今回の個展、思いのほか
お買い上げ頂いており作家冥利に尽きます。
本当にありがとうございます。
ただ、初めての方は、現金でのお取り引きのみと
させて頂いておりますので、
ご了承くださいませ。
リピーターの方はその限りではありません。
奥の展示部分の作品については、
会期終了後に着払いでお送りします。
お持ち帰りコーナーもありますので、
ご利用いただければ幸いです。
本日もよろしくお願いいたします。
今回の個展、思いのほか
お買い上げ頂いており作家冥利に尽きます。
本当にありがとうございます。
ただ、初めての方は、現金でのお取り引きのみと
させて頂いておりますので、
ご了承くださいませ。
リピーターの方はその限りではありません。
奥の展示部分の作品については、
会期終了後に着払いでお送りします。
お持ち帰りコーナーもありますので、
ご利用いただければ幸いです。
本日もよろしくお願いいたします。
一点物の絵の価格の設定に関して、
今まであまり議論されてきませんでした。
専門のギャラリーを通して買う、
というのがごく一般の方法だったからです。
それをインターネットが一変させました。
どの分野でもそうですが、インターネットの発達により、
遠く離れた個人と個人が繋がる事が容易になりました。
また、「作品の価値」が歴史的なそれから
「個人の志向」に移行している部分もあります。
「私が好きだから、気に入ったから買う」という価値観への移行です。
芸術の大衆化は20世紀の大きな流れですが、
多くは印刷物などのマスメディアに乗るものでした。
インターネットの出現により、
芸術作品でも作り手と買い手を直接結びつける
パーソナルメディアによる売買が可能となりました。
買い手はネット上の多くの作品と見比べて
「自分の好みの芸術作品」を選べるわけですから、
素晴らしいと同時に、
作り手に取ってはかなり厳しい時代が来たと言えます。
その時に不明朗なのが、価格設定でした。
それに対して一定の基準を設けたのが、
一点もの作品の販売サイトです。
この試みは大変素晴らしいので評価に値すると思います。
ただ、作品を制作する事によって生活する人たちよりも、
絵によって生活する必要のない
日曜画家のための価格設定ではないか
と思われるほどの低い設定になっています。
この価格設定の問題点は、「面積」で出している事です。
実は、一点ものの絵が出来るまでには膨大な時間と費用がかかっています。
一枚の絵が出来るまでには、
作家は膨大な数のスケッチやエスキースを試していきます。
それらにかかった時間を算入すると、
目の飛び出るような価格になりかねません。
そしてそれは作品の大小や面積とは
必ずしも相関関係があるわけではないのです。
小さな作品でもデティールを細かくしたら、
その作品の2倍の大きさの作品の3倍の時間がかかった、
ということもあるのです。
大きくて簡単に見える作品の影には膨大なエスキースがあるかもしれません。
例えとして、河井寛次郎という陶芸家が言ったとされる逸話があって、
河井寛次郎が人前で器に筆で模様をサッサと描いて仕上げたのを見た人が
「30秒で出来るのですね」と言ったら、
「60年と30秒です」と答えたというのです。
一生に渡ってのたゆまぬ精進こそが、作品に反映するのだという事です。
そしてそれは、他者に目に見える形では現れないわけですが、
作品には確実に反映されていきます。
さらに、絵描きも霞を食べて生きているわけではありません。
ですから多くの作家さんはアルバイトしたり学校の先生をやったり
イラストレーター(商業美術)やホームページ制作で生活を立てるなど、
涙ぐましい努力をされています。
またそのような活動も作家としての社会性を育む上で重要でしょう。
ただ、自分の作品制作で生活出来る事を望んでいる個人作家も
少なくないはずで、個人作家が絵の制作で生活出来るとしたら、
どの程度の価格設定ができるのだろうかと、
今回、私は自分なりの「一点もの作品」の試算をしてみました。
これはあくまでも試算ですから今後の議論が必要ですが。
企業に勤める人は、一日7時間週五日、一週間に35時間労働です。
東京だと月収25万円から30万円位はないと
生活出来ないのではないでしょうか。
絵描きには一生に渡ってスケッチや模写、資料集めが必須ですから、
35時間の三分の一をそれらに当て、
残り週約24時間を制作に当てるとします。
週五日「時給2500円」で30万円です。
買い手のコストパフォーマンス感と
作り手の安心感のその落しどころとして、
この試算はいかがでしょうか。
インターネットで気軽に取引が出来る時代に、
多くの人に「洋服を着替えるように作品を楽しんで欲しい」と思う私からの
小さな問題提起でした。
今後も考えていきたいと思います。
いよいよ明日から個展です。
今回の個展では、
「お持ち帰りコーナー」を作りまtした。
絵も出会いです。
例えば、
たまたま入ったお店でステキな洋服を見つけたら、
持ち合わせがあれば、
たいがいの人は買うのではないでしょうか。
絵は見てもらうために展示してあるため、
すぐ自分の物にならない事がよくあります。
その時は「後でくればいい」
と思うのですが、たいてい人は未来に進んでしまうために
1、2時間すれば忘れてしまします。
絵の描き手にとっても、絵を欲しいと思った人にとっても
機会逸失で、経済的にも出会い的にも残念になりがちです。
今回は、ブログにアップした作品を中心に
「お持ち帰りコーナー」を飾りました。
気になる作品があったら、
早い者勝ちですので、
ぜひ、電子データとは違う、額装を施して
ちょっとおすましな姿を見に来て下さい。
個展のDMハガキのために絵を描いている時に
集団的自衛権の容認の閣議決定がされました。
その結果、この子どもが虫取りに興じているシーンの
持つ意味が劇的に変わってしまいました。
個展では、
里山活動を通して描いた子どもたちや
自然の移ろいがご覧頂けます。
「KIDS & NATURE」というテーマは
ここ数年描いて来たそれらの絵の総称で
ごくごく自然に決まりました。
作品の数はあるので、最初はその中から選んで
DMハガキにするつもりでしたが、
あれこれ選んでいるうちに
その総称にふさわしい新しい絵を描こうと思い至りました。
個展までの時間はあまり無く、かなり無謀な試みだったし、
直後に突き指をこじらせ、全く右手が使えない状態になってしまいました。
実際、個展の会期の一週間前に絵が出来上がる
という事で、広報的にはNGな訳ですが、
絵描きとしては、描いて大正解でした。
で、この絵、題を付けるとすれば
「夏の午後」とか「虫さん大好き」
といったような題名にするつもりで描いていました。
ところが、あの許し難い閣議決定です。
一つ前の記事に書いたように
今回の閣議決定は安全保障の問題以前に、
立憲主義という国の形を壊す暴挙です。
しかし、同時に、中高生の間には
「僕たち戦争に行かされるのか」
という6月30日までには考えもしなかった
不安が広がり始めていると言います。
たった一つの政府の横暴な選択で
若い人たちの人生の意味がガラリと変わってしまったのです。
それまでの日常の意味が変わってしまったのです。
政治とはそういうものなのです。
権力とはそういうものなのです。
このところ選挙の投票票率は戦後最低水準ですし
「政治なんて誰がやっても同じ」
というシニカルな反応も蔓延しています。
しかし、違うのです。
真剣に政治を考えないと
一晩で戦争に連れて行かれる事にもなるのです。
今この絵に題名を付けるとすれば
「この子たちを戦場に送らない」
という題名にしなければならないと思っています。
———————
マダムかよこ展
会期 2014年7月16日(水)から21日(月・祝)
11:00~19:00 (最終日は17:00まで)
場所 原宿 積雲画廊
テーマ 「KIDS & NATURE」
印刷物になったものの原画と新作を中心に展示する予定です。
やはりこの事はしっかり書いておきます。
今、日本は大きな転機を迎えようとしています。
70年間守って来た
どの国も攻めない、誰も殺さない、
という憲法を、国が「解釈改憲」という邪道で葬り去ろうとしています。
いえ、
実際は政権による憲法違反の行為なのですから、
憲法を葬り去れるはずはないのですが、
既成事実でいろいろ進めようとしています。
国民は「既成事実に弱い」と舐められているのです。
この問題、
第一に私が許せないのは、
今の憲法には公務員(もちろん議員も入ります)は
憲法を尊守する事が義務づけられているのに、(憲法99条)
また改憲したい時には改憲できると書いてあるにもかかわらず、(憲法96条)
憲法改正を発議して国民的議論にするわけではなく、
閣議決定というインチキで、憲法違反をする事です。
閣議決定は閣僚17人で物事を決める事です。
あり得ないでしょう。
憲法より閣議決定が「格が上」なんて、法治国家じゃありえない。
とにかくルールに従わない姑息なやり方です。
私は9条は守るべきだと思うけれど
でも憲法改正を国民で議論し、国民投票の結果、(憲法96条)
9条改正が決まるのなら、引き下がるしかありません。
しかし、国民にはなるべく分からない形で
コソコソと憲法を無効に出来るかごとく振る舞うやり方は
到底許されるものではないです。
これのどこが「美しい国」なのか?
結局コソコソするという事は
やってはいけない、という事を政権は分かっているからなんですね。
だから泥棒猫のように行動するしかない。
自ら不正を白状しているようなものです。
恥ずかしくないですかね?
【憲法98条】
①この憲法は、国の最高法規であって、その条項に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
さて、
もう一つ私がおかしいと思うのが
中国脅威論です。
今は普段あまり政治に関心を持たない人でも
「中国は覇権国家だから」と普通に言います。
私にはそれがすごく不思議に思えるのです。
中国には2度、行った事あります。
一度目は北京、1998年くらいだったと思います。
2度目は皆既月食を見に上海郊外に行ったのですから
2009年の7月でした。
中国はとにかく大きいのです、全てが。
アメリカのワシントンに行った時にも感じましたが、
大陸というのは、やはり想像を絶する大きさがあります。
もちろん、大きい、というだけである種の脅威になりえます。
でも、その時私が思ったのは、
彼らの発想はわれわれ日本人とはかなり違うものになるだろう、
ということです。
ところで、私はテレビはほとんど見ませんが、
街を歩く時には人や町並みの変化を敏感に読み取るようにしています。
今、都心に行くと、どこもかしこも海外からの観光客で溢れています。
例えば銀座。
マックストア、伊東屋の万年筆売り場、
鳩居堂のカード売り場、ユニクロのビル、
松屋や三越の店内、
ベルサーチやシャネルのブランドビル、……etc。
新宿だって、伊勢丹の売り場は2.3割くらいが観光客です。
渋谷の東横のフードショーのイートインには
観光客が並んでいます。
アイスクリームを食べている海外からのカップルもいる。
この5月の海外からの観光客は
前年同月比25.3%増の109万7千人
だそうです。
観光客は世界中からです。
これは311以前には無かった事ですが、
山手線に乗っているとイタリア語、スペイン語、フランス語も聞こえてきます。
中国語や韓国語はもう当たり前です。
経済は正直です。
しかも日本政府が観光客誘致に一生懸命で、
実際海外からのお客が増えているのに、
中国脅威論、って言ってる事も自己矛盾です。
私が中国の政治家なら、
世界中から観光客が来ている国を攻撃したりしませんね。
ましてや自国の民も大挙して押し寄せているのです。
中国からの観光客は16万5千人、103%の伸び率って前年の倍ですよ。
それに、中国はヨーロッパとも関係を深めようとしています。
ヨーロッパから観光に来ている人たちを
危険に陥れる行為を取るはずがありません。
経済でいえば、アジアは華僑の力が強い。
アジアの国々との摩擦はあるようだけれど、
華僑がやりにくい事をむやみに押し進めるとも思えない。
中国が良い国なんて思わないし、
環境問題も酷い。
でも「中国怖い」脅威論は
なんだか、日本からの視点だけで作られているみたいな気がします。
そして、
「憲法より閣議決定が上」なんて、ありえないのですから、
キッチリとNOを言っていきましょう。
6月30日官邸前緊急抗議があります。
一ヶ月くらい前から、去年の記事が
毎日10人くらいの方に読まれています。
一年で、庭が大変身!
昨年の4月22日の記事です。
来て頂く検索ワードは
草むしり、コツ
庭の草むしり
楽に草むしり,
庭作り草むしり
などです。
梅雨の前後から、草むしりをしなくちゃ、しなくちゃ
と思いつつ、手が付けられない方が増えるのでしょう。
高温多湿の日本は植物の天国ですから。
自分で検索をかけて、確認してみたのですが、
上記の検索ワードでググってみると
だいたい上位は業者さんが占めています。
その中で、10番目くらいにでて来る私のブログに
毎日10人くらいの人が来るのは、
なぜだろうと、自分が検索をかけた側になって考えてみました。
まず、検索のサマリーに
「草むしりのコツには二つあります……」と
具体的な数字が出るからかもしれないと思いました。
二つある、と書かれてあれば、ただ単に「コツがあります」
というより、簡単そうだし役に立ちそうに感じるのかもしれません。
実際に、この記事の内容は、
専門家の方に教わったことですし、
自分で実践したことですから、
草むしりにお悩みの方には
それなりにお役に立つにではないかと思います。
こんな風に思わぬアクセスを頂けるようになるのも
一年半、曲がりなりにも、このブログを続けて来たから。
実はこの3月4月くらいが更新ストップしそうで危なかったのです。
ルーチンになると苦にならないことでも、
習慣が途切れると、再開が難しい。
きっとそこでやめる人も少なからずいると思います。
そんな時思い出すのが小飼弾氏の
「自分でメディアが持てる時代」
という言葉。
確かに、更新が滞りがちな時にも
言いたくて仕方ない事がでてくると、
「ブログに書けばいい」と思うのです。
自分のドメインでもありますし、
「自分のメディア」という実感があります。
しかも、ブログは蓄積なんですね。
ツイッターなどの時系列に流れていくSNSとはやっぱり違う。
キチンと残ります。
また、単に自分が書きたいと思って書いたことが、
あとからその時々のトピックにシンクロすることもあります。
でもその分、ある程度の結果が出るのには時間がかかる。
もともと、何かを継続してやることに強い私。
いつもいつも人様の役に立てる記事が書けるわけではないし、
むしろ、言いたい事があるから書く事が多いです。
それでも自分の見解をいつでも誰にでも読んでもらえるブログは
何の変哲もない私だからこそ、やる価値大ありだと思っています。
以前から気になることがあります。
家族に平気で「バカ」と言うことです。
かなり前、近所の方に絵を教えていたことがあり、
その時、度々主婦の方から
「主人にお前はバカだから、って言われちゃうんですよ〜」
と嬉しそうに話すのを聞かされ、
いつも不思議だったのです。
友人に言わせると「アレは夫自慢の一種」という事なのですが、
自分を貶めることが夫自慢になるのか、私は不思議でした。
半年くらい前のことですが、
土曜開庁している区役所の出張所に書類を取りに行った時、
椅子に座って書類が出て来るのをまっていたら、
すぐ近くから
「お前バカだな、そんなこともわかんないの?」という声が突然聞こえ
飛び上がりそうになりました。
30代後半のご夫婦でした。
書類の説明をご主人がしているらしいのですが、
奥さんはなかなか飲み込めないようでした。
しかし、あの公共の場で「お前バカだな」と言われた奥さんは
どんな気持ちになったことでしょう。
二三日前には、父親が小学校低学年の子どもに
「バーカ」と言っているところに出くわしてしまいました。
夕方、まだ自転車にうまく乗れない子どもと一緒の父親でした。
子どもは女の子で、フラフラしながら、
お父さんの自転車に追いつこうと一生懸命です。
そこへ車が後ろからやってきました。
父親は「気をつけろ」のつもりでしょうが「バーカ」と娘さんに言いました。
案の定、こどもはパニックになって
自転車を上手く乗りこなせません。
狭い裏道でしたから、自動車がとまって待っていました。
危険であれば、「危ない」とか「左に寄って」あるいは「止まって」
と言えばいいだけで、「バーカ」は余計です。
男性の中には、多分、「「バカ」と言うのは愛情表現の一種だ」くらいに
思っている方も多いのかもしれません。
でもどうなんでしょう。
人間って、そう思ってなくても、口に出して言っていると
だんだんその気になったり、
自分で自分に思い込んだりするようになるもんではないでしょうか。
都議会で、 塩村文夏都議(35)が、
質問に立った時「お前が早く結婚すればいいじゃないか」「産めないのか」と
男性都議からヤジを飛ばされた件は、抗議の電話が千件以上いっているようです。
当然と言えば当然です。
しかし、正直言ってウンザリです。
この程度の人権意識も無い人たちに
私達の代表として税金から俸給が支払われていると思うと
ガックリです。
この塩村議員の件「セクハラだ」とも言えますが、
基本的には人権問題でしょう。
結婚や出産は個人の問題です。
だいたい「セクハラ」という言い方事体が
揶揄めいた響きを持っていて嫌いです。
「ほんとはセクハラなんて気にしたくないんだけど最近やたらそういうのうるさいから気にしてやっている」的なニュアンスです。
こんな風に
公共の場で他者の人権を尊重できない人は
家では家族とどのように接しているのでしょうか。
人間は毎日毎日の行動がふとしたことで
露になります。
私が就職したての20代初め、
営業と上司の課長2人と話していた時にプライベートな話になり
「嫁さんまた妊娠してさ、さっさとおろしてこいと言ったんですよ」
と営業の課長が言い出た時には目が飛び出ましたが、
なんだかそのころと男性の意識ってどのくらい変わったのかなあ、
と、塩村都議の件で思ったわけです。
日本の少子化は宜なるかな、です。
可能な女性は、日本から逃げればいいし、
出来ない女性は、とにかく個人的に人権意識のある男性と
繋がっていくことでしょうね。
私は、いま家庭でストレスを感じることはほとんどありません。
でも、そうなるまでには、何かあっても決して「バカ」とお互い言わなかったし、
私自身は受け入れられないことがあると、
1)何が受け入れられないか、
2)なぜ受け入れられないか、
3)相手にどうして欲しいか、
をキチンと話してきました。
家族だからこそ「バカ」とは言ってはいけないと思います。
もちろん女性(妻や母親)もですよ。
そんなところから直していかないと議会の下品なヤジも
根絶されない気がします。