日別アーカイブ: 2013年12月9日

写真を使って絵を描くことについて考える

ミケランジェロと言えば、ルネッサンスの巨匠だし、
まあ、歴史上、最も高名な絵描きであり彫刻家。

しかし、彼の女性を描いたり彫ったりした作品を見て
なんだか妙に筋肉隆々だな、って思いませんか?

ミケランジェロは、実際に死体を解剖する所に立ち会って
いわゆる美術解剖学的に人体を描くことを会得した人です。

ところが、男性の死体を解剖した所しか見たことなくて、
男性の身体に乳房をつけたから、ああいう筋骨隆々な女性の身体が出現した
と言われています。

例えば、「エリトリアの巫女」という壁画がシスティーナ礼拝堂にあります。
このページの5月をクリックすると大きく見られます。

システィーナ礼拝堂は、法皇を選ぶ選挙コンクラーベが行われる所です。
バーチャル・システィーナチャペル
( ↑ 360度で壁画と天井画を見られます。)

どうですか、「エリトリアの巫女」は、
顔は本当にきれいなのに、身体は男性そのもの。
胸は少しふっくらしているけど。

一方、ラファエロは本当にふくよかな女性像を描きます。
ラファエロの聖母マリア(グーグル検索)

実は、ラファエロは色男で、とても女性にもてて、
激しい情事で亡くなった、と言われるほどです。
彼は女性の身体を身を以て知っていたわけです。

じゃ、ミケランジェロは?
ミケランジェロはセクリュアル・マイノリティーだった、という説もあるようですが、
しかし、熱烈な愛の詩も書いているので、よく分かりません。

が、少なくとも、女性の身体を解剖する所は絶対に見てないはずです。
もちろんミケランジェロは、
自分の見た物を再構築し、想像でたくさんの人物象を生み出しています。
デッサンもたくさん残っています。
それは、彼の頭の中で、男性の骨格の仕組みがしっかり把握されていたからです。

それでも、顔は、誰でも外から見れば分かるわけで、
神々しいまでの美しい顔の下に筋骨隆々の身体がある、
というちぐはぐなことが起きたと思われます。

なぜ、この話を始めたかというと、
藝大生が描いたと言う「昆虫交尾図鑑」が、どうやら他者の写真をトレースしたものらしい、
というまとめを見たからです。
基本的にこれは著作権の問題です。
出版社や編集者、また学校の先生は気がつかなかったのかな、
と思うと、学生さんだけに、ちょっと残念です。

美大の学生だからと言って、
社会的な常識から外れると、厳しい対応が待っています。
美術大学では知的財産の概要の講座などないのでしょうか。
私が美大に通っていた頃はもちろんなかったですが、
時代は大きく変わりました。

しかし、もう一つ別の問題があります。
著作権上は、自分が撮った写真なら、トレースしても構わないのですし、
最近は、割合と写真を見て描く、ということがふつうに行われているようです。

しかし、実際に見て描かない、自分で写真を撮ったとしても
写真だけ見て描く、トレースする、ということには絵を描く意味があるのかな、
と、私は思うのです。

絵画の世界に、カメラが取り入れられたのは、
フェルメールの時代です。
フェルメールは、カメラの前身、カメラオブスキュアを
制作の補助に使ったと伝えられています。
しかし、フェルメールは、モデルを使って描いてます。

ミケランジェロの話に戻すと、
彼ほどの画家が、想像で女性を描けないはずがありません。
男性の身体の方が美しいと思っていた、という説もあるようです。

しかし、大胆に推論しちゃうと、
見てないものは描くべきではない、
と思っていたということは、ないでしょうか。

さて、問題の学生さんのインタビューを読むと、
昆虫には詳しかったようです。
だとしたら、なおさら、残念です。

実際に実物を見ながら描くことを続けていくと、
少しずつ、仕組みが分かってきて、
見ない部分でも描けるようになってきます。

実は、どれほどカメラの性能が進んでも、
写真は、立体的な被写体のすべてにピントが合う、
ということは難しいです。

その点、絵だと、細かい所は顕微鏡で見たり、
かくれている見えない部分を確認しながら
すべてにピントを合わせてに描くことができます。

こういう、細密なサイエンスイラストレーターの仕事は
博物学などの伝統が長い欧米では一定の評価がされています。

また、今は研究者も器用な人は絵を描くし、
知識が深い分、イラストレーター顔負けの絵を描く人もいます。

今後はサイエンスイラストレーターは、
絵を描くだけではなく、一定の専門性も必要で、
大学院行って修士を取るくらいでないと、専門分野は担えない時代かもしれません。

さて、お前はどうなのか、と言われると、
私は個々の生物を精密に描くことより
「生態系の繋がり」を描いて行きたいと思っています。
生き物同士の関係性。
人間もそうだけど生き物は、
一つの種だけで生きることは、もちろん出来ない。
常に、食べる食べられる、の関係を中心に、
関係性を保ちながら生きています。

このブログでも、少しずつ、試みています。

これは、観察と自分で撮った写真から作った鳥とヒマワリの種の絵。

アルシュ紙に水彩、ガッシュ、色鉛筆

アルシュ紙に水彩、ガッシュ、色鉛筆

田植えの季節のカルガモ。カモ類で唯一一年中いるカモ。
20130702

こういった関係性を描くには
個々の生き物が描けなければならないし、
「関係性」の実感がなければ描けません。
それは、実際に、見て触れなければ、分からないものです。

細密画を描く時も一緒でしょう。
何より、実感がなければ、絵にはならないものです。
写真は補助にはなるけど、
実感そのものはスケッチブックと鉛筆がなければ
捉えられないのが、絵描きさんだと思います。

写真で捉えられるなら、
それはプロの写真家になります。

そのプロが撮った実感のある写真をなぞっても
実感のある絵になるはずもありません。

私は鳥の仕組みが分かるまでに2年以上かかっています。
観察会に参加し、動画や写真にとり、
博物館に行って骨格や剥製をデッサンし、
毎日、図鑑見て、出かける時も鳥の声に耳を澄まし、
ようやく分かってきた所。
まだまだです。

人生は長い。(けど短い)若いうちは本当に基礎が重要。
本を出す前もずっと描いていたようですから、
厭わず出かけて実物を描いて、自分のものにしてほしい。
くだんの学生さんにはそう言いたいと思います。

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