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ほそぼそと絵を描き綴り、言葉を書き綴っていきます。

91歳、寂聴さん、秘密保護法に命を賭けて反対

今日の一枚

20130329c

瀬戸内寂聴さん、秘密保護法に命を賭けて反対

9日には、95歳の堀文子さんの
平和を希求する魂の投稿を紹介しましたが、
今日は、瀬戸内寂聴さんです。

瀬戸内寂聴さんも、もう91歳になるのですね。
秘密法反対「残りわずかな命を捧げる」 瀬戸内寂聴さん

このインタビューで寂聴さんは
「表面上は普通の暮らしなのに、軍靴の音がどんどん大きくなっていったのが戦前でした。」
と述べておられるけれど、
今の状況も「軍靴の音」とはほど遠い。
しかし、よく耳を澄ましてみると、
現政権の頭の中では、いろんなシミュレーションを
しているように聞こえてくる。

残念ながら、かなり耳を澄まさないと
聞こえないけど、
それは、ひっそりと、進めてしまいたい、
という政権の意図があるから。

全く戦争というのは意外に日常と繋がっているんだなあ、
というのが私の最近の感想。

でも考えてみれば、当然です。
戦争やリま〜す、なんて大声あげたら
国民は反対するに決まっていますから。

平和を維持することが実は
戦争をするより大変なことは
人間の歴史が物語っています。

平和がまるで意気地が無いように語る政治家が
跋扈していますが、
私は逆だと思います。

粘り強く外交で国難を乗り切る。
その方がよほど知恵も強さも必要です。

寂聴さんたちと共に、
秘密保護法廃止と平和を求めて行きましょう。

95歳、女流画家の平和への思い

今日の一枚
<地球の生き物たち>水彩、色鉛筆、ペン

<地球の生き物たち>水彩、色鉛筆、ペン

命の画家、堀文子さんの平和への思い

今日の東京新聞第5面の投稿欄に
私の大学の大大々先輩、日本画家の堀文子さんが
「政府の暴走をとめよう」という投稿をされています。

著作権の関係で、そのスキャン画像を載せることは出来ませんが、
ツイッターで呟いている方がいたのでリンクを張っておきます。
https://twitter.com/soloshika/status/421119141211144192/photo/1

東京新聞は、秘密保護法「言わねばならないこと」という
各界のインタビュー記事の連載を一面に載せていて、
劇作家の平田オリザさんや作家の浅田次郎さん
も登場しています。

秘密保護法案審議の時には、各界から反対の声が上がりました。

私自身は
特定秘密保護法案に反対する音楽・美術・演劇・映像・出版など表現に関わる人の会10+ 件(略称:表現人の会)
に賛同しました。

しかし美術家集団の反応はあまり見かけない中、
今回の堀文子さんの画家個人による投稿に
私は勇気をもらいました。

堀さんは投稿の冒頭で、
国民に相談もせず、瞬く間に法案を通した政権の独断を許せないし、
これは治安維持法そのものだ、と述べられ、
そして、政府が憲法改正が難しいと思って、
平和を装いながらこの法案を作ったと喝破されています。

現行憲法に関しては
「私たちが得た平和憲法は、日本人の血と命から生まれた世界史に残る戦争放棄の誓いでした。」
と位置づけ、

最後に、今なら自民党の軍事路線を変えられるし、
それは今を生きる国民の義務で
賢い日本人になる必要がある、と言われています。

堀さんは、現在95歳。
80歳過ぎてからアマゾンに行ったり、
ヒマラヤに青いケシの花を描きに行ったり、
精力的に制作を続けておられます。

堀さんがすごいのは、
とにかく「ひとり」を生き抜かれていること。

もう少しお若い頃、軽井沢にひとりで住んでおられて、
わざわざ寒い冬にお風呂を隣家に借りに行くなど
自らを厳しい環境において制作されている姿が
すごいです。

人間は弱いものです。
私なんてへなちょこだから、
怠けて言い訳を探したりする。

ところが、311以降、
こんな私でも「孤独だな」と思うことがしばしば。
一番の原因は、原発事故や昨今の自民党政治で、
政治に関する考え方が
親しい友人との間でもかなりの乖離が生まれてしまったことでしょうか。

不思議なことに、ある程度距離を保ちながらつきあっている友人とは
あまり、その事で疎遠になったりしないのですが、
親しければ親しいほど、関係は難しいです。

しかし、「孤独だな」と思うけれど、
知ってしまったことは誤摩化せない。

でも、絵を描いていれば、
ひとりが平気なんですね。
結局、もう描いて行くしかないわけです。

私もこうやって描いて行けば、
堀さんの爪のアカを煎じて飲むくらいは出来るほどに
強くなれるかも。

堀さんが95歳ということは、
終戦を20代でむかえられています。
戦争をこの目で見た世代の重い言葉。
一世紀近くをひとりで生き抜いてきた女性の
平和と命への思いが詰まった絵。

私たち一人一人が噛み締めて
未来世代に平和な日本を手渡さなければ、
と強く思います。

アマゾン、堀文子、画集、著書、対談集

もうすぐ一周年。筋トレ始めました。/ 洋梨の図

<F3号>岩絵の具、金箔、水干絵の具

<F3号> 岩絵の具、金箔、水干絵の具

新年が本格的に始動しました。
このブログも今月24日で1周年です。

ブログを運営してきて良かった事が幾つかあります。

まず第一に、2000年代に入って活動を中断してしまった
ブランク以前の感覚が、ようやく戻って来た事です。

ほぼ、干支が一巡りする間のブランクを取り戻すのに、
一年かかったことになります。

ブランク前は、2〜3年に一回くらいの割合で
個展を開いていました。
7回目が終わった時、「何かを掴んだ」
気がしたのですが、
いろんな事情があったうえに親の介護も加わり、
ほとんど制作活動は諦める状態になってしまいました。

もちろん悔しいので、
親の介護をしながら、せっせとパネル張りしたり、
模写をしたりしていましたが、
なかなかまとまった作品は描けませんでした。

親の介護は、とにかくエネルギーを吸い取ります。
私は母を早くに亡くしており、
実の父の介護でした。

父は、娘の私が言うのもなんですが、
とても人格者でした。
母方のおばあちゃんもいつも
「○○さんは、人格者だから」
と、娘(私の母)に話していました。

ただ、お酒を飲む人だったので
飲めない母はそれがいやだったみたいですが、
お酒もすごく良い酒で、
静かに一人で、ちびちびやっている姿しか私は覚えていません。
よく、床に大の字になって寝ていましたが。(笑)

シベリアに抑留されていたので、
お酒に強くなった、と本人はよく言っていましたね。

介護されている最中も、怒鳴る事も無く
いつも私やヘルパーさんに
「ありがとう」
「ありがとう」
と言っていました。

そんな父でも、
また姉と二人で介護したにもかかわらず、
父が亡くなってから2年くらいは
疲れ果ててぼ〜っとしていました。

5年くらい前から、
友人が代表をしているNPOの広報チラシなどを
作るなどして徐々に体制を整えて行きましたが、
やはり、ブログを始めて、
俄然、アクセルがかかりました。
特に、ブログのために描いた絵をアップするようになって
リズムがついてきました。
体質が制作体質に戻って来た、という感じでしょうか。

なんとか週に2度、自分に自分でプレッシャーをかけるのは
なかなか大変だけれど、やりがいがありました。

勘を取り戻して描いたとしても
10年以上のブランクは痛手には違いありません。
しかし、家でテレビを見ていても仕方ないし、
おかげさまで健康ですし、
そろそろ個展も視野に今年は描いて行きます。

で、集中力を高めるために、筋トレを始めました。
集中力というのは、もろに体力と関係がありますから。
特に最近肩こりがひどくて、集中力も鈍りがちだったので、
インナーマッスルを鍛えるべい、
と、部屋でスクワットをしたり、
近くの神社の階段を下りたり上ったり。

正月から始めて、
肩こりは急激に良くなってきています。

さて、このブログを始めてよかった点、その2は、
古い友人との交流が戻ってきた事です。

私はもともと年賀状を出さなかったので、
個展のお知らせが季節の挨拶替わりでした。
ホームページを作った時点で、
旧友や知人にお知らせのお手紙を出したら、
メールやブログでの書き込みも頂きました。

昨年は、「Season’s Greetings」として
季節のご挨拶を出してました。
本当は、作品集を作りたかったけれど、
そこまで手が回らなかったので、ハガキにしました。
DMのようなものでしょうね。
カラー刷りのハガキも2日もあれば出来る時代。
すごい事です。
すご過ぎて、誰かが犠牲になっているのでは?
と思わずにはいられませんが。

で、何人かの方からはお年賀状を頂きました。
今日の絵は、私が最初にお金を出して買ってもらった
それなりの価格の作品で、
この絵の持ち主の方からも
「飾ってありますよ」と、年賀状を頂きました。
その方には、その後もう一枚注文を頂いて描いたものです。

実は、私は、個展を始めた頃、
「日本中の家の玄関を私のギャラリーにする」
のが目標でした。

リハビリ2年目の今年は、そんな目標も思い出しながら、
一歩ずつ前に進んでいこう、と思っています。

今年もよろしくお願いいたします。