、窓辺に花がそろえてあったりして、
人の手が行き届いています。

ところが、イタリアとの国境を越えたとたん、
町が今までとは違って、突然、庶民くさくなったのです。
ローマの創始者ロムルスとレムスの伝説の五本足のオオカミマークの
ガスステーションの横を通る頃には、
300メートル手前のスイスとはまるで別の町。
家の壁は薄汚れ、バルコニーには洗濯物。
(イタリアの悪口ではありません。私はイタリアの方が居心地が良かった)

私はそのとき、国という概念を理解したように思うのです。

つまり、
この地方の人たちは当然のことながら、
スイスとイタリアに分かれる前から
ひとつの生活圏として交流していたと思うのです。
つまり同郷。
当然結婚したり親戚になる人たちも多かったはず。

で、あるとき、国境が出来る。
そうすると、主権国家が違うと法律も教育も違うから
少しずつ町も人も変わらざるを得なくなります。
スイスは永世中立国で軍隊があり、町には兵器庫などもありました。
万が一イタリアと何かあれば、親戚とも戦わなければならない。

イタリア人にしたって隣町と戦うなんてごめん被りたいでしょう。
親戚だっている。
同郷ですから。

しかし、そういう時に郷土愛というのは基準にならないのは明白です。
イタリアという国家の主権の及ぶ地域で暮らす人と
スイスという国家の主権が及ぶ地域の人、
という区分けで物事は処理される。
つまり、領土も民も結局は主権国家のシステムに組み込まれるわけです。

でも日本は島国だから、という人もおられるでしょう。
つまり主権国家と郷土が一緒という考え方。
でも,例えば与那国島は石垣島より台湾に近い(台湾までは111キロ)。
昔から交易もあったはず。
それでも何かあれば、日本国民として対応を迫られる。
実際台湾に行くためには、那覇(あるいは石垣島?)からでないと
出国出来ないでしょう。

また、与那国島からは2000キロも離れたところにある東京が首都で、
税制も教育も日本の国家主権のもとでなされる。
こう見ると、主権国家とは郷土のようなもの、
と考えるのはやはり無理があるように思えるのです。

私達が日本という山河の国土や文化を愛したとしても、
「システムとしての日本国家」は
愛の対象ではなく、
主権者たる私達の付託を受けて権力を行使している人々が動かしており、
私達から見れば、あくまでも彼らが仕事をきちんとしてるかどうかの
監視の対象でしか無いのです。

そして憲法も、付託された人々(議員達)をキチンと働かせるものであり、
私達国民のものです。

その付託された人たちが、自分達が縛られるのはイヤだと言って
改憲しようとしているのが、自民党改憲案です。

私達は、もう少し、権力とか国家というものが
実は私達と対立する概念であることを
肝に命じたいものです。

資源のない国の生き方

今日は68回目の「敗戦の日」です。

私が今日この日に、
日本が二度と間違った道を歩まないために
言いたいことは以下の二つだけです。

①日本は資源のない国で、
②地球は有限である。

この厳然たる事実を前にして、
自衛隊を国防軍にするとか、核武装すべきだ、
などと言っている政治家は
私にとっては、寝ぼけたことを言っている、
お花畑はどっちだ、
という感じで、理解を超えています。

先の大戦も結局、世界から孤立して
ABCD包囲網に経済制裁を加えられ、
無謀な戦争に突入しました。

今の時代だって、世界がその気になれば、
島国である日本を兵糧攻めにすることなんて簡単でしょう。

しかし70年前と違うのは、
日本の政治家の発言は瞬時に世界をめぐり、
一方で日本の庶民にすら世界のニュースは読めることです。
70年前に比べれば、歯止めのハードルは高くなっているはずです。

70年前は日本国民は全くの井の中の蛙で
ナイーブ(世間知らず)でした。
最も、今も7割の人がテレビや新聞の情報を鵜呑みにしている
と言います。

経済大国になったことで、私達は勘違いしがちですが、
地球が有限である以上、資源のない国は
世界になにか危機が訪れたら、
日本と言えども札ビラで買いあされない状態
に簡単に陥ります。

分かりやすいのは、食料問題です。
食料生産国が飢饉にあえば、輸出にまわさなくなります。
食料の多くを輸入に頼っている日本は薄氷を踏むような状態に
なるでしょう。
こういうとき一番打撃を受けるのは都会です。

エネルギーの問題も悩ましいですが、
原発が一度事故を起こすと手のつけようがない汚染を
引きおこすのは、ふくいちが証明中です。
石油や天然ガス、自然エネルギーを上手く組み合わせて
行くしかないでしょう。

結局、「資源のない国」は身の丈にあった生活にシフトしつつ
外交と貿易で世界と渡り合うしかないのです。

勇ましいことを言う政治家は是非、地元の有権者が
諌めて下さい。
アイスノンか冷えピタでも送ってあげて下さい。

冗談ではなく、集団的自衛権の容認などで、
戦争の出来る国にしてしまっては、300万以上の戦争犠牲者に
申し訳が立ちません。

ようやく戦後築いて来た社会インフラとシステムを維持するには
平和以外ありません。

絵画をめぐる心理劇

今日は
トレイシー・シュヴァリエ(Tracy Chevalier )著
“Girl With a Pearl Earring” (邦題:『真珠の耳飾りの少女』)
をご紹介します。

以前ちょっとご紹介しましたが
読了しましたので、書評を。

いうまでもなく、フェルメールの代表作
『真珠の耳飾りの少女』(オランダマウリッツハウス美術館所蔵)
を題材にしたフィクションです。
映画ではスカーレット・ヨハンセンが主人公を演じているようで、
そんなところから何となく「恋愛物」だと思って読み始めたのですが、
むしろ絵画をめぐる一風変わった心理劇、という趣きです。

主人公は父親のアクシデントから、フェルメールの家に
奉公に出ることになったGriet。
わずか16歳の少女なのだけれど、
自分の不利な状況を、その度ごとに見極めて
ひとつひとつ乗り越えて行く賢い少女。
この少女をめぐる周囲との静かな心理劇。

面白いのは、人間模様の描写だけではなく、
当時の絵画制作における絵の具の作り方の描写なども
出て来るところです。

今私達は、絵の具はチューブに入っているもの、
と思っていますが、もちろんこれは、近代になってからのこと。
顔料も現在は合成ですが、当時は天然のものばかり。
本の中にもフェルメールが好んで使ったラピスラズリを
細かく摺って色を作って行くと、その青のあまりの美しさに
主人公が心を動かされる様子が描かれます。

また、フェルメールはカメラの前身である
カメラオブスキュアを使ったともいわれていて、
主人公がフェルメールと一緒にその不思議な箱を
覗くシーンも出てきます。

つまり、フェルメールのファンなら、ワクワクするような仕掛けが
詰め込まれた小説なのです。

フェルメールの作品が次々と描かれて行く様子も
語られ、フェルメールの画集を側に置いて読んで行くと
楽しみが倍増だと思います。

また、主人公の性格描写などが具体的で、
英語でもイメージしやすく、
しかもそれらと先に述べた様々なディテールと響きあって
少しずつ少しずつ話は針の先を突き刺すような、
緊張感が高まって行きます。

原題の ”Girl With a Pearl Earring” も不思議です。
なぜなら、イヤリングは普通両耳につけるから複数のはず。
この謎も、本を読めば解けます。

カトリックかプロテスタントか、という
私達からすればあまり興味がわかない部分も実は
重要な秘密が途中で明かされたりもします。

文学的にすごく重要、という本ではないですが、
17世紀のオランダの町や人々の様子や風俗と
ちょっと知的な芸術家の生活を鮮やかに再現してくれた一冊です。
そしていつの時代も変わらぬ人間の理不尽な心の描写も見事。

英語も、作者の文体に慣れると、
私でもスラスラ読める難易度です。

少し古いヨーロッパに興味のある方や、
人間の心の彩の英語表現を増やしたい方には
楽しめる一冊ではないでしょうか。

ところで、Grietは「真珠の耳飾りの少女」の
モデルになるのでしょうか。
それは読んでのお楽しみ。

絵の具の話に付け加えると、
今は油絵も水彩絵の具もチューブ入りですが、
実は日本画では、今も絵の具をすり鉢で摺って
膠(にかわ)で溶きます。
日本画を見る機会があったら、是非思い出して下さい。

翻訳は↓ こちらです。

↓ 分かりやすいフェルメール解説本。図版もキレイです。