意識と無意識、線と塊

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わかりやすい絵の話、というカテゴリーを作り、絵について表現について書いていきます。自分の考えをまとめる意味もありますので、少しずつ言っている内容が変化していくかもしれません。

トップページの「やさしい絵画論」にもリンクさせていきます。

芸術に技術というのが重要であることはこちらの「見えるものと 見えないものと」という記事で触れました。

ここで書いたように、絵だけは技術がなくても通用しそうです。でも、それは事実でしょうか?
確かに、子どもの描いた絵に感動することがあるのですが、その絵には「意識」が入っていません。芸術が人間の営みである「意思」の歴史の中で捉えられる時、それは科学や思想と同じ捉えられ方をします。「意思」の無い科学や思想が無いのと同じに、意思の無い絵は芸術とは呼びません。つまり、子どもの絵は「芸術」ではないわけです。

しかし、私たちは心を揺さぶられることがある。なぜか。それは子が持つ無意識さが捉えた絵が、意識ばかりになった我々大人に隠れている根源的な感覚を呼び起こすからかもしれません。その子供たちの「無邪気さ」や「無垢さ」に私たちは感動するのでしょう。一方でその「無邪気さ」がとても残酷な行為いを引き起こす事もあります。そして、子どもの無邪気な絵というのは、一時期だけのことです。「子ども」という未発達がゆえの人間の本質を隠さない存在のみが捉えられる一瞬があるのだと思います。

ピカソなどはそれに気づいて作品に応用しているのです。

私は時々、人物クロッキーデッサンなどで、一ポーズ3分でモデルさんにお願いして、意識を消して手になりきる練習をします。3分で目の前の形を捉えるとしたら、考えている間など無いわけです。

そんな人物デッサン、特にクロッキーではさまざまな技法も試すことにします。
womantec

この写真の場合、描写時間は3分から20分まで。

技法の説明をすると、左上から時計回りに

チャコール鉛筆とクレヨン
鉛筆と水彩
色鉛筆
マーカー

womentec2

これはパステルだけでボリュームを出していて、西洋的な物の見方、という感じです。
西洋的な物の見方、とわざわざ言ったのには理由があります。

我が葛飾北斎は「北斎漫画」といって十五編の線描画集を残しました。
そしてそれらが、印象派のモネやゴーギャンに影響を与えた話はあまりにも有名です。

パソコンの進化でバーチャルリアリティが深化しています。その進歩は目覚ましいものがあるけど、立体的に見え本物らしいことだけが「絵」に求められることは淋しい気がします。やはり人間が3次元を切り取って2次元に表現する基本は「線」ではないか、と考えるのです。そして真にデッサン力がある、とすればそれは、線で描いても表現出来るはずなのです。

この「人物デッサンのすべて」という本はとても良い本ですが、基本的には「塊」という概念が中心です。

葛飾北斎がこういうデッサンの指南書を書いたら、どんなものになるだろう、というのはすごく興味深いことです。

日本で漫画が隆盛なのは実は、北斎翁の線描画がDNAとして連綿と続いているからかもしれません。

ただ、今の漫画はプロトタイプに落ちいってるものが多いのが残念。ダイヤモンドのような輝きを持つ大きな目と服からはみ出しそうな乳房、が闊歩しすぎてます。観察せずに描いているからでしょう。

そして最初の話に戻ると、「人と同じ」が重要な日本社会では、無意識が無くなった子供たちも似たようなアニメや漫画顔の絵ばかりを描くようになります。これは本当に残念だなあ、と最近思います。

だって、本当は子供たちの才能はこんなに豊か。「Doodle 4 Google 2012」子供たちの才能に脱帽、乾杯。

せっかく「クールジャパン」と売り出したりするアニメですから、大人ももっと豊かなこどもたちの才能に気づきましょう。そして育てて下さい。

ではでは。

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