カテゴリー別アーカイブ: アトリエ日記

体力勝負の花鳥風月

昨日はアンズの木を描きに行ってきました。

水曜日に見た時には、花が満開で
数羽のメジロが花の蜜をもとめてひらひら。
昨日は花は少し盛りを過ぎましたが、十分きれいでした。

アンズや椿など昆虫の少ない時期の植物は
鳥が花粉の媒介となることが多いようです。

アンズの花とメジロという、いかにも花鳥風月の絵になりそうな題材です。
しかし、鳥も木も現場に行かないと見ることはできないので、
野外でデッサンすることになり、実はそれは思いのほか体力勝負なのです。
描いている間もほぼ半日立ちっぱなしです。
印象派の画家がイーゼルと折りたたみの椅子を持って野外で制作しましたが、
イーゼルを運ぶとしても、それも一仕事です。

何しろお弁当やら絵の道具を入れた荷物だけでもかなりの重さです。
以前はリュックサックに詰め込んで行っていました。
しかし、お弁当と絵の道具、そして一眼レフを入れるとずっしり。
カメラは一次的にはあまり役に立たないのですが、
やはり動く鳥たちを描くときには、おおいに補助になります。
というわけで、重たくなる一方の荷物を、
今回は試しにキャリーバックにしてみたら、ずっと楽でした。
もちろんこれも、舗装してある道を行く時だけです。

IMG_0089

屋久島の森で再びデッサンするとしたら、
特別に筋トレしないと、もう無理かもしれません。

さて、アンズはウメに似ています。
どちらもバラ科サクラ属の落葉小高木。
花びらは丸く、ウメには八重や濃淡いろんな種類があります。
アンズの花は、多少の濃淡はあるものの薄いピンクです。

両者の花の一番の違いは、
アンズは花が開くと額が反り返る点でしょう。
また、ウメの方が少し早い時期に咲きます。
ウメや山茶花はブルブル震えながらデッサンしますが、
アンズの時は少し楽です。

そしてどちらも6月に実を結びます。
ウメの実には毒があるので、梅酒や梅干しなど加工しますね。
アンズはきれいなオレンジ色の実です。そのまま食べられて、
ジャムにも加工されます。
アプリコットジャムです。

ちなみに「梅にウグイス」と言いますが、
あのうぐいす色の鳥はメジロでウグイスではないのです。

ところで、木は縦に長いので、デッサンするとき大きな紙を折り畳んで
少しずつずらしたり、部分を描いて繋げたりしています。

↓これは、家に帰って、今日のデッサンを繋げてみたところ。
IMG_0090

花が咲いていると、複雑に絡んだ枝の見分けが、
冬木立より遥かに楽です。

さくらのたよりもちらほら。
春本番です。

久しぶりにカワセミを描く

久しぶりに、カワセミを描いてみました。
野鳥公園でも手賀沼でもよく見かけるのですが、
小さくてシャッターチャンスを逃します。

先日室内のフィールドスコープから撮影に成功。
現場でのスケッチと合わせて
メスのカワセミを描いてみました。
下嘴が赤いのがメス。上下共に黒いのがオスです。

20150210kingfisher

「飛ぶ宝石」と言われて、人気があるのも頷ける美しさです。
漢字ではその色から「翡翠」と書くようです。
北斎のシャガとナデシコを配した花鳥画にも「翡翠」の横に「くはせみ」とあります。
こちらのサイトにがあります。

これは、昨年の「ボストン美術館浮世絵名品展」にも出品されていました。
この絵を見ても分るように、ビデオテープもない時代に
北斎は飛ぶ鳥を実に的確に描いています。

多分、死んだ鳥も参考にしたのでしょうが、
羽の枚数などは数えられても、飛んでいる姿は死んだ鳥からは描けません。
抜群の動体視力の持ち主だったのかもしれません。

さて、私はと言えば、山茶花(サザンカ)を配してみました。
山茶花と椿の違いは、花ごとポトリと落ちるのが椿。
ハラハラと花びらを散らすのが山茶花です。

どちらも、花の少ないこの季節に凛とした姿で花をつけます。

梅便りもチラホラ。
春はもうすぐですね。

手作りの恵みをいただく/金柑のジャム

「いつもの光景が戻ってきました」
で書いたように、あらかたヒヨドリが食べ尽くした金柑の残りを
ジャムにしました。

深さ5センチくらいの瓶に三つ作れました。
もう2週間ぐらい経ち、
毎朝トーストにぬって食べています。

パン屋さんのように、ラベルを作ってみようと思い
週末からイラストレーターというパソコンソフトで
オーナメントを描いていたものが完成。
それに、金柑のデッサンと文字を入れて、瓶に貼ってみました。

プリント

20150202kumquatphoto

オーナメント(飾り模様)を考えるの大好きです。
デッサンから季節のオーナメントを考えて
エスキースに描き貯めてあります。

囲み模様や反転模様などは工夫が必要で
いざとなって作るとなると時間がかかるので、
必要な時にいつでも引き出せるように、それらを描き貯めています。

この金柑ジャムのラベルは、2008年にフィレンツェに行った時に買った
オーナメントの模様集からヒントを得ました。

その本は、一回につき数個までなら著作権に関係なく
使えるのですが、模倣しつつも少しずつ変化させてあります。

こういう模様も、今はデジタルデータが一杯でているので、
ちょっとしたチラシやサイトに使うのなら、
そういうもので充分だと思います。

でも私は、オリジナルを考えるのが楽しいのです。
草花を活かした日本的なものでも、
このような西洋的な唐草でも、とてもエレガントな気分になれます。

「装飾」というのは深い深い文化だと思います。

今回は、今まで手描きで描き貯めたものを
少しずつデータにして行く事によってさらに
変化させて使えると思いいたり、スパイラルペンを使って
イラストレーターでデータを作ってみました。

スパイラルペンを使うのは四半世紀ぶりです。
若い頃建築CADが出来たばかりのころ、そのオペレーターをしていたので
マウスより先にスパイラルペンを使っていました。

ただ、イラストレーターでなかなか慣れず以前一度チャレンジして
諦めていました。
ところが今回、ふとした事からコツが分かり、
そして、なんと四半世紀前の感触が甦って来たのです。

若い頃にやった事って、すごいです。
ちゃんとからだが覚えている。

さて、今は、こんな風に美しい自然とそこからヒントをもらった模様を
お仕事に生かして行けるよう、作品を描き貯めている最中です。
実は、今年の7月に行われる「クリエイターEXPO」という商談会に参加します。

その時に、自分のパンフレットを作るので、
自分が何ができるのか、何がしたいのかをしっかりプレゼンして行く必要があります。

そんな事も視野に入れながら、作ったラベルです。
少しずつ、ハイクオリティなものを目指していきます。

そうそう、写真は、買ったばかりのスマホで撮ってみました。
室内なのにレフ板もなく逆光気味な写真ですが、
全くスマホの能力には毎日驚かされています。
現代のどこでもドア、って感じですね。

第4回クリエイターEXPO

「立って仕事」は、なかなか調子が良い。時間も上手く使える

いま、年末に出来なかった片付けをしています。
パソコンのデータ整理もあり、
北欧やシリコンバレーではデフォルテと言われる「立って仕事」
を取り入れてみました。
仕事もはかどるし、なかなかいい感じです。

今頃片付けをしているのは、
去年の10月から猫の入院、夫の入院が続いたことで、
年末に片付けが出来なかった理由としてまずあります。

と同時に、
時代がドンドン不穏当になって行くので
いつでも身動き出来るように様々な書類をきちんと片付けておこう
と思ったこともあります。

お金などもいつでもだせるように非常時用の口座を作ったり、
保険も最新ものにアップデートしたり。
そして、このブログのバックアップを作ったりしました。

このバックアップが大変でしたが、しかし、
バックアップを取りながら読み返してみると
改めてブログの記事は「自分の宝だ」と再認識。

以前はこまめにバックアップを取っておいたのですが、
最近はサボりがちで100以上の記事を保存するのは大変でした。

ずっとパソコン作業していると疲れるので、
「立って作業すると良い」と言う話しを思い出し、
キーボードとマウスだけ段ボール箱に載せて
立って作業をしていました。

これが良いんですね。

立って仕事をすると、何かものを取りたい時も
すっと動け、「面倒だからあとで」という事が無くなり
仕事が実によくはかどります。

さすがに一日立っていると、最初の二日ほどは足がむくみ腰が痛くなりましたが、
しかし思いがけず、
週の後半から、とても体調が良くなって来たのです。

また筋力がついて来たせいか、からだのバランスも
良くなって来たのです。

おまけにタッチタイピングもとてもやりやすい。

もともと、大きな絵を描く時には立って描いていますし、
スケッチなども座って描く事はあまりありません。
集中力が違うのですね。

とすれば、室内でのパソコン作業も同じようにはかどるのは
当然なのかもしれません。

「立って仕事、パソコン作業」は本当にすすめです。

些細なことが完璧を作るが、完璧は些細なことではない

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

表題の言葉は、ミケランジェロの言葉です。

「些細なことが完璧を作るが、完璧は些細なことではない」
ネットで調べたら、

サミュエル・スマイルズという人の自助論 ~新訳完全版~」に出て来るようです。
グーグル・ブックスで少し読めます。

しかし、一方ドラクロワは
「何事にも完璧を求める画家は、何一つ成し遂げられない」
と言っています。

ドラクロワは
「民衆を導く自由の女神」で有名な、19世紀ロマン主義を代表するフランスの画家です。

上の二つの矛盾するような言葉ですが、
実は、同じ事を二つの方向から言っているように思えるのです。

「ひとつ一つ、小さな些細な事を丁寧に、積み重ねていけ」

こういう事だろうと思うのです。

一枚のデッサン、スケッチブックの片隅のエスキース、小さなイラスト。

それらは完璧ではないかもしれなけど、
いちまいいちまい些細な事に手をぬかずに描いて
いちまいいちまい積み重ねていけ。

千里の道も一歩から。

そうやって積み重ねていった先に出来る世界は些細な世界ではない。
そういう事だろうと思うのです。

東京港野鳥公園でボランティア活動をしている
グリーンボランティアの機関紙の表紙を描き始めて
3年経ちます。

リソグラフという昔の謄写版印刷のような手作りの機関紙で
表現に制約があり、それ故にいろいろ工夫を重ねて来て、
「スパッタリング」という方法にたどり着きました。

歯ブラシに絵具を付けて網で擦ると
キメの荒いエアブラシのような効果が出ます。
小さい時にやったことがある方もいるのではないでしょうか。
去年の一月から12月までをアップします。

ケント紙にグラフィックペン ケント紙にグラフィックペンと水彩 20140215

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どちらかというと、年末企画風ですね。
でも、
今年の目標を何にするにせよ、
疲れたり行き詰まったら、
「些細な事が完璧を作るが、完璧は些細な事ではない」
という言葉を思い出して欲しいと思い、
元旦の今日のテーマとしました。

何かを急にやり遂げられる人はいません。
ピカソですら、ただただ、ひたすら数をこなして
積み重ねていったからピカソになったのです。

絵だけではないのはもちろんです。
世の中が政治の不安定さやグローバル化で息苦しいですが、
どんな時も、目の前の事を丁寧にやって積み重ねていけば
何かあったときでも、自分がその時点での最高の状態でいられるはずです。

もちろん
最悪の事は考えておいた方が良いでしょう。
「突然事故にあったら……」
「家族が病に倒れたら……」(去年、10月から12月は我が家でも)
「大地震が来たら……」
「巨大な台風が来たら……」
「大雪に見舞われたら……」
原発が本当に再稼働するとしたら、近くの人はイヤでも
「事故が起きたら……」
と考えざるをえないでしょう。

そして避難経路の確認や水や食料の備蓄
家族の連絡方法、
手元のお金はすぐ引き出せるのか(これが意外に重要ですね)
そういった事はしっかり備えておいて、

でも備えたら、普段は忘れ
あとは楽しく、やるべき事やりたい事をひとつひとつ丁寧にやっていく。

忘れるなら、最初から考えなくても良いのでは、
という人もいるかもしれませんが、
備えておけばイザという時の機動力が違いますから
サバイバル力が1万倍くらい違うでしょう。

「どうせいつか死ぬから」という人もいるようですが、
備えれば生き残れる確率がずっと高くなるのですから
自分を粗末にしてはいけません。

というわけで、
しっかり備えて、あとは楽しく、
夢中になって目の前の仕事や課題を「丁寧に」
積み重ねていく。

もちろん、
何も起きないのが一番ですが。
それは祈るしかないというか、祈っても無駄なので、
備えて気にしないのが一番です。

2015年がみなさまに取って、幸多き一年であることを
祈念してやみません。

見て描いて、心でデッサンする

今年は12月に入ったとたんいきなり寒くなりました。
冬は、葉が落ちて木の枝ぶりや姿を描くにはちょうど良いですし、
去年は装備を整えてノスリなど鳥も見に行きましたが、
今年はのっけからとにかく寒くて、野外スケッチに行く気力が湧きません。

で、今年の冬は少し趣向を変えて、時々
「仕組みを知って、想像でデッサンする」練習をしています。

特に人間を見ないで描きたいので、
大学時代に習った美術解剖学を、
改めてやっています。

美術大学では、専攻によっては、見ないで描く事は推奨されませんが、
しかし、「想像で描ける」という事は獲得しておくべき
能力だと、近頃強く思うようになりました。

人間の骨格や筋肉の着き方はとても複雑です。
しかし、最近は、コンセプチュアルアートやアニメ
マンガなどの分野で「想像で描ける』ことが要求されるので、
美術解剖学が改めて注目されていて、
良い本が次々と出版されるようになりました。

私は以下の二冊を中心にボチボチやっています。

このウィンスロウ版は昨年の4月に出版され、評判が良いのか
一年で既に5刷です。
非常に詳細ですし、大学の授業で使える内容で、
超お薦めです。
ただ、独学でやる人には特に第一章がハードルが高いかもしれません。

もう一冊。

このヴァレリー版が出版されたのは四半世紀以上前。
私は以前からこちらを持っていて、
しかし正直言うと難しくて、全く使いこなせなかった。
が、今回、上のウィンスロウ版の不足を補ってあまりあり、
この二冊があって、人体の美術解剖学はほぼ網羅されたと言えるでしょう。

ダヴィンチもミケランジェロも膨大な「想像によるデッサン」を残しています。
もちろん、同じくらい沢山の「見て描いたデッサン」もあるわけで、
見て描く事と、想像して描く事は、創作の両輪です。

葛飾北斎も膨大な想像による「北斎漫画」を残しています。
直しの聞かない墨でちょいちょいと描いてしまう能力は
ミケランジェロもビックリでしょう。

実は今回、もう一冊参考にしているのが
マンガの神様、手塚治虫の「マンガの描き方」という本です。
見ないで描く、と言ったら北斎だけでなくマンガですから、
きっとヒントがあるだろう、と思ったわけです。

そして、この中で、手塚治虫も、写真なんか見て描くよりも、
本物のデッサン(見て描く事)と心のデッサン(想像で描く事)
の両方を薦めています。

以前、安野光雅の「絵の教室」という本にも同じような事が書いてありました。

この中で、安野さんの知り合いのイラストレーターの方が
爬虫類が好きで、
見ないでそのウロコが身体の流れに添ってカーヴしている様子を描き分けて
感心したという記述があります。

今は普通に写真を使って絵を描く事が行われています。
しかし、仕組みを知れば、想像で描けるわけです。
仕組みを知らずに、写真に写った部分だけ写真の通り描く事より
想像でも仕組みが分かって描くことの方が説得力がある絵が描けそうです。

最初にその事に思い至ったのが、鳥を描こうと思った時です。
なぜ鳥は飛ぶのか、どうやって飛ぶのか、
それを知るためには、どうしても骨格を知る必要がありました。

鳥の博物館へ行って、何体もの鳥の骨格をデッサンしているうちに
見ないで鳥は描けるようになってきました。
最初はまったく分からなかった羽の畳まれ方や
羽ばたくときの羽の動き、
そういったものが少ずつ見えて来るのです。

もし、鳥を描いていなかったら、
人間の美術解剖学にこれほどすんなりと馴染めたかどうかわかりません。

今日はスズメとムクドリの違いを描いてみました。
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人間の骨格は頭から肩までのつながりを描いてみました。
人間は首と肩の骨格が複雑に絡み、そして実に巧みに出来ています。
第七頸椎の下から一番上の肋骨が出ていて、
その上に肩甲骨からの骨がまたいで鎖骨につながっています。
二次元に描くのはなかなか難しいですが、
3次元を頭で想像しながら描いていました。

こうやって、想像力を養いつつ、
実物を見て描いてく事も怠りなくやらなければなりません。
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電車の中で描いたものです。
電車の中は意外に揺れるのですね。

西脇市 サムホール大賞展、始まりました。私も出品しています。

兵庫県西脇市、と言えば、日本の「へそ」として有名です。
西脇市には、東経135度・北緯35度の交差点があり、
ここが「日本列島の中心」に当たることから、
「日本のへそ」のまちといっているようです。

また、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公、黒田官兵衛の
生誕地が、西脇市黒田庄町黒田、ではないか、と言われているようです。
豊臣秀吉の天下統一を支えた稀代の軍師、黒田官兵衛。
その生誕地は・・・西脇市黒田庄町黒田。

その西脇市にある岡之山美術館で現在
サムホール大賞展が開かれています。
会期は11月16日(日)から12月14日(日)まで
公式サイト 開館30周年記念 第10回全国公募西脇市サムホール大賞展

サムホール大賞展は、ビエンナーレで二年に一回開かれる公募展です。

サムホール、とは絵の大きさの規格の一つです。
紙にA4とかB3といったような規格があるように、
絵画では、主に「号」という基準でキャンバスやパネルの大きさが決まっています。
一番小さいのが「0号」で18センチ×14センチになります。

サムホールというのはそれより少し大きく細長く、
22.7センチ×15.8センチ になります。

面白い事に、少し細長いだけなのに、
表現の幅が広がる不思議な大きさなのです。

私はこの大きさが好きで、よく作品にします。
そして、今回、私も応募してみたところ
作品が入選し展示されることになりました。
と言っても自分の目で見たわけではないのですが、
事務局からお知らせ頂いているので、そのはずです。

で、入選作品を、公開しちゃいま〜す。

和紙に水干絵具や岩絵具

和紙に水干絵具や岩絵具

題名は「Linkage」(繋がり)。

人も動物も生き物すべて、虫も微生物も、
「繋がり」の中で生きています。
ひとりや一匹で、あるいはその種だけでは決して生きられません。

例えば、食べるか食べられるか、という繋がり。
鳥が、羽化前のチョウチョの幼虫を食べて栄養を取るという繋がり。
その幼虫も実は、大好きな植物の葉っぱを食べて、大きくなります。
そして木の実を鳥が食べて、その種子(seed)を運ぶ事によって
その木は離れた別の場所で芽を出す、という事も起こります。
いずれにせよ
その種(species)だけでは生きられません。

さらに、種と種もそうですが、
種の中の世代間の繋がりもあります。
子を生み育て、年老いて死ぬが、その遺伝子は孫へと継がれて行く。

この視点で見ると、生態系の中でも、種の中でも
「死」は悲しいだけのものではない、と言う気がします。
「死」がなければ、次の「生」はないのが、地球上の生き物です。

描かれている頭骨は鹿のものです。
伊豆にシダ観察に行った時、川縁で拾ったもので、
拾ったときは泥に埋まっていました。
絵の中では確かに「死」の象徴ではありますが、
同時に、植物やそれと関わる昆虫たちなどの
生への場所も提供しています。

私はそんなことを考えながら描いていました。
鳥はアカハラ。
この絵はアイボリーの頭骨を活かすために背景の色を最初に決め
それに合う羽を持ったアカハラを配してみたのです。

さて、この公募展の入賞作品は立体もあり、バラエティーに富んでいます。
実は、美術家横尾忠則氏が西脇市の出身で、
氏はこの公募展の審査員でもあります。
この美術館は、横尾氏の作品の収蔵も目的としているのです。
1200点以上の応募の中から選ばれた200点。
多彩な作品を見るのが楽しみです。

<似たような記事>
タネの話(2)/ヒマワリのタネを食べるカワラヒワの図