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ほそぼそと絵を描き綴り、言葉を書き綴っていきます。

的確な日本経済分析。「投資家の視点」という考え方が新鮮。瀧本哲史著「僕は君たちに武器を配りたい」

瀧本哲史著「僕は君たちに武器を配りたい」を読んだので、
簡単な書評を。

現在の厳しい日本経済を包括的かつ的確に分析しつつ、
若者が生き残るにはどうしたらよいのか、
京都大学で「起業」について教える瀧本哲史氏の
若者にエールを送る著書です。

著者は東大を出てマッキンゼーに就職したという
きらびやかな経歴の持ち主。
なので、資本主義経済にあまり疑念を持っていないため、
資本主義経済の中で、いかに個人が「攻撃は最大の防御」として戦って行くのか、
という視点に貫かれている本です。

まず簡単に資本主義経済に至る世界経済の歴史に触れ
そして日本の現状分析をして行きます。
残念ながらそれは決して明るいものではありません。

しかし、それを嘆いても仕方ないのだから
なんとか活路を自分で見いだして欲しいと、
具体事例をあげて主張を展開して行きます。

著者の主張の幾つかを記しておきます。
1)日本経済は実は今まで護送船団方式で、本当の意味での資本主義ではなかった。そしていま、真の資本主義の荒波に呑まれている。その真の姿を見極めよ。
2)真の資本主義社会では、自分の頭で考えないと、DQNビジネスのカモになる。
3)真の資本主義社会では投資家的思考が必須である。
4)自分も「商品」である。
5)イノベーションとは違うもの同士の結合である。
6)スペックより教養こそが重要。

特に3)の「投資家的視点」は、今アベノミクスで株高がもてはやされているけど、
少し意味合いが違います。

株を所有するという事は、お金を儲けるだけではなく
「投資家的思考」を手にする事だ、
と説きます。
つまり労働の対象として企業を見るだけではなく、
自分が企業から果実をえられる立場になることだ、
と言うのです。

私はこの企業に「投資家的視点」を持って関わるという発想が新鮮でした。
著者は「投資」と「投機」は違い、前者は資本主義経済の牽引役、
後者はパチンコと同じようなギャンブルだ、と定義します。

株に関しては、個人で持つ事は薦めないと言いつつ、
自分の投資の方法を具体的に説明しています。

それは、とてもシンプルで、知らない人の株は買わない、と言うものです。
少し前に、ジム・ロジャースという大物投資家のインタビューを聞いたとき、
ジム・ロジャースも同じ事を言っていました。

結局、証券会社が「どこそこが上がりそうですよ」なんていうのを信用しちゃダメで、
自分でひと手間も二手間もかけて調べて納得したものだけに
投資します。
その調べ方も具体的に書いてあります。
しかも、一度買ったら長く持ち続ける、というのが著者の
投資方法みたいです。

なお著者のプロフィールに「エンジェル投資家」とありました。
どうやら、「創業間もない企業に対し資金を供給する富裕な個人のこと」のようです。

もう一つ大きな本書の特徴は、懇切丁寧に各章の終わりに、大きな文字で
「ここまでに手に入れた「武器」」として纏めがついています。

それだけ読めば良さそうなものですが、
意外に、本文の何気ない一文にハッとするものがあるのです。

「分からない差異は差異ではない」のである。それより、「色がたくさん選べる」といった、はっきり目で見える差異の方が、よっぽどユーザーに取っては大事なのである。
(p.67)

こんな一文にビジネスのヒントがあるような気がしました。

ところで、この本は、若者のために書かれたものですが、
同時に、現状の日本経済にたいして正確な認識があまり出来ていない、
40代以上の人たちにも読んでもらいたいですね。
ちなみに「生産性の低い40代50代社員が幸せそうにしている会社には入るな!」
というセンテンスもありました。

エッセンシャル版、も出ているようです。

なお、この本でかなり残念だと思ったのが、そのタイトル。
一見して経済の本と分かりにくいのは、自分も商品、と言う著者らしからぬネーミングだなと思いました。
で、★四つ。★★★★

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「見つめる鍋は煮えない」

ライオンは寝ている。一方トラは……

上野動物園、第二弾は、当日のお目当てのライオンです。
多摩動物園ではライオンバスに乗らないと見えないので
上野動物園に来たのですが、こちらも展示方法が以前とは違って
ライオンは高低差のあるかなり広い熱帯庭園風の場所にいました。

一部ガラス越しに間近に見る事も出来るけど、
ライオンがそこに来てくれないと、迫力たっぷりのズームは楽しめません。

だいたいの時間、入園者の通る通路から一番離れた低い場所にいるので、
まず見つけるが大変でした。
デッサンするにも見える場所に来てくれるのを待たなければなりません。

ライオン動かないなあ、と思っていると突然位置を変えるので、
こちらにお尻を向けて顔が見えないときは、
隣のトラ舍に移動して、デッサン。

トラの方は、ライオンと全く違って、
決まった場所を行ったり来たり、0.5秒として止まることがありません。

そしてこちらはサービス精神旺盛で
時々入園者の目の前のガラスに顔を付けるようにして
通り過ぎます。

しかし、近いというだけで、動きを止めないのは同じ。
こういう動物をデッサンするのは難儀です。

動き回るトラを描くのに疲れると、ライオンが描ける位置に移動していないか
またライオン舍に確認に行きます。

それを繰り返して3度目くらいの時に、ようやく、15メートルくらい先の
丸太の上で休憩中のライオンを描くことができました。

20141024_1

20141024_2

この絵を描いている間も、そして今もこのスケッチを見ると
私の頭の中をリフレインするのがトーケンズの「ライオンは寝ている」。
The Tokens – The Lion Sleeps Tonight

片やトラは寸時も止まらないのでデッサンに工夫が必要です。

というのはトラは、ほぼ同じところを行ったり来たりするので、
「描く」と決めたアングルにトラが来た時に、一瞬を捉えて
描き加えて行きます。

下のデッサンは、見ている時間は15分くらいだったと思いますが、
このアングルになった一瞬だけ描き込んでいるので、
時間的には5分も描いて無いでしょう。

20141024_3

トラ舍には常連の「トラおじさん」がいて、
入園者がトラが思いのほか細身なので
「わあ、このトラ、スマート!」と声をあげると
「だからスマトラトラ、なんちゃってね」と合いの手を入れていました。(笑)

ところで、
トラを描きながら人々の感想を聞いていると
毛皮の模様がきれい、というのが多かったです。
トラは絶滅危惧種です。
Amazing Species: Tiger(IUCN(国際自然保護連合)の英語のサイト)(PDFファイル)

意外や意外、百獣の王と言われるライオンより、
トラのほうがネコ科の中で最も大きい動物なのですが、
今は3500頭くらいしか残ってないみたいです。

キレイな動物は、キレイがゆえに命を落とすはめになりかねないのです。
トラを脅かす問題(WWFのサイト)

私はデッサンに入り込むと、ほぼのまず食わずで3時間くらい野外に立ち続けます。
この日も、寝てばかりのライオンと動きすぎるトラを描いて、
帰る頃にはくたくた。
同じネコ科なのに、なぜ、ライオンとトラはこんなにも
行動が違うのかしら、
と思いつつ動物園をあとにしました。

それにしてもネコ科の動物はほんとしなやかでキレイですね。
創作意欲を刺激してくれます。

やっぱりパンダは可愛い / パンダの10秒クロッキー

今日は、と言っても日付が変わったので、
昨日21日には、久しぶりに上野動物園に行ってきました。

仕事でライオンを描こうと思ったからです。
でも、やっぱりその前に、パンダ舍に寄ってみたら、
やっぱりパンダ可愛いですね。

で、早速写真だけではなくクロキーブックを持ち出して、
10秒クロッキーです。

動物や赤ちゃんは、寝ている時以外、0.5秒と同じ格好ではいませんから、
クロッキーの練習には持ってこいです。

クロッキー(croquis(仏)というのは対象を素早く描画することで、
スケッチのうち、特に短時間(人物なら5分程度)で描かれたものを
クロッキーとよんでいます。

人間のようにデティールが複雑だと、どれほど速く描いても
3分から5分が最短でしょうが、
パンダはシンプルなので、10秒くらいで描けます。

明らかに、パンダを可愛い、と思うのは人間の勝手な感情です。

体全体が丸くて、耳も丸くて黒く、目は本当は小さいけど黒い隈取りで垂れ目に見える。
すべてが丸くポワポワしている。
狐や狼を見て精悍に見える、というのと逆ですね。

でも、抗し難く、可愛いパンダ。
そのパンダ舍の前で10秒で描いたクロッキー3枚です。

20141021panda001

20141021panda002

20141021panda003

関連記事
パンダは学ぶ,アオサギも学ぶ

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<お知らせ>
西脇市岡之山美術館で開かれるサムホール大賞展に入選しました。
会期は11月16日〜12月14日です。
詳細は後日掲載します。

鳥のカワイイ不思議……一本足のアクロバチックなカモ

カルガモの第二弾は、
アクロバチックな一本足のカルガモです。

紙に色鉛筆と水彩

紙に色鉛筆と水彩

鳥はよく、一本足になります。
こちら↓のアオサギもそうです。

ケント紙にグラフィックペンと水彩

ケント紙にグラフィックペンと水彩

多くの鳥が、眠る時一本足になるそうです。
しかしインコも文鳥も飼った事のない私は
野鳥公園で鳥たちの生態に触れるまで知りませんでした。

どうやら体温を保つためらしいです。
とはいえ、どう見ても不安定な姿勢です。

イラストのカルガモは、尾羽の方から描いていて、
身体を支えている一本の足の見事なバランスには驚きますし、
アクロバチックにすら見えます。

10月に入って、野鳥公園にオナガガモなどが渡って来て、
カモ類も増えてきました。
夜になると、一斉に片足で立って眠るのでしょうか?
是非一度、その様子を見てみたいものです。

闇夜と風があった時代の調べ <笙>の独奏を聴いて

今日は<笙>という雅楽で使われる楽器の演奏会に行ってきました。

宮田まゆみ 「調子・入調」全曲演奏
宮田さんは私の古い友人。時々コンサートを聞きに行っています。

今回は、
江戸よりも更に古い時代に演奏されていたと思われる曲を
記録から復元して全曲演奏するという
チャレンジャブルな企画で、その前半でした。

鴨長明(かものちょうめい)の時代の秘曲の復元
と言いますから、約900年前くらいの音楽です。

<笙>はそのコンパクトな大きさ以上に迫力のある音をだします。
オーケストラが演奏前にチューニングするとき
コンサートマスターが基準の音を出すと他の楽器が
徐々にそれにあわせて音が膨らんで行きますが、
笙の音のなり始めはそれに似ています。

ただ、雅楽や古い時代の音楽は
一定のリズムやメロディに規則がある西洋音楽に慣れた私(達)には
どう聞いたらいいのかわからない、
というのが正直なところ。

最初は私もそうでしたが、
ある時から、ただ音として聞く、というのが良いのではないかと思うようになりました。

ところで、
私たちの周りには音楽が溢れています。
特に日本は「BGM」という名の半ば強制的な音楽に
四六時中どこにいても曝されています。

実はこれが私にはほとんど「拷問」なのです。
私は何か作業をやっている時、本を読んでいる時、
料理を作っているときでさえ、
BGMは御法度です。

と言うのは、つい「聞いてしまう」からですね。
そして西洋音楽というのは、
必ずメロディとリズムがあって、
強制的に聴かされるのは神経が休まらない感じがします。

その点、本当はいろんな規則があるんだろうけど、
西洋音楽に慣れた耳には、純粋に音として聞くしかない古い音楽というのは
トランキライザーのような役目を果たします。

ところで今日は、時々気が遠くなりながらも(笑)
和音や共鳴する倍音の波を感じながら
ふと思ったのです。

900年前の人たちはどんな環境で聞いていたのだろうかと。

いま私たちは、音楽はコンサートホールや室内など、
閉じられた空間で聞くものだと思っています。
もちろんiPhoneなどで外に持ち出せるけど、
なるべく外の音を遮断して音楽「だけ」を聞こうとします。
また、野外コンサートなどは、大型の拡声器が使われます。

はたして900年前にそんな事は可能だったのだろうか?
特に、木造建築の日本で、外の音を遮断して
演奏だけ聞く事は可能だったのだろうか?

それに、夜の演奏は満月前後以外、出来なかったのではないかしら。
江戸時代までの新月の闇夜は本当に真っ暗でしたから。
松明をたくとしても、どのくらい見えたのかしら。

昼間であれば、小鳥のさえずりや、水鳥の羽ばたき、
夜ならばフクロウの声も聞こえたのでは?

風の音だって遮るのは難しかったのではないかしら。
近くを小川が流れていたら、そのせせらぎだって聞こえたかもしれない。

などと想像を巡らしていたら、
むしろ、そういう様々な自然の音の中で演奏する事が普通だったのではないかな、
と思い至りました。
時と場合には、笙や篳篥といった楽器と、
小鳥のさえずりが共演する事もあったのではないかと。

笙のような楽器の演奏を「曲を演奏する」というより
「調べを奏でる」という方がしっくり来るのは
そのためかもしれない、とも思ったり。

そして日本の楽器が三味線にしても尺八にしても
以外に骨太なのは、自然の中での演奏、
がデフォだったからかもしれません。

そんなことを考えつつ台風が近づく中帰途につきました。

宮田まゆみ全曲演奏後半部分12月7日のサイト

<関連記事>
当然の事ながら石の文化は違うのです。
紀元前につくられたというヴェローナの野外劇場の事は以前記事に書きました。
オペラアイーダ、キャンセル騒動

鳥が羽をつくろう姿がカワイイ……見返りガモの図

久しぶりの「観察絵日記」です。
今日は、鳥の羽繕い(つくろい)を取り上げます。

猫が自分の身体や背中をなめるように
鳥も首をぐるりと背中に回して、嘴で自分の羽を整えます。
グルーミング(grooming)とも言いますね。

人間を含んだ哺乳類は頸椎が7つですが、

ケント紙にグラフィックペン

ケント紙にグラフィックペン

鳥にはこのように多数の頸椎があり、種類によって違い、
13個から25個くらいあるようです。
確かに骨格的には、猫より背中に首が回りそうです。(笑)

とはいえ、鳥が猿や猫のようにグルーミングすると発見したときは
驚くとともに、その姿がユーモラスであまりにカワイイので
いつか絵にしようと思っていました。

2014107kamo_mikaeri

これはカルガモです。
首を後ろに回してバランスを取るため、
尾羽を嘴の方に引き寄せているのが分かるでしょうか。
まるで「見返りガモ」の風情ですね。

カルガモは、カモ類で唯一渡りをしない留鳥です。
春に各地で、カルガモの親子が話題になりますね。
親鳥の後を小さな子ガモが隊列を作ってついて行く様は
可愛くて、思わずシャッターを切りたくなります。

8月の初めに子がもたちを見たときは、
もう親鳥とさほど変わらない大きさになっていましたが、
それでも、親鳥が陸から水に移動して泳ぎだすと、
次々とチャポンチャポンと水に入ってついて行ってました。

サギ類は更に長い首をS管のようにして羽繕いしているものもいます。
別の機会に是非描いてみたいと思います。

ネットからリアルへ、「反戦」展、始まる

みなさま、お久しぶりです!

予告無く一ヶ月近く休んでしまいました。

今日は告知です。

本日から下記展覧会が始まりました。
「反戦 来るべき戦争に抗うために」展

私も作品参加しています。
昨日、搬入に行ってきました。
これは私にとって一つの事件です。
正直言って、一年半前、このブログを始めた時に
リアルでこんな風に動くことになるなんて
想像だにしていませんでした。

実行委員長の土屋誠一氏曰く
「展覧会を見ることも反戦展に参加すること」です。

是非、ご興味のある方はお出まし下さい。

さて、
ネットはリアルと繋がってこそ。
でも、リアルは予想外のところからやってくるから
ネットで準備万端怠りなく。
この事を今回ほど痛感したことはありませんでした。

親の介護やら兄弟の病気やらの合間に細々と描き続けた絵。
原発事故で、描きためたデッサンどーしよう
そうだネットに上げれば、データとして残る、
というわけで、始めたこのブログとホームページ
詳細は「分析は悲観的に、行動は楽観的に」
に書いてあります。

去年の今頃からは、過去のデッサンだけではなく
小さいものですが、週に二回くらい新作と一緒に記事を上げて行くようにしました。
そのために、せっせと里山公園にスケッチに行ったり
観察会や田んぼ作りに参加したり。

小さいながら、積み重なると置き場所にも困るようになって来たので
この7月にはそれらを集めて個展を開きました。
それもたまたまツイッターで個展の場所を呟いている方がいて
その画廊を検索したら、7月が空いていたので
4月に予約に行ってきました。
間際ということもあって、画廊主が少しお安くしてくれたことも嬉しかった。

ところが、5月に突き指をしてしまい
一ヶ月近く絵が描けない状態に。
だからDMハガキが出来たのは、会期の一週間前。

それでも、ブログにアップするためと
里山活動をしているグループの機関紙の表紙を毎月描いていたので
ギリギリセーフで個展に突入。

個展が終わって少しホッとしたところで
土屋誠一実行委員長の「反戦」展への呼びかけ文を読んだのです。

集団的自衛権の容認の閣議決定には私もプンプンでした。
記事もいくつか書きました。

憲法より閣議決定が上なんて、ありえない。
日常の意味が変わる時

アンデパンダンとはいえ、全く無名の私が受け入れられるか
土屋委員長にメールした時点では不明でした。
私は意を尽くしながらも参加意志を表明したメールには
自分のホームページやブログのURLと、関連記事のURLを添えて出しました。

土屋委員長に尋ねていないので分かりませんが、
ただ名前だけで「参加します」と言われても普通は判断に困るものです。
すぐに参加者リストに加える旨のご返信を頂いた時、
つくづく、ネットで頑張って来てよかった、と思ったものです。

では、皆さん、会場でお目にかかれれば幸いです。

あ、私は、ごく普通の花鳥画を出していて、
ひとりだけ浮いてます。(笑)
でも、コンセプトは練ったものだし
今の私の最善を尽くした作品です。

搬入後、私自身もまだ会場を訪れていないので
明日くらいには行きたいです。