アートとネット、未来へ向けて / Season’s Greetings

今日の一枚
アルシュ紙に水彩と色鉛筆

アルシュ紙に水彩と色鉛筆

今年も残すところ、10日を切りました。

そろそろ、今年の十大ニュース等が
取り上げられる頃でしょう。

皆さんの、今年のニュースはなんでしたか?

私はなんといっても、
自分のホームページを持った事。
そして、このブログを始めた事。

最初の動機は、押し入れにあるデッサンをアップして行く事でしたが、
今は、新しいオリジナル作品を中心に更新しています。

今日は、友人やこの一年に名刺交換した方達に送る
Season’s Greetings(季節の挨拶)用に描いたものを
アップしました。

本当は、8ページくらいの作品集を作りたかったのですが、
パソコンが故障したりして、そこまでは手が回りませんでした。

この間パソコンが故障して不便だったけれど、
溜まりに溜まった写真が整理出来たのは
良かったかもしれません。

アートとネット、未来へ向けて

デジタル時代になって、
アートも様変わりしています。

一番顕著なのが写真でしょう。
野外での撮影は、シャッターチャンスに恵まれれば
素人でも相当の写真が撮れるようになっています。

で、勢い、プロは、見た事も無いような景色を探して
世界を歩いたりするようになります。

クリスマスカードや年賀状は
ネットにフリーのイラストやデザインがあるし、
今のデジタル時代の方が気楽に楽しく作れるかもしれません。

一方で、今は、フォトショップやイラストレータで
実物と見がもうばかりの絵を描く剛の者もいて
手描きに意味があるのか、
と思う人がいても不思議ではありません。

多分、イラストやアートの世界は
これからは二極化して行くだろうと思います。

商業的なものは、
省力化がいっそう進む分野と
今まで以上にお金をかけて、ゴージャスな表現をめざすものに分かれそうです。
前者は、本の表紙等。
後者は映画等の映像の世界。

いずれにせよ、手描きのものは
人件費等を考えると、あまり商業分野では生き残れるとは思えません。

では、手描きは息絶えるのか、
と言うと、それは絶対にないと思います。

むしろ、手描きの良さ、例えば曖昧感、触感、質感、作業感
といったものは、どれほど頑張っても電子データでは望めないからです。

電子データには、マチエールがありません。
マチエールというのは、使っている材料の質感の事です。
同じ紙の作品であっても、プリントアウトした作品と
実際に描かれたものや版画との徹底的な違いは
このマチエール、触感やら表面の凹凸やら
が現実に目の前にあるかどうかです。

存在感が圧倒的に違うのです。

少し前までは、一点ものの絵を買う事は贅沢の極みでした。
また、美術制作者と購入者を繋ぐパイプも限られていました。

しかし、ネットが変えました。
アートメーターなどの両者を繋ぐサイトもあります。
その気になれば、有名な絵描きさんでなくても
好みの作品を見つけることはできます。
作る側も、ネットを使って
自分で自分の作品をマネージする事が出来ます。

洋服を着替えるように部屋の壁の絵も着替える時代が
来ているかもしれません。

ただ、ひとつ気になることがあります。
アートメーターなどの価格が低すぎる、
と感じるのです。

中には、会社員として働きながら
土日にお小遣い稼ぎで登録しているので、
売れてラッキー、という感覚の人もいるでしょう。

なにより、サイト運営そのものに
設備や人件費、そしてソフト等にかかるので
仕方のない面はあるのかもしれません。

アートメーターの場合、
サムホールくらいの大きさ(22.7㎝×15.8㎝)で
2000円くらいです。

何を描くかによりますが、
たとえば、日本画なら、私の場合、
デッサンやエスキースの時間を入れなくても
サムホールで2〜3日くらいはかかります。
時給で考えてもそれがいかに安いかわかると思います。

実は完成した絵を一枚描くためには
その裏で膨大な時間を使っての
エスキースやアイデア出しが存在します。
エスキースは楽器やスポーツでいえば練習ですから
完成品への必須要素で、
それ自体が価格に含まれる事はありません。

しかしアイデアは違います。
アイデア自体が楽器やスポーツのパフォーマンスと同等の
位置づけになると思うのです。
実際、現代美術は、そのアイデアや概念に対して対価が払われているわけです。

しかし、残念な事に、日本の経済システムは
アイデアなど「人間」ならではの作業やパフォーマンスに対して
正当な対価が払われているとは思えない面があります。

以前、「立場で語る人たち」で紹介した
「学歴エリートは暴走する 〜『東大話法』が蝕む日本人の魂〜」
の中で、安富歩氏は、
日本経済の仕組みを「関所経済」と言っています。
ものを作る人ではなく、動かす人に一番お金が行く、
という事です。

これは、言い得て妙で、
例えば、編集者は作家がいるから食べられるのに
作家の立場は総じて編集者より弱くなります。
出版してもらわなければ、読んでもらえないからです。

システムを握っているものが強い、
ということはあるでしょう。

しかし、そのシステムの中に、
新しい革新的なアイデアに対して重きを置く人が存在しない場合は
流動性が極端に落ちます。
いわゆる既得権益でしょうか。

もともと、日本の銀行も土地を担保にしかお金を貸さないし、
新しい才能に対してリスクを負いつつ投資する、
という事はほとんど行わないようです。

システムを握った既得権益が跋扈する限り
日本経済が土建中心から抜け出す事はないでしょう。

スプツニ子さんという、新進気鋭の日本人映像作家がいますが、
彼女はイギリスで学び、卒業制作をニューヨークの現代美術館が注目し
マサチューセッツ工科大学に呼ばれ准教授になりました。

もう世界で学び、世界で作って行く時代なのかもしれません。
文化というと「クールジャパン」
くらいしか政府も取り上げないし、
このままでは、日本の物作りや文化は、手作りも精神も政策も
残念ながら、「瀕死状態」が続きそうです。

とはいえ、個々の作家は頑張っています。
若い作家は、自分の生き残りをかけて、
どんどん世界をめざして行くべきでしょう。
作家の電子書籍化も進んで行くでしょう。

ネット時代が可能性を開いているのは確かなのです。

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