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庭の次は家庭菜園?

一年で、庭が見違えるようになってきて、
すっかり気を良くしている私は、
今年は、菜園作りにも興味津々。

去年は、友人からみどり茄子の苗をもらい、
実らせ美味しく頂きました。

やるなら今年はもう少し前に進ませたい。

実は家庭菜園に関しては、以前から目論んでいて、
なるべく肥料とか使いたくないので、
料理の後に出る野菜クズと腐葉土で堆肥作りもしていたのです。

20130423

無農薬でリンゴ作りをされている木村秋則さんの本を読んで、
窒素肥料になるからと豆を植えたりもしました。

生物学の基礎も知っておきたいと思って、
「基礎から学ぶ生物学」という本もパラパラとかじったり。

知らなかったのですが、今は、入試で生物学を選ばなくても医大に行けるのですね。
この本は、そういう大学生のために書かれた本で、
人間という生き物を扱うお医者さんの卵には生物学は必須ですから、
とても詳しく図入りでしかも高度な知識まで学べる良い本です。
細胞の仕組みの精巧さや自然の力のすごさには感嘆の声しか上がりません。

そうやって少しずつ準備をしてきたところに
原発事故でした。

放射能汚染で一時、家庭菜園計画も頓挫しかけたのですが、
我が家には大人しか居ないし、
TPPが入ってくると、手と身体を動かす人間が結局一番強いだろうと考え、
今年はぼちぼち家庭菜園をやりたいと思いはじめているところです。

お米作りは里山活動でお手伝いしていて
食べ物に関しては、
少しずつ自分が関わったものを食べる機会を
増やして行きたいと思っています。

TPPと家庭菜園にどんな関係があるのか、
と思う方はこの記事を読むか、
野坂昭如氏のこちらの本をお薦めします。

上記の記事の山下惣一氏も野坂昭如氏も
全く同じ事を言っています。
「なにかあったら飢えるのは都会の人間です」と。

特に野坂昭如氏は、飢餓で妹さんをなくされているので
痛切な叫びが本に溢れています。

「なんと大袈裟な」
と思われるかもしれないけど、
TPPで安い輸入食物が大量に入って来るという事は
自国では賄わないという事ですから、
常にそういう危険性が潜在的に生まれるという事です。

輸出国が不作になれば他国には売りませんからね。

そういうわけで、実益も兼ねて今年は
野菜作り米作りをして行きたいです。
しかも楽しく。←これ重要です。

昨年、友人の哲学者である八木雄二さんが
「地球に自然を返すために」という本を出され、
その表紙と挿絵を担当しました。

今日の絵はその原画です。

八木さんは、ご専門は西洋中世哲学。
座学とフィールドワークを伴った学者で、
その長い間の里山保全活動とご自身の哲学が結びついた
「生態系存在論序説3部作」という名著を出されています。

この本はもっと多くの人に読まれて欲しい本です。

八木さんは人間は地球を豊かにする手伝いをするために生まれてきたのだ、
とご自身の里山保全活動から導き出しています。

「自然が豊か」というと
人間が全く手を付けない自然が最も豊かのようですが、
それでは里山の豊かさは説明がつきません。

実は自然は放っておくとこれ以上は変化しない、
という状態になります。
森の場合は「限界林」というそうです。
そうすると、木の下の陽が届かなくなったところでは
芽を出せない植物が出てきます。

その植物は、台風が来て頭の上の木が倒れたり、
土砂崩れが起きて、他の場所に運ばれたりする事を
待つしかなくなります。
こういう変化を「更新」というそうです。

実は里山では、人間の手がはいる事で
常に自然が「更新」され、
いっそう豊かな状態になるのです。

稲作を中心にした里山は、一方で、
多くの植物や昆虫や鳥たちが豊かな関係を保てる場所を作り出し、
人と共存しながら持続可能な状態にしているのです。
こういう生態系を維持する伝統的なシステムは
多分日本だけではないはずです。

ただ、この昔ながらのシステムが「古い」と思われて、
忘れ去られようとしていますが、
一方で、これこそが未来を作る鍵だ、と
新たに参加する人たちも増えています。
(私もその一人)

八木雄二さんの「生態系存在論序説3部作」は
そういう活動のバックボーンになりうる内容だと思います。

土と哲学を結んでいる哲学者には内山節氏もおられますが、
ご紹介はまたの機会にしたいと思います。

「水」「食」「農」「生態系」
こういったものは、あまりに普通にそこに存在するので
普段はほとんど考える事もありません。
特に日本は水も自然も豊かですから、
昔から「日本人は水と安全はただ」だと思っている、
と言われるくらいです。

しかし、TPPというのは、そういう当たり前の存在を、
自分達の都合の良いように
利用したり改変して一儲けしようとする企業が
食や医療を支配する事です。

例えば、ある一定の除草剤に耐性のある穀物を開発して
その除草剤を撒けば、草むしりの必要がないし、しかも肝心の穀物は
ダメージを受けない、という商品があります。

実はこういう操作で生まれた穀物は生態系にかなり影響を及ぼす事は
様々な実験結果からも分かっているため、
ヨーロッパでは輸入されていません。

人間が出来ることは自然を豊かにする「お手伝い」です。
「自然をコントロールする事」
ではないと思うのです。

ノーベル賞を取った山中教授のips細胞が脚光を集めています。
これほどのテクノロジーでも、細胞そのものを人間が作ることはできないのです。
科学者は将来は出来ると思って研究している人もいるでしょう。
それは止められないかもしれません。

ただ、そういう自然をコントロールする技術は
一歩間違えた時には私たちの生存そのものを脅かす技術になりうる、
という事は忘れたくないです。
原発がいい例ですね。

昨日見つけた素敵な映像。
パプアの人々が機械を一切使わずに
30メートルの高さの木の上に家を建てるものです。
この人たちを未開の人たちだ、とはとても言えないと思いました。

「手は体の外に出た脳である」と言われています。
例えば、カナダの脳外科医・神経生理学者ペンフィールド(1891~1976)
が作成した「ペンフィールドのマップ」を見ると
「手はもっとも脳を刺激する器官のひとつ」ということが、一目でわかります。

おまけに土いじりをすると、手の肌がすべすべします。

難しい事は起きて欲しくないけど、
手を使い、ボケを防ぎつつ、肌もスベスベになる。
あとは紫外線防止を忘れずに。(笑)

人任せにせずに、楽しく、同時にそれが様々なリスクの対処になっていれば、
しなやかに生きることができるでしょう。

しかも最後には「収穫」という水と太陽のからの贈り物が待ってます。
一石三鳥です。

などとつらつら考えつつ、
実際は、そんなに上手く行くかのかな、とは思うけど
やってみないと分かりません。

ではでは〜。

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