カテゴリー別アーカイブ: アトリエ日記

アートな一期一会 / 紅葉とドングリの図

今日の一枚

画用紙に水彩、色鉛筆、ペンと顔料インク

画用紙に水彩、色鉛筆、ペンと顔料インク


赤や黄色に色づいた葉っぱが
ハラハラと舞う季節です。

これから一ヶ月、冬至まで昼間の時間がドンドン短くなります。
4時には暗くなりますから、
ちょっと時間を損したような気がするくらいです。

しかし、
インターネットのなかった時代は、
ほんとうに「秋の夜長」でした。

ちょっとしたことが簡単に調べられるようになった反面、
気をつけないとSNSで過ごして、
長い夜が味わえなくなっているのかもしれません。

一期一会の感動

さて、時間ではなくお金の話です。
今から考えると不思議なくらい
お金は汚いもの
だから売り絵は描いちゃいけない、
みたいな風潮が長らく美術界にあったように思います。

美術界だけではなく、
「お金のために働いてるんじゃない」
という一種の気概が、日本をGDP世界一に押し上げたのは確かです。

しかし、皮肉なことに、それがそのうちサービス残業に化け、
過労死なんて言葉まで生む状態に繋がって行きます。

そしてむしろ、311以降には
私たちが思っている以上に、日本社会が拝金主義になっていたことを
思い知らされます。

まさに「命か金か」みたいな状況が出現したわけですが、
今日は、話をアートに限りたいと思います。

資本主義社会である以上、
すべてのものと交換可能なのが
今のところ貨幣しかないので、
人の能力やアートの価値も「お金」で換算される、評価される、
というのが基本です。

それは必然的に「売れる」ということを意味します。
「売れる」ということは、もちろん凄いことです。

というのはやはり、
人は自腹を切ったものに対してはそれなりのコストパフォーマンス
を要求しますから、対価に対しては評価が厳しくなります。

ですから、売れるものはある程度以上の評価がある、
と考えていいと思います。

しかし一方で、
資本主義とは、資本側が非常に恣意的に
その「売れる」状況を作れることも意味します。

言わばマーケティングです。

特に、テレビと徹底したマーケティングに免疫のない日本社会は、
資本の雨霰と降り注ぐ情報の送り手側が、
かなり恣意的に、その「売れる」状況を作ることができます。

アートの場合、
もちろん基本はその作家の作品の評価です。
作品が一定水準以上でなければ、
売りようがありません。

しかし、最近はやたらと
「物語り」を流布することで、
作品の評価とは別の意味合いを、その作家の存在に持たせることもあるようです。

例えば,日本画家松井冬子さんの場合、
ご本人の作品を語る時になぜか、
「美しすぎる日本画家」と言った形容詞がつけられます。
そしてその絶世の美女が、何浪もして芸大に入り、
女性として博士号を初めて取った、
となれば、話題につきません。

誰でも、美人は好きです。(笑)
そして、松井さんは本当に美人。
でも、その事と、松井さんの作品の評価は関係ありません。
松井さんの絵が売れるのは作品がいいからです。
でも、展覧会場に沢山人が行くのは
もしかしたらマーケティングの成果かもしれません。

実は私たちは、作品と作者を結びつけがちですが、
これはあまり作品鑑賞にはいい影響を与えるとは思えないのです。

もちろん、作者の人生があって作品があるわけです。
それでも、
まず純粋に作品に接することを習慣づけたいです。

時代背景など知っておくと理解が深まる、
ということもあります。
それでも、
なるべく初めてのデートをするような気持ちで
作品と接してみてほしいと思います。

5年ほど前に、夫とフィレンツェに行ったことがあります。
ルネッサンスへの道を開いたとされるマサッチオの壁画を見に
教会へ行ったところ、
その肝心なマサッチオの絵を見ずに、夫はひたすら天井を見ているのです。

どうしたのか訊ねたら、
「凄いね〜、この教会、外から見ると3階建てなのに、中は五階建てなんだね」
と言うわけです。

その丸天井には、壁画がが描かれていたのですが、
柱や破風が描き込まれていたので、
さらに上の階がある、と夫は思ってしまったのです。

簡単に言えば「騙された」のですが、
しかし、その時の夫の感動は本物のわけです。

その後、天井画で有名な教会へ行っても
夫はもう、それが絵だと知っていますから、
絵にしか見えません。

一期一会。
その時かぎりの感動。
絵やアートだけでなく、
音楽や文学にもあるでしょう。

情報過多の時代、
あえて物語りに耳を傾けない方が
心の目で作品を見ることができ、
いい出会いがあるかもしれません。

ネットの無かった時代、
長い夜に読みふけった本が
一生の友になるように。

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自分のために歌う / わた がはじけた!の図

今日の一枚

スケッチブックに色鉛筆と水彩

スケッチブックに色鉛筆と水彩


以前の記事、スケッチ わたのはなしべひらく
で花の咲いた綿でした。

ついに先日、その実がはじけて
コットンボールが顔を出しました。
まさにふわふわと綿のよう。(笑)

綿はアオイ科の植物。
起源が分からないくらい古〜くから栽培されていたようで、
牧野の植物図鑑によると、東アジア原産だそうです。

そう言えば、9月に東京国立博物館で特別展示された酒井抱一のまき絵にも
しっかりコットンボールが描かれていましたっけ。

花が咲いたあと、一センチくらいの白い実がズンズン大きくなり
緑色のラグビーボールのような固くて筋が入った
直径3センチ長さ4センチくらいの
実になります。
まだかまだか、と思っていると
ある日、絵の中の右上の実のようにボールの筋から
カパッと開いて中から綿が出てきます。

その白い綿は、絵の下の実のように、
徐々に外にせり出してきます。
手で触ると、ふわふわの綿の中にしっかりタネが。

人間との付き合いは長いとはいえ、
別に綿は人間のために生まれて来たわけではなく、
綿自身の生き残りをかけた戦略上、
ふわふわの綿の中にタネを収めることになったはず。
風に飛ばされて遠くにいくためか、
寒さや乾燥からタネを守るためなのか、
いずれにせよ、人間はちゃっかり、そのタネを包む綿を
紡いで、布を作ったり、布団の中綿にしたりしたわけです。

自分のために歌う、自分のために生きる

水曜日11月13日の日経の夕刊に、
歌手都はるみさんのインタビューが載っていました。

十六歳でデビューして、1984年末に一旦、引退。
確か「ふつうのおばさんになりたい」と言って。
五年後に復帰した時のエピソードです。

シャンソン歌手のエディット・ピアフのドキュメンタリー番組を見て、
「自分のために、自分が歌いたいからという理由で歌っても良いのか」
と目から鱗が落ち、歌手復帰をその場で決めたそうです。

休業前の都さんは、
売れてなんぼで、賞を取って認められる事ばかりを
追及していた、と振り返ります。

考えさせられる記事です。
売れるために歌う。
賞を取るために歌う。
お金のために歌う。
名声のために歌う。

もちろん、お金という対価が払われる事は
いい加減な気持ちでは受け止められない事です。
対価のお金には人々の汗がしみ込んでいるからです。

しかし、もし、コストパフォーマンスだけをいうならば、
歌う都さんは歌う度に「取引き」だけをしていることになります。
それでは疲れてしまい、スカスカになってしまう。
だから休業することになったのかもしれません。

休業前の都さんは「なんで自分はこんなに不幸なんだ」
と思っていたそうです。
お金も名誉もあるのに。

都さんに取って、歌う事は生きる事です。
「自分のために歌う」は「自分のために生きる」に置き換えられないでしょうか。

私たちは「社会に役に立つ人間になれ」
と言われて育ちます。
それ自体は間違ってはいないのでしょうが、
重要な事が一つ欠けていると思います。

「自分のために生きつつ、社会の役に立てるように」
というのが本当なのではないでしょうか。
社会は個人の集まりです。
もし、社会があっての自分しかなければ、
それは社会の一員かもしれないけれど、
同時に歯車になりかねません。

311以後、私を震撼とさせた言葉のひとつに、
「自分だけ生き残りたいのか?」があります。
放射能を避けて避難したり、
汚染されていない食べ物を食べさせたくて、
子どもにお弁当を持たせようとしたお母さんたちに浴びせられた言葉です。
私は、この言葉に、ずっと薄気味悪さを感じていました。

誰かの命は持ち主以外、誰のものでもないはずです。
誰だって生まれたからには生きたい。
そう思う事が「エゴ」とされる社会。

でも、自分の人生を自分で愛せなくて
何の人生か、とも思うのです。

名声のためではなく、歌いたいから歌う。
生きたいから生きる。
自分を愛せない人が、他者を愛することは出来るのでしょうか。

私たちの社会では「人に迷惑をかけない事」が美徳とされています。
しかし、自力で生きていけない人たちを国や政府は助けるべきだとは思わないと言う人が、
日本では突出して多いのです。

日本の貧困対策がどれほど貧困かよく分かる数字より
日本 38%
アメリカ 28%
イギリス 8%
フランス 8%
ドイツ 7%
中国 9%
インド 8%

リンク先を見ていただければ、ソースがありますから是非見て下さい。

冷酷な社会のように見えますが、
むしろ、自分を本当に大事にする事、「自分のために歌ったり、生きたりする事」
が出来にくいから、こういう数字になるのではないでしょうか。

実は、この「自分のために生きる」、
反対方向に突き詰めて行くと、
社会のために生きる → 国のために生きる → 国のために死ぬ。
ということになりかねないのです。

311以降の「自分だけ生き残りたいのか」
という言葉はファシズムとも親和性が高いのだと思います。

むしろ、
「自分だけ生き残りたいのか」と言われたら、
「自分は生き残りたいし、あなたにも生きてほしい」
と言える社会の方がどれほど前向きでしょう。

多くの人が毎日社会のために懸命に働いています。
同時にその人たちにも家族や自分の人生もあるし、
またいつ、事故に遭ったり病気で働けなくなるかもしれません。

綿の実が自分の生き残りのために紡いだ綿が人に役に立つように、
誰でもが少しでも「自分のために歌う」ことが、
同時に人々のために歌う事になる、
という方がずっと楽しいはずです。

もし、隣の人が「自分自身のために楽しく歌っている」
のを見たら、「あいつだけずるい」なんて叩かず、
自分も自分なりに楽しく歌いたいものです。

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自分のメディアを持つこと / カラスウリの図

今日の一枚
アルシュ紙に水彩、色鉛筆

アルシュ紙に水彩、色鉛筆

カラスウリの花は、夏の夜に白く咲き、ガがその花粉を運びます。
その五弁の花から細く長い糸がたくさん出て
熱帯夜の夜に絡み付くようにあやしく光り、
ガが吸い寄せられるかのよう。

秋になると、この絵のような長さ4、5センチ、直径3センチくらいの
俵型の赤い実を付けます。
黄色い種類はお化粧品の材料としても使われるようです。

自分のメディアとしてのブログ

このブログを始めて10ヶ月。
今は一日に平均5〜60人の方に来ていただいているようです。

もう、10年以上前になると思いますが、
テレビ朝日の「朝まで生テレビ」で
インターネットがテーマだったとき、
子飼弾さんが、
自分のメディアが持てる時代
とインターネット時代のことを表現していて、
とても印象に残っています。

私は、団塊の世代より少し下の世代です。
多分、学生時代の同級生などと比べるとネットに親しんでいるほうでしょう。
20年くらい前に、建築CADのオペレーターをやっていた事もあり
何の抵抗も無く、Macユーザーになりました。

と言っても、
今のCGの進歩などにはついて行けませんし、
ついて行く必要もないと思っています。

CGの世界は、もう、手描きがいらないのではないか、
と思われる程の進歩です。

それでも、私は手描きにはCGにはないチカラがあると思っています。
それは、写真が登場しても、「肖像画」という分野が無くならないことからも
分かります。

ただ、ITは、特別な人のものであったアートを
万人に開いたと思います。
ある程度のセンスがあれば、
かなりの表現ができるようになりました。
最近は3Dプリンターも出て来て、
立体すら、アイデアがあればかなりのことができるようになってきました。

写真の世界もデジタルカメラで様変わりしました。
やはり、素人の参入がとても簡単になりました。
もともと写真は詳しい人が多いし、昆虫を撮り続けたり、
カワセミの写真集を出す人などもいるようです。
写真ブログは見切れないくらいたくさんあるし、
イラストのブログもランキングに600以上登録されています。

それでも、スタジオ撮影や物撮りは
専門家の牙城です。
先日、テレビで、四万十川のカワセミを現場でカメラマンが撮れず
東京で撮ったものを放映して問題になりました。

自然相手では、人間の思い通りにならないことがほとんどです。
自然を撮影するカメラマンの仕事は「待つ」ことだと言っても過言ではないでしょう。
時間のある時に撮影する素人ではやはり出来ないこともたくさんあります。

物書きも同じようにある程度の受難は
免れないかもしれません。
ネットには、玉石混合とはいえ、
溢れる程のブログがあって、多くは無料で読めます。
もちろん、堀江貴文氏や津田大介氏のように、
メルマガを発行してそれなりの収入がある人は、
現実世界でも本を出しています。
よほどの内容がない限り、メルマガを購読する人は多くはないはずです。

ネットはウソばかりデマばかり、
というのは一面で、
ある面、とてもリアルを反映しているのです。

そんな中、私がメディアとしてブログを運営するには
大きなモティベーションがなければなりません。

最初は、細々と描いて来たデッサンを見てもらうつもりで始めました。
しかし、そのうち、もっと積極的にメディアとして使いたい、
と思うようになってきました。

9月くらいから試行錯誤で、
小さな彩色画を週2回くらいあげるようにしています。

大きさはハガキ大くらいからB5くらいの小さなものですが、
8割以上完成していること、
と自分に課して、描いています。

大変なこともあるのですが、自分のメディアを持っている、
ということは、良い意味でプレッシャーになり、
一日くらい遅れることはあっても、
なんとか頑張れるのです。

私の世代になると、仕事や要職についている人以外は
食べ歩いたり、旅行したり、
家ではDVDやテレビを見て過ごしています。

私は、パソコン業務のアルバイトをしながら
せっせと絵を描いているわけです。

テレビは面白くないし、
311以降、世の中のゆがみがひどくなるし、
外食も味付けが似たような感じで美味しくなくなって来たし、
普通に暮らしていたら愚痴ばかりになりそうですので、
時間を見つけてひたすら描いています。

それが出来るのも、
こうやってブログを運営して不特定多数の人が
見に来て下さるからです。

また、里山活動をしているNGOの機関誌の表紙も
2年前から引き受けています。
報酬はないのですが、様々な条件下での、
技術の試行錯誤がとても面白いです。
こちらは紙媒体ですが、やはりメディア。

藝術というのは、作り手だけでは成り立たないのです。
ブログという世界に広がったメディアを持つことの意味が
増すこの頃です。

本家のホームページも、自分で作りました。
ご覧になってない方がいたら是非見て下さい。
マダムかよこのアトリエ
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私がツイッターにハマるわけ / イヌタデとツユクサの図

今日の一枚
アルシュ紙に色鉛筆、水彩、ガッシュ

アルシュ紙に色鉛筆、水彩、ガッシュ

私は、何故か、花の咲かない羊歯や路傍の小さな野草に引かれます。
今日は、イヌタデとツユクサ。

庭のヒメコブシの木の下に、モサモサとまとまって
イヌタデが生えて来て、そのピンクの実をくねくねと
お互いに絡ませます。
その間に覗かせたツユクサの透明な青が印象に残ったので
描いてみました。

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さて、SNSは、ミキシィ、フェイスブック、LINE
などいろいろありますが、私はやはりツイッターが一番好きです。

ツイッターの面白さは、その開放性と機能性、速報性です。
ミキシィなど前者三つは基本的には、現実での人間関係をネットに反映して広げたもの。

しかし、ツイッターは全く知らない他人と、
140文字の文章だけで交流出来るものです。
登録すれば、ロム出来るし、
別に交流しなくても自分で呟くだけでも良いし、
フォローしあえば、ダイレクトメールも送れる。
アカウントが匿名でも登録出来る事も多くの人の敷居を低くしているでしょう。

聞いた話では
ミキシィは大学生に人気、
ファイスブックはビジネスマン、
LINEは中高生とか。

いずれにせよ同じような境遇だったり、
価値観の人たちが集う事が多いでしょう。
一方、ツイッターは、実に多様な職業や年齢の人たちの
幅広い意見や考えを読むことができます。
タイミングがあえば、リアルでは知り合わない人とも
会話を交わすことができます。

いろんな人がいて、いろんな考えがある、
という当たり前の事を
ツイッターは教えてくれます。
実は日本には多様な意見と能力に溢れているのだ、
と毎日思い知らされています。

特に普通の市井の人々のツイートがすばらしいのです。
目から鱗、ということも度々です。

この多様性こそが私がツイッターにハマる
大きな理由です。

しかし一方で
冷蔵庫に入った写真をのせるとか、
有名人のクレカのサインをのせるとか、
非常識極まりない使い方をする人もいるし、
Lineではつい最近は高校生が殺されるという悲劇まで起こりました。
本当に悲しい事です。

拡散、コピーというのはネットの宿命です。
ネットに載せたものは、たとえミキシィ、フェイスブックでも
コピーされたらおしまい。いくらでも流出します。

私がかなり心配するのは、
可愛いのは分かるけど、自分のお子さんの写真を顔が分かる形で
アップする人が意外にいる事。
これは、出来るだけ止めた方がいいでしょうね。

あと若い女性は、今どこにいる、なんて移動する度に呟くのは絶対止めた方がいいです。

「ネットに一度あげたものは消すことは出来ない」
「世界中の人間が見ている」

と思って記事も写真も呟きもアップするくらいが良いかな、
と思っています。

それでも、基本的なやっちゃいけない事を押さえておけば、
ネットは素晴らしいものです。
集合知です。
専門家の論文から、アイドルの呟きまで読めます。

おまけに、ブログなど、自分自身がメディアになる事も出来ます。

道具は何でも使いよう。

特性を知って、そのためには少しは調べて、
うまく使って行きましょう。

そうそれから、私も時々やっちゃうけど、
時間管理。
これは中高生でも問題になっているようです。

私の場合は、職場以外は、夕方までパソコンは開かない、
そしてスマホは持たないことにしています。
と言っても、調べものが出来て開いて、ツイッター覗いたら会話が弾んで……、
みたいな事は少なくありません。

ツイッターをブログの宣伝だけに使う人もいるけど
それももったいないような気がします。

ーーーーーーー

   

お薦め、猫の日めくりカレンダー/すっかり美猫になりましたの図

早いもので10月も下旬。
昨年の10月に我が家にやって来た子猫もすっかり大きくなりました。

アルシュ紙に水彩、色鉛筆、ガッシュ

アルシュ紙に水彩、色鉛筆、ガッシュ

最近は、猫の特性を遺憾なく発揮しています。
自分が甘えたい時には、スリスリごろごろ大変なのに、
気分ののらない時には、抱こうとすると逃げまくります。
お腹がすけばニャーニャー言うのに、
食べ終われば、「ほっといてちょーだい」モード。

猫も十人十色。いや、十猫十色。
以前飼っていたおばあさん猫は自分を人間だと思っているのではないか
とおもうくらいの愛想の良さ。
獣医に行っても愛想を振りまいている始末。
今いる上の猫は、夫が大好き。
まるで犬のようについて回ります。
朝は夫の起きる時間になると寝室の前で待機です。
忠犬ハチ公ならぬ、忠猫でしょうか。

そしてこの子は、すっかり美猫に成長したのですが、
まさに「ネコで〜す」という感じの猫。

・・・・・・・
さて、
来年のカレンダーの季節になりました。
猫のカレンダーは山のようにありますが、
私のお薦めはなんといってもこの日めくり。

他のカレンダーと何が違うかって、
飼い主がとった写真ばかり。
つまりプロでない人が撮った写真ですが、
飼い主にしか撮れない写真が365枚。
飼い主と猫ちゃんの名前が記され、記念碑的な写真集になっています。

写真が可愛いだけでないのがいいし、
英語ですが、添付のテキストも知っていると具体的で役に立つ内容や、
猫ライフがいっそう楽しめるコツなどが記事になっています。

例えば、「猫とドライブするときのコツ」とか
「ネコの爪切りは人の爪切り使っちゃダメよ」とか
「ネコのヒゲが落ちていたら、とっておきましょう。恋がかなうかも」
なんてことも。

愛されている猫ちゃん達の肖像の数々。
お部屋に一つあると楽しいし可愛いし、ホッとさせてくれるでしょう。

毎年、2月1日までに登録すると、
翌々年のカレンダーに自分の猫の写真が使われるかもしれません。
カレンダーを買うと中に登録方法がのっていますし、
出版社のホームページからも登録出来るようです。

   

タネの話(2)/ヒマワリのタネを食べるカワラヒワの図

タネの話「その2」です。
自分の復習もかねて書いていたら、
少し長目の記事になってしまいました。

アルシュ紙に水彩、ガッシュ、色鉛筆

アルシュ紙に水彩、ガッシュ、色鉛筆


絵は、花が終わったヒマワリのタネを食べるカワラヒワの様子です。
食べる食べられるの関係で、自然界は繋がっています。
人間だってその一部です。

遺伝子組み替えの話をする前に、
17日のブログの最後に

ヒマワリの種は、昨年咲いたヒマワリから採取したもの。
この種は蒔くと花が咲くのかな?

え、タネを蒔けば芽を出すのが当たり前じゃないの?

……のはずが、どうも最近は様子が違うのです。
 人間はお金と効率のためには、いろんな事を考えるのです。

と書きました。

この話からしましょう。
野口勲氏の「タネが危ない」から取り上げます。

少し複雑な話になるのですが、
昔は農家では、その年に育てた作物から翌年のためのタネを取って翌年植え、
またその翌年(つまり翌々年)には前年の作物から取れたタネを植え、
と言う風に毎年毎年タネを引き継いで来ました。
代々の性質が変わらないので「固定種」と呼び、そこからタネを取ることを
「自家採種」と言います。

昔はこれが一般で、タネ屋では「一粒万倍」として売られていたようです。
タネの話(1)で一粒の種もみが500粒になる事を書きましたが、
まさに、永続農業ですよね。

ところが、この固定種は「商品」になりにくい、
という面があるのです。
というのは、

大きさが揃わない、
一斉に収穫出来ない

のです。

昔の八百屋さんは一キロ幾ら、で売っていたので、
大きさが揃わなくても問題無かったのですが、
今はスーパーなどの小売り形態が増え、大きさが決まっていないと
出荷納品などがロスが出ます。
また量も同じ時期に一定量が取れないと「商品」として取引出来ません。

と言うわけで、登場したのが「F1」(エフワン)と呼ばれる、
大きさが揃って一斉に収穫も出来る作物です。
今は市場にはF1種しか無いくらい、席巻しているタネなのですが、
遠縁の交配種で同じ形質を持った二代目は作れないのです。
つまり、自家採種が出来ないのです。
ということは、今の農家は毎年タネ屋からタネを買って
作物を栽培しているのです。

この話は私にとっては、かなり衝撃的でした。

検索してみたら、交配種とそうでない品種とはどう違うの?というサイトを見つけたので
もっと知りたい方はご覧下さい。

それから、少し脱線しますが、
タネの話は「メンデルの法則」そのものです。
おさらいしたい、という方は、
こちらの生物学基礎のホームページはいかがでしょう。
遺伝の法則のページ
このサイトの作者、和田勝氏の本

この本は、高校で生物を履修しない医学生のための本なので、
懇切丁寧に、詳細を図入りで生物学入門から分子生物学まで学べます。
それでも私なぞにはまだ難しい。
一度電子顕微鏡で細胞見てみたいなあ、と思ったり。

さて、その市場を席巻しているF1種はどのように作られるのでしょうか。
F1種は現在は「雄性不稔」(ゆうせいふねん)というやり方で
作られています。
「雄性不稔」というのは言ってしまえば、タネのインポテンツ。
野口氏は本の中で、以下のように述べています。

ミトコンドリアが傷つくことによって、動物も植物も子孫を作る能力がなくなってしまう。ミトコンドリア遺伝子の異常を起こした植物が雄性不稔のF1になった。我々はそのF1野菜を食べている。我々は日常的に、生殖能力を失った、ミトコンドリア異常の野菜を食べている。玉ねぎのミトコンドリアは玉ねぎ全体の重さの一割を占める。玉ねぎの異常遺伝子は脈々と受け継がれていくのである。
「タネが危ない」P.120より

ミトコンドリアってなんだっけ、という方は生物学基礎のページをご参照ください。
細胞の構造
「パラサイト・イブ」の作家瀬名秀明さんが書いた本もあります。

そして「雄性不稔」を利用したF1のタネは、
子孫が出来ないため、タネが盗まれることがなく新種を独占出来る、
というタネ企業にとってはおいしい「商品」。

しかし、野口氏は、本の中で警鐘を鳴らします。
科学的な研究がなされたわけではないので、あくまでも氏の推論と断りつつも、
最近ミツバチが一斉に消えた話や人間の精子が激減していることなど
もしかすると、この「子孫を作れない植物を食べること」と関係があるのではないか、
しかし、今はそれを証明出来ない、と言っています。

とはいっても、経営という視点を考えたとき、
F1を否定出来るものでは無い、と野口氏も書いています。

さて、雄性不稔のF1の話のあと
ようやく遺伝子組み替えの話になります。
長かった〜。でもこれから先の話はさらに考えさせられます。

遺伝子組み替えと言うと、組み替える植物の遺伝子を取り出して
人間が操作するのかと思っていたら、違うのね。
生きているバクテリアを使うらしいのです。
えええ、って感じですが、なので、
「アグロバクテリウム法」と呼ぶらしいです。

以下は、「タネが危ない」の152ページを要約してみます。
アグロバクテリウムはバクテリアの一種です。
土壌細菌で世界中どこにもいて、その辺りの土の中にもいっぱいいるらしい。
細菌というのは自分の大元の遺伝子は渡さないけれど、
「プラスミド」という小銭のような遺伝子をお互いにやり取りして、
例えば、ある細菌が除草剤に強い耐性を獲得すると、
除草剤に強い耐性をプラスミドに入れて、隣の細菌に渡す、
のだそうです。
これでドンドン除草剤に強い細菌が増えます。
そしてアグロバクテリアが植物の中に入ると異物とは見なさずに
取り込んでしまい、ガン細胞のように増え、植物は枯れてしまう。

この植物がプラスミド遺伝子を取り込んでしまう性質を応用したのが
遺伝子組み替え作物、というわけです。

遺伝子を組み替えるには、葉っぱを切り抜いて、
遺伝子組み替えされたプラスミドが培養された液に浸すと、
葉っぱの傷口からプラスミドがすべての細胞にはいり、
その葉っぱは一つの植物として成長。

すごいのは、
出来上がった植物細胞の一つ一つ、花粉の一つ一つまで
すべて遺伝子が組み替えられるということ。

そして、なんとなんと、
花粉がまた外に飛び出して、
交配した他の植物を遺伝子組み替えにして行く、のだそうです。
一度遺伝子が組み換えられると、花粉が飛ぶ限りエンドレスですね。

で、このホラーのような遺伝子組み替え技術で、
今のところは封印されているけど、超ど級に怖い技術に
「ターミネーター・テクノロジー」というのがあるそうです。
「自殺する遺伝子」と呼ばれるターミネータ遺伝子を組み込んだものだそうで、
遺伝子操作によってタネの次世代以降の発芽を押さえるのが目的。

農家の自家採種を何が何でもさせないぞ、
というテクノロジー。
強欲な技術であると同時に、
野口氏は、この「自殺する遺伝子」を持った植物が
根の細胞を通じて、寄生する細菌とプラスミドを交換しあったら、
とんでもないことになるのでは、と書いています。

今は封印されている技術だけれど、もし解禁されて、
このターミネーター遺伝子を持った花粉が世界中にまき散らされたら、
植物は次世代が作れないことになります。

野口氏は

植物の死は動物の死と直結する。一時しのぎの経済戦略が地上を死の世界に変えてしまう危険性を秘めている。(「タネが危ない」P.156より引用)

と述べています。

さて、生物学的な面だけでなく、社会的には、
遺伝子組み替え産業が世界の種苗メーカーの株を買って
ドンドン傘下に収めている、
という事実もあります。

2007年には、世界の種子会社は
一位モンサント、二位デュポン、三位シンジェンタという
バイオメジャーに占められました。

日本の種苗会社もいつ買収されるか戦々恐々。
タキイは上場せずに一族で株を持ってなんとか凌いでいるそうです。
検索したら、今日の日付で、世界の種苗会社のランクがのっていました。
種苗業界の世界勢力図

「タネを支配するものは世界を支配する」のでしょうが、
世界を滅ぼしかねない技術で儲けて、同時に自分達の生き物としての足下をも
蝕んでいることになります。
もし意識的に「我が亡き後は洪水来れ」と思ってやっているのでなければ
自分で自分の首を絞めているように思えるのです。

付け加えると、
先に名前の出たバイオメジャーを始め、世界の600ぐらいのグローバル企業に
日本市場を明け渡す、のが、いわゆる「TPP」です。

さて、最後に「タネが危ない」を書かれた野口勲氏の会社のホームページをご紹介します。
野口種苗

自分でタネが取れる野菜。いいですね〜。
作るのもワクワクしそうです。
私はなかなか本格的に野菜作りは始められないのだけれど、
楽しみが増えました。

   

コツコツやれば「きっと、うまくいく」/青空に映えるコスモスの図

先日,ようやく、
インド映画「きっと、うまくいく」を見てきました。
半年、ロングランするだけの事はあって、
元気が出て、楽しめる映画でした。

インドは映画が盛んで年間1200本もの作品が作られます。
なんとハリウッドの2倍,日本の3倍です。
インドには行った事はないのですが、とてもカオスの国のようで、
日本の尺度では測れない部分があるように思います。

私は実際に何人かのインドの方と話す機会があって、
速射砲のように早い英語を話すので,聞き取りに苦労したものです。
「きっと、うまくいく」の中でも、
英語とヒンドゥー語がチャンポンで出て来て、
インドなまりの新幹線なみの早口英語でした。

聞くところによると、アメリカのマサチューセッツ工科大学より難しい
大学があるそうで、ゼロの概念が生まれた国らしい
歴史を感じます。

一方で、レイプや女性に薬品をかけて傷つける事件もあとを
絶たない、みたいなニュースも見かけます。

以前、ザナ・ブリスキという女性カメラマンが
インドの売春窟に生まれた子どもたち相手に写真を教える、
という内容のドキュメンタリ映画「未来を写した子どもたち
を見たことがあります。

絶望しかないような売春窟に暮らす子どもたちが、
なんと自分達の撮った写真の展覧会で集めた資金で
学校に行けるようになるのですが、
しかし,さまざまな理由で結局学校を去ることになる子どもが
少なくありません。
現実の不条理を一身に背負って生きるこども達。

確かこの映画にでて来たと思うのですが、
町中の道路の壁にパソコンが埋め込まれていて、
インターネットが使えるのです。
習わないでも,自在にネットを使うこどもたち。

とにかく、貧困と絶望と希望と知性が混沌と入り交じっているのです。
どこ行ってもコンビニと100円ショップがあるような
均質な日本からは考えられないような、
多様性と混沌。

一方日本の均質化は閉塞感とも繋がっています。
インドの貧困などから来る絶望感とは違う,八方ふさがり感。

「自分」を殺して行けば,そこそこの暮らしが出来るので、
多くの人は閉塞感の手助けをしつつ,現状を選びます。
そこそこの暮らしとそこそこの人生。

そんなのつまらないよ、
やりたい事やって生きようよ,というのが
映画「きっと、うまくいく」のメッセージでした。

だからヒットしたのかもしれませんね。

しかし、当然の事ながら、
主人公が成功するのは勉強するからです。
主役の一人が動物写真家になるけど、
彼も実はせっせと写真を撮っています。
原題は「3 idiots」(3人のおばかさん)。
しかし,おばかさんどころではなく、
3人とも着々と未来に向かって進んでいたのです。

仲間がいて,励ましあえれば素敵だけれど、
この3人は出会う前にすでにそれぞれがやる事はやっていて
お互い,ちょっと背中を押し合っただけ。

やりたいことや勉強は一人でコツコツやればいい。
人に話すことはないし、許可もいらない。
天は自らたすく者をたすく。
「きっとうまくいく」はそういう人のための呪文なんだ、
と思った次第。

というわけで、私も今日も楽しく,コツコツ絵をアップして行きます。

「きっとうまくいく」

紙に色鉛筆、水彩

紙に色鉛筆、水彩

今日のスケッチは、立川にある「昭和記念公園」で震災の前の秋に描いたもの。
公園には、この季節になると、コスモス畑が出現します。