日別アーカイブ: 2015年9月15日

9月14日、スイミーになりに行ったよ

「集団的自衛権は日本国憲法では認められていない」
「軍事に関する仕事は、憲法で内閣に認めていない」
「政府は憲法に書いてないことは出来ない」

安保法制を許さないのはこれらに尽きます。

私は、もちろん戦争反対だし、
憲法9条も守りたいです。

しかし、手続きをきちんと踏み、
改憲発議して国民投票をするならまだわかります。

しかし、それをしないで、
選挙の争点にもせず、だまし討ちのように国会に提出し
しかも、穴だらけで、
後方支援がまるで戦争ではないかのように答弁を繰り返し、
近隣諸国の脅威を煽りながらなぜか地球の裏側まで自衛隊を派遣できるようにしたり、
憲法違反のそしりを免れるために、
条文の主語を自衛官にして自衛官の命のリスクを増やし、
国民の6割が今国会での成立反対で、
国民の83%が説明不足、
という法律を、通そうとする。

これはもう、政権による憲法破りのクーデター、としか言いようがありません。

政治家や官僚はもちろん「憲法を守る義務」を負っています。
同時に国民は、政府に「憲法を守らせる不断の努力」をしなければなりません。

7月の連休前に衆議院で強行採決した時
政府は「連休中に忘れる」と言いましたが、
私たちは忘れませんでした。

そして今、「連休をまたぐと反対運動が激化する」
と政府は参議院で強行採決しようとしています。

そう、明らかに、スイミーたちの抵抗が、クーデターの首謀者たちをたじろがせているのです。

そして、来年の参議院選挙の頃には
「そんなこともあったね」というふうにしなければならない、
として、今週中に強行採決をし、
「理解を得られなくても、成立すれば理解する」
などと、あり得ないことを国のトップが言っています。

ま、以前だったらそうだったのかもしれません。

しかし、国民、特に若い人たちは気づいてしまったのです。

主権者は国民であると。
政治とは私たち自身の生活の問題であると。
権力とは暴走するものであることを。
主権者は不断の努力で、その政府の暴走を止める力を持っていることを。
デモで意思を表明することが正当な民主主義の手段であることを。
そしてもちろん選挙が重要であることも。

この流れはもう止まらないでしょう。
特に若い人たちは、これから50年60年、
この国で生きていかなければならないのですから、
真剣さが違います。

私は、もうある程度生きましたから、
逃げ切ることも可能ですが、
これからも、スイミーの一匹になって、
若い人たちを支えたいと思います。

出来るだけ、彼らの呼び掛けに答えて、
出来ることをやっていきます。

昨日の夜の国会前集会にも参加してきました。
空撮を見ると、一人一人の存在は小さいけれど
一人一人がいなければ成り立たなかった光景であることがよく分かります。
ガンジーの言う「非暴力不服従」の姿です。

テレビなどでは「日本人ってスゴいシンドローム」が日本中を覆っているようですけど、
それとは全く違う意味で、
日本の大衆は知的で行動的あったと、デモに参加するたびに
私は感動します。
参加すればわかりますが、
一人で参加している、自分の自由意志で参加している人たちの本当に多いこと。
動員されない個々の意志がスイミーになっているのです。

長い間、
日本の政治家や官僚などの民主主義意識や人権意識は残念ながら
先進国のそれとは言えないものでした。
国民も長い間、そのことに気づかなかったけれど、
311以降、そのベールが剥がされ、
人々は動き始めました。

もう人々は、
私たちは、
若い人たちは、
この政府の横暴を、
クーデターを、
決して忘れる事はないし、
常に先を考えて行動していきます。

デモは、野党に勇気を与えるものだったでしょう。
法律を廃案に出来るのは、国会議員だけです。
野党には頑張ってほしい。

同時に、この法案に賛成する人たちも、
政府が自分と同じ意見だからといって、
政府の憲法違反を許してはいけないと思います。

「憲法違反を政府がすることを許す」ことは
国家の根幹のシステムを否定することになります。
今は自分と同じ考えの政府としても
自分とは相容れない政府が出来た時、
その政府が憲法違反をしても声を上がられないことになってしまいます。

国際情勢が変化しているから対応すべき、
という人も間違っています。
日本を守ることは個別的自衛権で守れます。

スイミーは、政府の憲法違反を許さないし、決して忘れない。

昨日の写真をあげておきます。
20150915

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↓自分の言葉で述べておられるシールズの奥田さんの口述。必見です。
奥田愛基さんSEALDs 【全16分】 9/15公聴会