カテゴリー別アーカイブ: 本や映画、展覧会、演奏会

「見ること」は自明なのか?見えないものが見える時

またまた少し時間が開いてしまいました。

まず昨日見た展覧会のお話から。

アートトレースギャラリーでの
西山功一 個展 XX(写真展)と同時開催の
西山功一個展連動企画 ー観察・反応・拡張ー
両展覧会。

西山功一氏の写真展は、
ショーウィンドウなどガラスに映り込んだ景色を
実像とともに撮影し、トリミングすることによって
どちらが実像でどちらが映りこみなのかが分からなくなる
という、作品群。

これは、目のパズルみたいで面白い体験です。

実際のビル街などの大きな空間では、
ショーウィンドウに映ったものと実像を間違えることはあり得ないけれど、
写真として「枠」でトリミングすると
建物の中なのか外なのかすら自明ではなくなるのです。

20151019

錯視、とも違う不思議な体験です。
ガラスを撮影することになるので、
全体的に地味な作品が多いのですが、
一度写真の見方が分ると、面白い体験になると思います。

自分の目が信じられなくなるかも。

そして、後者の工藤春香氏の企画は、「画廊で作品を描き加えて行く」
という実験的な試みがされていて、それは
西山氏のコンセプトから展開されたものです。

工藤氏は写真がトリミングで「枠」に取込まれることによって
視線が限定されることに注目。

普段は見えないのに「枠」が現れる時に見えるものがあるとして、
価値観、道徳観、国、などの「枠」へと思考が拡張されつつ
画廊で加筆されています。
まさに「西山功一個展連動企画 ー観察・反応・拡張ー」
なのです。

コンセプトは難しくても、
自由に描き加えられて増殖して行く様は
ライブならではの躍動感。
白い壁や床にアクリル絵具が映えて色もきれいです。

20151019_2

ところで、
私はご縁があって、アートトレースギャラリーでの展覧会を
ずっと拝見しています。

いわゆる「現代美術」の範躊にはいる作家さんの展覧会がほとんどでしょう。

現代美術は草間彌生氏や会田誠氏でずいぶんとポピュラーになりましたけど
敷居が高い、という人も多いと思います。

極論をいうと、現代美術とは
作者のコンセプトと過程がいっそう重要になるのです。

え、そんな事言われても、という方に
おすすめの2冊をあげておきます。

まず、新書版。
これは実に分りやすく現代アートとは?の疑問に答えてくれる一冊。

上記の本で概要が分かったら、次の一冊。
大学の講義を纏めたものですが、
文章は平易ですし、美学への道も開いてくれるかもしれません。

なお、アートトレースギャラリーは、水曜日と木曜日が休廊ですので、
ご注意ください。

高橋源一郎 × SEALDs 「民主主義ってなんだ?」を読了。

3週間ブログを休んでしまいました。

安保法案のデモに参加してレポート書こうと思っていたら
家族に急病人が出たり、
おまけに寝不足で私まで体調崩してしまいました。

連休明けにお医者さんに行って、睡眠を多めにとって
ようやく復帰です。

このブログは
「観察日記や日々を楽しく暮らすヒントなど」とサブタイトルに入れているように
私の目を通した都会の片隅の小さな自然や日々楽しく暮らす視点を提供できたら
と続けています。

しかし、憲法という国家の根幹であるルールを守らない政権のおかげで、
なかなか我々庶民にとって厳しい時代になってきてしまいました。

マイナンバーも施行されますが、
NHKの受信料やら、奨学金の返済にも使おう、
とかドンドン間口が広がりつつあります。
この国が何を嗜好し、思考しているのか、よく分かります。
後10年もすると私たちはナンバーで呼ばれるのかも、
などと思ってしまいます。

さて、今日の久々の記事では本を取り上げます。
今話題の 高橋源一郎×SEALDs「民主主義ってなんだ?」です。

この本は、2部に分かれていて、
前半は、SEALDsの成り立ちや役割分担について。
後半は、高橋源一郎氏が主となって、ギリシャのアテナイの民主主義から
2500年に渡る民主主義の歴史と「民主主義とはなんなのか』について語るものです。

前半は、内輪話のようにも見えて、実は
SEALDsのメンバーに哲学を専攻している人がいたり、
彼らが実によく勉強していることが分かる部分です。
彼らの運動が、まさに理論と実践の場であることが
この前半で示されています。
そしてSEALDsが今に至るには、運動は彼らが作りながらも、
高橋源一郎氏をはじめとしてサポートする大人の存在も光っていると思いました。

少し話しはそれますが、
国会前の集会、というカタチも、
311以降、反原発に関わって来たひと達が作り上げた
「官邸前抗議」が基礎になっていることは言をまちません。

実際、シールズの若者達も、
官邸前の集会の後には日比谷公園で
車座になって話し合ったりしたようです。

確かに、安保法制に関して、シールズはメインアクターになったし
彼らの求心力は磁力のようでしたが、
彼らが突然現れたわけではなく、
様々な前段があり、パズルのピースが埋まるように
シールズがピタッと嵌ったわけです。

もう一つの彼らの上手さ、「本当に止める!」とか
「民主主義ってなんだ?これだ」などのキャッチコピーの辺りの話しも面白いです。

そして、後半は、日本人すべてに一度は目を通してほしい
(もちろん、首相や議員にも)
高橋源一郎氏による「民主主義について」のレクチャーです。

高橋源一郎氏は、4年前から朝日新聞の連載を持ったために
民主主義について様々な文献を読んで来たようです。

5月にはこちらの本も上梓しています。

高橋氏は、まず言葉の定義の重要性を説き
小田実のベ平連などの話しなどから
ギリシャのアテナイの民主主義の話へと繋げて行きます。

本書では高橋氏がペリクレスという政治家をよく引き合いに出します。
アテナイの名政治家と言われた人です。
そのペリクレスの演説の一節が
テュキュディデスの書いた「戦史」という書物に載っているのだそうで、
全文掲載されています。
それが「民主主義ってなんだ?」の見本のような一文。

その文はネットでも読めますが
本書のはもう少し読みやすくなっています。

しかし、面白いことに、実はソクラテスもプラトンも
民主主義はよくない、
と言っていたのだそうです。

というのも、衆愚政治になるから、
つまりポピュリズムに陥るから、ということです。

この本の後半では「民主主義」も完全ではない、
しかし、2500年前に生まれて、結局しぶとく生き残っている。
人間はまだ民主主義を使いきっていないのではないか?
そして民主主義を使う人間も、不完全だし弱い存在である。
というような、様々な方面から語られます。

詳しく内容に触れると読む楽しみがなくなっちゃうのが
書評の難しいところ。(笑)

そこで、一ヶ所だけ引用します。

高橋 そうそう。認知症の人間も障がい者も実際に弱い。でもそこで「平等」「同じ」というフィクションを作ったとき、そこに出来る共同体は実はすごく強い。リアリズムでやっているつもりの共同体のほうが実は弱い。「弱い人間はあっちに行って」という風にやると、強い人間だけが真ん中に残るいびつな社会になる。弱い人間も入れて、全部平等で同じっていう風にして行く世界の方が、運用は難しいけれども、結果としてはるかに強いものになる。(p.180より。後略)

これは、現政権が嗜好する「全体主義」へのアンチテーゼでもあり、
今の社会の風潮への警鐘でもあるように感じました。

それから、面白いなと思ったのは、
アテナイの民主主義では、みんなが丘の上に集まって話し合うのだけれど、
前提として「愚かな発言をしてはいけません」というのがあるのね。
永田町の議員さんたちに聞かせたいですよ。

なお、
「民主主義」の歯止めとしての「立憲主義」にも触れられていますが、
この点は、もっともっと踏み込んで欲しかったと思います。
これは少し残念だった点。

立憲主義、って要するに「人間は間違う存在だ」「多数決も間違えるんだ」ということです。
これは非常に大切な視点。
立憲主義については、以前伊藤真さんの講演を記事にしています。

さて、シールズは、もうすぐ新刊「民主主義ってこれだ!」も出すようです。

メンバーのスピーチや応援メッセージなどが収録されている模様。

まさに、「民主主義ってなんだ?」で語られたように、
言葉がある限り民主主義は終わらないのでしょう。

そして

民主主義は本来、その共同体の成員全員が当事者でしょ。
(p.189。高橋源一郎氏の言葉)

というわけで、
シールズだけではなく、わたしもあなたも自分の言葉で
「民主主義ってこれだ!」と言葉にする番なのでしょう。

It’s your turn!

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三角関数より花の名前、と仰る鹿児島県知事。でも植物もフィボナッチ数で溢れている。

鹿児島県知事の「女子にはサインコサインの勉強はいらない」発言。

女子教育「コサイン教えて何になる」 鹿児島知事、撤回

撤回されたようですが、
以下のように発言されたみたいですね。

 鹿児島県の伊藤祐一郎知事が、27日に開かれた県の総合教育会議で、女性の高校教育のあり方について、「高校でサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」「それよりもう少し社会の事象とか植物の花や草の名前を教えた方がいいのかなあ」と述べていたことが分かった。
(朝日新聞デジタル 2015年8月28日12時00分より引用)

サインコサインは実生活で使う人は男性でも多くないと思います。
あちこちでジェンダーの面からこの問題に言及されていると思うので、
私は、二つの面から記事に残しておきたいと思いました。

1)教育とは勉強方法と頭の訓練だから、役に立つ立たないは重要ではない。
2)数学のみならず、学問は往々にして繋がっていて、他の学問で学んだことが他の学問の役に立つことがおおいにある。

1)については、現在進行中の国民猿化計画「文系潰し」を出すまでもなく、
企業の儲けに繋がらない学問はいらない、
という先進国ではあり得ないような論理がまかり通りそうで
ビックリするのと同時に、深くこの国の役人の頭の中を憂えてしまいます。
国立大人文系を統廃合/文科省が通知 交付金も重点配分

伊藤知事も、ラサール→東大法科→官僚、
というエリ−トコースを歩いて来た方。

口が滑ったとして撤回していますけど、
本音であることは疑いようもないです。

そこには、女性蔑視もあるでしょうが、
役に立たないものは学ぶ必要がない、という国家の中枢にいた人とは思えない
意識が見え隠れします。

学問は、企業の役に立つからやるわけではないです。
もちろん高学歴であれば希望の企業に入れる確率は高まります。
でも、学問や教育は、勉強のやり方やものの見方を教えることでもあると思うのです。

サインコサインは習っても、役立てる仕事につかないにしても、
こういう考え方があるのだ、こういう問題の切り口があるのだ、
と習うことは、頭の訓練になるし、視点も増えることになるわけです。

もし役に立つことしか学ばないとしたら、
イノベーションを起こすことも難しくなるでしょう。
役に立つと分っていることは、現在の事象でしかないからです。
未来に新しいことを作るためには、役に立たない何かも習っておかなければ
未来の引出しが細るばかりです。

学ぶ側にもそれはいえて、
特に目だたない女子生徒が、数学にすごいひらめきを持っているかもしれなくても、
それは、彼女が学ばなければ分らないわけです。
その時、サインコサインを学ばないことは彼女自身の損失でもあるし、
同時に社会的な損失にもなりうるかもしれないのです。

未来は分らない。
エリートというのは、未来も規定したがるのでしょうか。

さて、2)について。
植物をスケッチしていれば、何一つ同じものがないはずなのに、
きちんと法則があることに気付きます。
ヒマワリの種が作る美しい螺旋は、明らかにそこに数学的な法則があることを
教えてくれます。

アルシュ紙に水彩、ガッシュ、色鉛筆

アルシュ紙に水彩、ガッシュ、色鉛筆


パイナップルの実の外側のデコボコも数学的な線を作りだしています。
20130711

実はケプラーの法則のケプラー(1571〜1630)が、
野の花々の多くは五角形であること、
そして葉の配置にフィボナッチ数が現れることを発見したそうです。(リンクはWIKI)

詳細はリンク先で見てもらうとして、
フィボナッチ数というのは、簡単に言っちゃうと、
1 2 3 5 8 13 21 34 55 89・ ・ ・
これらの数字のように、前二つの数字を足すと自分の数字になる数のことです。

↓参考文献はこちら。「黄金比」(アルケミスト双書)スコット・オルセン著

そして、ヒマワリの種の螺旋の本数も、なんと
隣り合ったフィボナッチ数の組みとして現れるのが普通だそうです。
(上記「黄金比」14ページより)

黄金比に関しては、こんなブログを見つけました。
黄金比はデタラメ?まるで宗教?数学者の残酷な告発

絵を習えば、必ず黄金比については習います。
レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザや受胎告知に使われている
とも言います。
ただ、私自身は、黄金比がそれほどきれいな分割割合かどうかは
よく分からないのです。
自分でもあまり使わないし。

ただ、フィボナッチ数に関しては、
(まだ自分が数学的に検証したわけではないけど、)
ヒマワリの種や、松かさの螺旋がフィボナッチなら、
本当にきれいだし、進化の過程で獲得したわけだから
その数学的存在は神秘的ですらあると思います。

数学は数学としてだけ存在するわけではなくて、
私たちが世界を理解するの時のツールでもあるわけですよね。

さて、知事の話しはこれくらいにして、
上記のスコット・オルセン著「黄金比」という本は、
宝石のような一冊です。

実は、アルケミスト双書がすべて魅力的なんです。
ミニアチュールのような繊細さと美しさ。
手元においておくだけでも、見飽きないし、美しい図がいっぱい。
おすすめです。
プレゼントにも喜ばれるかもしれません。

    

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二十四節気 処暑 行く夏を惜しむサギたち

久しぶりに、モノクロのスパッタリング技法による
鳥の絵をあげておきます。

20150825

手前がダイサギ、奥がアオサギ。

ちなみにシラサギ、というサギはいません。
白いサギは大きさによって、
コサギ
チュウサギ
ダイサギ

その名の通りの三種類に分かれます。
コサギは足の指が黄色く、
ダイサギはとにかく首が長い!
アオサギも首は長いけど、いっそう長いような感じ。

これから気温が下がりだすと
サギたちの長い首もS字型に曲がりだします。
鳥も寒くなると、肩をすぼめて(?)首を引っ込めるのです。(笑)

季節も、二十四節気は「処暑」。
太陽の黄経が150度になり、
少し暑さも和らいできます。
日の入りが早くなって来ているので、
気温以上に秋の風情が漂って来るころです。
虫の声も大きくなってきました。

↑この「暦の科学」は、国立天文台 暦計算室長 片山真人氏による、おすすめの一冊です。
暦は結局、地球と月と太陽の自転と公転で決まるのですが、
分りにくい3者の関係を図解と丁寧な説明でひもといてくれます。

来月9月は英語でセプテンバー、と言い、「September」と書きますが、
このSeptとは「7」のこと。

どうして9月なのに「7」なのか。

10月、11月、12月もそれぞれ、
本来は、Octo=8、Nove=9、Dice=10です。
タコは8本足でOctopus(オクトパス)。

では、なぜ8月ではなくて10月なのか。

そんなちょっとトリビアで楽しいお話も満載で、
目からウロコの暦の本です。

現在、当たり前の一週間や一ヶ月や一年の長さになるまで
人類は試行錯誤を繰り返して来たのです。

秋の空に澄み渡る月を愛でながら
宇宙の彼方の営みに思いを馳せて読むのも、
秋の夜長にふさわしいかもしれません。
(って書きながら、なんか聴いた事あるフレーズだなあ〜、
って思ったら、そう彼方から・・

ジェットストリーム、
ジェットストリーム、

って聞こえてきそう……)

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丸木美術館へのご案内

広島に原爆が落されて70年。
このブログを始めて3回目の8月6日ですが、
やはり今年は、全く切迫感が違いますね。

この原爆の惨禍を絵にした丸木位里・俊夫妻の共同制作
「原爆の図」。
生々しい表現もあり直視できる絵ばかりではないですが、
それでも、一生に一度は見ることをお勧めします。

丸木美術館のホームページ

私が四半世紀前に丸木美術館で購入した「原爆の図」画集。
0806-1
丸木位里・俊夫妻(画集より)
0806-3

丸木位里は水墨画家、俊は油絵画家でした。

原爆の図を描くことになったいきさつはホームページで読めますが、
丸木位里も俊も原爆投下後の広島に入っているのです。
絵の実感が違うはずです。

丸木俊のデッサン
0806-2

日本は、1945年(昭和20年)7月26日に突きつけられた
ポツダム宣言(Potsdam Declaration)をうじうじぐじゅぐじゅ
受け入れずにいたら、原爆を落されてしまいました。

そして、今日、首相は式辞で、非核三原則にも憲法遵守にも触れませんでした。
しかも、昨今は、核武装論者が政権党にはいるみたいです。
またロイターは、「今回の法案で、日本が他国の核兵器を運ぶ事も可能になる」という防衛大臣の発言を全世界に配信しました。
Japan minister’s nuclear comments spark new row over security bills

クラクラしそうなほど
国民の気持ちと全く逆の方向を向いている人たち。

閣僚たちの方が「原爆の図」を見るべきなのでしょう。

「バリー・リンドン」は、キューブリックのヴィスコンティへのオマージュ。

先日、スタンリー・キューブリックの「バリー・リンドン」が再映されていたので
見に行ってきました。

BarryLindon

キューブリックは好きな監督ですが、公開時に見たのは
「フルメタルジャケット」と「アイズワイズシャット」のみ。
私は、基本的に劇場で見る派、なので、公開時に見てない作品は、
リバイバル上映される機会を逃さないようにして見ています。
それでも「2001年宇宙の旅」は3回見てます。

さて、本作のストーリーは、一人の成り上がり男が成功し、そして没落するまでの話しです。
ありがちストーリーを見事な考証と映像で表現していて素晴らしい。
キューブリックを完璧主義といって揶揄する向きもあるくらい、
隅々までお金と目配りがされています。

映画評はネタばれが前提になってしまうけど、ご了承を。
本作は、
1)ヴィスコンティをかなり意識している
2)新大陸アメリカ文化から見た越えようのないヨーロッパの文化の深さへのオマージュ
3)カメラワークと音楽が素晴らしい
4)脇役俳優が光っている

1)と2)はコインの表裏ですね。
ルキーノ・ヴィスコンティが「ルードウィッヒ」を公開したのが1972年。「ベニスに死す」はその前年の1971年公開。本作は1975年の公開。
「ベニスに死す」で主人公のアッシェンバッハの妻役のマリサ・ベレンソンを
本作でヒロインに使っている事からも、キューブリックはヴィスコンティをかなり意識していたような気がします。

話しは「ルードウィッヒ」に飛びますが、私が「ルードウィッヒ」を劇場で見たのはやはり再映時で数年前。
私はその2、3年前にウィーンを訪ねていて、
「ルードウィッヒ」の従姉妹でヒロイン「エリザベート」(愛称シシィ)(ロミー・シュナイダーが演じる)の住居や使った食器などの実物を見ていました。

例えばこんなもの。これは、展示場で買ったカタログから引用。ドイツ語しかなくて読めないのが残念。
cutlery

やはり、実物を見ていると実感が違い、映画の見え方も変わって来ます。
ヴェルサイユ宮殿に行った時にも圧倒されたけど、
ヨーロッパの王侯貴族の文化って、ただお金をかけているだけではなくて
完成度が高い。
もちろん、やがて、王侯貴族は革命で倒されるわけだけだし、
ルードウィッヒに至っては国政を疎かにして趣味に徹したお城を三つ作って
国家財政を危機に陥れたくらいです。
しかし、古い時代のものを、自分達の文化の流れで大事にしているヨーロッパ。
今日ヨーロッパの観光業は、ほとんどその過去の遺産で食べているわけです。
ルードウィッヒが奢侈の限りをつくして作ったノイシュヴァンシュタイン、ヘレンキムゼー、
リンダーホーフの3つの城で、現在バイエルン市も潤ってるそうな。

というわけで、石の文化であるヨーロッパ文化の厚みというのは圧倒的で、
その視覚化に成功しているのが本物の貴族であったヴィスコンティ。

一方、キューブリックの「バリー・リンドン」では、平民の出の主人公が、爵位を得ようと浪費の限りをつくします。
しかし、これは、身を持ち崩し、義理の息子に殺されかけるだけ。

もちろんこれは、ウィリアム・メイクピース・サッカレーの原作が多分そうなのでしょう。
(読んでないから分らないけど)
しかし、同時に新大陸のアメリカ人と田舎者「バリー・リンドン」を重ね合わせているようにも見えます

というのも、実は、1960年にカークダグラスの制作する「スパルタカス」を最後に
キューブリックはアメリカを去り、イギリスで制作するようになっていました。

彼は、一作一作異なる主題を異なる手法を用いて
芸術性と商業性の両立させる希有な監督ですが、
ハリウッドとはあまり相性がよくなかったようです。
結局、死ぬまでイギリスに暮らします。

まず、イギリスで
1962年 ロリータ
1963年 博士の異常な愛情
を撮影。特に「博士の異常な愛情」は世界中でセンセーショナルを巻き起こします。
(日本ではオリンピックの年に公開されたためあまりヒットしなかったらしい)

「キューブリック全書」の訳者である内山一樹氏によると
1968年 2001年宇宙の旅
で大成功を収めると、
撮影から公開まですべてをキューブリック自身がコントロールするという、
他に類を見ない契約をワーナーと結びます。
(キネマ旬報社ムビーマスターズより)

1972年 時計仕掛けのオレンジ
以降の作品はすべてその契約で撮影されたそうです。
「バリー・リンドン」も非常にお金がかかっていると思ったけれど、
そういう契約のもとで撮影されていたのですね。

結局キューブリックはイギリスで生活し、充分にヨーロッパの王侯文化の研究をする時間と
潤沢な制作費があったわけです。

完璧主義のキューブリックが、ヒロインの起用だけではなく、
王侯貴族の社会を描こうと思った時に、一番の教科書はヴィスコンティであったことは
おおいにあり得ます。
主人公バリーが貴族のヒロインと小舟に乗るところなどは
ルードウィッヒとシシーの逢瀬のシーンも思わせるし、
いくつか、ヴィスコンティの表象ではないか、と思われるシーンがありました。
私がそういう目で見ているからかもしれませんが。

さて、「バリー・リンドン」では、戦闘シーンのみならず、野外の風景がよく出て来ます。
空の色、雲のかたち、空気感がまるでコローの絵のようです。
舞台は18世紀後半のイギリスですから、風景はコローよりもむしろターナーなんだと思うのだけれど、
映画の中の風景は、荒々しく大き過ぎるくらいのアメリカの自然を見ているキューブリックの
ヨーロッパへのイメージなのかもしれません。

そして、その丘陵地帯の明るい野外風景とは対照的に、
室内の撮影は50ミリ0.7Fという特別のレンズで、
窓からの外光とろうそくの光だけで撮影されます。
公開当時はこの事がとても話題になったみたいです。
ちょっと、フェルメールかジョルジュ・ド・ラ・トゥールの画面を思わせる
暗さなのです。

また、カメラのレンズについていえば、女性の肌を美しく見せるためか、
フィルターを多用しているように感じました。

キューブリックはまた音楽の使い方も天才的です。
「2001年宇宙の旅」の「美しき青きドナウ」は、私の場合はその存在が逆転しちゃって、
「美しき青きドナウ」を聴くと、「2001年宇宙の旅」の宇宙空間の映像が浮かんで来るほど。
「バリー・リンドン」では、ヘンデルのサラバンデがオープニングから使われ、
主人公の波瀾万丈の生涯を見事に暗示しています。

さて、4)ですが、この大作の主人公はライアン・オニール。
「ペイトンプレス物語」などを見ていない私には、
テイタム・オニールのパパ、というイメージしかなかったのだけれど、
すごい存在感があるわけではないこの俳優さんを引き立てる脇役がめちゃくちゃ良かったです。

上の貴族がレースの洋服を着ている絵も
実は、主人公ではないんですね。
主人公にイカサマ賭博でお金を巻き上げられかけた貴族の顔です。
当時の風習とはいえ、白粉塗って、紅さして、カツラかぶった貴族さんは
神経質そうな広い額とくぼんだ目、高い頬尾骨と張った顎。
すごくプライド感があって、思わず見入っちゃいました。

検索してみたらヴォルフ・カーラー、というドイツの俳優さんらしい。
記憶だけで描いてみたけど、40歳若くしてカツラかぶせてお化粧したらかなり近い感じ。
インディ・ジョーンズにも出演していたみたいですね。

余談ですが、外国の映画って、男性の顔の宝庫だな、と今回見て思いました。
そういう目で映画をこれから見て行くと面白いかもですね。

  

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行動すべし。クリエイターEXPO、総括

セルフマガジンを配布します、と書いたら
さっそくお申し込みを頂きました。
ブログってすごいですね。

自分も作りたい、という方もおられるようで、
私のセルフマガジンがお役に立てば幸いです。

今、送るための封筒を注文するなどしていますので
少々お待ちください。

さて、
クリエイターEXPOでの失敗失敗、と書いているので、
実に悲惨な結果だったと思われるかもしれないけれど、
実は、開催中は幾つかのお仕事のお話をさせて頂きました。
それが具現化するかは分りませんが、
基本的にあそこで仕事がすべて決まることは余り無いだろうと
思います。
ただ、可能性が示されただけでも意味はある一方、
セルフマガジンを上手く使えなかったことで、
種まきに失敗したな、という思いはすごくしています。

日本でのコンベンションビジネスはまだ途上段階で、
発注をかける側も、あの場所の使い方が少しずつ分って来た段階なのではないでしょうか。
実際、私とお話をして下さった方のひとりは
「こんなにいろんなクリエイターがいるとは思わなかった」と仰っていました。

ある意味、発注側はよりどりみどりですから
むしろ、クリエイターEXPOが終わってからの方が
重要なのだとおもいます。

あと、絵だからといって、言葉をないがしろにしてはいけない
とも思いました。
最終日「鳥ならおまかせ!」というポップを入れたら
かなりの方に反応されました。

で、これは、
近くのブースに出展されていたマーケティングプランナーの経験がある方
がいて、その方がとてもスムースに接客されていたのを見て、真似したのです。

このかたとは名刺交換して、今後、自分の売り方を考えていく上で、
ある程度自分でやってみて、デッドロックに乗り上げたら、
お仕事としてプランニングをお願いすることにしました。
餅屋は餅屋です。
こういうのは専門家に考えてもらった方がいい、と私は思っています。
こういうゆるい繋がりを作れる場でもあるのでしょう。

いい経験をしました。
「やってみないと分らないこと」っていっぱいありますね。
行動すべし。それが今回の総括です。

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