カテゴリー別アーカイブ: 同時代の作家さんたち

ピュアな色彩を支える重層の仕事。ムカイヤマ達也さんの個展

同時代のアーティストの紹介、
現在、個展と長野の高遠美術館での企画展の両方に出品されている
ムカイヤマ達也さんです。
今日、個展『黒箱を信じる』展 を見て来ましたのでご紹介します。

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↑会場の様子 ご本人に撮影して頂きました。

『黒箱を信じる』展 2015年5月20日〜6月12日 A・Corns Gallery

『高遠エフェクト』 2015年5月28日〜7月12日 信州高遠美術館

ムカイヤマさんの仕事は、
絵具がチューブから出たままの美しさを最大限に活かしています。
パレット上でほとんど混色されていないので、
油彩の透明感がストレートに出て、とにかく色が美しい。

そして、カラフルなのに浮ついていないのは、
描写する対象を自分で作り上げ、
さらにそれをキャンバスに描き上げる、
という二重の作業が作品の根底にあるからでしょう。

しかも、キャンパスに描いて行くときも
モチーフの立体性や空間性を意識して
スピード感を生かせるように、
緻密に細かいマスキングを施すのです。

この「マスキング」という技法、
非常に面倒なのですが、実は私もかなり多用します。

鳥の羽を描くようになった時、
全体では塊なのに、羽一枚一枚がミクロの薄さで独立して動くために
羽と羽の間に空気があって、
その空気感を出す方法としてマスキングにたどり着きました。

ムカイヤマさんのメインの作品は
100号(162センチ×130センチ)で、マスキングには相当の時間がかかるはず。
(というのも私が50号の作品でやった時は、特段に細かかかったのだけれど、
一日7時間やって10日くらいかかりました。)
しかも乾きの遅い油彩では、待つ時間が長くなり、
でも、その抑えた待ちの時間があるからこそ
一気に絵具が置かれ、独特の躍動感と立体感が生まれるのでしょう。

ムカイヤマさんは店舗の壁画なども手がけておられて
壁をつくる左官屋さんからも様々な技術のヒントをもらったそうです。
筆を使わない独特のタッチは、そういう職人さんたちとの
横断的な交流から生まれて来たようです。

で、今日は、そのマスキングの話しと、壁に絵を描くことについて話しに花が咲き、
ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の話しにまで及びました。

そして、話しているうちに私も壁に絵を描きたい!って強烈に欲求が芽生えて来たのにはビックリ。

さて、高遠美術館の企画展の方は、
お仲間と企画を持ち込んだら採用されたそうで、
アーティスト自身がキュレーション的な感覚を持つことが
現在とても重要になって来ていて、ドンドン実行されていてすごいです。

私は、『黒箱を信じる』というなぞの言葉を残したまま、
エネルギーいっぱいもらって帰ってきました。
(写真に写っているのが黒箱です)

個展の方は、平日の10時から17時(18時くらいまでは大丈夫みたいだけど)だけのオープン
というのがお勤めしている方には少し残念かもです。

さて、色彩について書きましたが、なぜ混色しないと色がピュアなのか、
色彩に関しては以下の本がお薦め。

また、現代美術について本を読んでみたい方には以下の本を薦めます。

さらに、キュレーションに関しては最近出たこの本が分かりやすいです。

地味だけれど革新の仕事、浅見貴子さんの展覧会はお薦めです

このブログを始めていらい、
現代作家の展覧会を紹介したことがほとんどありませんでした。
一昨年森美術館で開催された「会田誠展」ぐらいでしょう。

今日は、アートフロントギャラリーで開かれている
「浅見 貴子 個展  光合成」を拝見して来たのでご紹介します。
(お名前は「あさみ」さんではなく「あざみ」さんと読みます)

お薦めなので、
東京近辺の方は渋谷方面に出た時に、ぜひ代官山まで足を伸ばして下さい。

本当は、なんの既成概念も持たずに見てほしいので、
以下に書く事は、まっさらな心で見たい人は読まないでね。

…………

何がお薦めなのか。
まず第一に、表題にあるように、地味にコツコツと積み重ねていらした作家さんだし、
作品も墨や胡粉を使った全く気をてらうところがないのだけれど、
その仕事は革新的です。

恥ずかしながら、私は、昨年の反戦展でご一緒するまで存じ上げていなかったのです。
ただ、反戦展で搬入の時に、初めて作品を拝見した時に
知らないけどすごい作家さんがいる、と深く心に刻まれました。

そしてその後、直接お話をうかがう機会があって
是非展覧会の時には拝見したいものだ
と思っていました。

何が革新なのか。

技術的には、紙の裏から描く、という事をされています。
和紙と墨だから出来ることですが、
この発想はなかなか出ないものです。

失敗に失敗を重ねて、ある時これいいじゃない、
と始められた技法のようです。
セレンディピティですね。

そして私が一番唸ったのは(ちょっと悔しくもあるくらい)
その裏から描く、という技法だから出来たことなのですが、
実に軽々と抽象と具象の壁を乗り越えて、表現されている事です。

基本的には浅見さんの作品は具象です。
しかし、現在の技術にたどり着く前の作品も拝見したのですが、
対象を純化する事に長けていらして、
対象のエッセンスを表現される事でそこに抽象性が生まれるのです。

これは私自身が、とても勉強になりました。
そして私に足りないところ。痛感しました。

今回の展覧会はコンテンポラリーアートのギャラリーでの開催です。
といっても浅見さんの仕事は、いわゆるコンセプトアートとは逆のベクトルで、
手と目の仕事です。

ギャラリーの解説に「光と風を織り込んだ」とあるように、
まさに、フィジカルにからだごと風を感じ、光を捉えて
手が画面を再構築して行っているのです。

基本にあるのは、デッサンです。

浅見さんも
 「デッサンから作品になる過程は言葉で表せないけど、
でもデッサンがないと出来ない」

と仰っていました。

実は、会場で浅見さんとはいろいろなお話をしたのですが、
ブログに記事を上げる事を思いついたのが、
ほぼ帰りかけのころだったので、
もっといろいろ伺えば良かったな、と思っているところです。

それに、私はまだまだ人の話しを引き出すのが上手くないです。
インタビュアーとしては、全くダメでした。
つい自分が喋っちゃうのね。

最期にiPhoneで撮った会場の思わせぶりの写真を載せておきます。
ぜひぜひ、会場に足をお運びください。
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私も描くぞ、パワーを頂きました。