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「バリー・リンドン」は、キューブリックのヴィスコンティへのオマージュ。

先日、スタンリー・キューブリックの「バリー・リンドン」が再映されていたので
見に行ってきました。

BarryLindon

キューブリックは好きな監督ですが、公開時に見たのは
「フルメタルジャケット」と「アイズワイズシャット」のみ。
私は、基本的に劇場で見る派、なので、公開時に見てない作品は、
リバイバル上映される機会を逃さないようにして見ています。
それでも「2001年宇宙の旅」は3回見てます。

さて、本作のストーリーは、一人の成り上がり男が成功し、そして没落するまでの話しです。
ありがちストーリーを見事な考証と映像で表現していて素晴らしい。
キューブリックを完璧主義といって揶揄する向きもあるくらい、
隅々までお金と目配りがされています。

映画評はネタばれが前提になってしまうけど、ご了承を。
本作は、
1)ヴィスコンティをかなり意識している
2)新大陸アメリカ文化から見た越えようのないヨーロッパの文化の深さへのオマージュ
3)カメラワークと音楽が素晴らしい
4)脇役俳優が光っている

1)と2)はコインの表裏ですね。
ルキーノ・ヴィスコンティが「ルードウィッヒ」を公開したのが1972年。「ベニスに死す」はその前年の1971年公開。本作は1975年の公開。
「ベニスに死す」で主人公のアッシェンバッハの妻役のマリサ・ベレンソンを
本作でヒロインに使っている事からも、キューブリックはヴィスコンティをかなり意識していたような気がします。

話しは「ルードウィッヒ」に飛びますが、私が「ルードウィッヒ」を劇場で見たのはやはり再映時で数年前。
私はその2、3年前にウィーンを訪ねていて、
「ルードウィッヒ」の従姉妹でヒロイン「エリザベート」(愛称シシィ)(ロミー・シュナイダーが演じる)の住居や使った食器などの実物を見ていました。

例えばこんなもの。これは、展示場で買ったカタログから引用。ドイツ語しかなくて読めないのが残念。
cutlery

やはり、実物を見ていると実感が違い、映画の見え方も変わって来ます。
ヴェルサイユ宮殿に行った時にも圧倒されたけど、
ヨーロッパの王侯貴族の文化って、ただお金をかけているだけではなくて
完成度が高い。
もちろん、やがて、王侯貴族は革命で倒されるわけだけだし、
ルードウィッヒに至っては国政を疎かにして趣味に徹したお城を三つ作って
国家財政を危機に陥れたくらいです。
しかし、古い時代のものを、自分達の文化の流れで大事にしているヨーロッパ。
今日ヨーロッパの観光業は、ほとんどその過去の遺産で食べているわけです。
ルードウィッヒが奢侈の限りをつくして作ったノイシュヴァンシュタイン、ヘレンキムゼー、
リンダーホーフの3つの城で、現在バイエルン市も潤ってるそうな。

というわけで、石の文化であるヨーロッパ文化の厚みというのは圧倒的で、
その視覚化に成功しているのが本物の貴族であったヴィスコンティ。

一方、キューブリックの「バリー・リンドン」では、平民の出の主人公が、爵位を得ようと浪費の限りをつくします。
しかし、これは、身を持ち崩し、義理の息子に殺されかけるだけ。

もちろんこれは、ウィリアム・メイクピース・サッカレーの原作が多分そうなのでしょう。
(読んでないから分らないけど)
しかし、同時に新大陸のアメリカ人と田舎者「バリー・リンドン」を重ね合わせているようにも見えます

というのも、実は、1960年にカークダグラスの制作する「スパルタカス」を最後に
キューブリックはアメリカを去り、イギリスで制作するようになっていました。

彼は、一作一作異なる主題を異なる手法を用いて
芸術性と商業性の両立させる希有な監督ですが、
ハリウッドとはあまり相性がよくなかったようです。
結局、死ぬまでイギリスに暮らします。

まず、イギリスで
1962年 ロリータ
1963年 博士の異常な愛情
を撮影。特に「博士の異常な愛情」は世界中でセンセーショナルを巻き起こします。
(日本ではオリンピックの年に公開されたためあまりヒットしなかったらしい)

「キューブリック全書」の訳者である内山一樹氏によると
1968年 2001年宇宙の旅
で大成功を収めると、
撮影から公開まですべてをキューブリック自身がコントロールするという、
他に類を見ない契約をワーナーと結びます。
(キネマ旬報社ムビーマスターズより)

1972年 時計仕掛けのオレンジ
以降の作品はすべてその契約で撮影されたそうです。
「バリー・リンドン」も非常にお金がかかっていると思ったけれど、
そういう契約のもとで撮影されていたのですね。

結局キューブリックはイギリスで生活し、充分にヨーロッパの王侯文化の研究をする時間と
潤沢な制作費があったわけです。

完璧主義のキューブリックが、ヒロインの起用だけではなく、
王侯貴族の社会を描こうと思った時に、一番の教科書はヴィスコンティであったことは
おおいにあり得ます。
主人公バリーが貴族のヒロインと小舟に乗るところなどは
ルードウィッヒとシシーの逢瀬のシーンも思わせるし、
いくつか、ヴィスコンティの表象ではないか、と思われるシーンがありました。
私がそういう目で見ているからかもしれませんが。

さて、「バリー・リンドン」では、戦闘シーンのみならず、野外の風景がよく出て来ます。
空の色、雲のかたち、空気感がまるでコローの絵のようです。
舞台は18世紀後半のイギリスですから、風景はコローよりもむしろターナーなんだと思うのだけれど、
映画の中の風景は、荒々しく大き過ぎるくらいのアメリカの自然を見ているキューブリックの
ヨーロッパへのイメージなのかもしれません。

そして、その丘陵地帯の明るい野外風景とは対照的に、
室内の撮影は50ミリ0.7Fという特別のレンズで、
窓からの外光とろうそくの光だけで撮影されます。
公開当時はこの事がとても話題になったみたいです。
ちょっと、フェルメールかジョルジュ・ド・ラ・トゥールの画面を思わせる
暗さなのです。

また、カメラのレンズについていえば、女性の肌を美しく見せるためか、
フィルターを多用しているように感じました。

キューブリックはまた音楽の使い方も天才的です。
「2001年宇宙の旅」の「美しき青きドナウ」は、私の場合はその存在が逆転しちゃって、
「美しき青きドナウ」を聴くと、「2001年宇宙の旅」の宇宙空間の映像が浮かんで来るほど。
「バリー・リンドン」では、ヘンデルのサラバンデがオープニングから使われ、
主人公の波瀾万丈の生涯を見事に暗示しています。

さて、4)ですが、この大作の主人公はライアン・オニール。
「ペイトンプレス物語」などを見ていない私には、
テイタム・オニールのパパ、というイメージしかなかったのだけれど、
すごい存在感があるわけではないこの俳優さんを引き立てる脇役がめちゃくちゃ良かったです。

上の貴族がレースの洋服を着ている絵も
実は、主人公ではないんですね。
主人公にイカサマ賭博でお金を巻き上げられかけた貴族の顔です。
当時の風習とはいえ、白粉塗って、紅さして、カツラかぶった貴族さんは
神経質そうな広い額とくぼんだ目、高い頬尾骨と張った顎。
すごくプライド感があって、思わず見入っちゃいました。

検索してみたらヴォルフ・カーラー、というドイツの俳優さんらしい。
記憶だけで描いてみたけど、40歳若くしてカツラかぶせてお化粧したらかなり近い感じ。
インディ・ジョーンズにも出演していたみたいですね。

余談ですが、外国の映画って、男性の顔の宝庫だな、と今回見て思いました。
そういう目で映画をこれから見て行くと面白いかもですね。

  

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