カテゴリー別アーカイブ: 同時代の作家さんたち

工藤春香展、見えることと見たものを引き受けることの違いを突きつける

若い知人の工藤春香さんが谷中で個展をされているので見てきました。
まずとにかく、その題名が鮮烈な印象で私の心を掴みました。

工藤春香個展「紀元二六〇〇年ー西暦2020年 棄てたのは私、棄てられたのは私」

展覧会サイト 紀元二六〇〇年ー西暦2020年 棄てたのは私、棄てられたのは私

公式サイトの展覧会概要に書いてあるように、
テーマは排除と国家に都合の悪いことを隠す為に美術が使われることについてです。
一部引用します。

■展覧会概要
1940年(昭和15年)、紀元二六〇〇年記念事業として東京で開催される予定だった、万国博覧会、 第十二回オリンピック東京大会は日中戦争激化と国際的非難を理由に中止に追い込まれた。 当時、紀元二六〇〇年記念事業として数々の式典や事業が行われたが、それにともない1937年の 報知新聞東京版では東京の景観美化を呼びかけた記事が載せられ京橋地区の「不良住宅」が問題と された。 東京の景観美化運動が、清潔化、衛生化と同義に捉えられた時、そこから排除された人々の暮らしが あった。それを牽引したのが当時の美術批評家協会や学者、建築家、東京市職員らによる有志団体の 「都市美協会」だった。

やはりこの美化の名の下に美術やもの作りに関わる人々が排除に加担した、
という事実は、私にも衝撃的でした。

工藤さんは、当時の新聞の縮刷版や本を読み込み、
また会場の谷中周辺のリサーチもして作品を仕上げていきます。
20160608_2

実はその点に関しては、やはり若手の美術批評をされている木村奈緒さんが
ハフィントンポストに記事を書かれているので、
そちらが詳しいです。

で、私は、この展覧会へ至る工藤さんの「心の目」にとても興味を持ちました。

ブログのタイトル「見えることと見たものを引き受けることの違いを突きつける」
の意味は、工藤さんが見えているものをただ見るだけではなく
見たものの意味を引き受けて作品を作っていることに
私が深く動かされたからです。

会場に掲示された工藤さんのテキストによると、
実は、工藤さんは学生時代、上野公園である経験をしたそうです。

工藤さんが芸大に在学中、上野公園にホームレスのブルーシート村
がたくさん建っていて、
そのブルーシート村は皇族が来る時には撤去させられ
帰るとまた戻ってきたそうです。

私も昔、展覧会に行った時に見ているのですが、
上野公園は以前はブルーシートのホームレスの
人がいて、週末になると、キリスト教系の炊き出しに
人々が並んでいたのを覚えています。

それがいつ頃からか、噴水のまわりに洒落たカフェが出来
ブルーシートの人が消えてしまいました。

私にその記憶があったからでしょうが、
工藤さんの似た記憶とシンクロしてしまいました。

工藤さんによるとそのテント村の跡地には卒業制作の成績優秀者の作品が設置されたとか。
これはかなり当事者にとってもセンシティブな話し。

今回工藤さんは、上野公園で見た光景を自分なりに引き受けて
個展に臨んだのだろうと思います。

そして私には、その事がずっと気になっていたことの方が
工藤さんを作品作りに向かわせたような気がしてならなかったのです。

確かに幻の東京オリンピックと2020年のオリンピック
を重ねさわせるし、また、状況もそっくりだし
オリンピック競技場作りの為に
都営住宅追い出される人もいて、
歴史をもう一回なぞるのか、と思わせるほど。

それでも、私は、工藤さんの作品が心を動かすのは
政治や社会という大きな枠組みに
学生時代に見たホームレスの人がこつ然と消える
という小さな個人的な心のササクレが突き刺さっているからではないか
と思ったのです。

戦争反対、と叫ぶ人はとても個人的な思い
子どもを守りたい、夫を戦地に行かせたくない
から動くはずです。

で、気をつけなければならないのは、
実は戦争が始まるときも、
たった一人のファシストよりも、
一人一人の心の闇が、
小さな束になってファシストの背中を押すのだろう、
と、いうことです。

いまマスコミは確かにおかしい。
でも戦前、新聞が戦争を煽ったのも
それが売れたからです。

突き当たりにある富士山に向かって旗を振る群衆の絵は
そんなことも伝えているのかもしれない、
と思いました。

で、この作品、私のお気に入りです。
20160608
フェイスブックで見た時から絶対見たいと思っていた作品で、
小さい作品とは思えない迫力です。
ギャラリーの床に飾ってあるけど、蹴飛ばさないでね。
私が買うかもしれないので。

ところで、
最寄りの日暮里駅から会場まで「谷中銀座」を通るのだけれど
↓こんなお店があったり、
20160608_3

猫グッズのお店があったり
20160608_4

そこで買った猫のてトング。肉球付き。
20160608_5

街も楽しめます。
海外からの人もいっぱい歩いていました。

工藤春香個展
■会期
2016年6月1日(水)~6月14日(火)
13:00 – 19:00
会期中休廊日なし
最終日17:00まで 作家在廊日 会期中の土、日、月曜日
■会場
HIGURE17-15 cas contemporary art studio
〒116-0013
東京都荒川区西日暮里3-17-15
TEL 03-3823-6216

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星ふるペーブメントの先の小さなギャラリーで

昨日銀座に行ったら、
こんな監視カメラみたいなのがあって、
なんだろう、と思った。
20151211

足元には……、
20151211_2

20151211_3

プロジェクターなのね。
イルミネーションも様々に工夫されているのですね。

シリア難民のこととか考えちゃうと
贅沢すぎるな、という感じは否めないけどね。

この星ふるペーブメントを歩いて行った先の画廊で
年上の知人、石尾たか司さんの個展が開かれていたので拝見。
20151211_ 4

私より一回り以上も年上なのに衰えない創作意欲。
私が美大を出たばかりの頃、
大学は違うのだけれど、
一緒に人物デッサンのグループで描いていました。

この独特の「赤いストローク」は
老舗のギャラリーGKで明日まで。
銀座の貸し画廊で一階にあるというのはアドバンテージです。

キュレーションという言葉を体感した日

いま、知人のムカイヤマ達也さんが個展をされています。
ムカイヤマ達也 個展「画布を分つと二つになる」展
前回の個展から半年もたたず、
新作17点を引っさげての個展です。
すごいエネルギー。

12月8日(火)までなので、
行かれる方はお早めに。
IMG_2019

実は、土曜日28日のトークに参加したので、
そのことをかきます。

翌日、下の為末さんのブログを読んで、
いろんな記憶が結びついたのでそれも含めて書きます。
TAMESUE 2015年11月29日 狙う姿勢

この記事は長くなる予感。(笑)

ムカイヤマさんのフェイスブックを見たら、
トークで話す内容と登壇者が出ていて、
気になる言葉があったので、これは行って来なければ、と行ってきました。

日 時:11月28日(土)18時〜
登壇者:野田尚稔(世田谷美術館 主任学芸員)
    ムカイヤマ達也
    青木彬
▼こんなことを話す予定です▼
・分断への抵抗
・絵画の条件
・母性 / 父性的作品
・個人 / 孤人
・共身体
・絵画の構造と主題の関係性
・虚構について
・フレーム

どの言葉が気になったのかというと
・絵画の条件
という言葉。

自分の話になるけど、311にほぼ10年の休眠から目覚めて
制作を再開した時、当然私は浦島状態でした。

もちろん、絵の世界ははるかに進化していて、
しかも、アートの世界は
「何でもあり状態」に突入していた。
私はほとんど精神的には混乱状態。

ただ、こういう時に慌てても仕方ないので、
とにかく「千里の道も一歩から」を
モットーにスケッチから出直して行きました。

過ぎてみれば、結果的にそれは正しくて、
いま私は活動休止したときよりは
ずっと前に進んでいる。

ただ、この間、ずっと考えて来たのは
その何でもあり状態でも、絵の本質とはなんなのか、
「絵とは何か」「絵の条件とは?」
ということでした。

で、ムカイヤマさんが「絵の条件」という内容で話す、
ならば聞きに行かねば、と思ったわけです。

2時間あまりのトークの最後にムカイヤマさんは
おもむろに「絵の条件とはなんでしょうか。」と切り出されたのですが、
それは、ムカイヤマさんが今、鈴木忠司さんの本を読んでいて
本の中に「演劇の条件」という言葉がよく出て来るので、
では、「絵の条件」「これこそが絵の本質だ」ということはなんだろう、
と思ったのがきっかけだったそうです。

で、鈴木忠司さんは
「演劇の条件、これがなければ成り立たない、というのは俳優だ」
と書いているそうです。

このあと、会場の皆さんがそれぞれ「絵の条件」について語ります。
「見ること」と言う方。
「これが絵そのものだ、と思うこと」という意見も。

哲学的形而上的な意見が多かった中で、
なんと私は「描くものと、描かれるものがあること」
という大変即物的な答えを出しました。
私の答えに異を唱える方もいらした。
そのくらい即物的だった。

ただ、私はこのとき、ただ一人、そこにいる誰もが見ていない情景を
思い描いていたのです。

鈴木忠司さんは「演劇の条件は俳優だ」
と書いている、と聞いた時、
私は、遥か十数年前に見た、鈴木忠司氏の演出による白石加代子の
一人芝居を思い出していました。

それは、白石加代子が、古い民家の床を舞台に鯵の干物を食べる、
というものでした。

でもそこにいるのは、白石加代子だけ。
鯵の干物もごはんもない。

でも、確かに白石加代子は、私の目の前で、
鯵の干物を食べているのです。
骨の一本一本までお皿の縁に並べて行く。

「見えるよう」という表現があるけど、
そうではなくて、実際にそこで食べているのね。

そのくらい迫真の演技でした。

確かに、俳優しかいなくても演劇は成り立つのだ、
と、私は、その場面を思い出して、
「そうか、そういう事か」と思っていたわけです。
つまり、鈴木忠司のいう「演劇の条件」とは構成要件のことなのだ、と。

そしてその当たり前だと思っている構成要件は、
当たり前すぎて問われることもないが、
しかしそれがなければ成り立たないものなんだ、
「ああ、絵もそうだ。描くものと描かれるものがあれば成り立つんだ」
と思い至って、
すごくストン、とそしてあまりにアッサリと311以降考えて来たことの
ひとつの答えに、唐突に出会ってしまった。

当たり前過ぎるほどの条件。
ピアニストにとってのピアノ。
木彫家にとっての木とノミ。
文筆家にとっての言葉。

「何でもあり状態」の絵の世界も同じなんだ、と。

さて、先の為末大さんの狙う姿勢というブログには、
何処かに行くとき狙う姿勢がある人は、
漫然とそこにいる人より上手く行く、
ということが書いてあるのだけれど、
まさに、土曜日の私がそうだったな、
とブログを読んで思ったわけ。

「絵の条件」という言葉をずっと考えて来たから
その言葉にひかれてトークを聞きに行き、
そこで、私は思わぬ拾い物をしてしまった。

ところで、28日のトークには
お2人のキュレーターの方が参加して
有意義なお話を聞かせて頂きました。

美術館の学芸員が本義だったキュレーターという言葉。
すっかりIT用語になっています。

ことバンク キュレーション

アマゾンでキュレーションを検索してみました。
IT関連の本がたくさんでています。
キュレーション

便利で、新しい言葉なので、
キュレーションは情報の精査と再構築、
という意味に使われているようです。

こんなページもあったし、
以下のように書かれているから間違ってないと思うけど、
ITでありながら、結局最後は人間の勘やら経験やらを使って、
という意味であることは確かみたいですね。

Manual database curation involves the following steps: (1) finding articles of interest; (2) finding and extracting facts (relations, events, associations, etc.) relevant to the database focus; and (3) converting extracted information into predefined …

情報の海を結局最後は人間が捌く。
そのバックグラウンドには、経験などの身体性が求められるのは
言うまでもなくて、
ただネットの海に転がっている情報を集めてきて(A+B)÷C=D
にすれば良いのではないはず。

まさに、キュレイトの本来の意味である「司祭」みたいな作業です。
つまり、本来あったけれど見えていなかったものを選び出して伝える役目。
これこそ、森有正のいう「体験が経験化する」ことで、
私の経験はキュレーションそのものではないのか。
バッハ弾きでもあった森有正のパイプオルガンが聞こえてきそうな日でした。

ムカイヤマさんの個展の話しが自分の経験の話しになってしまいました。

ムカイヤマ達也 個展「画布を分つと二つになる」展
12月8日(火)までです。
皆様是非。

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ウォーターボーイズの街の美術展と、川越スマホ散歩

先日、蔵の町「川越」に行ってきました。

私のおめあては↓こちら、蔵ならぬ、美術館でした。
IMG_1873

川越市立美術館で開催中の「ペインティングの現在」。

IMG_1875

折角、歴史ある川越に来たので、
展覧会の後で、川越の町のスマホ散歩に出かけましょう。

さて、
大きくはない美術館ですが、地下の特別展示の
展示はなかなか充実していました。

この展覧会に出品されている4名は埼玉在住の方たち。
それ以外は、絵の傾向も年代もバックグラウンドも異なり、
まさに「ペインティングの現在」の多様性を証明するかのような4作家です。

小さな美術館にエッセンスを詰め込んだような展示となっており、
今回の企画展のキュレーターの方は実にいいお仕事をされたな、
と思いました。

↓こちらの説明が端的な気がしますが、
ペインティングの現在-4人の平面作品から-
しかし、圧巻は、会場の一番奥に飾ってある、浅見貴子さんの
縦265センチ横570センチの大作「桜木影向図」(さくらぎようごうず)。
極限までに描き込むことを押さえた悠揚とした空間は見事です。
これは一押しです。

横山祐和さんのスケッチも素晴らしく、
墨も使われて、森の空気感を風を掴むように捉え、
油彩と墨絵の境界が曖昧になる感じ。

そして若手の、
一方はフラットでマチエールを一切消したかのような荻野僚介さんの作品と、
方や、絵の具をその存在を確かめるかのように、
チューブから出したままを重ねていく高橋大輔さんの作品。

実は、今回、私の友人がこの高橋さんの作品のコレクターで、
そちらからもお知らせを頂いていたので
この展覧会、パスするわけには行かなかったのですが、
とても楽しめました。

先に述べたキュレーションと作品のコレクションの話しは
別の記事で扱いたいと思います。

展覧会は是非本物を見て頂きたいです。
会期は、12月23日(水曜・祝日) まで。
ワークショップや作家と話す機会もあるようです。

さて、美術館を出て、川越スマホ散歩に出発です。

道路を挟んで向かい側にあるのが、
かの男子のシンクロナイズドスイミングの
「ウォーターボーイズ」で有名な川越高校。
IMG_1878

川越高校、有名人もたくさん輩出していて、
なんと言っても旬なのはこの方。
IMG_1880

川越高校の側で見つけた、郵便ポスト。
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徳川家光が生まれ部屋がある、喜多院。
IMG_1892

喜多院の本堂。
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喜多院のお庭。
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つくばいも。
IMG_1909

そして五百羅漢。
IMG_1911

街道沿いにはお蔵が。
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街を巡るには、二つの会社が「小江戸巡回バス」を運転しています。
IMG_1868

私が乗ったのは、残念ながらボンネットバスではありませんでした。
IMG_1869

バスの運転手さんは、バスガイドもしてくれます。
一日乗り放題もあるので、
バスで一回りしながら、
私が今回は行けなかった、蔵町にも是非。

詳しいことは駅の案内所で教えてくれます。

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「見ること」は自明なのか?見えないものが見える時

またまた少し時間が開いてしまいました。

まず昨日見た展覧会のお話から。

アートトレースギャラリーでの
西山功一 個展 XX(写真展)と同時開催の
西山功一個展連動企画 ー観察・反応・拡張ー
両展覧会。

西山功一氏の写真展は、
ショーウィンドウなどガラスに映り込んだ景色を
実像とともに撮影し、トリミングすることによって
どちらが実像でどちらが映りこみなのかが分からなくなる
という、作品群。

これは、目のパズルみたいで面白い体験です。

実際のビル街などの大きな空間では、
ショーウィンドウに映ったものと実像を間違えることはあり得ないけれど、
写真として「枠」でトリミングすると
建物の中なのか外なのかすら自明ではなくなるのです。

20151019

錯視、とも違う不思議な体験です。
ガラスを撮影することになるので、
全体的に地味な作品が多いのですが、
一度写真の見方が分ると、面白い体験になると思います。

自分の目が信じられなくなるかも。

そして、後者の工藤春香氏の企画は、「画廊で作品を描き加えて行く」
という実験的な試みがされていて、それは
西山氏のコンセプトから展開されたものです。

工藤氏は写真がトリミングで「枠」に取込まれることによって
視線が限定されることに注目。

普段は見えないのに「枠」が現れる時に見えるものがあるとして、
価値観、道徳観、国、などの「枠」へと思考が拡張されつつ
画廊で加筆されています。
まさに「西山功一個展連動企画 ー観察・反応・拡張ー」
なのです。

コンセプトは難しくても、
自由に描き加えられて増殖して行く様は
ライブならではの躍動感。
白い壁や床にアクリル絵具が映えて色もきれいです。

20151019_2

ところで、
私はご縁があって、アートトレースギャラリーでの展覧会を
ずっと拝見しています。

いわゆる「現代美術」の範躊にはいる作家さんの展覧会がほとんどでしょう。

現代美術は草間彌生氏や会田誠氏でずいぶんとポピュラーになりましたけど
敷居が高い、という人も多いと思います。

極論をいうと、現代美術とは
作者のコンセプトと過程がいっそう重要になるのです。

え、そんな事言われても、という方に
おすすめの2冊をあげておきます。

まず、新書版。
これは実に分りやすく現代アートとは?の疑問に答えてくれる一冊。

上記の本で概要が分かったら、次の一冊。
大学の講義を纏めたものですが、
文章は平易ですし、美学への道も開いてくれるかもしれません。

なお、アートトレースギャラリーは、水曜日と木曜日が休廊ですので、
ご注意ください。

考え行動する限りは進歩する

片桐裕司彫刻セミナー、二日目終了です。

今日はこんな感じ。

20150726_1

奥に見える鉛筆のエスキースに幾分近づいたでしょうか?

二次元と三次元は、まさに次元が違うのだと痛感させられたのが昨日。

実は昨日が、こんな感じで、単なる粘土のかたまりでした。

20150725

これから2時間ほど作業したのですが、
結局横顔が分らないから出来ないのだ、と気づき、
帰宅してからアンジェリカ・ヒューストンの横顔写真を
ネットで探し出して、コピーして寝ました。
塑像の後ろに見える帽子をかぶった写真です。

side

で、二日目の今朝、昨日作ったものをすべて壊してチャラにして
一からやり直し、7時間ほどで、最初の写真のところまでもって来ました。
明日は細かいところをチェックして仕上げて行きます。

講師の片桐裕司氏は、軽やかににこやかに
この写真の塑像を40分ほどで仕上げるという、神の手。
katagirisi

サインして頂いたお著書「アナトミー・スカルプティング」
signeture

さて、今日は、最後に片桐氏の体験談から参加者へのメッセージが語られました。

要約すると、

人は、自分で考え、心を素直にして実行して行けば
ずっと進歩して行く存在である。

ということなのだけれど、
ポイントがあって、それは、
1)他者と比べず、自分の姿やレベルをありのままに受け入れる事
2)考え気付いたら、必ず実行する事
この二点。

参加者の多くは20代。
明日は三日間で作った作品だけではなく、
大切なものを持って帰れそうですね。

私はと言えば、ずっと受けたかったセミナーだし、楽しくって、ほぼ一日立って作業していても
昼食後に眠くもならないです。

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selfmagazine

60歳からの挑戦、8年かかってフランスの美術館で個展。現在92歳。

今日は、大学の恩師で、染色家柚木沙弥郎氏のお話を聞いてきました。

92歳にエネルギーをもらってきました。

若い頃のお話もされましたが、
最も言いたいと思われた部分を書いておきます。
60歳から挑戦して、海外の美術館に自分の作品を所蔵してもらうまでになる話しです。

氏は二十代の終わりから大学教員として後進の指導に当たりながら
創作を続け、学長も務めたあとに定年。

定年後、これまでと同じ仕事をして自分の模倣になるのはイヤだから、
どうしようと思っていた時に
ある作品に出会い、生命力と自己肯定が重要であること、
そしてもっと自分をオープンにすることが大事だと気付かされます。

そこで、自分をオープンにするために
海外に出て個展をやろうと挑戦することにします。

というのも、日本で個展をやると、知り合いばかりに見てもらうことになるので
純粋に知らない人に見てもらいたいと思ったと。

場所はパリ。
パリが好きだから。

そして、パリには、専門家もまた個人でも美術に目を開かれた人たちが少なからずいるから、
ということでした。

パリの画廊を自分で歩いて、自分の作品展を開くように説得します。
しかし、染色、つまり布を芸術として扱ってくれるところは無く、
門前払いを食らいますが、諦めずに、パリに行く度に
ギャラリーを回り説得をし続けます。

その結果ようやく一件ギャラリーが説得に応じてくれ、
開催の運びとなります。
個展も好評を博し、「another of art」と扱ってくれるようになったそうです。

で、普通の人は、パリで個展を一回やると満足しちゃうけど、
柚木氏は3回ギャラリーで個展をやったそうです。

そしてついに、クラフト関係の美術館で展覧会を開くことになります。
それまでに8年かかっていました。
そして美術館の館長はその間、4人替わっていたそうです。

そして、2014年にはフランス国立ギメ東洋美術館に作品が所蔵され、
展示会も開かれました。(既に終了)

実は私の友人が、一回目の個展にパリ見学を兼ねて行っていたので、
当時断片的に話しは聞いていましたが、
そういう事だったのか、と今日の話しを伺って納得。

柚木氏は
「若い人は野心を持つべき」
といいます。

私もそう思う。

今は格段に世界への挑戦へのハードルが低くなっています。
ネットを見ると、世界中にクリエイターが溢れています。
あの中からどうやって取り上げてもらうようにするのか、と思うけど、
ひたすら作り、ひたすら現実に動くしかないでしょう。

ところで、以前このブログで取り上げた河井寛次郎の話しを
柚木氏が今日もされていました。

河井寛次郎が人前で器に筆で模様をサッサと描いて仕上げたのを見た人が
「30秒で出来るのですね」と言ったら、
「60年と30秒です」と答えたというのです。
一生に渡ってのたゆまぬ精進こそが、作品に反映するのだという事です。

悲しいことだけれど、下手すれば、再び戦争に巻き込まれる可能性も
出てきました。
「海外に自分の作品を分散させる」という事も重要になるかもしれません。
あんまり考えたくないですけど、真実から目はそらせません。

いずれにせよ、作品を作り続けましょう。

そして、人間として、戦争に抗いましょう。

あ、言葉の勉強もしておいた方が良いですね。
頑張りましょう。

<参考記事>
一点ものの絵の価格についての試算