月別アーカイブ: 2013年9月

宮崎駿監督引退記念、トトロの森の絵

今はすっかり、世界的観光名所になった
屋久島のトトロの森。

もののけ姫の製作の時に、
宮崎駿監督は
屋久島の森と白神山にロケハンに行って
スケッチしたと聞いています。

屋久島では、↓ここがその場所です。
20130308

宮崎監督が来る前は
「苔の森」と呼ばれていたところです。

今はこの場所に行くと、
森ガールや山ガールだけではなく、
モデルさんとカメラマンとか、
キャスターとかで混みまくっていますが、
私がこれを描いた時は、
一日描いていて、2、3人の登山者に会うくらいでした。

他にも屋久島のデッサンはいくつかあるので、
こちらからご覧下さい。

今は、アニメや漫画に多くの才能のある人材が集まっています。
アニメや漫画で言う時の「デッサン力」というのは
「いかに本物らしく見えるのか」ということが問われます。

それも大切なことでしょう。
でも、形だけの再現性ではないのがデッサンの魅力です。
「上手い」ことは重要ですが、それは、十分条件ですが、
デッサンの必要条件ではない、と思っています。

以下はホームページのデッサンのページの文章です。

デッサンは快楽

デッサンは、下書きや本画のための練習と捉えられがちです。

しかしある時、気がついたのです。
デッサンで対象と向かい合っている時、不思議な恍惚感が私を満たす事に。

紙に向かっている時、一期一会のそのひとときの世界に私が入り込み自我を離れ、
私はほんの少しだけ忘我の恍惚感を味わうのです。

多分それが私にデッサンに夢中にさせます。私にとってデッサンは快楽なのです。

見る人にも気持ち良くなってもらえたら、絵描き冥利ですね。

ではでは。

関連の記事。
富士山の世界遺産登録の問題点(改題)
シャクナゲと自然遺産の屋久島

懲りない面々のオリンピック

オリンピックが東京に決まりました。

最後の首相のプレゼンが決め手になった、
という報道を見ました。

一応先進国の日本の首相が「責任を持つ」
と言ったのですから、
それが嘘であろうとなかろうと、
IOC委員には関係ありません。

これで景気が良くなるかどうかは分かりませんが、
東京にミニバブルが来るのは間違いないし、
築地の移転や新国立競技場の建築ラッシュで
ゼネコンが潤うでしょう。
21世紀になって十年以上経つというのに
またぞろ全盛期の自民党政治の復活です。

これに群がる人たちは、
稼げる時に稼いでおこうと必死になるはずです。

ま、私のところに回ってくるはずもないので、
私は自分のやり方で淡々とやるだけです。

一方、今回の誘致合戦でいくつかの重要なことが見えてきました。

①「原発立地は原発が事故れば、国から捨てられる」ことが明らかになりました。
これは肝に命じたほうがいいでしょう。
泉田新潟県知事は正しい選択をしていることになります。
他の立地も、このことは真剣に考えたほうがいいとおもいます。

安倍首相はIOC総会で、
ふくいちは東京から250キロ離れていて完全なコントロール下にあり、
「健康問題は『将来も』まったく問題ない」と言い切りました。
つまり世界に明らかに嘘を言って、福島を切り捨てたのです。
安倍首相は、オリンピックを使って、福島をバッサリきりました。
右往左往の対応をしていた民主党が可愛く見えます。

②国家は国民に対しても平気で嘘をつくけど、
外に向かっても平気で嘘をつくし、外国も自分達に大きな影響がでない限りは
それを容認する、ということ。
自国の嘘は自国の民で暴くしかない、ということですね。

③人間は懲りない、ということ。

以前の記事「中東の歴史を聖書から読んでみた」
で書きましたが、
私が、ひと通り旧約聖書と新約聖書の外観を眺めて分かったことは、
聖書は何が優れているかというと、この人間の懲りない様を描いているところです。

大雑把に言うと、罰を与えられると人間は反省するんだけど、
3世代も経つと忘れて、ソドムとゴモラ化して、
また神に罰せられるということの繰り返しの話が、
旧約聖書の中身になります。
主役は変わっても、ひたすら通奏低音のように
「懲りない面々」の歴史なのです。
「人間」というものが分かっているのですね。

今の日本などまさに「「懲りない面々」によって
ボロボロになりそうです。

私は今後も明確にオリンピックに反対していきます。
非国民呼ばわりされるかもしれませんが、
同じお金を使うなら、福島の人たちの再スタートに使ってほしいのです。

福島の汚染の程度について議論する気はありません。
むしろ、今後、メルトダウンした核燃料が地下水などに
触れて行くことの方が問題だと思います。

2020年の7年後までにメルトダウンした燃料を取り出せるとは思えません。
スリーマイルの事故でも6年かかっています。
こちらはメルトダウンしたものが3つあって、
あと1500本もの使用済み燃料が宙に浮いています。

福島の人たちで福島の外で再出発したい人の希望をかなえるために
お金が使われる方が、ずっと意味があると私には思えます。

国家は嘘をつくものです。
それでも、先進国なのに日本ほど自国の民を慈しまない国があるでしょうか。
他国を陥れるのならまだ分かるけど、
自国民を大切にしない国が、これからも繁栄するとは思えないのです。

世界もそれを知ってて、最後の一儲けに一番お金のある東京を
選んだのかもしれません。

今も昔もゲーム感覚のエリート達。快作「陸軍登戸研究所」を見て。

以前、ツイッターでちらりと見て気になっていた
ドキュメンタリー映画「陸軍登戸研究所」を見てきました。
http://www.rikugun-noborito.com/

かつて,第二次大戦中に,風船爆弾とか偽札を作っていた
陸軍の秘密機関についてのドキュメンタリーです。

全編、関係者の証言で埋められており、
制作者の余計な予断や憶測がほとんど無い優れたフィルムになっています。

ドキュメンタリー映画「陸軍登戸研究所」予告編

一言でいえば、お薦め。3時間が長くないです。
体験した人の話は凄みがあるし説得力があります。
でも,同時に不謹慎だけど、笑っちゃえるんです。
人間の日常というのは戦争時でもなにか滑稽です。

また、歴史修正主義者達にも是非見てもらいたいです。
人体実験の時など、最初は良心がとがめても
だんだん慣れてくる話など、誰もが鬼畜になりうる戦争の本質が見えてきます。

引退を表明した宮崎駿の「風立ちぬ」は
あまり触手が動かなかったのですが、
この「陸軍登戸研究所」をみて、陸軍がせっせと風船爆弾のようなものを作っている間に
空軍はどういう風にゼロ戦開発をしたのか,急に興味がわいてきたので、
「風立ちぬ」を見てみたい,と思いました。

このフィルムが,ドキュメンタリにありがちな「説教くささ」がないのは、
日本映画学校のカリキュラムの一環として、
戦争や策謀には無縁の若い女性達が全くの個人的興味から、
ある意味「白紙」で取り組んだからでしょう。

「陸軍登戸研究所」の存在は以前から知られていたものの、
戦後の徹底した証拠隠滅により,その実態は分かっていませんでしたが、
登戸研究所のあった現在の生田の地域の人々の掘り起こしなどから、
様々なことが分かってくるようになったようです。

この地域の保存活動に参加し市民ガイドになった人も若い女性で、
なんだか、戦争を知らずに「強いニッポン」とか言っている男性達と
思わずその心の有り様を比較しそうになりました。

その地域の人たちと粘り強く歴史や証言者を掘り起こしたのが、
明治大学の渡辺賢二氏。

陸軍登戸研究所と謀略戦: 科学者たちの戦争 (歴史文化ライブラリー)’:渡辺 賢二

1950年に登戸研究所の跡地は明治大学に買い取られ
生田校舎が生まれます。
そして、2010年には「明治大学平和教育登戸研究所資料館 」が誕生します。
http://www.meiji.ac.jp/noborito/index.html

映画を見ながらメモしたので、
いくつかのエピソードを書いてみます。
多少ネタバレになります。

風船爆弾は直径10メートルなんですが、
なんとそれを和紙とコンニャク糊で作ってしまうのです。
バラストやその頃世界最高性能の高度計などをつけた風船爆弾は
偏西風にのって、大西洋を渡り300個くらいはアメリカについたようで、
爆弾も破裂し、何人かアメリカ本土の民間人が死んだそうです。
一人の証言者である女性は、10年くらい前にその慰霊にアメリカを訪ねています。

それから、偽札作りは、戦後、占領軍に重宝されるほどの技術だったようです。
占領軍が何に利用したかは、証言者も「墓場まで持って行く」と言って口をつぐみます。
で、なぜ偽札を作ったかというと、兵隊さんに食料などの兵站を補給する
物資がなかったので、その偽札を使って、侵略した地で調達させるためだった
というのには、思わず笑ってしまいました。

まるでバーチャルゲームみたいな感覚です。
しかし、確かに、将校達はゲーム感覚だったのだろう、
と思ったのは、将校たちは、戦争中なのに羽布団で寝たそうですし、
また、夕食には女子挺身隊が嗅いだこともないような良い匂いをさせて食事をしたそうで、
その匂いを嗅いだ女性は「日本は負ける」と思ったそうです。

そういう証言をする人たちも、
思い出話のひとつという感じで話すのですが、
一様にいうのが、
「あんなことは無駄だった」という一言。

核爆弾を開発する国に、一枚一枚糊付けした風船爆弾を飛ばすことを
真剣に考えたり、
占領した上海をインフレを起こせば中国のダメージになるだろうと
せっせと偽札を作って、北京周りで持ち込んだり、

その上、負けることは予想していたので、
最後は、占領軍が上陸しても水道に毒を入れて殺し、
そうすればもちろん国民も死ぬんだけど、
自分達は濾過装置を作っって生き残るつもりだったとか、

徹底的にデティールの細かさにこだわって意味のないことに磨きをかける様は
ほとんどギャグだなあ、と思ってみていました。

ただ、このデティールの細かさとそれを磨く技術というのが、
日本の戦後の高度成長の繁栄を支えていたんだと思いました。

でも、この国を引っ張る人たちって、
戦争だけでなく大きな国家100年の計みたいなパースペクティブな絵は描けないので、
今みたいな大きなものの見方が必要なときは右往左往しちゃうのでしょう。

語り継ぐ、ということがとても重要であることを
証明してくれている映画です。

ユーロスペースでの上映は終わりましたが、
アップリンクや埼玉神戸などでも上映されるようです。

国防軍が必要、というふうに思っている人にこそ見て頂きたいですね。

7年という歳月をかけて、地道に証言者を探し、撮影し、
編集をした製作者達に敬意を表します。

スケッチ わたのはなしべひらく

世の中,変なことばかりですが、
どれほどおかしな世の中でも、
キチンと見据えて行かなければならなのと同時に、
しっかり自分の時間や空間は確保しておきたいものです。

自然に親しむ,というのはそのためにとてもいい方法のひとつです。
幸いなことに、季節が移ると自然の様相も
様々に変化して,尽きること無く楽しめます。

二度と同じ自然,二度と同じ夏,二度と同じ人生のひとコマはないのです。

今日は,3日の記事「わたのはなしべひらく」のスケッチです。

綿の花、水彩・色鉛筆

綿の花、水彩・色鉛筆

まだふわふわの綿ははじけていませんが、
花が落ちると、シソの葉のようなひらひらの咢の中で、
まず白い実が生まれ,それが緑に大きくなって行きます。
この絵では、左の一番下に白い実,その上に少し大きな緑の実が見えます。

花の下では、ハナムグリがエッチラオッチラ花をめがけて登って行きます。
このあとナハムグリは,花の中に潜ってしまいました。

いつはじけてコットンボールになるのでしょう。
その時見られるかな?
今から楽しみです。

わたのはなしべひらく

ご存知のように、
「残暑お見舞い申し上げます」と言うのは、
二十四節気の立秋を境に暦の上では秋だからです。

立秋は8月7日あたり。
8月下旬になると、「処暑」。
処暑には「綿柎開く」という言葉があります。
「わたのはなしべひらく」と読みます。
綿のガクが開く頃、ということです。

で、今日は、綿の花が咲いている、と聞きつけて、
スケッチに行ってきました。

湿度が少なく日陰にいると風が気持ち良いのですが、
日が射しているところは、厳しい暑さです。

私の方も、いささか暑さ疲れをしているので、
炎天下にいるのはちょっときつかったです。

家の近くでは、センニンソウが満開で、それは
夕方日の沈む少し前に行って少しずつ描き進めていました。

デスクトップをネットに繋げないので、古い画像を取り出せないため、
あたらしいスケッチは、順次上げて行きます。

お楽しみにあれ。

ところで、あまりの暑さに、ペットボトルの飲料水も
持ち歩いていると、すぐぬるくなってしまいます。
明日は出かける、30度は越えそうだ、という前の晩に、
古いペットボトルに麦茶を8部目ほど入れて冷凍庫に
一晩置きます。

翌朝、すっかり氷の塊になって、持って歩いているうちに溶けて行く、
という具合。

暑い時に冷たい麦茶はおいしいですが、
意外に身体に負担になるので、飲み過ぎないように。

また、冷凍庫に入れる時、8部目にしないと氷が膨れちゃって大変です。