すっかり水が温んできました。
オナガガモのモノクロのイラストを載せておきます。
オシドリをはじめカモ類は鮮やかな色合いの種類が多く
その羽も、光の具合で玉虫色や緑と紫に見えたりします。
その中で、オナガガモは、頭部が焦げ茶に白い筋、
腰のあたりがベージュですが、尾羽に象徴されるように
白い縁取りの黒く長い羽が優雅です。
オナガガモが水辺から姿を消す頃
本格的な春がやってきます。
↓ハンディで持ち運びに便利。
久しぶりの存在証明です。
更新しない間も、検索エンジンから来て頂いていて、
過去記事も生きるブログならでは。
検索文字も、ネット詐欺から山茶花デッサン、まで多彩です。
ほんとうは2月に入ったら、どんどん更新する予定でした。
記事も下書きがいっぱいあって、清書すれば上げられるものが10本位たまっている。
でも、いつもパソコンの前で考え込んでいました。
あまりに現実が浮世離れしていて
(という言い方も変だけど)
劇画みたいで、
ホントこの先、日本はどうなっちゃうのだろう。
出るのはため息ばかり。
全然言葉が紡げない。
歴史の海のただ中にいると、なかなかそれを自覚するのは難しい。
パリに客死した思想家の森有正はエッセイの中で
流れているのか流れていないか分からないような時間の動きを
セーヌ川を遡るバトームッシュ(遊覧船)の動きに例えています。
川の流れに添って(上流から)下る船は目の前をすーっと通り過ぎていくのに
遡上して来る船は彼方から移動して来るのに、ほとんど動いていないように見える。
書物に目を落して、ふと目を上げると、まだ、動いているようには見えない。
そんなことを繰り返して、まだ来てないだろうと思って顔を上げると
今度は船はほとんど目の前に来ていて、驚く。
本来、時の流れというのはこういうものなのでしょうが、
今の政権になってから、
日々の変化がすごくて毎日が歴史のただ中という感じ。
その波の強さに個人ではとても抗しきれなくて
苛つくばかり。
多くの人が、自覚するしないに関わらず
似たようなイライラ感を抱えているから
街に出ても何となく殺伐としているし
テレビやニュースもその時々の誰かを叩くことに熱心。
株価は上がっていると言うけれど、
散歩していると街は空き家が増えているし、商店街もなんだか活気が乏しい。
実感とニュースが違いすぎるのですね。
原油が下がっているので、
なんとか円安でも息継ぎが出来ている。
でもそれは、裏を返せばアベノミクスが破綻しているにもかかわらず、
延命している理由で、それも後から影響が出そうで怖い。
たったひとりの息をを吐くように嘘をつく政治家によって
ここまで国が変わることを目の当たりにすると、
本当に政治って大事だな、重要だな、と思う。
しかし、一方で、どんな局面でも日常は続くんだな、
とも思う。
先の森有正の例えだと、
セーヌ川の流れが日常だとすると
バトームッシュはなんなんだろう。
ああ、もしかすると「戦争」かもしれないし「改憲」かもしれない。
まだだまだだ、と思っていると、
もう目の前。
何が気に食わないか、と言うと、
「改憲」したいならコソコソしないで堂々と発議すれば良いのにしないこと。
結局嘘をつくのも、国民に都合が悪いことだからですね。
そうやって進めることはろくでもないものに決まっています。
明日から3月。
3月決算の単年度の日本は、一月行った、二月逃げた、3三月去った
と言います。
しかし日常に長されつつも、時々バトームッシュの動きを確認することが
とても重要な新年度になりそうです。
最後に2007年に第79回アカデミー賞外国語映画賞を受賞したドイツ映画
「善き人のためのソナタ」をご紹介しましょう。
このところの急速な時代の流れを
どういう形で言葉にできるか考えていた時に
急にこの映画を思い出したのです。
この映画は東ドイツ時代の監視社会を描いた秀作です。
言いたい事が言えない監視社会。
強固な共産主義体制を敷いていた旧東ドイツには、
その統治機構の中枢をなしていたシュタージという組織があり、
芸術家や西側の情報を手にする人たちを監視活動していた時の話しです。
この映画を見た時は全くの別の世界の話しと思っていた社会が
実はそれほど遠いところのことではなかったのだとも思います。
ほんとうに日常と非日常は地続きなんだと思いしらされています。
この「善き人のためのソナタ」では、そのシュタージの工作員が、
西側と通じているという小説家の監視を命ぜられます。
その盗聴のための工作など「ここまでやるか」感があって驚きです。
ところが、工作員ヴィースラー大尉は、小説家の生活を垣間見るところから
少しずつ心が揺らいでいきます。
そのキッカケになるのが、美しい音楽なのですね。
美しい音楽に心をゆらされるシーンは秀逸です。
その変化の様子をウルリッヒ・ミューエという東ドイツ出身の俳優が演じます。
ウルリッヒ・ミューエ自身、東ドイツ時代シュタージに監視されてたと言っています。
この映画、監視だけではなく愛もあり裏切りもあるのですが、
結末がなかなか良いのです。
お薦めです。
久しぶりに、カワセミを描いてみました。
野鳥公園でも手賀沼でもよく見かけるのですが、
小さくてシャッターチャンスを逃します。
先日室内のフィールドスコープから撮影に成功。
現場でのスケッチと合わせて
メスのカワセミを描いてみました。
下嘴が赤いのがメス。上下共に黒いのがオスです。
「飛ぶ宝石」と言われて、人気があるのも頷ける美しさです。
漢字ではその色から「翡翠」と書くようです。
北斎のシャガとナデシコを配した花鳥画にも「翡翠」の横に「くはせみ」とあります。
こちらのサイトに絵があります。
これは、昨年の「ボストン美術館浮世絵名品展」にも出品されていました。
この絵を見ても分るように、ビデオテープもない時代に
北斎は飛ぶ鳥を実に的確に描いています。
多分、死んだ鳥も参考にしたのでしょうが、
羽の枚数などは数えられても、飛んでいる姿は死んだ鳥からは描けません。
抜群の動体視力の持ち主だったのかもしれません。
さて、私はと言えば、山茶花(サザンカ)を配してみました。
山茶花と椿の違いは、花ごとポトリと落ちるのが椿。
ハラハラと花びらを散らすのが山茶花です。
どちらも、花の少ないこの季節に凛とした姿で花をつけます。
梅便りもチラホラ。
春はもうすぐですね。
「いつもの光景が戻ってきました」
で書いたように、あらかたヒヨドリが食べ尽くした金柑の残りを
ジャムにしました。
深さ5センチくらいの瓶に三つ作れました。
もう2週間ぐらい経ち、
毎朝トーストにぬって食べています。
パン屋さんのように、ラベルを作ってみようと思い
週末からイラストレーターというパソコンソフトで
オーナメントを描いていたものが完成。
それに、金柑のデッサンと文字を入れて、瓶に貼ってみました。
オーナメント(飾り模様)を考えるの大好きです。
デッサンから季節のオーナメントを考えて
エスキースに描き貯めてあります。
囲み模様や反転模様などは工夫が必要で
いざとなって作るとなると時間がかかるので、
必要な時にいつでも引き出せるように、それらを描き貯めています。
この金柑ジャムのラベルは、2008年にフィレンツェに行った時に買った
オーナメントの模様集からヒントを得ました。
その本は、一回につき数個までなら著作権に関係なく
使えるのですが、模倣しつつも少しずつ変化させてあります。
こういう模様も、今はデジタルデータが一杯でているので、
ちょっとしたチラシやサイトに使うのなら、
そういうもので充分だと思います。
でも私は、オリジナルを考えるのが楽しいのです。
草花を活かした日本的なものでも、
このような西洋的な唐草でも、とてもエレガントな気分になれます。
「装飾」というのは深い深い文化だと思います。
今回は、今まで手描きで描き貯めたものを
少しずつデータにして行く事によってさらに
変化させて使えると思いいたり、スパイラルペンを使って
イラストレーターでデータを作ってみました。
スパイラルペンを使うのは四半世紀ぶりです。
若い頃建築CADが出来たばかりのころ、そのオペレーターをしていたので
マウスより先にスパイラルペンを使っていました。
ただ、イラストレーターでなかなか慣れず以前一度チャレンジして
諦めていました。
ところが今回、ふとした事からコツが分かり、
そして、なんと四半世紀前の感触が甦って来たのです。
若い頃にやった事って、すごいです。
ちゃんとからだが覚えている。
さて、今は、こんな風に美しい自然とそこからヒントをもらった模様を
お仕事に生かして行けるよう、作品を描き貯めている最中です。
実は、今年の7月に行われる「クリエイターEXPO」という商談会に参加します。
その時に、自分のパンフレットを作るので、
自分が何ができるのか、何がしたいのかをしっかりプレゼンして行く必要があります。
そんな事も視野に入れながら、作ったラベルです。
少しずつ、ハイクオリティなものを目指していきます。
そうそう、写真は、買ったばかりのスマホで撮ってみました。
室内なのにレフ板もなく逆光気味な写真ですが、
全くスマホの能力には毎日驚かされています。
現代のどこでもドア、って感じですね。
この本で「やっぱり」と思った事の一つが
インターネットはどれほど匿名でも、実は匿名であり続ける事の方が難しく、
ウィキリークスが画期的だったのは、その匿名性を幾重にも担保するシステムだった、
という点です。
匿名で嬉々と他者に誹謗中傷めいた言葉を送りつける人がいますけど、
実はネット上の匿名とは頭隠して尻隠さず状態なのです。
そういえば、映画『セブン』でも、ひも付き情報の実態を垣間見ました。
ご覧になった事の無い方のためにストーリーを簡単に説明すると、
連続猟奇殺人犯(ケビン・スペイシー)をブラッド・ピット扮するFBIの捜査官が
図書館の貸出履歴から犯人を突き止める、という話です。
「セブン」という題はにキリスト教の七つの大罪から取ったもので
話しに厚みを与えているのだけれど、
私は、その事より、図書館履歴もすべて国に把握されている事に
衝撃を受けました。
事ほど左様に、ITというのは便利であるとともに
個人を監視の海に簡単に放り込んでくれるものなのですね。
だからといって、個人の活動を広げてくれるツールでもあるわけだから、
使わない、という手は全く無いわけだけど、
やはり注意深くつきあう必要はあります。
住所や電話番号はネット上に載せないのはもちろんの事、
自分の子どもや孫の写真は載せない(フェイスブックでも)
若い女性は自分の居所を逐次ツイッターなどで報告しない、
自撮り写真は慎重に、
など、個人の特定が容易になる事には
用心深くしてし過ぎる事はないと思います。
それにしても、日本はこんなに先進国なのに
ITに関しては後進国ですよね。
Wi-fiなどの設備も揃ってないし。
リスクは工夫して対応するにしても、
ベネフィット(恩恵)をもっと厚くして欲しいです。
特にオリンピックを本当にやるなら、
もっと日本中のネット環境整えた方が良いですよね。
それが一番のおもてなしかも。
いま、年末に出来なかった片付けをしています。
パソコンのデータ整理もあり、
北欧やシリコンバレーではデフォルテと言われる「立って仕事」
を取り入れてみました。
仕事もはかどるし、なかなかいい感じです。
今頃片付けをしているのは、
去年の10月から猫の入院、夫の入院が続いたことで、
年末に片付けが出来なかった理由としてまずあります。
と同時に、
時代がドンドン不穏当になって行くので
いつでも身動き出来るように様々な書類をきちんと片付けておこう
と思ったこともあります。
お金などもいつでもだせるように非常時用の口座を作ったり、
保険も最新ものにアップデートしたり。
そして、このブログのバックアップを作ったりしました。
このバックアップが大変でしたが、しかし、
バックアップを取りながら読み返してみると
改めてブログの記事は「自分の宝だ」と再認識。
以前はこまめにバックアップを取っておいたのですが、
最近はサボりがちで100以上の記事を保存するのは大変でした。
ずっとパソコン作業していると疲れるので、
「立って作業すると良い」と言う話しを思い出し、
キーボードとマウスだけ段ボール箱に載せて
立って作業をしていました。
これが良いんですね。
立って仕事をすると、何かものを取りたい時も
すっと動け、「面倒だからあとで」という事が無くなり
仕事が実によくはかどります。
さすがに一日立っていると、最初の二日ほどは足がむくみ腰が痛くなりましたが、
しかし思いがけず、
週の後半から、とても体調が良くなって来たのです。
また筋力がついて来たせいか、からだのバランスも
良くなって来たのです。
おまけにタッチタイピングもとてもやりやすい。
もともと、大きな絵を描く時には立って描いていますし、
スケッチなども座って描く事はあまりありません。
集中力が違うのですね。
とすれば、室内でのパソコン作業も同じようにはかどるのは
当然なのかもしれません。
「立って仕事、パソコン作業」は本当にすすめです。
俳句風の題名ですが、
今日1月20日は二十四節気(にじゅうしせっき)で言うと、一番寒いとされる「大寒」。
二十四節気は陰暦、と勘違いしそうです。しかし、
実は二十四節気は、太陽の運行をを元に一年をわけています。
陰暦は月の満ち欠けの28日を元にしています。
ただ、それだと、季節とのズレが出るので、
地球が太陽を公転する一年を24分割した二十四節気を目安としたようです。
もちろん実際には動いて見える太陽の運行をもとに
決めたのでしょう。
ですから、旧暦を正確に言うと「太陰太陽暦」となります。
一方、いま私たちが使っている新暦は
1582年ローマ法王グレゴリオ三世が導入したので
グレゴリオ暦、と呼ばれています。
すでに知られているように、二十四節気は立春から始まります。
その立春まであと2週間。
その来る春を待つかのようにトンボが擬態して越冬中のところを見ました。
このトンボは「ホソミオツネントンボ」というそうで、
オツネンは越年、つまり成虫で年を越す種類なのですね。
絵だとしっかりトンボだとわかるけど、
実際は長さ3.7〜4センチくらいで、
木の枝の色と同じなので、昆虫に詳しくないと見つけられません。
私ももちろんベテランの観察者に教えてもらいました。
その方曰く、3日前から同じところにいる、のだそうです。
夏にはキレイなブルーになるようで、
図鑑にはブルーの写真が載っていました。
今の時期は枝の茶色に擬態して、とても地味。
しかも、上の絵のように、
4枚の羽根が一ヶ所にキレイに畳まれ
からだの片側に寄せられ、離れたところから見ると
まさに小枝の延長にしか見えません。
人間世界の方は、冬の時代に入ったまま
立春が来ても春の雪解けが来るのか、と思われるような
混乱ぶりです。
すぐ不安定になる。
私は自然の営みに救われる日々です。
↓一年はなぜ365日なの?暦は人間の英知の賜物。国立天文台の暦計算室長の暦のあれこれ。
↓作詞家によるキラキラした言葉とキレイな挿絵。手元においておくと心が和むかも。